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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[856] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より(22)
信徒連合 - 2015年10月17日 (土) 08時39分




インターネット道場―――


体験実話特集


平岡初枝先生「しあわせを見つめて」より(22)




<村の妙好人>


 私たちの最寄会を木曜会といっている。木曜日の晩7時半から10時まで、私の家に集まって、真理の話をする。毎週やっているので 変わりばえがないようでも、5年近くつづいているので 皆がどこやら少しずつ楽しそうになっていくのが嬉しい。木曜会の他に月一度集まる村の若妻会も、はじめてから3年になるので、若妻たちの魂の成長が見られるのが楽しみである。

10月半ばには村の稲刈りが終わる。それから半月あまりは、思い思いの骨やすめの時である。村をあげての村民体育大会をはじめ、家族やグループの温泉行き、ヘルスセンターへの慰安旅行などで、思い思いに楽しむのである。

その中の1組4名が、この秋に越中と越後の境にある堺鉱泉に10日間の湯治に行った。お百姓さん達のことであるから、米味噌持参の自炊で、足腰をやすめて楽しんで来る。その中の一人の西野しげさんは、私の木曜会のメンバーである。湯治から帰ってから、こんな報告話をしてくれたのである。

「食事は二人ずつ代わりあってしました。新しい魚のとれる海辺のこととて、お菜にことかくこともなく、たのしい毎日でした。日に三度は湯に入りましたが、湯治客が多いので、お湯に行くと、いつも7、8人から10人くらいは入っていました。私は、それらの人達に、村の若妻会の話をしました。『私の村には平岡先生がいられて、村の若妻会を育てていてくださるので、村の嫁さんたちはみんな素晴らしいのです。舅、姑を大事にするのですよ。主人には素直に仕えるのですよ。子供たちは叱らずに上手に育てるのですよ。3年間も毎月話をきかせてもらっているので、みんないいお嫁さんになって……』と、嫁さんたちを讃めることを私の仕事にしていたのです。

湯に入る度に一人や二人の新顔がいるので、何ぼ同じ話をしても、必ず喜んでもらえるのです。10日間もそんな話をしていたら、嫁の悪口を言わねば損のようにしていた人達の話も、だんだん変わってきました。それに長い湯治客といえば、私等のような年嵩な者が多いので、私はその人達に言ったのです。『あんた達、内輪を楽しいものにしたかったら、孫達を讃めてあげなさい。孫をほめると、嫁夫婦が喜ぶ。そして孫達は“おばあちゃん、おばあちゃん”と大事にしてくれる。一挙両得の上に、内輪が明るく楽しくなるのだから、一挙三得にも四得にもなるのだから……』と、話しました。私は人の顔さえ見れば、村の若妻を讃めることを仕事にするのではなく、楽しみにしています」

 私は、一人が真理に目ざめるということは、こんなにも嬉しいことか、これでは3人や5人の集まりでも粗末にできないことだ、と嬉しく思ったのである。そして、こう言わずにはいられなかった。「西野さん、それこそ私達にでざる平和運動ですよ。一人から一人へ、一軒から一軒へ、讃め合う家庭を作りましょう」




<ほめあう家庭>


一年中でお百姓さんの最も忙しい、猫の手でも欲しいという皐月のすんだある木曜日の晩のことである。例によって私が「家族に感謝できるようになりましたか、身内のものを讃められるようになりましたか」などと言っていると、西野さんの体験談が始まった。

「平岡先生、おかげで私は家族をほめてさえいれば善いのだということが、よくわかるようになりました。ご承知のように、家には孫が4人います。一番上は、一昨年高校を卒業して、富山の郵便局に働いています。つぎの孫は、北部高校の2年生。三番目は、新庄中学の2年生。末は女の子で、小学校5年生であります。私は先生に教えられて、どの孫もどの孫も、讃めることにかかりきっているのです。そうすると、どの孫も善くなる外ないことが、よくわかるのです。今年も皐月が始まると、上から2人の大きな孫が、それぞれ局や高校から帰ると、すぐに近所の人手の足りない家に手伝いに行き、耕転機を使って、三反余も耕やしました。私はうれしくてね。

