【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く

生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

ホームページへ戻る

名前
メールアドレス
タイトル
本文
写真

URL
編集・削除キー 項目の保存


RSS
こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

[6162] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第188回
信徒連合 - 2016年12月20日 (火) 08時25分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************




大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(29)





 “霊の法則には疲労の法則なく、病気の法則なく、ただ健康の法則のみあり。されば汝如何なる症状顕(あらわ)るるとも 病気は本来無し 病気はただ「信念の反影(かげ)」に過ぎずと断定せよ”
 という前回の聖句を受けて、本章では次の一節に移るのであります。


  如何(いか)五官に疲労と病気とが顕るるとも
そは決して人間生命の実相には非(あら)ざるなり。
生命の実相より観ずれば
病気はただ覚(さ)むべき一場の悪夢に過ぎざるなり。
病いを癒さんとする者は
「人間神の子、病気は非実在なり」と知らざるべからず。

 このように示されているのであります。

ここに「生命の実相より観ずれば」とあるところに注目しなければならないのであります。

現象面から観ずれば無論、病気はあるかの如くあらわれているのであります。そしてあらわれている現象の姿を、それを真実在だと信じて、自分の“信念”でそれを「有り」として把(つか)んでしまいますと、この世界は唯心所現の世界でありますから、その現われている病気や疲労がなかなか消えないのであります。
 そこで私たちは“人間”(自分を含む)を観るに、観点を一変して「生命の実相より観ずる」のです。すると“生命”は“霊”でありますから、「霊の法則」には「疲労の法則なく 病気の法則なく ただ健康の法則のみあり」ですから、疲労も病気も結局は「覚むべき一場の悪夢」に過ぎなかった訳で、その悪夢は自然に消滅することになるのであります。

 最近、交通事故の後遺症として、所謂(いわゆ)る「鞭打ち症」になって、色々の神経障害に悩まされている人が随分にあるようですが、このような患者の大部分はレントゲン検査をしてもどこにも骨折もなければ脱臼もないのに、ある種の不随や苦痛を身体に遺(のこ)していて、それが中々治らないというのでありますが、こういう後遺症は、交通事故に遭遇したときのショックが、その人の潜在意識に深く印象されていて、“心”が「屹度(きっと)、わたしは鞭打ち症になるって治らない」と信じて、事故瞬間の打撲の障害を“心”につかんでいるから治らないのであります。もしその交通事故遭難者が、生長の家の真理に触れ、人間は“神の子”であって、“霊の法則”に支配されているのであるから、“霊の法則”には疲労の法則も病気の法則もないと知って懺悔と感謝の生活をすれば、本当の重大な骨折を起していてすらも、それが完全治癒して、どんな後遺症をも起さずに済むのであります。

 その実例として、昭和45年7月6日、北海道旭川市公会堂で生長の家の講習会がありましたときに、旭川市春光町に住んでいられる本間良淳さん(当時58歳)がその前年の5月に交通事故で、右大腿部骨折、右大腿骨頸部骨折、右下腿骨骨折、左下腿開放骨折、左腓骨神経麻痺というような重症を負ったにも拘らず、それが完全に治って何らの後遺症も残さず、肢体に何の不自由もなく健康体に復された体験を述べられたのであります。本間良淳さんは次のようにその体験を述べられました。録音から転写したものであります。

 本間さんは壇上にのぼる時も、壇を降りて自分の席に帰る時にも、少しも歩行に異常なく、普通の健康者のような歩調(あしどり)で歩かれました。今や何らの身体(からだ)の故障もなく、他の人々を自分の体験を通して真理に導いていられるのであります。


 皆さん、有難うございます。(拍手)
懐かしい旭川の皆様にお目にかかれますのは丁度1年2ヶ月ぶりでございます。昨年の5月に、不慮の交通事故に遭いまして、危うく一命のなくなるところを、この尊い御教え、並びに、皆さんの御愛念によって救われた者でございます。本当に有難うございました。

丁度、昨年の5月の21日の夜8時頃に留萌におりまして、自転車に乗って商売の途中。集金を終りまして姉の家へ行こうと思って、国道をずうっと左寄りの方へ用心しながら通ったんでございますが、前方から全速力で飛んで来ました車に突然はね飛ばされまして、あっという間の一瞬に、自分はその車の下になったわけでございます。そして、車は私をひいて通り過ぎたんでございまして、後で聞きましたら、私の乗っておりました自転車が、そうとう頑固な自転車なんでございますけれども、車輪が滅茶苦茶になりまして2つに折れておったそうでございます。

   そして、私は夢中で、その集金鞄(かばん)を取ろうと思って立ち上がったのでございますけれども、膝から下は、どうしても足が上らなかったんでございます。そして、夢中になって苦しんでいました時に、後ろから2人の人に抱えられまして、後ろから来た車に無理遣りにかつぎこまれたんでございますけど、その時に、自分は一人でいざって行って足を自分でかけた。それを自分ではぜんぜん分らないんでございます。そして、「あんた住所はどこだ?電話はあるか?」と聞かれ、それを答えたのは覚えていたんですけど、それからは、ぜんぜん人事不省に陥ったわけでございます。

