| [704] 「理屈屋マサノブ君」はやはり辞職すべきであります。 H ――― マサノブ・ニセ総裁の「谷口雅春原理主義者」の思想は間違った思想であり、反対者追放の口実として使われた! |
- 上泉信綱 - 2015年10月01日 (木) 10時09分
「理屈屋マサノブ君」はやはり辞職すべきであります。 H
――― マサノブ・ニセ総裁の「谷口雅春原理主義者」の思想は間違った思想であり、反対者追放の口実として使われた!
@ 「生長の家は原理主義を採らない」――このマサノブ発言は、「マサノブ独裁体制」確立のための戦略的宣言であった。
A 元々、開祖・谷口雅春先生御創始の「生長の家」には、「原理主義」などなかったのである。
B 「谷口雅春原理主義者」の烙印を押して有為なる人材を追放し、現在の如き「教勢低下」、「信徒脱退」、「教団赤字化」を招いた。その責任者は、マサノブ君と全理事参議の意見せぬ金の亡者達である。
彼らを待っているのは無限回数よじ登っても切れてしまう『蜘蛛の糸』である!
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<解説>
* マサノブ君は、自分の考え方に反する本部講師を「谷口雅春原理主義者」と看做して、左遷・降格・減給・自主退職へ追い込んで教団から追放してきたことは何人も認めていることであります。
* マサノブ君の思想は、一言で言うならば「サヨク唯物現象論」という思想であります。
* マサノブ君の「原理主義」という思想の内容は、彼の『信仰による平和への道』7頁に示されているように、例に洩れず、キリスト教の考え方の「原理主義」であります。自分の「サヨク唯物現象」の教えに反抗する本部講師達を追放する理由付けとして「これは利用できる」と飛びついたものと考えられるわけであります。
* マサノブ君の理解する(利用する)「原理主義」とは、――― 1、聖典の無謬性と文字通りの解釈を主張する。 2、自分たちと他の教派とを対立的に見る。 3、歴史を“神の計画”の一部として見る傾向がある。 4、社会問題への関心よりも個人的な救済を重視する。
* マサノブ君は、上記四つのうちの特に一番目を取り上げて、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の全相継承をなす者を「原理主義者」として追放したのであります。しかし、「原理主義」の上記四つの内容は「生長の家」に於いてはいづれも当てはまらないものであります。以下、説明申し上げます。
* <聖典の無謬性と文字通りの解釈を主張する>に関して言えば、―――
開祖・谷口雅春先生はその御生涯にわたって、何百冊もの真理の書物を書かれ、真理をあらゆる角度から、日常生活の平易な言葉で誰にも解るように説かれたのであります。御著書の他に、ビデオや録音テープも沢山遺されました。
徳久克己先生も『生命の實相』を実に熱心に熟読され、この世のあらゆる問題の解決方は、すべて開祖・谷口雅春先生の御著書の中に書かれている、と申されていました。一方、マサノブ君は『生命の實相』という基本聖典すら、素直な気持で心を無にして読まず、アラ探し、マチガイ探し、自分の主張に都合よく利用できるところ探しの気持で“拾い読み”しているのでありますから、教えの後継者を名乗りながら、『御教え』の正しい深い理会には至っていないのであります。それどころか、逆に「タブーに挑戦する」といって、開祖・谷口雅春先生とその『御教え』は不完全だったと盛んに「トキ掲示板」で匿名のハンドルネームを使って、最近ではキチガイの如く批判を続けているのであります。
この様なわけでありますから、マサノブ君の言う『聖典の無謬性と文字通りの解釈を主張する』とは開祖・谷口雅春先生の『御教え』とは全然関係のない事柄であります。ニセ総裁・マサノブ君の「マサノブ教」擁護のための言葉だけにしか過ぎないのであります。マサノブ君は、決して「生長の家」の『御教え』に通暁してはいないのであります。
* <自分たちと他の教派とを対立的に見る>に関して言えば、―――
これも全く「生長の家」の教義から見れば間違った見解である事が解ります。即ち、「生長の家教義」第五条には、――― 『本教の教義の大要は世界全ての宗教は唯一の本源より発するものにして、万教は唯一の真理に帰一し、人間救いの原理も唯一にして二あることなきことを宣言するものにして、教えの創始者谷口雅春の唯神實相の神学を鍵として全世界の宗教の経典の真義を顕示して人生に光明あらしむるものである。』