『お前達よくやるのう。お勤めや学校から帰ったら遊びたいだろうに、よくやるなあ! 足腰も丈夫になったのう。機械の扱いも、もう父さんには負けんのう』と、顔さえ見れば、讃めたり喜んだりしていました。そしていよいよ皐月の終わった時、2人の手間賃が合わせて1万千何百円とかになったのです。

『お前たちよくやった、ご苦労、ご苦労』こう言いながらも、私は内心、このお金はどうする気であろうか、何か欲しいものがあるのだろうか、それとも貯金でもする気であろうか、などと考えていたのです。

ところが、どうでしょう。村のお伊勢詣りの団体旅行に家の父さんも加わっていることを知っていた2人の子供が、いつの間に相談したのか、その1万千何百円をそっくり、お父さんの前に並べて『お父さん、僅かだけれど、お伊勢詣りの小遣いにしてください』と差し出したのです。私は嬉しくてうれしくて、涙が出てたまらなかったのです。

『お前達、ようそんなやさしい気になってくれたね。若い時だもの、ほしいものもいろいろあるだろうに……。父ちゃん、あんたも善い子供たちをもたせてもらって、さぞ嬉しいことであろう』と言ったきり、胸がいっぱいでした。

それから平岡先生。今中学2年生の三男が、また優しい子なんですよ。皐月になったので、私はこの子に頼んだのです。『皐月は、とても忙しくて、お祖母ちゃんが昼食の用意をしているわけには、とても行かない。そこで、お前には気の毒だけれど、毎日午前中で学校を早引させてもらって、昼食の用意だけ受け持ってほしいのだが……』と言いましたら『よっしゃ、引き受けた』と、毎日世話をしてくれました。

私は讃めてさえいれば、万事良い按配に仕事が捗って行くのです。先日も、田圃から帰ったら、三男が『おばあちゃん、今日はご飯がちょっと足りないように思ったので、うどんを少し茹でておいたよ……』と、言ったのです。

私は嬉しくて、『あれ、まあよう気がついたのう、ようやってくれる』と讃めずにはいられませんでした。すると、翌日は、『おばあちゃん、今日のお菜はちょっと油こいので、おばあちゃんは食べにくいだろうと思って、玉葱の玉子とじを小さい鍋に作っておいたから、食べてね』と言ってくれました。

『ありがとう、ありがとう。お前は男の子なのに、こまかいところにまで気をつけて、お祖母ちゃん嬉しいよ』と、私は感謝しているようなことです」




<村のおはなはん>


西野さんのこんな姿を見て、西野さんのことを“村のおはなはん”だと喜んでいる人もある。みんなを許し、みんなを讃え、すべてを生かす西野さんは、村の人達からも愛されているのである。“村のおはなはん”と呼ばれていると聞いた時、西野さんは言いました。

「そのことなら、本当のおはなはんは、子供を二人かかえて産婆さんになられたが、私は四人の子をもって産婆になりました。
あれは、年とったお産婆さんが亡くなって、村に産婆がいなくなった時でした。子供が4人もある上に、小学校を出ただけの私に、産婆の勉強などとてもやれそうではなかったのですが、80戸の村だけでなく、近所の村々にも一人の産婆もいないというのでは、若い嫁さんたちは真暗闇だとおもったら、矢も楯もたまらなくなって、日赤の産婆学校に入って勉強しました。

自分の娘のような若い人たちに混って『この字は何と読むのですか』『この言葉の意味は?』などと聞きながら勉強しました。日赤病院の往復には、いつも本を手にしているので、途中の部落や村の人達から、『あれは気がふれたのでないか』などと噂されていたそうです。でも、私を『お母さんお母さん』と呼んでくれて、『本を読んであげましょう、字を教えてあげましょう』と、深切にして下さった娘のような同級生のお蔭で、無事に免状をとることができたのです」
まことに、西野さんは村の妙好人である。




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