気がついた時は、留萌の外科病院のベッドの上で、頭も包帯されまして、頭も瘤(こぶ)だらけで血が出ていたんでございますが、そして両手には、片方には輸血、片方にはリンゲル、両方の手を支えられてですね、そして気がついたのでございます。

当時、留萌のおりました姉と弟が来ておりまして、「どうした?大丈夫か……」と声をかけてくれました時に、「大丈夫だ!」と言ったところ皆、安心してくれたんでございますけれども、本当にそれまでの時間は何がなんだか分らん、あの世に逝(い)っとたような状態だったんでございますけれども、神様は、まだ使命があるからでしょう、私をこの地上に戻して頂いたのではなきかと思うわけでございます。

当時、後から聞いた話でございますけど、お医者さん「右の足は、ここから切断しなきゃいかん……」と言われたのでございます。複雑骨折でございまして、骨が砕けまして肉の中に飛び込んでおったそうでございまして、今5つの病名を付けられているのでございます。この右の大腿部骨折、それから右大腿骨頸部骨折、右下腿骨骨折、左の方も、左下腿開放骨折、これは左の足の向こう脛から下の方が骨が3本飛び出しておったそうでございます。そして、「お医者さんが手当てする時、手を突っ込んでみたら骨がぐさぐさななっておる……」ということで、そういうお話だったわけでございますけれども、それからもう一つは、左の腓骨神経の麻痺、こういう5つの病名をつけられたのでございます。

当然、お医者さんの話では、「右の足は、ここから切断しなきゃいかん……」と言われたんでございますけど私は信じました。気がついた時に姉に話して,鞄の中にあります『甘露の法雨』出して頂きまして、それをハンカチにくるみまして、胸の方へ当てまして、一応神に念じておりました。その翌日は、苦しみのために祈りもなにも出来なくて、3日目に気がついて神想観にもならぬ神想観を、手を縛られたまま念じていましたら、なにか明るい世界に出たような、すうっと痛みがひいてゆくような感じがしたのです。

6月の12日に、いよいよ手術ということになりまして、留萌の先生は私を送る時に、「本間さん、3回は手術を受けなきゃならんよ、その覚悟をして行きなさい……」と言われたんでございますけども、日赤病院に行きまして、いろいろ検査されまして、そして、輸血されまして手術になりましたところが、先生は、「左の足の方は手術しないよ、右の足の方だけ手術します……」ということでございまして、その手術が6月の12日になったんでございますが、12日に手術しました時は、丁度2時半に手術室に入りまして、終ったのが午後の9時でございました。

そして、先生に、「どのぐらいギブスに入っているんですか?」と聞きましたら、「8週、順調に入って8週、それから長い人は、10週、12週になるかもしらん……」とこう言いました。その時に私は「8週の方で治して頂くんだ! 6月12日から数えまして、8週は丁度8月7日だと、8月7日ギプスを取って頂く!!」と日記に書きまして、8月7日、8月7日と念じておったんでございますけども、8月7日になる5日前の8月2日に、レントゲン撮影された結果、「まだ、ぜんぜん駄目だ。骨がついておらん、もう一ぺんギプスをかけ直す」ということでございまして、そしてまた、ギプスをかけなおされたのでございます。

「どのくらいですか?」と聞きましたら、「4週間は覚悟しなさい」「4週間は9月の2日だと、じゃあ9月2日には、ギプス今度こそ本当に取って頂くんだと、そうしたら立てもするし歩けもするんだ!」こういうことで楽しみにしておったのでございますが、さて9月2日になりまして、レントゲン撮影して頂きまして、それからテレビに写して、その骨をいろいろ検査して頂きましたところが、「左の足は、どうやら付いているけども、右の足は、膝から上の10センチのところ(このぐらい)3センチぐらいがどうしても附いていない、隙間がある」って言うんですね。「本間さん残念だけどもう一度手術しなきゃならん、どっか余所(よそ)の骨をつながなきゃ駄目ですよ。それでないとあんた歩けないようになりますよ。歩けることは出来ませんよ……」とこう言われまして、非常に一時はがっかりしたんでございますけども、「それじゃ、先生にお任せします」とこう言うたんでございます。私はその時に、よしそれでは、今度こそ私はまた一心に神に念じまして、お救い頂かなければという気になりまして、それから実は、毎朝床の中で手をあげまして、神想観をし、感謝をし、そして聖経読誦をやっとったんでございますけども、それから寝ながら聖経『甘露の法雨』『天使の言葉』を浄書させて頂きました。それから熱心に祈りまして、全てを神様に任せたんでございます。神は必ず救い給う、2度の手術なんか受けなくても必ず治る!!という信念を強めまして、それから更に、泉先生にも御指導頂きましたけれども、右の脚の骨が附かないということは、それは何かやはり原因があるんだといろいろ考えまして、それから、いろいろ考えてみると、自分にも懺悔しなきゃならんことが沢山ありました。それから、感謝しなきゃならんことも沢山あったんでございます。家族に対する感謝、これは一番徹底しなきゃならんという気持ちになり、それから一所懸命に懺悔と感謝の生活に入りまして、更に供養が一番大切だと思いまして、いろいろ考えました時に、右の方は女性を現わすとお教え頂いております。

