| [1493] マサノブ君の真理の把握の程度には、呆れかえるばかりです |
- 武蔵坊弁慶 - 2015年12月16日 (水) 23時23分
「トキ掲示板・組織板」より・・・
2794 :神の子さん=マサノブ :2015/12/15(火) 19:32:38 ID:KNSfF7TI
>>2787の神の子さん 言葉足らずだったようですね。「昼飯食べるとさーといなくなることは何ら失礼ではない」ということの説明なのです。
午後の部でごっそり減るのを一番よく分かっているのが総裁なんです。雅春先生の時から話を聞き、本を読み、教化部長をした人間でも調和の世界を現出できないのです。噂になっている岡さんにしても、破邪さんにしても過っては人を指導してきた人間なのです。そんな人間が総裁一人と調和がとれないのです。
あなたが生長の家で説く真理をそれなりに体得したとしまして、将来「こんな人間は死んでもらいたいと思う」ほどの敵対する人間があなたの前に出て来た時に、調和の世界が出てこず、相手をあなたの関係しない世界に追いやるしか方法がないとしたならば、何のための真理でしょうか?
それをしようとするのが分派であり、教化部長までした人間の真理の把握なのです。大調和の真理、全てに感謝なんていくら言葉で言っていても、実相では大調和していると自己満足しているだけで、現実には相手と争っている姿のまま、それが指導的立場に居た人間の真理の把握ということです。
自己満足を与えるだけの真理なんて何なのでしょうか、「自然法爾」という言葉がありますがそれを与えるのが生長の家と私は思っています。人為で物事を進める人間しか生長の家は作り出さなかったのか?自己の都合が満たされれば救われたと云い、都合が満たされなければ周りを非難する、そんなものが真理にのでしょうか?
総裁のすることが変だというのであれば、自然法爾に調和の世界を出して御覧なさいと私は言いたいですよ。たとえ真理の言葉でもって判断しようが、それは相対の世界であって、絶対の世界に住んでいる人間のすることではないと思っています。生長の家の説く真理は自分の心がどのようになっているかだけが問題であり、相手の心は問題でない、そうじゃなければ「神想観」をして実相の世界にいると何故称えるのでしょうか。自分が実相の世界に入ることをせず、相手の現象に虜になっているのが総裁をとやこう云う人間の姿でないでしょうか。
あなたのような方に見苦しい姿を見せて、真理への疑問を持たせたことを申し訳なく思います。それなりの能書きを言う人間を対象にして書いていましたので。真理の独覺は大変に難しいものですが更なる精進をお祈りします。
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<講評>
@「岡さんにしても、破邪さんにしても過っては人を指導してきた人間なのです。そんな人間が総裁一人と調和がとれないのです」―――これが詭弁なのです。トンデモ総裁と言われているマサノブ君は、どうしようもない程のトンデモな人なのです。独裁者なのです。雅春先生の御教えを否定するような人に誰が調和できますか?
A「実相では大調和していると自己満足しているだけで、現実には相手と争っている姿のまま、それが指導的立場に居た人間の真理の把握ということです」―――マサノブ君は自分のことは棚に上げて、すべてを他人に責任転嫁するのです。「真理の把握」なんて偉そうに言っています。そんな人が、「恵美子先生を軟禁」していたのです。これがマサノブ君の真理の把握の程度なのです。「言行不一致」のお手本なのです。
B「総裁のすることが変だというのであれば」―――周囲の声は聞こえているのです。しかしこれはマサノブ君が初めから意図したコトであり、マサノブ君は「確定犯」なのです。「生長の家の解体」――これがマサノブ君の「基本的行動指針」なのです。
C「神想観」なんて言ってますが、マサノブ君は「神想観」しているのでしょうか?マサノブ君の言動をみていると、「神想観」なんて口先だけのことだと見えます。
こんな独りよがりな「独裁者」に付いていくのはもう止めにしませんか?
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