| [753] インターネット道場――辨道聴き書(べんどうききがき) (9)『生命の實相』第34巻より |
- 信徒連合 - 2015年10月06日 (火) 08時18分
インターネット道場――
辨道聴き書(べんどうききがき) (9)
『生命の實相』第34巻より
<聴講中神姿を見る>
その翌日、一人の洋服の紳士が道場修行者の後方から起ち上がって、「先生の講演会中に私が出くわした奇蹟を申し上げます」と言って語を続けた。
「実は、私は六月四日の第二回目の講演にまいりまして聴講いたしておったのですが、三十分ばかり先生の講演を聴いていますと、突然両眼から止めどもなく涙がこぼれてまいりました。
嬉しいのか、悲しいのか、感激したのか、潸々(さんさん)として涙が止めどもなく流れ出るので、周囲に対しきまりが悪くてポケットからハンカチを出して拭き拭きするのでございましたが、どうしてもその涙が止まらないのです。
十分間ぐらい、涙をハンカチで拭き拭きしていましたらやっと涙が止まったので演壇の方を見ますと、谷口先生が講演していられる―――向かって右手の一尺ばかり下のところに一人の神様が立っていて、谷口先生が右を向いたら、その神様も右を向く、谷口先生が左を向いたら、その神様も左を向く。同じような身振り手真似をしていられるのです。
それは必ずやいつも現われられる生長の家の神様であって、顎には必ず白髯があるであろう、こう思って眼をみはってその白髯を見ようとしても、髯はどうしても見当たらないのでございます。それどころか予想していたような顔とも服装とも全然ちがう。サンタクロースのように眉は白く長く、真っ白な口髭が長岡将軍のように顔の輪郭の外にウンと長く張り出しているのです。
頭には、トルコ帽のような鍔もなにもない帽子だか、冠だかをつけていられます。着物は緑色で、神々しいというよりもお伽噺の中の長老というような感じでした。あまり印象がハッキリしているので、帰ってからその姿をちょっと描いてみまして、色彩も子供の絵の具を借りて不完全ながら塗ってみました。先生にお眼にかけたいと思います。」
「どうぞ」と谷口先生はおっしゃった。画用紙の巻いたものが先生の方へ順渡しに送って行かれた 。
「この姿は、わたしが石橋さんのユーモアのある話をしている時に現われられたでしょう」と谷口先生はおしゃった。
「そうでございます。先生が三十分ばかり講演せられて石橋さんの話になる頃から見え、石橋さんの話を終わって『もう一つ実例を話してこの講演を終わることにいたします』と言われますと、スッと消えてしまいました。」
「あなたのお名前は何とおっしゃいます・」と谷口先生はおっしゃった。
「大山晶平と申します。まだごく新しい誌友です。私はあまりたびたび伺いませんが、家内はたびたび、お邪魔をさせていただいています。天下一の癇癪持ちだったのが治ったというのは私です」と朗らかな調子で言った。一座の人々も朗らかに哄々と笑った。
<言葉は癒す>
その時五十歳くらいの紳士が、縁側で先生のそばに座っていたが、やがて堪えられなくなったもののように身体を横臥させる。後ろから付き添いの婦人が介抱しているのを見て、「いつから悪いのです」と先生はお尋ねになった。
紳士は寝たまま何やら言おうとするが、はっきりしない。付き添いの婦人が代わって、「脊髄癆(せきずいろう)で手と足とが不自由で痛みまして口も不自由なのでございます。実は昨晩私が生長の家の話をいたしましたところ、大変喜びまして、今まで起つことも座ることもできなかったのが、自分で座ることができ、また一寸ですが起つこともできたのでございます。それで今日はぜひ先生の所へ伺いたいと申しますのでお邪魔したのでございます。」
「あなたの話だけで、もうそれだけ良くなったのですね。」 「はい、でも医者はもう駄目だと申すのです。」 先生はじっと病人を見られて、「駄目なことはありません。治ります。治ります。」そして「痛んだら痛むごとに罪が消えてしまうのですから、ありがたいと思うようになさい。」
すると、その老人は今まで苦しそうにしていたのが、大変楽になったように座り直して、先生の話を聴きはじめた。
|
|