| [121] インターネット道場ーーー感激的体験記 ・ 小林春恵先生「わが信仰の旅路」より・・・ |
- 信徒連合 - 2015年07月31日 (金) 09時47分
「わが信仰の旅路」
元・本部講師 小林春恵先生著
伝道の日々
私が生長の家の本部講師にならさせて頂いてからは、全国をまわって、生長の家のみ教えを伝えさせて頂きました。
また、新潟県や福井県、石川県、富山県、それから、山形県、福島県、秋田県などの北陸・東北の教化部長も務めさせて頂きましたが、最も長くお世話になったのは、山形県でした。
それは、教化部長をやめることになった七十三歳までの十六年間でございます。
その後、九州長崎の総本山に三年間お世話になり、郷里の新潟県に帰って、毎月、長岡の練成会でお話しさせて頂きました。
このように本部講師として、また、教化部長として、多くの方々と生長の家の勉強をさせて頂きましたが、これまでの人生を振り返り、これらの生長の家の方々との交わりの中で、現在、心に残っていることをお話しいたします。
女の旅路
私のごく親しくお付き合いしているお友達に岩垣津(いわがいつ)志(し)満子(まこ)という人がいますが、私が東京へ行った時には、よくこの人の家に泊まり、いろいろとお世話になりました。
この人の所へ行きますと、東京のお友達の方たちが、この人の所へ集まってきて、生長の家のみ教えのことや、子供のこと、夫のこと、嫁のことなどいろいろと話し合ったものです。
そんな、お友達の中に丹野フミさんという人がいました。
そもそも、この人の最初のしくじりは、お見合いの時なんです。 大体、この人、色は黒いし、私と同じで、身丈を節約して生まれたんです。それで、いざお見合いということになったら、臆病だったんだと思うんです。
お見合いの相手の人が自分の家に来ることになった。結婚すれば、いつも自分の夫として心の中に秘めておく大切な人なんだから、やっぱり、ちっとは良いとこを見せたいと思ったんでしょうけれども、お見合いの部屋へ兄嫁さんについていってもらった。
この兄嫁さんは、また女優にしてもいいくらいの、背がスーッと高くて、端正な美しい人でした。
それで、「お姉さま、私、後からお茶菓子を持って行くから、私の先にたってお茶を持って行って」と言って、兄嫁の後について部屋へ入って、お見合いの相手を見たというんです。
ところが、お見合いの相手は、てっきり前になってお茶を持って来た方が、自分のお見合いの相手だと思い、一目惚れしてしまった。本当のお見合いの相手は、後ろから、チョコチョコとお菓子を持って行った方だったのに。
身丈がちょっと足りないからダメとか、色が黒いからダメと言って、断られたら断られたで仕方ないことであって、世の中には、色が黒くたっていい、背丈が低くったっていい、君でなければ夜も日もあかないなんていう人もいます。
合縁奇縁という言葉もあります。
あんたでなければという人もいるはずなんだから、その時は、断られたってなんともないと思うんだけれども、やっぱり、彼女は、不幸な経験をする必要があって、そこに、兄嫁を先に立ててお見合いの相手と会うというような事をしてしまった。
おおよそ、その人の隠れている心――潜在意識は、自分というものが、どの道を行けばどうなるかということを大抵知っているんですね。表面の心はわからないが、隠れた心は自分の人生に必要なものを知っていて、兄嫁の後からチョコチョコとついて行くというような筋書きを作った。ところで、そのお婿さんになる人は、先に部屋へ入って来た兄嫁を、実にいいと思って、この結婚の話をすぐまとめたわけです。
そして、「現在、自分は会社の仕事が忙しいから、すぐ結婚式はあげられないから」ということで、式の日まで文通することになった。それから、必要な物は買って準備しなさいということで、フミさんの名前宛でお金を送って来るわけです。だから、フミさんはもう彼の手紙が来ると嬉しいやら、楽しいやら、何とまあ、素晴らしい男性だろうと思ったんです。
もっとも、丹野さんは、顔に似合わず、美しい字を書く。彼としては、兄嫁の顔と、この美しい手紙の文字とが重なり合ってしまっていた。それで、彼にしては、兄嫁の方の顔を思い浮かべながら、あの人と一緒になるんだと思っていた。
そのうちに、いよいよ晴れの結婚式の日が来たのです。そしたら、兄嫁さんが自分の所へ嫁に来る人だと思い込んでいたお婿さんは、へんちくりんなお嫁さんが出てきたもんだからビックリしたんです。それで、「あっ!だまされた」と言ったんです。
こんな言葉が、男から最初に聞いた最初の言葉だとしたら、その女の人の心というものは、ちょっとやそっとの怒りじゃなかろうと思いますね。言う方は、本気にだまされたと思って、くやしまぎれに言うたんだから、これは、ちょっとやそっとの話ではなかったと思うんですよ。 それで、結婚式の後、すぐ東京へ行ったんですが、東京の家に行ってからどうなったかと言いますと、ご主人は二階へ上がって自分の部屋に鍵をかけて、彼女は下へ寝かせたんです。そうやって、絶対彼女を寄りつかせなければ、そのうちにあきれかえって出て行くだろうと、そう言うソロバン勘定だったんです。
