[7517] 赤い蝋燭と人魚 小川未明 |
- サーチャー - 2017年10月15日 (日) 19時57分
赤い蝋燭と人魚 小川未明 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一
人魚は、南の方の海にばかり棲んでいるのではありません。北の海にも棲んでいたので あります。 北方の海の色は、青うございました。ある時、岩の上に、女の人魚があがって、あたり の景色を眺めながら休んでいました。 雲間から洩れた月の光がさびしく、波の上を照していました。どちらを見ても限りない、 物凄い波がうねうねと動いているのであります。 なんという淋しい景色だろうと人魚は思いました。自分達は、人間とあまり姿は変って いない。魚や、また底深い海の中に棲んでいる気の荒い、いろいろな獣物等とくらべたら、 どれ程人間の方に心も姿も似ているか知れない。それだのに、自分達は、やはり魚や、獣 物等といっしょに、冷たい、暗い、気の滅入りそうな海の中に暮らさなければならないと いうのはどうしたことだろうと思いました。 長い年月の間、話をする相手もなく、いつも明るい海の面を憧がれて暮らして来たこと を思いますと、人魚はたまらなかったのであります。そして、月の明るく照す晩に、海の 面に浮んで岩の上に休んでいろいろな空想に耽るのが常でありました。 「人間の住んでいる町は、美しいということだ。人間は、魚よりもまた獣物よりも人情が あってやさしいと聞いている。私達は、魚や獣物の中に住んでいるが、もっと人間の方に 近いのだから、人間の中に入って暮されないことはないだろう」と、人魚は考えたのであ ります。 その人魚は女でありました。そして妊娠でありました。私達は、もう長い間、この淋し い、話をするものもない、北の青い海の中で暮らして来たのだから、もはや、明るい、賑 かな国は望まないけれど、これから産れる子供に、こんな悲しい、頼りない思いをせめて もさせたくないものだ。 子供から別れて、独りさびしく海の中に暮らすということは、この上もない悲しいこと だけれど、子供が何処にいても、仕合せに暮らしてくれたなら、私の喜びは、それにまし たことはない。 人間は、この世界の中で一番やさしいものだと聞いている。そして可哀そうな者や頼り ない者は決していじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。一旦手附けたなら、 決して、それを捨てないとも聞いている。幸い、私達は、みんなよく顔が人間に似ている ばかりでなく、胴から上は全部人間そのままなのであるから――魚や獣物の世界でさえ、 暮らされるところを見れば――その世界で暮らされないことはない。一度、人間が手に取 り上げて育ててくれたら、決して無慈悲に捨てることもあるまいと思われる。 人魚は、そう思ったのでありました。 せめて、自分の子供だけは、賑やかな、明るい、美しい町で育てて大きくしたいという 情から、女の人魚は、子供を陸の上に産み落そうとしたのであります。そうすれば、自分 は、もう二たび我子の顔を見ることは出来ないが、子供は人間の仲間入りをして、幸福に 生活をするであろうと思ったからであります。 遥か、彼方には、海岸の小高い山にある神社の燈火がちらちらと波間に見えていました。 ある夜、女の人魚は、子供を産み落すために冷たい暗い波の間を泳いで、陸の方に向って 近づいて来ました。
(後略)
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