| [1504] 大閑人マサノブ君、「枯れ松模様」で“評論家”気取り! この辺が彼の限界か? |
- 板東太郎 - 2015年12月19日 (土) 17時46分
大閑人マサノブ君がまた書いている。性懲りもなく、三流評論家である事を全く意識せずに書いている。題して「イスラーム国の問題を考える」―――
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「枯れ松模様」平成27年(2015年)12月 8日 =イスラーム国の問題を考える=(概要)
・・・世界中で“ムスビの働き”に逆行するような、おぞましく悲しい事件や変化が矢継ぎ早に起こっていることに、私は胸をいためている。これらは、相互に関連し合った出来事で、そのもとを辿れば、十字軍の遠征にまで遡ることができるかもしれない。 ・・・ISISは犯行声明を出している。止まることのない暴力の連鎖が、世界に広がりつつあると感じるのは、私だけではあるまい。この流れをどこかで止め、逆転させなければならない。そのためには、世界を“悪”と“善”、“敵”と“味方”に二分して、前者の殲滅を目指す考え方をやめなければならないのだ。・・・テロが生まれた背景を理解し、その原因を取り除く努力をすることにより、彼らが「テロ」という極端な形で意見表明をする必要をなくすべきなのである。 ・・・ そういう問題意識のもと、生長の家の“森の中のオフィス”では、本部講師と本部講師補の勉強会である「BBC(brown bag cafe)」で、去る11月27日にISISの問題が取り上げられた。この勉強会では、特定のテーマについて1人の本部講師(補)が発表し、他の本部講師(補)との質疑応答の後、最後に私がコメントをすることになっている。・・・宗教者として世界情勢を考えるためのポイントを、意見交換の中で見出すことが目的である。 私はその日の発表で不十分だった2つの視点について語った。それは、@イスラーム内部の宗派対立、Aインターネットなどの技術革新、という要素だ。これらについて『TIME』誌の11月30日〜12月7日合併号が、よい分析記事を掲載している。英語の読解力のある人はぜひ、この14ページにわたる記事を読んでほしい。・・・しかし、ISISによるロシアの旅客機爆破とパリでのテロ事件により、西側諸国がロシアを味方に入れ、団結してISIS掃討に当たることになれば、状況は変わってくる可能性もある。 谷口 雅宣
「枯れ松模様」平成27年(2015年)12月10日 =イスラーム国の問題を考える (2)=(概要)
私は11月27日のBBCで、ISISの問題を考えるには、イスラーム内部の宗派対立の問題以外にもインターネット等の技術革新の要素を見逃してはいけないと発言したが、これについては、『TIME』誌の同じ記事は、こう描いている・・・先進諸国に居住する若者はISISのリクルートの対象になりやすいと言えるだろう。・・・では、先進諸国の若者は皆、潜在的にISISのメンバーとなりやすいのか? ここで、先進諸国内部での経済や雇用などの社会問題が重要になってくる。「自由・博愛・平等」が国家の理想として掲げられているフランスにおいて、あるいはそれと似た価値観(西側の価値観)を掲げるベルギーやドイツやイギリスにおいて、イスラーム系住民は実際、どういう境遇にあるのか? 経済の停滞と貧富の格差拡大、また宗教上の有形無形の差別の問題が、この文脈で重要になるだろう。 フランスの文化政策については、『TIME』誌は「世俗主義」が徹底していると述べている。フランスでは植民地時代から、学校というものが「フランス文化を学ぶ場」として位置づけられているからだ。フランス社会への敵意が生まれたとしても不思議ではない。・・・12月6日付の『朝日新聞』は、興味ある観察を掲載している。過激化問題の専門家は、こういう若者がテロに向かう理由についてこう述べている−−「テロは彼らにとって反社会的な行為、“非行”の一つにすぎなかった。今回のテロは、宗教というより、そもそも自分が何者であるかという若者の意識の崩壊の問題だ。」 2つの祖国をもつ若者が、その一方の社会から何かの理由で疎外される。しかし、もう一方の祖国のことはよく分からない。が、親の国だから“悪い国”だとは思えない。そんな時、“新しい祖国”(親の移民先)に叛逆し、“古い祖国”(移民前の国)に魅力を感じることは不思議でないだろう。そういう「自分は何者か?」を疑う不安定な心に、インターネットなどを通じて「ここに理想的生き方がある」というメッセージが流れて来れば、そこへ引かれていく若者もいるだろう。 谷口 雅宣
「枯れ松模様」平成27年(2015年)12月12日 =イスラーム国の問題を考える (3)=(概要)
