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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[1563] インターネット道場ーーー「久遠不滅の我について」
信徒連合 - 2015年12月25日 (金) 08時59分




インターネット道場ーーー


久遠不滅の我について

(『神癒への道』P.143−145)



そういう風にツェノンは理論的に運動というものを否定しました。併し是は運動の否定であるようですが、実は空間の否定です。空間の否定であって斯ういう風に空間が空いているとすれば、その空間的位置の間には無限の点があるから、無限を通過することは出来ないのだから、どうしても運動は出来ない。それは錯覚であると否定したのであります。

併し空間がないとしたら、それは「無空間」であるから、無いものは分割出来ない、従って無限の点も無い、無限の点を通過する必要もない。生命は空間の中に運動せず、却って生命の運動が空間と見えるものを創造するということになるのであります。

実際、空間的“ひろがり”というものは、ここからここまで本当にひろがっているのではないのであって、実は“ひろがり”はないのです。ひろがりがないのにひろがりありと見ているのです。無空間なのであります。ただ無空間上に生命のみがある。無空間の生命であるから分割することが出来ないのであります。従って、実は「彼」と「我」というが如く全然別々の存在はない。彼も我も唯一神の心の中にある観念(ことば)的存在なのであります。

それが心の波に依って活動写真を映すようにひろがって、空間的存在としてひろがりがあるように見えるのであります。そしていのちの振動に依って時間的流れがある様に感じられているのであります。

実際は現象的な時間も空間もそんなものはない。(現象無の哲学)吾々は大きさもなければ目方もないし、何年何月から何日まで生きているというようなそんな短命な存在でもない。時間を超え空間を超えたところの「久遠の今」の生命――それが人間であるのであります。ですから人間は死なないものだということが出来るのです。

死ぬとか生きるとかいうのは、時間があり、空間があり、その時間的流れに於いて何年生きてみたとか、何処其処で生まれて、何処で死んだとかいうことが出て来るのですけれども、初めから時間とか空間とかいうものがなかったならば、人間は結局、生まれるということもなし死ぬるということもないのがあたり前であります。

實相に於いては吾々は生まれることもなく死することなき存在であります。吾々が女性の子宮から生まれたというのは、要するにそういうような幻を心に描いただけであります。

描くというのは生命が振動して、その振動の波によって空間のない世界に空間を幻術師の現わす蜃気楼(しんきろう)のようにパッと映し出したのであります。そして吾々は空間を無限の点の連続であるかの如く考えておりますけれども、無限の点があったら、ツェノンを俟(ま)つまでもなく、結局は吾々はそれを通過する事が出来ないので、空間的のひろがりはないものである。時間的にも空間的にも何もない。

無時間無空間の奥にある「久遠の今」というものが、それが自分の生命であります。そこでは一切の時間空間は皆一点に摑(つか)まれているのであって、吾々はその「久遠の今」の一点に於いて自己の生命の振動によって一切のものを創造しつつあるのであります。








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