【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く

生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

ホームページへ戻る

名前
メールアドレス
タイトル
本文
写真

URL
編集・削除キー 項目の保存


RSS
こちらの関連記事へ返信する場合は上のフォームに書いてください。

[6218] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第192回
信徒連合 - 2016年12月24日 (土) 09時08分




谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――


@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』

A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』

★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。

******************



大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(33)





 さて聖経『続々甘露の法雨』は次の如く説いています。

   「この病気は、この心の迷いの影」などと
   「迷い」をいちいち詮索すること勿れ。
「迷い」本来無ければ
   「迷いの影」も本来無し。
「この病気は何の罪の結果ならんか」と
   罪の種類をいちいち詮索すること勿れ。
   罪本来無ければ、
   罪の種類も本来存在せざるなり。
   汝ら存在せざるものを追うこと勿れ。

 『生命の實相』を読んで、韓国に住んでいる韓国人でも病気が治るのは、真理は普遍的なものであり、病気は本来非実在だからであります。

 この韓国の姜弘式さんの手紙に、小児麻痺を癒やされた子供が、まだ多少後遺症が残っているので、遠隔治療をしてほしいということが書いてありますが、遠隔治療というのは別に何物も治療するのではないのであります。ただ、相手が“神の子”であって完全であるという実相を、こちらから直視(じきし)するのであります。

実相世界は時間空間を超えており、生命は“実相”に於ては、一つづきの一体でありますから、本当に“私”の生命が心の眼をひらいて“彼”の生命が既に完全である実相を直接端的に強く観ずることが出来れば、その“実相”は観た通りにあらわれるのでありますから、自然に本来無いところの病気は消えるのであります。

しかし観た通りにあらわれるといっても“彼”(患者自身)の心も“彼”を見ているのであり、“彼”の母親や父親や家族や医者たちも“彼”を「病気である」と見ているのでありますから、こちらが「神の子・完全円満」と“彼”を見る念想力が、彼ら自身が“彼”を「彼は肉体であって、神の子ではない。病むべき不完全なものである。小児麻痺はあるのである」と思っている妄念の力よりも強くて、その妄念を克服しなければならないのであります。そのためには患者の家族及び周囲の人々が真理を知り、病気本来無いという真理を知り、こちらの念ずる真理の念想力に対する抵抗を極小に減じて、こちらの念ずる通りに、同一時間に同様に「神の子、円満完全、既に病気なし」と念じていると効果が多いのであります。拙著『生活応用健全の真理』*225頁(日本教文社刊)には次のように書かれてあります。

  「吾々は神想観によって、何ものをも他の者を治療しようとするものではないのである。 ただ実相を観ることによって自分の心を治すのである。他(ひと)の心を治すのではない。自分の心で実相を直視するのである」「神癒と言うことは『実相直視』であって、ただ化相が消滅するに過ぎないのである」

 このように書かれてあります。しかし吾々は肉体人間として、時間空間面にあらわれているものを感覚によって知り、肉眼や触角で見て病気があると見える場合、「実相の円満完全さ」を直視しようにも、心が現象悪にとらわれて、実相の完全さを直視しにくいことが往々あることであります。そんな場合には、どうすればよいかというと、『生活応用健全の真理』の本の前項のつづきに次のように書かれているのであります。

 「実相を端的に直視することが出来ない場合に『理論的思念』(reasoning)と言うことを行うことがある……理論を重ねて、病気のないことを連続想念しているうちに、自分の心の中の理窟がほぐれて、実相の完全さが端的に出て来るのである。例えば、『神はすべての渾(すべ)てである。神は完全である。完全はすべてのすべてである。すべてが完全であるから病気はないのである……』と言うが如き種類の思念である。若しこんな理論的な思念を繰返していて途中で雑念が生じて理論がアヤフヤになったような気がしたら、思念を元に返して最初からやり直す方が好いのである」

