| [584] インターネット道場―――個人を救い国家を救う『甘露の法雨』とその奇蹟 H |
- 信徒連合 - 2015年09月18日 (金) 09時29分
インターネット道場―――
個人を救い国家を救う『甘露の法雨』とその奇蹟 H
着衣は裂けても肉体は傷つかぬ・・・
新講『甘露の法雨』解釈(p.332−336)
<<昭和三十九年五月二十七日、呉市の体育館で生長の家の講習会がありました時に、広島市牛田町の松田美智子さんが次の様な体験を発表せられました。
『・・・私の長男がこのたび大学の受験も終わりましてホッと一息つきまして、小豆島へ二晩泊まりで観光を試みその帰りの出来事・・・よく聞いてみますと、小豆島から船へ乗りまして岡山へ向けて船へ乗っていたそうです。“南備海運”の汽船でございましたけれど、間もなく岡山へ着こうとして旭川の河口に入っていたのだそうでございます。そして彼がおります所へ、こちらから木造船が近づいてくるものですから「危ないな」と思って見ていたそうですけれども、ちょうど下の方に高校生が入っていたものですから、自分は二階の甲板に乗っていたそうです。「危ないな」と思って見ていたそうですけれども、まさかぶつかって来るとは思はなかったんでしょう。そのまま坐っていましたら、丁度、彼のすぐ傍の所へ相手の船がめり込んできたわけです。相手の船首が二階の甲板に突っ込んで来たんです。丁度その光景はテレビにも出まして、座席がメチャメチャになったりしております。彼は乗っていた船体が二つに裂けるその間に、具合よくはまってしまったわけです。それで一瞬、胸が苦しくなって目の前が真っ暗になって、自分は「神さま」と思ったけれど、その内に意識を失ったと言うのでございます。
それで気がついてみますと、皆さんに助け出されていて、救急車が岡山の船着場に来ていまして、そのまま日赤病院へと運ばれたのでございました。・・・彼が着ていた洋服は上から下までビリビリに裂けてたんです。(この時、松田美智子さんは自分の息子が着ていた学生服がどんなに引き裂けていたかを聴衆に示された)こんなに衣類はさんざんに破れましたけれども、お蔭で身体にはかすり傷ひとつ受けずに救かったのでございます。これは本当に御先祖さまの霊のお導きで本当に助けて頂いたのだと思います。私はこれからは感謝行の他にないと思います。谷口雅春先生ありがとうございました。』
この体験談に示されているように、家族が毎日揃って聖経『甘露の法雨』を読誦し、また聖経を携帯していると、このような功徳を生ずるのであります。>>
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七時間海中に浸りながら聖経の中味が濡れなかった神秘・・・
新講『甘露の法雨』解釈(p.305−308)
<<昭和三十八年十一月二十二日日本大学講堂で生長の家の講習会があった時、東京都葛飾区鎌倉町に住んでいる樺山滋人さんが次の様な体験をお話になりました。
『・・・昭和十九年、先生が呉軍港に御巡錫になられました砌に、同僚の岡田君と先生を官舎にお招きしまして当時の戦争中の貧しい晩餐を付き合って頂いたのでございます。その時に私は、大東亜戦争の初期に起きました私の体験を申し上げまして、『甘露の法雨』の功徳をお話申しあげたのでございますが、その時先生は、それは当たり前の事だと言うようなお顔をなさいまして、私に「一切万事我より発し我に帰る」という短冊を書いていただいたのでございます。先程の先生のお話を承りますと、将に私に頂門の一針を与えて下さったんだろうと思います。
皆さん「甘露の法雨」と申しまするが、これは印刷した紙と表紙の布で何とか纏め上げた“物質”と申すようなものではございません。私は“物質”ではないと申しているのでございます。これは「甘露の法雨」という名によって、谷口哲学の神髄の「生命の実相」を代表する”神”であります。“紙”ではありません。ペーパーではありません。ゴッドであります。私はこの神様をいつもと同じに、戦争の時には、ひしと心深く抱きしめまして決戦場に出て行きました。吾は神の子なり。吾は神の子、神と偕にあれば、吾が魂は常に平安なり。弾は或いは人間の肉体を傷つけるでありましょう。しかし神様を傷つけることは出来ないのであります。
