| [6324] 後半がぬけていますよ |
- 頑張れ青年隊(笑) - 2016年12月31日 (土) 10時47分
生長の家の運動とは、個人崇拝の運動ではない。
誤解のないように言うと、我々の運動は、決して「谷口雅春先生・谷口清超先生・谷口雅宣先生」の歴代総裁を「崇拝」する運動では、ないのである。
また、「総裁先生に中心帰一せよ」とは、総裁先生の悟りが最も素晴らしいからそれに従う、という意味では無いのだ。
ただ、谷口雅宣先生が人類光明化運動の中心にいるということが、最も処を得ている状態なのである。
それ以外に人類光明化運動の中心は、存在しえないのだ。
無論、これは現象だから、総裁先生のいうことを我々が理解できないことも、あるだろう。
それは、我々信徒の悟りのレベルが浅いからかもしれないし、もしかすると、総裁先生が肉体においては判断ミスをされるかもしれない。(総裁は超能力者ではないのだから、肉体智以上の能力を持っていないとしても驚くべきことではない。)
だが、一つだけ確実に言えることは、だからと言って、別の人間が総裁にとって代わろうとすると、それは我の心によって引き起こされる迷いの働きである、ということである。
総裁先生の言葉を理解できない場合、或いは、総裁先生を中心としているのに運動が失敗しているかのような現象が顕われている場合には、ただ、実相世界を見ればよい。
現象に不完全な姿が顕われているのは、当然である。現象を見るからこそ、迷うのである。実相世界を見ずして、実相顕現ができると思ってはならない。
谷口雅宣先生は、谷口雅春先生や谷口清超先生と同じ働きをされている。
我々は、それに感謝し、中心帰一して人類光明化運動に励めばよいのである。
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