ところが、このフミさんは結婚する時に、「いいかフミや、結婚というものは、決して毎日、お祭りさわぎのようなものではないのだから、色々の問題が出て来ると思うからな。いいか、その時は、決して、家にすぐ飛んで行って両親に訴えてはならんぞ。親はわが子がかわいいばっかりに感情的になってしまって、簡単に解決するものも、難しくしてしまいがちだ。もし、そんなことにでもなったら一大事だからね。決して、親の所へ直接言うて行くなよ。何かあったら私の所へ来なさい」と自分の叔母さんに言われて来ていたのでした。
これは、やっぱり人生の酸いも辛いもわかった人でないと、ここまで行き届かんと思うね。そして、彼女は、なかなか素晴らしい人だった。せっかくこの家に来たのだから、実家に帰るにしても、叔母さんの家に行くにしても、無駄に帰らないで、この家の役に立ってから帰ろうと思ったんだね。
その婿さんになった人は、母親が早くに死んでいるから、兄弟はいても、これまで身の回りの世話は行き届いていなかった。これまで使っていたふとんは汚れ放題、着物もみな汚れ放題で、整理が出来ていなかった。そこで、彼女は根は達者ですから、それを全部洗い張りして、仕立て上げて、誰が来られてもいいように、本当に感じのよいようにきれいにしておこう。そして、この仕事が終わったら、叔母のもとへ帰りましょうと、彼女は決めた。
そして、毎日、毎日、その仕事をすることを楽しみにして、彼女は喜んでその仕事をしてたって言うんです。ところが、婿さんは、たいてい一ヶ月もたったら、彼女は家を出て行くと思っていたけれども、いっこうにその気配がない。自分が会社から帰ると、「お帰りなさいませ」と言って自分をちゃんと出迎える。 いくら二階へ行って、自分の部屋に鍵をかけておいても、翌朝、会社へ行くのに家を出る時になると、「いってらっしゃいませ」と、自分を送り出す。自分の留守中一体何をしているんだろう。 だが、そんな見送り、出迎えなんかにごまかされて、わしは彼女と一緒にならない。何が何でも彼女は、わしをだましたのだからと思っているんです。
ところが、ある日、仕事の都合で暇が出来たのかどうかわからないが、彼女が何をしているか、急に彼女の様子を見にその婿さんが、家に帰って来たんです。そうしたら、彼女がうれしそうに、楽しそうにして、一所懸命に仕事をしている。
仕事に自分の全身全霊を打ち込んでいる姿は、美しいわけなんです。ところが、彼女は、旦那が入って来たのも知らずにいたわけです。そして、しばらくして、旦那さんが、
「毎日、毎日、そんなことしてたの」と聞いたんです。彼女は、「はい、これがもう最後でございます。これが終わりましたら、私、おいとまするつもりでおりました。でも、これで、最後なんでございます。全部ご覧下さいませ」と言って、押入れを開けたら、そこに、洗い張りして縫い直して仕上げられたふとんや着物が、きちんときれいに積み重ねてあったんです。
旦那さんは、もうビックリしてしまったのですね。「はぁー。君はなかなか素晴らしい技を持っているんだね」と言うんです。そんなことで旦那さんの気持も変わることになったと思うんです。その後、子供が、四、五人出来たところをみますとね。
でも、彼女の心の中に、潜在意識の中に、「だまされた」と言われたことのくやしさ、私はだます気なんかなかったのに、“後ろからちゃんとついて来たのに、兄嫁の方ばっかり見て、後ろにいた私を見ないで”との思いがあったのです。それで、彼女は、なかなか明るく、かわいがられる奥さんにはならなかったんですよ。
また、ご主人の方も、結婚前に、お金を送って下さったんだから、ちゃんと給料袋ぐらいそっくり渡してもよさそうなもんなんだけれども、なかなか、そうもしないんです。やっぱり、ご主人の心の中にひとつ何かわだかまったものがあったと思うんです。
そのようなことで、彼女は、なかなか夫からかわいがられなかったと思うんですよ。そしてまた、彼女は彼女でお金が足りないと里へ行ってお金をもらい、お金が足りないことをご主人には言わない。ちっとも、お金が足りませんから下さいなんてこと言われなかったから、これは、男にとっては、ちょっとシャクにさわることになると思うんです。金をよこさねば、よこさねえったって親からもらうからいいよなんていう心の状態は、体の全体から出ているでしょうからね。
また、彼女は、腕がたつもんだから、近所の縫物などしたりして、自分で小遣銭ぐらいはかせぐ。やっぱり、そこにも、夫にとってかわいくないところもあったと思うんです。それで色々と苦労しました末に、誰かにすすめられて、生長の家の神様の方へやって来たんです。
そんな切ない思いをしないうちに、神様の方へ行けばいいんですけれども、そうはいかない。大方の場合は、何かやっぱり面白くないことがあって、それがきっかけで、神様の方へ来ることになる。だから、やっぱり、面白くないということは、本来ないということなんですね。
神様の所へ来ることによって、その人自体が生まれかわるんですからね。彼女は一所懸命努力して、生まれ変わっていくんですよ。そして、自然と、ご主人にもかわいがられるような、彼女が出来てきたんです。
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