11月30日〜12月7日の『TIME』誌には、アルジェリアの新聞の編集者、カメル・ドード氏(Kamel Daoud)が何がISISを生んだかについて、簡潔な文章を書いている・・・父親はジョージ・W・ブッシュ大統領時代のアメリカであり、母親はサウジアラビアだという。・・・ドード氏が「ISISの“生みの親”」の1つがサウジアラビアだというのは、過激化するイスラームの若者たちの世界観は、ワッハーブ主義の影響だという意味だろう。・・・自国民がテロをする可能性が生じると、為政者は普段から自国民を監視することが重要になるため、電話の盗聴やメールの監視、ネット上の言動監視など、自由民主主義の原則と矛盾する活動を国家が大々的に行うことになる。しかし、これをどんなに厳格化しても、全国民を継続的に監視することなどできないから、監視の間隙を縫って、テロが起こる可能性は依然として残るのである。 12月9日付の『ニューヨークタイムズ』国際版によると、・・・かつてパキスタンの米国駐在大使だったフセイン・ハッカーニ氏(Husain Haqqani)の表現では、「彼らの教えには、“イスラーム信徒には世界を導く使命があり、腐敗した西洋諸国に立ち向かう必要がある”という考え方が色濃く存在する」という。 ・・・今回の事件はISISの指示によるというよりも、容疑者らが抱いてきた過激思想がテロとして表現される最終段階で、ISISの思想と合流したと見るべきかもしれない。そのISISの思想とは、宗教的にはいわゆる“終末論”にもとづくもののようだ。ザルカウィ氏はこのとき、アメリカのイラク攻撃を「祝福された侵攻」と形容し、喜んだとされる。つまり、アメリカによるアラブ攻撃は、西側諸国をイスラームとの最終戦争に引き込むために必須とされていたのだ。 谷口 雅宣
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<講評>
@ 上記「枯れ松模様」の文章は、ISIS(通称・イスラム国)についての、「唯物現象論」と言う立場に立ってのマサノブ君の寄せ集め的評論文でしかないのである。「朝日新聞によれば・・・」、「ニューヨークタイムズ国際版によると・・・」、「BBCでは・・・」、「TIME誌では・・・」と云った風にマスコミに掲載された記事の紹介に終始してマサノブ君自身の「国際関係論」に基ずく確固とした考え方を書いていない。彼自身にはこの問題を扱うには荷が重すぎ、深い思考が不可能だからである。
A マサノブ君はISISが一般的には「イスラム国」と呼ばれていることは承知しているに違いない。だけど、どう考えたって「イスラム国」は国家ではない。無理に「国家」と思ってしまっているのが世界の現状とするならば、「イスラム国」は国家ではない、単なる暴力団でしかないことを強調すべきなのに、マサノブ君はそれをしない。『御教え』に依れば、国家にはそれが成立する「国家理念」の存在があり、その理念の展開が現実の国家である。単に一定地域の土地と人間の安全保障のための共同体ではない。だから、「暴力略奪国家」という国家理念は実在の世界にはない。だから、「イスラム国」は“国”という言葉を使っているが「国家理念」の展開による“国家”ではない、とマサノブ君はまず断定しなければならない。だけど彼はそれをなさないのである。
B 実在世界に於ける「国家理念」の中で唯一最高の「国家理念」は「天壌無窮」の国家理念である。この最高最尊の「天壌無窮」の国家理念の天降りによって地上に形成されたのが、吾が「日本国家」である。だから、同じ人間でありながら、日本国に生まれた日本人はお互いにその幸運を感謝しなけばならない、とマサノブ訓は先ず信徒に語りかけてこそ、教えの継承者と言えるのである。そして、開祖・谷口雅春先生の「生命的国家論」を説かなければ、たとえ自称・継承者といえども落第生である。現在の「マサノブ教」に於いては久しく「生命的国家論」は説かれなくなったのである。誌友会出講講師でも説く講師はめったにお目に掛かれない。最高の真理を教えられているに拘わらず何たる無様であることよ。マサノブ君の著書「生長の家ってどんな教え、――−問答有用」でも「生命的国家論」については全く触れてはいない。マサノブ君は「国家は生命体」とは考えていず国家を意味嫌っている、――サヨク思想家と同じ視点に立って国家否定の価値観を共有しているのである。ゆえにマサノブ君は「愛国心」も否定しているのであります。日本国家あって始めて、今の優雅な宗教貴族生活が送れているのに・・・
C 開祖・谷口雅春先生の『御教え』によれば、日本民族の使命は、「真理国家」の建設である。その根拠は「天壌無窮の国家理念」にある。よく言われる「道義国家」の考え方も「教育勅語精神」も「福祉国家」の考え方もこの「真理国家」の範疇に入っているのである。そのためには「唯神實相」を深く理会して「人間神の子」思想を潜在意識の底まで浸透させていかなければならない。此処まで、現代人に分かるように説かれたのは、開祖・谷口雅春先生おひとりである。教えの継承者ならばこのことをもっともっと信徒の皆さんに説き続けなければならない。しかしマサノブ君は開祖反逆の道を進んでしまったのである。
D 宗教家は評論家であってはならない。マサノブ君は完全な評論家である。しかも屁理屈好きの三流評論家である。彼には宗教的素養も真理に対する真剣な求道心さえもない。だだあるのは飽くなき名誉欲、金銭欲、独裁権力欲しかない。それにパソコンで自分がこんなに物知りであるぞと自慢したいだけだ。「朝日新聞によると・・・」、「TIME誌には・・・」ではなく、「開祖・谷口雅春先生の『御教え』である『生命的国家論』によれば・・・」でなければならない。『生命的国家論』に反旗を翻すようでは教えの継承者の資格はない。「生長の家」の看板を返したまえ。この様な意味で今回の「枯れ松模様」の「イスラーム国の問題を考える」の内容は宗教的観点から考えると全く体をなしていない。低級な屁理屈三流評論家の域を出るものではないのであります。マサノブ君の辞職を望むものである。
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