 なお、この思念についての詳しいことは『生活応用健全の真理』226頁以下をご参照下さい。


ついでに旧い「白鳩」誌がもとになって、「人間・神の子」の真理に触れ、商売が順調に行くようになり、むつかしい御得意先でも、相手の方の実相を直視して礼拝してその方を祝福すると、その相手の良い面があらわれて来て、御得意様と調和して取引が旨く行くようになったという実例の体験談を次に紹介いたします。もっともこの体験の終りには、治病の事も書かれており、御得意様が十二指腸潰瘍で入院する直前に、その「無病の実相」を観じて礼拝したら手術しないままで、健康を恢復せしめ得た実例と、谷口清超先生直受の講演会に、自分の店の店員で慢性的に腎臓結石で苦しんでいた店員を聴講につれて往ったら、翌日、その店員がいつになく明るい顔をして出勤して来て、何の苦痛もなく、大豆ぐらいの大きさの腎臓結石が楽に排出したといって塵紙にそれを包んで持って来て見せたが、それを主治医に見せたら、「こんな大きな結石が、苦痛もなく出たのは奇蹟だ」といって主治医が驚いたというのであります。

しかし「奇蹟」とは何を意味するか、神は何故時々「奇蹟」を示し給うのか、それは清超先生著の『奇蹟』*を読んで考えて頂きたいと思います。兎も角、その奇蹟の体験談を次に掲げます。──


 それは昭和45年3月30日三重県四日市市体育館で生長の家の講習会がありましたときに、三重県上野市桑町1504の2の藤田龍幸さん(当時36歳)が次のように話されたのであります。

皆さん、有難うございます。(拍手)私、谷口雅春先生の御前でこうして大勢の皆様の御前で、体験談を発表させて頂けること無上の喜びでございます。雅春先生、有難うございます。皆さん、有難うございます。

一昨年の夏、私の母親が、真夏のことでございますから、沢山の昔からの古い「白鳩」誌を庭に並べまして、虫干しをしていたのでございます。 私がそこを通りかかりまして「お母さん、そんな古い本沢山大事にしまっておいて、何してんのや?こんな古い本は屑屋さんにでもやってしまったらどうや」いうようなことを話したわけでございます。

そうしましたら、母親が「何と勿体ないことを言うんや、これは素晴しい生長の家の御教えが書いてある素晴らしい本だ!!」ということで、泣き始めましたもので、私困ってしまいました。と言いますのは、私は養子にまいっているわけでございます。

“これはお母さんを怒らしてしもうたら、えらいことや”と思いまして、その時は商売気を出しまして、「そんな素晴らしい本やったら、一回お母さん、この本を私に貸してくれるか?読んでみるわ」ということを言いまして、そうしたら母親が、今度はべっと変りまして、えらい喜んでくれました。

「現在でも、日本一の養子だと思っているのに、この素晴らしい“生命の實相”を読んでくれましたら、さぞ世界一の養子を私は授けて頂いたことになるんだ、生長の家の御教えは何と素晴らしいんだ!有難いことだ」と言うてわんわん合掌して泣き始めました。

私もえらいことになってしまいましたもんで責任上『生命の實相』を読むことにし、私は養子ですから、昔のことは分りませんが『生命の實相』を母親に借りてみますと、昭和11年の製本で、定価2円の本当に古い『生命の實相』でございます。 それを母親に借りまして、初めは義理で読まないけないことになりましたから、毎日読むようになって、2,3日しますと何とはなしに、その本に吸い付けられまして、ぐんぐん読み始めまして、朝の3時4時読ませて頂いた晩もあったのでございます。まだすっきりと分ったわけではございません。

一昨年の11月、秋の宝蔵神社の大祭で谷口雅春先生の3日間の御講習会に、母親が「是非行け」と言いますもので、母親と2人で3日間、自動車で通わせて頂いて、講習を受けさせて頂きました。そして、本で活字を読むだけでなしに、雅春先生の御姿を拝見し、いろいろと声で、耳から目から感じさせて頂き、本当に素晴らしい生長の家の御教え!!と分らせて頂いたのでございます。

