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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[1564] インターネット道場ーーー「生長の家における体験談」についての清超先生の御見解
信徒連合 - 2015年12月25日 (金) 09時09分




インターネット道場ーーー


「生長の家における体験談」についての清超先生の御見解!


(マサノブ君よ、よく拝聴すべし、そして脚下照顧せよ!)




    『生長の家』(昭和48年11月号)
      〜生長の家副総裁 谷口 清超 先生


皆さんは、私の論文の中で、いつも私が体験談をいかに重要視しているかを感受しておられることと思う。

それは、人間の体験には、理論では言い表せない重要な 「教え」 が含まれているからである。

人々はこうして人生を生きている。
 
この事実、そしてその行動や信仰によって或る種の結果を得たという事実は、多くの人々にとって貴重な 「教訓」 とならざるを得ないのである。

しかしここで注意しなければならない点は、その体験は、決して完結したものではないということである。 

人間の体験は、永続する。
 
この人生の生死の1周期を超えてそれは永続すると考えられるのだが、その信仰を抜きにしても、死者の体験ではない以上、
その人の体験はまだこれから死ぬまで続くのである。

ということは 「治った病気」 は再び復活して来るかも知れないということでもあり、生き返った肉体は最後には死ななければならないということでもある。

けれども、ある心から起った結果が、その心の変化によって、
こう変ったという事実は、そんなことは断じて否定されるものではない。

又、人間の心には自由があるから、堕落すること出来る  ―  と一応考えられるのである。

 しかし、ある程度の魂の段階に達すると、悪への堕落は“不可能”となる。
 
それは“自由を失う”という意味に於てではなく、
より一層“真に自由である”ために、堕落ではなくて向上の一途を辿るということである。

このようなとき、かつて救われた人の体験は、非常な安定性をもった教訓を吾々に与えてくれるのである。




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