| [892] インターネット道場――辨道聴き書(べんどうききがき) (23)『生命の實相』第34巻より |
- 信徒連合 - 2015年10月21日 (水) 08時30分
インターネット道場――
辨道聴き書(べんどうききがき) (23)
『生命の實相』第34巻より
<家・下駄・胃・唇・舌・耳のお蔭>
私は池袋にいます門田というものでありますが、生長の家に入らしていただいてから、医者に近づくということを必要としなくなりましたので、このたび杉並の方へ移転することにいたしましたのですが、今までいた家といいますのは私の知人が大阪へ行く時、私にかってくれというので、私がかったものであります。
ところでこの家を明けるということになりましてからずいぶん諸方から話もありましたが決めないでいましたところ、この大阪へ行った知人が、また上京することになり、それではというので買い戻すということになりまして、ことに君のように生長の家の誌友の方がいられた家ならなおありがたいといわれまして、話が整い、両者とも大変喜ばしい結果になったのは、まことに生長の家のお蔭と喜んでおります。
私はまたこれまで下駄の外側が減る癖がありましたが、誌友になりましてから心がまっすぐになったと見えましてまっすぐに減るようになったのであります。他にもまだいろいろお蔭をうけました。胃の悪かったのも自然に治り、また唇が墨を塗ったように黒かったのがそれも赤くなり、また舌も大変悪かったのですが、これまたよくなりましてまことにありがたいことでございます。」門田さんの心からなるお礼とお喜びの報告に次いで、藤田夫人が、その娘さんとともに真剣な態度で次のように語りはじめた。
「私は三年前から耳を悪くしていました。実は十七、八年まえにも一度悪かったことがございましたが手術はしないでいました。それで鈴木貞子さんの御紹介で誌友にならせていただきまして『生命の實相』を拝見しています間に、だんだんこの耳の病も薄らいでまいりましたが、その間に、この娘がちょうど八月から病臥(ふせ)るようになりましたのでございます。
医者は肋膜とか喘息とか言いましたが、『生長の家』を一冊拝見いたしましたら、本当に不思議なほどでございました。咽喉(のど)のぜいぜいというのが無くなり、何ともいえない快い気分になりまして、医者はまだ床の中におれといいますのに、今朝は雨が降ろうとなんであろうとぜひぜひお礼に伴れて行ってくださいと申しまして、こうして一緒に参りましたしだいでございます。
また私の耳も、もう古い病のことでございますから諦めていましたのでございますが、五月ごろから耳の中でガラガラとまるで何か機械を回すようなひどい音がしまして、とてもつらくてフラフラとなりましたが、やはり医者には行かないでいました。そして一週間ばかり繰り返し繰り返し聖典を拝見していましたところ、ガラガラという耳鳴りは一時反動的に一層大きくひどくなりましたが、やがてまた、いつとはなしに無くなりましたのでございます。
私がこの道場へ初めて上がらせていただきましたのは六月六日の晩でございましたが、その晩もちょうどこの辺にいましたが先生のお言葉がはっきり伺えませんでしたけれども、今ではそうとう後ろの方でも聞こえるようになりました。ガラガラという耳鳴りはもうピッタリとなくなり、お蔭様で母娘ともにありがたいことと喜ばせていただいているしだいでございます。」とて、母娘そろって嬉しげに先生にお叩頭(じぎ)された。
<生長の家は手を触れぬ、金も取らぬ>
医学博士六人が、ほとんど絶望と宣告した伯母さんの病気を話を聞かせて回復せしめられた古川恵偉子さん――その朗らかさ明るさは『生長の家』誌友の中でも一段と晴れ晴れと冴えて、古川さんといえば、あああの明朗夫人かと誰にもわかるほどになっている――その古川夫人が立ち上がられた。やがてこの人は生長の家学生寮の寮母になったが、これはそれ以前の話である。
「今朝、私どもの宅へ警察の方が参られまして、私どもの宅へ出入される方が多いのでいろいろとお訊ねがありました。『生長の家は病気治しをしているのか?』『お金をとるのか?』などというようなお訊ねでありましたので、私はこう申し上げたのでございます。
『生長の家では病気を認めてその病気を治すのではございません。したがって、もちろんお金など頂いているのではございません。どなた様でもみな同胞(きょうだい)と思い、あたりまえの話をし、あたりまえのことをしているだけでございまして、手を按てたりなどして病気を治すのではないのでございます。ただ生長の家の真理のお話をしていますと、自分の魂も喜び、人様の魂もよろこび自然皆様の生活なり性格なりが明るくなったり、病気が治ったりするのでございまして、一日も早く皆様に生長の家の真理が常識化されますようにと念じているのでございます。』
と申しまして、それからこの『生長の家』、『生命の實相』のお話を二時間ばかりお話しいたしましたところ、その方も大変結構なお話を聴いてまことにありがたかったと申されます。
それで今日は職務上としてお出でになりましたが、この次には奥様とも御一緒に個人としておいでください、と申しましてパンフレットや無代本を差し上げました。その方もお帰りには大変喜んでまったく打ちとけて誌友のようになってお帰りになりました。
ついででございますので申し上げますが、生長の家では、肉体無し、物質無しと教えられていますのに病気を治すのに手を触れてほしいとて手に頼られる方がございますように見受けられますが、もっともっと教えを深く知ることが大切かと思われます。
私は手を、手を、と言ってお頼みになる方には、帰っていただくことにしているのでございます。『生命の實相』を深く知れば自分自身も病気も無いものであることがわかりますから、いわんや手に頼るということは無いはずでございます。」
実にイキイキと、明朗そのもののごとくに語るのだった。同座していた一同も拍手を送ってそれに応えて古川夫人を激励した。すると、谷口先生はおっしゃった。
「病人に手など触れなくても言葉が触れるのだから、大丈夫なんです。『肉体は無い』と宣言している生長の家へ来て肉体の手を触れてくれというのは矛盾です。手とは何ですか、エーテルの波動である。触覚とは何ですか、波動の感触である。すると声が聞こえるとは何ですか、やはり波の感触じゃありませんか。手を触れるのも、言葉を聞くのも触れるという上からいえば同じなのです。言葉が触れていることであるから、言葉の力でなおるのですよ。手を触れなければ治らない病人は、病人自身が何か頼りなく思うから、そうなので、本当は言葉が触れて治るのです。」
一座の人々はなるほどと悟った様子であった。
|
|