 それから家へ帰りましてから、『生命の實相』を始め毎月の「生長の家」誌「白鳩」誌「光の泉」誌などを読ませて頂いたのでございますが、そいでもっと素晴らしくならにゃいかんのが、どうも自分が素晴しくなりません。他(ひと)を見ますと叩きたくなってまいりますし、自分が何もかも知っているのに、相手の人が悪いように思えたり、また少し勉強させて頂いた為に、儂(わし)はこいだけ勉強したのに、周囲の者は駄目だ!という気持ちが起きてまいりましていろいろと問題にぶつかりまして、悩んでおりました。

 そこで、地元上野で40年前から、御熱心に御指導頂いています森川先生に再三再四お伺い致しまして、御指導を頂きました。
 森川先生の御指導によりますと、「あんたは神想観をしてないだろう」「先生、とてもあんな難しいのは出来しません」ということで神想観もしなかったんでございますし、時々『甘露の法雨』を読誦させて頂いていたのですが、毎日はしていなかったのでございます。それで私は、「そしたら来月の1日ぐらいからやろうかなあ」とこないふうに言うてましたら「今立たずして、何時立つぞ!!」という御言葉で、その晩から仏前で神想観をし、『甘露の法雨』を読誦させて頂き、朝晩神想観をさせて頂くように、その時から始めたわけでございます。

 そうなってまいりますと、自分も相手の家族の人々を見ましても、今までいろいろ欠点ばかり見まして、裁き心が出たのですが、実相を見せて頂くといいますか、礼拝させて頂くことになりましたら、みな周囲の人が良く見えるようになってまいりました。

 そして今度は、“自分がつまらない人間だなあ”というようなことも感じる時がありまして、また森川先生に御指導頂いたのでございますが「自分も即ち神の子ではないか」ということで、「自分がつまらん人間なんて思うことは、神様に対して申し訳ない」ということで、また自分も素晴しい神の子である!!という自覚に立たさせて頂き、全てにおいて有難いことばかりが現われて来るようになりました。

 私は商売していますので、商売に出まして、お得意先とも、いろいろ気にくわんお得意さんもあったのでございますが、先ずその相手が方の実相を礼拝致しまして、祝福致しますと、非常に今までとは変った良い面が出てまいりまして、お得意先と私の間が調和されるようになって来ました。取り引きもうまく行くようになってまいりました。また商売の面におきましても、今までは、どんと儲けたるんや、儲けるための手段として品物を売るんだと、まあ極端にそんなものの考えで、商売に出ていたわけでございますが、この生長の家の御教えに触れましてから“いろんな人々にお役にたたせて頂くんだ!!品物をお届させて頂く、そしてその品物がお役に立って頂くんだ、その中を私は取り持たせて頂いているんだ”という気持に変らさせて頂きまして、利益はその御礼として頂戴するんだという気持に変らさせて頂きましてから、何か商売も順調に成績を上げさせて頂くことが出来るようになってまいりました。

 また愛行の方でございますが、神想観をさせて頂くようになりましてから、非常に愛行もスムーズにさせて頂くようになりまして、あるお得意先では、夕方お邪魔しますと、奥様がざわざわしておられますから、「何をしているんですか」とお尋ねしますと、「明日の朝から四日市の病院へ入院して、十二指腸潰瘍の手術を1週間先にするんです」というお得意先がございました。

 その時も私は初めて大仕事をさせて頂きました。初め自信がなかったのですが、いやあ、これは神様が私にさして下さるんだと、ここで私が病気はないんだ!!ということを分らさせて頂いて、何とか入院を取りやめて頂こうと、一所懸命神様に、「私にその力をお与え頂きたい」ということを念じ、また相手の江川さんを祝福致しまして、お話を申し上げたところ、夜の5時から11時まで、6時間ほどかかりまして、明日入院するというのとりやめて頂きました。

