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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[822] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より Q
信徒連合 - 2015年10月13日 (火) 07時57分




インターネット道場―――


体験実話特集


平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より Q




<稼ぐだけが働きではない>


私は、村におちついてからは、週に一度の木曜会と月一回の若妻会を通じて村の人達と話し合うぐらいが関の山である。他には、個人的に相談ごとを持ちこんでこられる人達と話すのであるが、それらの接触によって、私は村のおかみさんたちに、もっと自信をもたせたいと、しきりに考えるようになった。

まず、夫に死なれた老婦人たちの中には「私は、もう要らん者だ。もう若いものから邪魔者にされている」といった僻みにとりつかれている人達の多いことを発見するのである。

「あんたは、毎日ご飯の用意をしている。あんたがご飯の用意をしてやるから、若い人達が揃って田圃にも行かれる。あんたは、孫の世話もしている。あんたが孫の世話をしていればこそ、嫁さんは野良にも行けるし、お勤めにも行ける。だから、あんたは家になくてはならぬ大切な人なんですよ」

こんなふうに言っても、それでは落ちつけないと言うのである。飯の用意や孫の世話は、お金にはならない。お金にならぬことは、仕事の中には入らない。これが、農村の上から下まで、染みついているものの考え方である。だから、近年は外で働く仕事に若いお嫁さん達は争って稼ぎに行くのである。先夜の若妻会に集った15五人の11人までが、毎日働きに行っていると言うのであった。

あんこ屋やカマボコ屋で働いたり、機械仕事やラムネの瓶洗いをしたりして、みんな働いているのである。一日働いて、3百円から6百円になる。月末には現なまの金をつかむことができる。子供のものの一つ位は、自分の手で買える。家族に対しても、大きな顔ができる。これが大きな魅力で、子供をカギっ子にしても、つい働きに出てしまう。

それに、外働きに行けば、家庭内のゴタゴタの用事から解放されるし、友人づきあいもできる。おまけに忙しい仕事になると、自動車で働く人達のかり出しにくる。こうした活気のある村の情景の中で、金を儲けられない老人たちの存在は惨めである。

金や物の外に、価値を認めることのできない村の人たちは、気の毒である。もっとも、これは農村だけのことではない。唯物論に魅せられている世界全体の問題ではあるだろうが、それにしても私は、自分の手の届く1人2人ずつからでも、本当のことを解ってもらいたいものだと考えている。だから、私は村の若妻たちと話し合う機会を大切に思っているのである。

「あんた達が働いて家へ帰った時、ご飯の用意ができているってのは、有難いね。うれしい顔をして食べなさいや。好きなど馳走のできていることもあろう。そうでない時もあるかも知れん。しかし、そうした好き嫌いを越えて、美味しいという顔ができるように、ありがとうという言葉が出るように、心掛けなさいよ。それが大切な子供の教育にも通ずることなんですよ。子供の世話から洗濯や掃除も、留守居のお祖母ちゃんのお蔭で心配ない、と心から感謝して、楽しい家庭づくりをしなさいや」

こんなふうに、くり返し巻き返し話していると、そのうちに一つ二つの体験もでてきて、家では姑の小言が減った、愚痴が減ったと、いうことになってくるのである。

一方では、木曜会に集まった姑さんたちにも話す。

「自分は家の大切な一員なんだ。金は儲けなくとも、家族の炊事係という大役を受けもっているのだと、自信をもちなさい。
『そうだ、今日も、ああ美味いという顔をして食べて貰えるものを作ろう。家の健康管理は私がやっているのだ』と、伸びのびと愉快な気持で、その日暮らしをするのです。子供の世話を任せられたら、家の文部大臣と思いなさい。

叱って、口説いて、愚痴ばっかり言って育てた子は、ロクな者にはなれないで、気の毒な娑婆をたてるものです。良いところを見て、ほめて励ましていれば、子供は自然に強い善い子に育ち、家内の雰囲気も高揚するのです。

そして、私はこんなに良い仕事をしているのだという自信と誇りとを持って生活するのです。自分の仕事に自信と誇りをもってやっている時、人はみな立派で、美しいものなんですよ。自分を要らん人間だ、などと考える劣等感は、人間を醜く弱くするのです。年老いたら、特にこの劣等感にとりつかれないように、私は家族の誰からも愛されているという喜びを身につけねばなりません。

誰からも愛されているという自信をもつには、まず自分から、家族みんなを愛し、喜ばせればよいのです。いつも明るい笑顔を忘れずに、讃めてあげて深切をする。いわゆる和顔愛語讃嘆を雨ふらすのです。だが、言葉で言うと簡単なことのようでも、実際生活に移すとなれば、案外難しいものです。しつかりやんなさいよ」

家庭の幸せには、何よりも明るさが必要である。若妻会の終わりの30分間を、みんなの時間にしているのも、そのためである。「この30分間は、歌ってもよい、踊ってもよい。家へ帰って、明るい言葉の出るように、嬉しい顔のできるようにしなさい」と、私は言っているのである。




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