いろいろ考えました時に私の頭に浮んだのは、満州において、昭和20年のあの終戦の時に、行方不明になったまま未だに生死不明の長女陽子、現在生きていますというと、34歳になりますけども、それが長い間行方不明になったままでおったんでございますけれども、政府の厚生省の方の調査によって、「15年以上行方不明の者は、今の法律によって戸籍を抹消しなきゃならんから、あんた承諾の判を押しなさい……」と言われ判を押して出したんでございます。

そしたら今から3年前に、「8月23日行方不明になった娘子(娘御)死亡……」として公報のようなものが入ったんでございますけど、私はどうしても、娘が死んだということが信じられないために、供養せずにおったんです。そして、娘を聖使命会に入れまして一所懸命に娘の無事を祈っとったんでございますけど、“やはりあの子が霊界に逝(い)っとるのに、供養しないで申し訳なかった!!政府から正式な通知を頂いたのに供養しないで申し訳なかった”という気持ちになりまして、その娘の供養をしたんでございます。それから直ぐ、聖使命会から霊宮聖使命会*に切り替えまして、入れさせて頂きました。

更に、その以前に私の父親母親、亡くなった兄弟、家内の父親母親、それから家に来ておる嫁さんの戦死されたお父さん、その方々を、いま9柱(はしら)霊宮聖使命会に祀らせて頂いておりますけれども、更に家内の姉で2人、結婚したけれども亡くなりまして、その旦那さんが再婚したために、供養されない者2人おりまして、娘と家内の姉の供養2人分と3人の供養を一所懸命させて頂いたのでございます。

そうしましたところ、お医者様は、「来週手術する、来週手術する、9月2日に手術だ……」と言うんでございますけども、なかなか手術してくれないんですよ。ところが、9月の18日になりましたら、「いよいよ手術の準備ですよ……」と言って血液に検査をされ、尿あるいは便の検査をされたんです。いよいよ手術が近いなと思って、覚悟しておったんでございますけど、しかし、私はどっか心の底に“手術しないで助かるんだ!”という気があったんでございます。
   そうしましたら

9月の22日になりまして先生がお出で下さいまして、「本間さん、どうもあんたの手術もう少し延ばしてみて、10月の2日まで様子を見ることにしたよ。その時にレントゲンを写して、それから決めるから」とこう言って下さったんでございます。

そうしまして、10月2日を待ったんでございますけど、10月2日の日にレントゲン室に入りました時に、私は一心に神を念じ、レントゲンを拝んだのでございます。“このレントゲン、必ず私の実相を現わして下さる!!”そう念じ、レントゲンにかかり透視機にかかったところが先生は、「不思議だ?骨が附いとる……」と言うんです。「新しい骨が出て来まして、ちゃんと繋がっている。助かったね。(拍手)これで手術しなくてもいいですよ」看護婦さんには、手術室の準備を全部取り消して頂いたのでございます。

そういうことで私は手術から免(まぬが)れまして、そして、それから立つ練習をやり、歩行器につかまって歩く練習をやり、漸次、松葉杖と進んだわけでございます。そして11月の12日には、皆さん御覧になって下さった方も沢山ございます。私共の訓練状況を、テレビによって報道して頂いたのでございます。

私は今、国立病院におりまして、一所懸命に院内の光明化運動をやらせて頂いています。誌友も沢山作っております。また講習会に参加する方も作りました。現在、今日ここにも、講習会に1人お出でになっている方がございます。これからも一所懸命やらせて頂きます。 有難うございます。


 この体験で注目しなければならないことは、今まで行方不明だったので、生死不明としてその霊の祭祀供養を怠っていたのに気がついて、それを祭祀し供養したほか、亡父母、亡兄、弟、妻の父母の霊魂、嫁の戦死した兄の霊魂等、霊宮聖使命会に入会させ、宇治の宝蔵神社*に祭祀して貰ったことである。大たい骨”の病気は、骨は肉親の柱となるものであるから、肉親の中心となるべき祖先父母を人体に於いては象徴するものであるから、交通事故等で、骨折を起したり、また交通事故でなくとも、骨結核(カリエス)、骨膜炎、骨髄炎、結核性関節炎等で骨が痛む病気を起す場合には、その患者の親族縁族等の中心者となるべき人
の霊魂が祀られておらず、祀られていても、法事、供養や読経を疎かにしていて、それらの霊魂が心を傷めているのが、現世の縁のある人の肉体に象徴としてあらわれるのであるから、それらの親族縁族の霊魂を充分祭祀し聖経『甘露の法雨』を読誦供養すると不思議に治る場合が多いのである。



(9)
Pass



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板