 一先(ひとま)ずとりやめて頂いたんですが、その後またいろいろとお話をさせて頂いて、手術もしなくていい状態になって頂きました。それが丁度去年の10月の話でございますが、11月には、昨年の雅春先生の宇治での3日間の講習会に、その前の年は私が母親に連れていかれたんですが、今度は私が江川さんをひっぱってまいりまして、3日間の講習を受けて頂き、素晴しい“神の子”の自覚をして頂きまして、助かって頂いたわけでございます。

 そして現在では、胃が痛いということも全然言われないほど、健康になって頂いているのでございます。またもう一つ、私の店員でもございますが腎臓結石で3年も4年も困っていたわけでございます。1年に2回も3回も病院に入院しまして、長い時には1月ぐらい入院しているんですが、腎臓の中に石がたまる病気でございますから、石が動いている間は痛くて、石が動かなければ何ともないわけでございまして、何回もそういうことを繰り返していましたが、去年の11月2日、伊勢市での谷口清超先生の講習会の時に家の店の者7、8名居るんでございますが、全員に「儂がこうやって熱心に生長の家の勉強をさせて頂き、愛行をさせて頂いているんだが、家の店の方も、他の宗教のように思って頂いては困るから、一回騙されたと思って行ってくれないか」ということで、全員に行って頂いたわけです。

 「そうして気に入れば、あなた方も生長の家の勉強をして頂きたいし、気に入らなければ今まで通りでいいんだから」ということで、みんなを連れて参ったのです。そうしましたら堀井と申しますが、腎臓結石になっていたのも一緒にまいりまして、熱心に清超先生のお話を聞いて帰ったわけでございます。

 その晩帰りまして、「どうだった話は?」と言うたら、「3つほど私の胸にじい―んと来るものがあった」ということでございました。「ああそうか、それやったらひとつ生長の家の『生命の實相』でも後、続いて読んだらどうだろう」ということを本人に話したのでございます。次の日は代休を取りまして、休みまして4日の朝、その堀井が出勤してまいりますと何時もは、体も勝れてないですから変な顔して入って来るのですが、非常ににこにこともの凄く元気な顔で「おはようございます」と入ってまいりますと、“えらい人間変ったんやなあ、清超先生のお話聞いたら、あんなに変ったんだろうか”と思って私吃驚(びっくり)したんです。

 そうしたら私に、塵紙から包んであるものを見せますから、「何だ?」と言うたら「これ出たんや」とこう言いますから、私見ますと、丁度壁土のような色で、大豆ぐらいの大きさのとげとげのある石が、塵紙に包んであるので、「これどうした」と言うたら、腎臓から今朝小便する時に、一緒に出てしもうた」「こんな大きな石がよう出たんやないか」ということで、「あまりにも楽に出たから、石じゃないと思って壁土が落ちたんかも分らんから、一回今日昼休みに病院に行って、主治医に見てもろうて来る」「そんならそうしてくれ」と言うて行きましたら、主治医が吃驚(びっくり)してしまいまして、今まで腎臓の中で、石がちょっと動くだけでも、物凄く脂汗をかいて苦しんだそうでございますけど、それがこんな大きな石が細い尿道を通って伝わって出て来たわけです。そういう奇蹟を、清超先生のお話を聞かせて頂いただけで、家の店の堀井が体験させて頂いたのでございます。

 最近の私は、1月から「生長の家」誌「白鳩」誌「光の泉」誌3誌を合わせまして、百部を一括購入致し、只今愛行させて頂いているのでございます。県の目標であります誌友3万、聖使命2万、この目標達成に、私も一つ一つこつこつと愛行を積み重ねさせて頂きたいと思います。そう致しまして、谷口雅春先生のこの素晴らしい御教えに対しまして、御恩に報ずるために、私は邁進させて頂く覚悟でございます。宜しくお願い致します。谷口雅春先生ありがとうございます。



(9)
Pass



Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場から大感謝祭を開催中エントリーお忘れ無く
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板