| [984] インターネット道場――辨道聴き書(べんどうききがき) (32)『生命の實相』第34巻より |
- 信徒連合 - 2015年11月01日 (日) 10時23分
インターネット道場――
辨道聴き書(べんどうききがき) (32)
『生命の實相』第34巻より
<聖経『甘露の法雨』について>
聖経『甘露の法雨』がいかに偉大な功徳があるかは誌友諸氏の常に公表せるところである。元の駐米公使某氏が直腸癌にかかって帝大病院に入院したとき、その夫人が「生長の家」に入信して真理と信仰とで治そうと努力せられたが、「今施術しなければ、この二日間が生命をもつかどうか請合えぬ」と医者がいうので施術に反対する婦人に「もし施術しないで亡くなったらあなたは責任が負えますか」と親戚一同が詰め寄るので、夫人は仕方なしに施術に承諾した。
医者は直腸の癌部を切り除って、腹部に人工肛門を作った。手術はみごとに行なわれたが、その予後はよくなかった。患者は非常に苦しみを訴えて、ことに夜間は烈しく悪夢に襲われて呻き苦しみ、看護の人々もとうてい傍で座視しているに忍びないほどであった。いろいろ手当てを尽くしたがその悪夢は止まなかった。
夫人の娘、恵藤たま氏は心痛してそのころ住吉にいられた谷口先生に、どうしたらこの悪夢が止むでしょうかと、その処置をお伺いする手紙を出した。すると谷口先生からは「病人に聖経『甘露の法雨』を誦んで聴かせよ。その悩みは止まるから」という返事があった。
さっそく、谷口先生からの返事のとおり『甘露の法雨』を病人に誦(よ)みきかせると、その夜から病人は悪夢に襲われることが無くなった。以来、苦しくなると病人は看護者に『甘露の法雨』を誦んでくださいと言った。そしてそれを誦むと病人の苦しみは、、いつも和らぐのであった。
「聖経『甘露の法雨』が尊いのは、それには『生命の實相』が縮約して、経典として誦(ず)しやすいようにリズミカルに欠いてあるからだ」と谷口先生はおっしゃった。「それは『大般若経』に対する『般若心経』のようなものである。しかし『甘露の法雨』全体の意味は『生命の實相』の全巻を読んで見て初めて明らかになるのだから、まず『生命の實相』全巻を読んでその意味に通達したのち『甘露の法雨』を祖先の霊前で誦するがよい。詠んでいる人が意味がわかって読めば、その念波が霊界の祖先霊に通じて祖先に悟りを開かせる事になる。誦む人自身にも意味がわからない唐訳のお経の棒読みでは、誦んでもらう祖先の霊魂たちにもどういう意味か分からないので悟れない。霊界と現実界との交通は<念の力>によるのですから、よく理解した真理の念で聖経を祖先の霊前で誦めば、それは霊界にも、幼児にも、睡眠中の人にも、感応するのです。」
<「生長の家」の神の顕現>
神の霊光が光明思想普及会事務所に顕現したと思われる事件が起こった。生長の家と光明思想普及会とは赤坂区檜町五番地所在山脇高等女学校の校舎全部を譲り受け、昭和十年八月十一日よりその事務所を同校に移転したのだ。
しかるに同校にはすでに校舎譲受の交渉成立当初より神様の御光であろう、燦然たる光明が三階の尖塔に射していた。それは八月一、二日ごろ会社側から山脇高女譲受けの全体的交渉がまとまった当時の出来事であった。
同校には宿舎に住み込みとして、学校の雑用にいそしむ勤勉で深切な藤井忠三郎さん老夫婦がいた。藤井のおばさんは非常な信仰家で、毎日神棚に供物や、お光を捧げてお祈りするのが日課の一つであった。このおばさんは、こうした信仰心から生まれる当然の顕われとして、以前から、不思議な神示や、霊感があり、それが現象界の事実に的中して、時々老主人を驚かすような幾多の体験を持っている不思議なおばさんである。
八月初旬(学校譲受交渉成立のころ)藤井おばさんは、六、七歳の孫娘さんを同伴して、付近のお湯屋へ行こうとした途中こんな霊異が起こった。「学校前の電車通りに出て、何心無く電車道の向こう側から校舎の方へ目を注ぐと、暗中に立つ校舎の二階から三界にかけ一面に真っ赤な明光が照り輝いている。さながら陽炎の燃え立つごとく一種の異様の霊光燦然として、おばさんの目をおどろかしたのであった。。藤井のおばさんは、学校の夜を預かっている責任の立場からも、校舎の室内に点灯などなきは、もちろん承知であり、かつその燦たる霊光が、電灯などの人為的な明かりでなくまさしく日常信仰祈願の都度時々霊視する、何か神様の霊現たるを直感すると同時に、未だかつて体験せざる霊感にうたれ、ただ事ならぬ大異変の近日中に起こるべきを直覚したのである。藤井のおばさんは、あまりにも不思議な、この霊光の正体をなおも確かむるため、わざわざ電車通り向こう側より市電線路を越えて学校側に近寄り暫時直立不動のまま全身に快く注ぎ来る異様の霊感を浴び、心身すこぶる爽快を覚えつつ、世に珍しきこの霊光を仰視していたが、ふと危険地帯に残されたる同伴孫娘の安否に心を移して引き返し、孫娘に向かい、あの霊光を拝めと指示したが孫娘の目にはただただ暗中に建てる校舎のみ、何物もなきに驚き騒ぐ老祖母の顔を見上げて不思議に思うのみであった。その光明は当然孫娘の肉の目に映ずべき証明ではなかった。
藤井のおばさんは、この霊光はただごとならざる異変の二、三日中に起こるべき前兆と予断し、万一災禍の何事か学校にあらざるかを慮り明朝は特に預かり守る学校に異変なきを神に祈願すべく、思念して一夜を明かし、翌朝早々学校構内に鎮座ましますと伝え聞くお稲荷様を向かえ祈願礼拝すれば、驚くべし、未だかって覚えざる心身の爽快と異様の霊動は全身に発動して限りなき霊感に驚くのみであった。
こうした事実の体験後三日を経て山脇高女の建物全部が「生長の家」の真理宣布機関たる光明思想普及会に譲渡されたのであった。藤井のおばさんは、(藤井老夫婦は当時まだ「生長の家」の何たるかを知らなかったので)先夜の霊光顕現と光明思想普及会とが何の関係があるか判然とはしなかったが、その後光明思想普及会事務所の移転開設に伴い、しばしば「生長の家」の神話や神様の真理を聴くに及んで、初めて藤井おばさんは、あの夜に校舎に映じた霊光燦然たる顕現が、確かに「生長の家」の神の御霊光であったにちがいないと悟り、驚きながら筆者に以上の事実をこと珍しく物語ったのであった。
(備考) 前記藤井おばさんは、かつて神前に祈願の霊感神示により競馬好きの老主人が熱中する競馬の勝負を霊視予断して老主人を驚かした事実あり、その他、郷里近親者の病気を神の思念によって治癒せしめた経験など数多(あまた)の奇蹟をのこしている感心な信仰おばさんである。
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