| [838] インターネット道場――辨道聴き書(べんどうききがき) (17)『生命の實相』第34巻より |
- 信徒連合 - 2015年10月15日 (木) 07時30分
インターネット道場――
辨道聴き書(べんどうききがき) (17)
『生命の實相』第34巻より
<痛みはありがたいと思え>
胃が悪いという婦人が谷口先生にお尋ねした。 「先生、わたくし胃が痛み出すたびに、前に食べたものが気になって、あのお菜が悪かったんじゃないか、あの飲み物がいけなかったんじゃないか、なんてくよくよと思い出すんですの。痛み出すと堪(たま)らないんですけど、この場合どうしたらよいんでしょうか――?」
「痛みが出るときは、ああありがたいと思いなさい。それは過去に蓄積された業が消滅する姿なんですからねえ。貯金をすればやがていつか利子の払われる日が来るでしょう。 その時また貯金をすれば、また払われる日が来るのです。それと同じように業を貯蓄すれば、いつの日かその払い戻しを受ける日が必ず来るのですから、(それが悪業だとしたら、痛みや苦しみの姿であらわれる)払い戻しを受けたら、もうこれで自分の業は精算されたのだと思って、それ以上業を積まないようにすれば、胃の痛みなんかじきに治ってしまいますよ。」
<いっさいを受け容れる心が大切>
「私は何を食べてもまずくて食べられないのですが」とある男の方が谷口先生に訴えられた。
谷口先生はおっしゃった。 「どの食物を食べても皆まずいというのは、あなたに、すべての人の好意を受け容れる気持ちがないからなんです。なんでも味わえる心になれば、自然と食物がおいしくなってくるんですよ。よく匂いが解からないという人があるが、匂いの場合だって同じなのです。」
<癲癇(てんかん)の治った話>
菱谷義男さんは、十六歳のときから十余年間癲癇様の倒れる病気で悩んでおられたのだった。昭和十年二月から誌友になって『生命の實相』『甘露の法雨』の読誦を励んでおられたところ、七月十三日の夜絶息して、脈拍も呼吸も絶えてしまわれること二時間にして再び蘇生され、爾来急転、癲癇症状がなくなるという不思議な出来事がおこったのであった。
なんでもその少し以前から風邪を引いたような状態で咳が激しく出て、そのたびごとに胸や腹がむしられるように痛み、あまりの苦しさにどうにでもなれ、もう死んでもよいと考えるようになった。その後肉体の苦痛は増すばかりで、同時に死にたいと思う心はつのるばかりであった。
かような状態であったおりから絶息状態になられ、家人は医者やら注射やら大騒ぎされたところ、幸いにも蘇生され、それ以来不思議にずんずんと快くなり、まるで別人のようになり、もう起きて自宅ではなんでも出来るようになったとお母さんが来られて話された。
お母さんはさらに義男氏自筆の手紙を先生のお手許に差し出された。先生は一同の前でこの手紙をお読みくださった。最初は以上の如き病状を述べて、その後に「------しかし後になって私にはそれが注射のために回復したとはちょっとも思われず、かえって生に執着が無くなったために蘇生したのだと思われました。そしてご本を読んだ時、ああこれだと気がつきました。
『苦しみを戯れに化する時、人生は光明化する』とのことです。その時はもう腹の痛いのも、どこの痛いのも無く、心は軽く楽々と毎日を過ごすことができ、もう以前の私のいやな所、けがれた所がまったく無く、新しい清い私であるかのように思われ、身体はなく、ただ心ばかりになってしまいました。力のつき次第、お礼に参りたいと思っておりましたが、あまり嬉しいので私の気持ちを書かせていただきました」とあった。
先生は読み終わられて、「なかなか良い手紙ですね」とおっしゃって、「これは悪霊がその時逃げたのです。やはり『甘露の法雨』の功徳です。悪霊が逃げるとき死ぬことがよくあるのですが、神が護っているので死なずに蘇ることができたわけですね。 それで今度本当の自分に生まれ変わって来たんですよ」とお話しになった。
菱谷さんのお母さんは、「義男は生き蘇って目が覚めた時は舌が厚くなったように咽喉も硬ばり、ものを呑み込むことも、声をだすことも出来なかったのでございます。しかしその後は以前には痩せるばかりでありました身体が、一時間ごとに肥ってゆくようで力がついたと申しております」と言われた。
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