| [611] インターネット道場―――入龍宮不可思議境界録 K |
- 信徒連合 - 2015年09月21日 (月) 06時43分
インターネット道場―――
入龍宮不可思議境界録 K
叡智の断片P.209−211
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凡ゆる人間の智慧は神に於いて一体である。それ故、真に神の智慧に導かれたならば、人々の間には何らの争いや矛盾も起らない筈である。家庭の利益と家族の利益とが矛盾したり資本家の利益と労働者の利益とが矛盾したりする筈はないのである。それが矛盾し分裂するのは、自我が分裂しているからである。完全なる「自我」を認識していないからだ。
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吾々の人生観は如何なる犠牲も認めない。いかなる争闘も認めない。犠牲を認めることは神の創造に対する大いなる冒涜である。吾々は他人の犠牲になる必要はないのである。それと同時に吾々は他人を犠牲にしてはならないのである。犠牲を必要とする世界観を捨てよ。
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ヘレニズム(ギリシャ精神――逞しき肉体の肯定)とヘブライズム(キリスト教精神――肉体の否定、霊の肯定)とが完全に一致するのが生長の家の思想と信仰である。肉体の否定の後に始めて真の肉体の肯定が生まれるのである。病む肉体を否定し(ヘブライズム)、その奥にある本当の霊妙極まりなき完全なる実在を肯定する、(ヘレニズム)それが我々の行き方である。
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神の子は、犠牲のような<けちくさい>ものは認めないのだ。神の子は、ただ、楽しむほかはないのである。
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ヘレナ(ギリシャの最も美しい女神)の美しい肉体を実現するただ一つの道は、人間が神の最高完全なる理想美の地上実現である事を自覚する事である。
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対立的人生観を捨てよ。何某はきらいだとか、誰某を倒さねばならぬとかと力むのは、対立的な立場に立っているのである。敵は無いのだ。キリストは敵を愛せよと云ったが、敵だと認めてこれを愛するなどということは出来るものではない。敵ではない味方だと思う事によってはじめて、全ての人を愛する事ができるのである。
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創造神は唯一神なり。本来陰にあらず、陽にあらず、陰陽不二なり。それが陰陽に分かれて顕れ、再び結合って凡ての物を創造する。創造は無限者の自己限定によって行われる。
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同じ米と麹を、おなじ温度、同じ条件にして酒を造っても、それを造る人の気持ちの如何によって出来た酒の味は、色々ことなる。甘い気持ちの造り主は甘い酒を造り、からい気持ちの造り主はからい酒を造る。
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