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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[1413] インターネット道場―――体験実話特集・平岡初枝先生「子供を見つめて」より(29)
信徒連合 - 2015年12月05日 (土) 11時30分




インターネット道場―――


体験実話特集


平岡初枝先生「子供を見つめて」より(29)




<人間関係>

さて、あなたとあなたの家族との間は、うまくいっていますか。特に父母と子供との間が、うまくいっていますか。これが教育の根本問題だということになるのです。こう考えていただくと、うまくいっている方もありましょうが、うまくいっていないので、困っていられる方もありましょう。そして、うまくいっていないことを悩んでいられるお母さんたちは、必ず子供の悪いところをなおしてやりたい、とおもっていられます。朝早くおきる子にしたい、いそいそと学校へ出て行く子にしたい、食べ物に好き嫌いのない子にしたい、学校から帰ったら直ぐ勉強する子にしたい、危険な遊びをしない子にしたい、夜は早くねる子にしたい、と並べたてたらずいぶんたくさんの願いを持っていられると思います。

ところが、お母さんの願いが多ければ多いほど、子供はお母さんの願いからはるかに遠い彼方に逃げて行くのです。お母さんに十の願いがあるならば、子供は目に見えない10本の綱でしばりつけられていると同じ心理状態になるのです。こうなると、人間は本来自由を限りなく求める本能をもっているのですから、そうしたお母さんの傍にいたくなくなるのです。お母さんの言うことを聞きたくなくなるのです。つまり、お母さんの心の底なる願いが、子供の心をしばっているのです。

さて青木さんは、秋雄さんを悪い子ときめていました。過去の行跡から割り出したら、そう思うのも無理はない。しかし悪い子と心の底できめていたら、無意識に歪んだ声が出てしまい、 歪んだ顔になるのです。青木さんはいっていられる。「秋雄は家族からも世間からも、悪い子やといわれている。かわいそうやお母さんがいるでなし、せめて私なとたまに優しい言葉の一つぐらいかけてやろうとおもったことはいくらもある。

しかし、いくらそう努力しても、顔を見たとたんにムカムカとして、すぐ嫌味の一つも飛び出してしまう」と。まことに正直な話で、そうしたものなのであります。腹のどん底(潜在意識)がさせる芝居なのです。

それが私から一時間余りも、「人間は神の子や、神様のおつくりになったものにケチをつけるあんたが間違っている。どんなに悪く見えても悪く見えるだけで、その奥に完全な神の子がある。あんたの心の目の覆いをとって、完全な姿を見つめるのです」と、同じことをくり返しまき返しきかされた結果、その言葉の力が働いてきて、「そうだ、秋雄は善い子ときめた」ということになったのであります。善い子ときめた……つまり、言葉の力によって青木さんの信念がかわったのです。すると、まず自分の心が楽になって救われた、といわれました。そして、すらすらと「秋雄さん、早かったね、お腹がすいたろう、御飯おあがり。お汁を温めてあげようか」と言えたのであります。 

これは、別に変わった言葉ではありません。あたりまえの言葉です。秋雄さんに対して悪意がなくなったので、あたりまえの言葉が出たということになるのです。そうすると、それまでは当り前の言葉が出なかった。嫌味、あてこすり、小言、説教など、秋雄さんの立場からは好ましくない言葉ばかりきかせていたことになる。そして、二人の間を刻々に悪い方へ悪い方へともって行ったということになるのです。

あたりまえは、人間の実相から出たものですから、そのまま相手にあたたかい感じをひびかせる。だから、秋雄さんの神の子が呼び出されたわけであります。つまり、よき人間関係は技巧ではないのであります。心のどん底で相手の神の子を認め、神の子として待遇することによってのみ達し得る境地なのです。


さきに書いた宮坂さんの場合でも同じです。お父さんを相手に組みついている息子を見ながら「あれは嘘や、嘘や、一雄は神の子完全円満」と、自己訓練に一所懸命になられたからこそ、そのあとの宮坂さんは、おだやかに要求された倍額の千円札を出して、「今は綿の仕事がいそがしいから、あんたのいうだけあげられるけれど、冬になったらあげられないかもしれないから、その時はかんにんしてね」ということができたのです。

常識で出る言葉でもなければ、態度でもないのです。それは、生命がけの自己訓練によって導かれた神の声です。ここまで来ると、もう単なる科学の世界の問題ではないです。




<叡智と頭脳智>

私たちはよく考えてとか、よく注意してとか言いますが、それではあくまでも頭脳智の範囲を出ることはできないのです。どんなによく考えても、どんなにいろいろと注意しても、今乗る汽車が脱線するとか、今のるハイヤーが衝突するというような、先のことは分からないのであります。原子力時代の今日、宇宙時代の今日でも、まだそうしたことは不可抗力だったとされて、運が悪かった、運が悪かったで片づけられるわけであります。

そうした未知の世界の解明は、精神科学よりも奥深い生命の神秘に属する場面で、宗教の分野になってくるのであります。小さな頭脳智では、いくら考えても、いくら注意しても及びもつかぬ世界であります。

それならば、全く吾々の手中にない世界、いかんともなし難い世界であるかというと、そうでもないのであります。厳密にいうと、世界は唯一つの生命を生きているのですから、吾々の生命の実相においては、この汽車が衝突するかしないか、みんな解っているのです。生命でもって知っているのです。

衝突すると知っていながら、遮二無二それに向かって突進して行く人の運命と、何となく回避してしまう人の運命とがあるのです。たとえば、何時何分発の汽車にのることを決めていたが、遅れて駅についたために、その汽車には乗れなかった。その瞬間は残念と思ったが、後でその汽車が衝突して、多数の死者を出したことを知る。そして、守られた、救われた、と喜ぶことが世の中にはいくらもあるのです。

または、どうしても予定を変更せねばならない事情が起こって助かったという例もあります。簡単に 運がよかった、わるかったで片づけてきましたが、精神科学の発達によって心の法則がわかってくるとともに、その原因結果が判然してきたのです。親和の法則、類をもって集まる法則によって、人それぞれの運命に、われから引きつけられてゆくのです。常に家族と衝突しているような人は、衝突する車を選んで乗り合わせることになるというわけです。

ですから、わるい運命を回避する道は、あくまでも自分の心を愛と平和とで満たして、すべての人を神の子として拝める自分になることこそ一切の幸福をつくる道だということであります。そのためには、宮坂さんのように、青木さんのように、真理に則った真剣な自己訓練が必要だということになるのです。




<家庭に正しい信仰を>

真理を身につけるためには、家庭に正しい信仰があってほしいと思います。日本の家庭には、宗教はあるが信仰がない、とよく言われますが、真実だと思います。これは既成宗教の犯した過失です。宗教が生活と結びつかず、葬式や法事の儀式だけを受持って命脈を保っているところに、世を救う光となり得なくなった理由があります。

そして、この国の文化人をもって任じている人たちは、宗教と信仰を混同して、お金で極楽行きの切符を買うような人、空理空文に涙するおろかしき姿を信仰と見て、一がいに形なきものに対する合掌を迷信あつかいにしているのです。

本当の正しい信仰とは、生命の実相を探求することであり、これによって天地間に行なわれている法則を識り、その法則に随順して生活することなのです。皆さんの家庭に正しい信仰があれば、自ら運の悪いことなどは起こらないのです。




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