| [884] インターネット道場――辨道聴き書(べんどうききがき) (22)『生命の實相』第34巻より |
- 信徒連合 - 2015年10月20日 (火) 09時11分
インターネット道場――
辨道聴き書(べんどうききがき) (22)
『生命の實相』第34巻より
<三十年来のリューマチ消ゆ>
「私は七十四歳になるお婆さんで、もう三十年もリューマチで困っていられた方をいろいろと真理のお話をしてあげて治しました。その方は天理教の人でありましたから『悪しきを祓うて救け給え天理王命』と、あなたのお祈りになるその天理王の神様は本当は、大和のお地場ばかりにいなさるのではなく、あなたのこの身体の中にいて、あなたをいかしていて下さる、今現にそこにいられる、あなたのなかにいられるその天理王の命様にお祈りなさい。そんなふうに話しますとその方はハッとせられて、いつか三十年のリューマチが消えてしまいました。
その方は百姓をされていますので、昨日の朝相当のみちのりをテクテクやって来て、『生命の實相』三冊を頒けてくださいと云って行かれたのでありました」と言われるのであった。なかなか鮮やかなお話である。
今日は聴聞者が多くて、玄関の廊下の方まで人がギッシリと詰まり、なお暑いのに軒下に立ってお話を聴いている人さえできて、その軒下に立って聞いている人の中から先生に「私の友人で満州事変の際、首の根ッコのところを射られました。今病院に入院中ですが、ここんところは身体の大切な神経の集まっているところで、それを切られたのだから、なかなか治りにくいと帝大で言われましたのですが、もうやはり治らないものでしょうか、一体切られた神経はもとどうりに出来ないのでしょうか?」
「医者はそういう神経を製造できないが、生命は一個の細胞から神経系統も血管組織も製造した。。神経細胞も生命の影なのです。人間が神経で動いていると思うのは誤りで、心で神経ができ心で動くものでありますから、神経組織が必要ならばいくらでもできるのです。いくら神経が完全でも死骸は動かないでしょう。
この弾丸に中(あた)るというのも本当は業のあらわれで、戦争に行っても、心の中に弾丸の中るような波長のない人は何度戦場に出ても隊が全滅しても生き残るのです。傷を受けるのは平生他人を射貫くような業があるか、傷を受けることを名誉として心に描くためなんです。すべての人と調和して、無我で本文を尽くすというようにすればいいのです」と谷口先生はおっしゃた。
<医者を拒むな>
永待さんの奥さんが、子供の太腿に大きな癰(よう)ができたのを谷口先生にお願いして帰ったら、その日のうちにそれが口を開いて治ってしまったお礼を言われた。
今度はまたそのお子さんが常に微熱を出す原因不明の病気について、ご主人は潜伏結核ではないかと心配して医者にかけて、普通の療養をさせるように旅先から指図されたのに対していかがしたものでしょうかとお訊きになった。谷口先生のお答え――
「ご主人の言われるようになさればいいのです。ご主人の言うとうりになされば、あなたの責任は無くなり、ご主人との心の摩擦がなくなる。お子さんの御病気は結局お二人の心の摩擦でありますから、心の摩擦がとれればお子さんの病気もよくなるのです。
「人生は遊戯(ゲーム)であると思えばよいのですよ。薬を飲む遊戯(ゲーム)、吸入をする遊戯(ゲーム)と思えばよい。それを病気だと思うからいけないのです。だからね、ご主人がせよと云うままにしてそれをいちいちしっかり細大漏らさず報告なさい。今日は誰々の診察をうけて、こう言われた。今日はこんなふうに手当てをしたとお知らせなさい。
ゲームだから相手次第になるのです。碁を打つと同じだ。向こうがそこへ石を打ったら、こちらもそれにあうようにこちらの石を打つ。御主人の言われるままに御主人の信頼なさる医者の診断をうけなさい。ご主人がそれで安心され、あなたの心もそれでいいと御主人を信頼されるようになれば病気はよくなるのですよ」と先生のお諭しは実に自由無礙だ。質問者の石の打ち方によって、それぞれ一番よい石をお打ちになるのであろう。
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