このどこに「生長の家」の教えと他の宗派の教えとは対立する個々別々のものであるなどと書かれているのでしょうか? むしろ逆で、『万教は唯一の真理に帰一し、人間救いの原理も唯一にして二あることなきことを宣言する』と万教の人間救いの究極の真理は同じものであり、その事は開祖・谷口雅春先生の『唯神實相神学』を鍵として万教の教えを紐解いていけば解ると書いてあるのであります。マサノブ君は、キリスト教でいわれている原理主義の特徴の一つのことなど引用して来ること自体がマチガイであり、彼が『御教え』の深き大切なところを何もわかっていないことを暴露したに過ぎないのであります。
* <歴史を“神の計画”の一部として見る傾向がある>に関して言えば、―――
マサノブ君の大東亜戦争観は、日本が起した「侵略戦争」と見ているのであります。しかし、開祖・谷口雅春先生の「大東亜戦争観」は宇宙の摂理として現われた避けることが出来なかった「聖戦」であったと云うことであります。このことは「梅の花の神示」には、―――
『大東亜戦争における<摂理の内部的動力>とは、「人類は霊的に互いに兄弟であるから有色人種の植民地の国々を民族自決によって独立せしめねばならぬ」という<理想>であり、大東亜民族解放のための戦いであった。そして日本はその開放のために一人十字架を背負って侵略国の汚名を着せられたのである。』と有ります。
マサノブ君は、開祖・谷口雅春先生の<摂理の内部的動力>を「神の計画」と理解しているのであります。この辺のところがマサノブ君の霊的音痴の低脳さであります。何故なれば、「原理主義」では『歴史を“神の計画”の一部と見るけれども、開祖・谷口雅春先生の歴史の定義は、―――
『歴史と言うものは、現象界に實相が如何に投影し表現されて来るかということの、その現われ方、即ち實相が現われる場合の作用、反作用という風なものを次第に追うて並べて行くことによって、その民族に如何様に實相が現われ、實相が現われんとするに当って如何に反作用を起こし、自壊作用を起したかを知り、それをずっと時間的に貫いて観てそこに實相が如何なる相を以って現われるかという事を知ることによって、大宇宙に於ける日本国の位置及びその将来性を知り、現在自分が国家構成の一員として及び個人として如何に生きて行くべきものであるか、将来この世界は如何に発展して行くべきものであるかということをはっきりさせるためのものが歴史の研究であります』(『古事記と日本国の世界的使命』4〜5頁)
此の御文章の「歴史」の定義によってマサノブ君の引用した歴史に関する「原理主義の見方」はマチガイである事が解るのであります。
* 最後にマサノブ君の言いたかったのは、<社会問題への関心よりも個人的な救済を重視する>ことこそ『原理主義』の特徴であって、このことは、「生長の家」で人類光明化運動と称している、衆生救済としての「病悩苦」からの解放運動こそ原理主義なのである、それよりも、社会問題への関心――地球環境保護改善――こそが「生長の家」の今日的課題であるから、自分は「原理主義」を脱して環境問題へ教団の運動方針を転換したのは正しい、―――このように主張したいのであります。
此処でいえることは、宗教の存在目的の第一は、あくまでも衆生救済であり、「病悩苦」からの解放であります。マサノブ君は「病気を治してもらいたかったら、病院へ行きなさい。個人の病悩苦が解決されても地球が死の星になれば元も子もないではないか? 今は個人の救済よりも地球の救済が第一だというのであります。
病院へ行っても治らない難病奇病は宗教信仰で治る場合も非常に多いのであります。メタフィジカルヒーリング、――此処に宗教存在の意義(霊的究極的原因からの奇跡的治癒)が有ります。マサノブ君が幾ら頑張っても「マサノブ教団」の必死のCO2削減努力など地球全体から見れば焼け石に水の効果すらないのです。火山の噴火・ジェット旅客機の増便・局地紛争の多発等によって「マサノブ教団」のCO2削減努力は水の泡!又、地球温暖化の原因はCO2の増加と確定されてはいない。太陽の黒点増加の原因説もあります。だから、こんなことに信徒の浄財の全てを優先的に使うことなんて馬鹿げているのであります。マサノブ君の強烈な自己顕示欲望の現れにしか過ぎません。そして、一方では信徒の浄財を基にして「自然との共生」という美名の下で優雅な宗教貴族生活を送っているのであります。
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