[7087] <谷口雅春先生32年祭>に改めて思う・・ |
- サーチャー - 2017年06月17日 (土) 22時26分
<トキ掲示板(「活動」板)>
116 :トンチンカン :2017/06/17(土) 22:22:45 ID:IIMV1pVY
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <谷口雅春先生32年祭>に改めて思う・・
『碧巌録解釈』を <絶版> にして・・ 『奥津城』で挨拶できるのか?・・・ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<谷口雅春先生に帰りましょう・第二> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 谷口雅春先生32年祭に改めて思う、『碧巌録解釈』を絶版にして奥津城で挨拶できるのか? (6689) 日時:2017年06月17日 (土) 18時11分 名前:破邪顕正
今日(6月17日)は、尊師・谷口雅春先生の32年祭の日であります。
総本山の奥津城では、谷口雅宣総裁が挨拶をするのでしょう。
どんな挨拶をするのでしょうか。
「唐松模様」にそれが載れば、それについてのコメントを発表したいとは思いますが、それより何より、奥津城の前で挨拶できる、その神経が私にはとても理解できません。
だって、尊師の大事な聖典を絶版にしているのですからね。
とりわけ、この32年祭で思うことは、『碧巌録解釈』を絶版にしたことを、総裁はどう思っているのかということなのです。
言うまでもなく、この『碧巌録解釈』が重大なのは、そこに谷口雅春先生の信徒へのおわかれのご挨拶が書かれているからにほかなりません。
谷口恵美子先生著『わたしの玉手箱』の中にこうあります。
《食事をしなくてもお腹もすかず、父は淡々とした表情で、自分にいま何が起こりつつあるかをみつめていられるようでした。
上野さんが一人でお傍にいるとき、父は四月の末頃に書いておいた『生長の家』誌の「碧巌録」の終講の辞という長い文章を読み返し、「日本教文社か、その関係の人に渡して下さい」と渡されたと聞いて、その時読ませていただきました。
それには皆様への別れのご挨拶と、次の境涯で再会できるということなどが書いてありました。…
背中を撫でてあげると、寝返りを打ちながら、「もう、お別れかもしれないね」と、やさしい声で、まるで人事(ひとごと)のように言われるのです。》
ここだけを読んでも、『碧巌録解釈』が如何に、大事な聖典であるかお分かりになるでしょう。
そこには、尊師の信徒に対するお別れのお言葉があるのです!
それを絶版にすることが、果たして許されることなのでしょうか。
心ある信徒の皆さん!
その絶版の理由をご存じですか?
『碧巌録解釈』前篇にある、このご文章を総裁が気に入らなかったからです。
《一つの同一戦争でも西欧側よりすれば利己主義的爪牙(そうが)の争闘であるものが、日本的立場よりするときは聖戦である。
ここに彼らは利己主義を戦ひ、日本は宇宙大生命の聖意を戦ふ─爰(ここ)に現象的勝敗は別として、実相に於いてはただ勝利あるのみである。
それ故に形の上の敗戦の如き後に、その大東亜戦争の目的であつたところの大東亜民族の解放が実現し、アジア、アフリカの諸民族、人間神の子の実相に目覚めて、西欧民族の奴隷の如き状態を一蹴して、それぞれの民族は独立国と成ったのである。
これによって、地上にひとりの奴隷もなき天国的状態が実現する第一段階が終了したのである。》(211〜212頁)
つまり、大東亜戦争を肯定しているのが、総裁の思想とは相容れない。
だから、絶版にしたのです。
そういう総裁が、奥津城の前で挨拶をする?
“何のかんばせ(顔)あって尊師の御霊に相まみえん”
どうしても、その一言を言わないではいられないというのが、私の率直な思いなのです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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