私はソロモン海戦ならびに南シナ海におきまして二度乗艦を撃沈されまして、何とか救かって海中に投げ出されたのでございます。鱶の棲息する海面を漂う事、七時間、かくして救けられました時、先ず私は懐から「甘露の法雨」を出しまして拝みました。表紙はずたずたに海水に濡れておりますが、ひとたび中味を開きました時には、一滴も海水は滲みていない。只今、私はここに持っています(ポケットから「甘露の法雨」を出して聴衆に示す)表紙は糊が剝がれてもうボロボロでございます。これは私がもう昭和十年から持っておる「甘露の法雨」でございます。この中味は御覧の通り昔のままでございます。一滴も海水は入っとらん。
七時間も海の中を泳ぎましてこういう状態、これを皆さん奇蹟と仰います。人間の五官で認識する縦・横・厚みの三次元の世界を、はるかに超越したところの無限次元の世界、神様の世界に於きましては真実のみが存在します。奇蹟はございません。・・・有難うございました。』
このような『甘露の法雨』の奇蹟的体験は無数にあるのであります。・・・>>
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火中にあって焼けず・・・
新講『甘露の法雨』解釈(p.336−337)
<<・・・長崎県の佐世保市の講習会で瀧口清太郎と言う人が次の様な体験を話されたのであります。瀧口さんの体験談は長崎特有のバッテン言葉で話されたので、そのまま朗読しても一般人には意味がわかりにくいのでありますが、その要旨を述べますと、
村の敬老会で神前で読誦した『甘露の法雨』が中身だけなくなり紛失したのでありましたが、その祭礼の後始末にシメ縄や茣蓙のような藁工品を焼いて、熱灰を其の儘にしておいたのであります。翌朝、何も知らない村人によって前夜燃やしたわらの熱灰を取り片付けようとすると、その中から光り輝くものが出て来た。それは表紙はよごれていたが、経文の文字のある中身は全然燃えていなかった『甘露の法雨』だったというのであります。
生命の実相は「火にも焼けず水にもおぼれず」と教えられておりますが、生命の実相(ほんとのすがた)を説いた『甘露の法雨』が火にも焼けなかった。これは実話なんです。・・・>>
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三日間、雨中にあって濡れざる聖経・・・
新講『甘露の法雨』解釈(p.337−338)
<<これは、滋賀県の東浅井郡浅井町の清水広彦さんという農業を経営する人の体験談であります。
『私は、「甘露の法雨」の偉大さというものを痛切に感ずるものであります。私は「甘露の法雨」のお守りさん型のをいただきまして、田んぼへ持っていきまして、シャツのポケットに入れて置いたのですが、シャツを脱いで仕事をして、日が暮れて来たので、急いでシャツと共に「甘露の法雨」を忘れて帰って参りまして五日目に気がついたのでした。その間、大雨が降ることが三日間続きましたけれども、往ってみると、シャツは濡れていましたけれども、その「甘露の法雨」は少しも濡れていなかったのでした。この奇蹟的出来事に痛切に感銘しまして、これこそ生長の家の神様こそ頼み甲斐のある人であることを痛切に感じまして・・・』
・・・神様を私たちの父として「頼み甲斐のある人」だと言われるような純情な人であるからこそ、このような奇蹟が出て来たのだと思います。・・・不思議な奇蹟が伴うのは、このお経は私が書いたのではないのであって、観世音菩薩が・・・「甘露の法雨を澍ぎて煩悩の燄を滅除し給う」と示されてあるのは、この『甘露の法雨』のことであるという「実証」が、経文の「文証」を証明しつつあるわけであります。>>
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