| [144] インターネット道場ーーー感激的体験記 ・ 藤原敏之先生 「すべてを癒す道」より・・・ |
- 信徒連合 - 2015年08月03日 (月) 07時27分
序章 真理は啞をも癒やす
練成指導に明け暮れた12年
真理は絶対であり、谷口雅春先生のお説き下さるみ教えが素晴しいので、練成会でも大きな悩みや苦しみを抱えて参加する人々が例外なく救われ、悩みは解消し、どんな難病、業病もことごとく癒えるのであります。ただ身体の病気が良くなるばかりではなく、真理を体得せられるので、その喜びは格別で、世界中みな貰ったよりも、もっともっと大きな喜びとなります。生長の家は人間全体を救う教えであり、今、救われる教えであります。
本部講師を拝命してからの私の過去の12年間は一貫して生長の家の練成による明け暮れでありました。その間ご縁のあった方々の数だけでも何万人であります。また個人指導を申し込まれてお会いした人々の数は何千人になると思います。またそれ以前の地方講師としての18年間に個人指導させて頂いたのを含めますと、優に万を越えるものと思います。
本書でも、折に触れいくつかご紹介しますが、その間、指導した問題の内容も多種多様であります。涙なしには聞かれないような深刻なものから、笑い出したくなるような面白いものもあります。最近の傾向としては、やはり病気が圧倒的に多いようでありますが、その中でも神経系統の病気に悩んでいる人が一番多く見られます。その次に多いのが、子供さんの問題であります。病弱なお子さんをお持ちの方、知恵遅れ、勉強嫌い、学校へ行くのを嫌がる登校拒否の子供さん、万引きや盗み癖のあるお子さん等々、子供さんのことで泣いておられるお母さんが大変多いのであります。
つぎに多いのが家庭問題であります。親子や夫婦の不調和、特にこの夫婦間の問題が多く、その次に多いのが経済問題であります。不況の関係で営業の不振や倒産などで苦しんでおられる方が非常に多いのであります。
その次が交通事故や機械による事故の後遺症で悩んでおられる人が多くなっております。
よくもこんなに悩んだり苦しんだりしている人があるものだと不思議に思う位でありますが、人々の間にどれだけ生長の家の救いの手が待ち望まれているかということを今さらのように感じさせられます。
母親と祖母が連れて来た啞(おし)の子
聖経『甘露の法雨』にもありますように、 「神があらわるれば乃(すなわ)ち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく、相食(あいは)むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」 とお教え頂いていますように、悪いものや不完全なものなどは存在しないのであります。 真理が現成(げんじょう)し、無明(まよい)が無くなれば、啞(おし)でさえも目の前で消えて無くなるのであります。それは地方講師として活動しておりました昭和26年頃、広島県の呉に居た頃のことであります。
ある朝のこと、玄関の戸が開く音がして、「ごめん下さい、ごめん下さい」という声がしますので出てみますと、年の頃55、6歳位の女の人と26、7歳位の女の人と男の子と3人連れで立っておられます。「どなたさまですか」とお尋ねしますと、「私達は音戸のものでございます。朝早くから誠にすみませんが、先生にお願いがあって参りました」と言われるので座敷に通し改めて聞いてみますと、その2人は男の子の母親と祖母ちゃんであることが判りました。おばあちゃんの言うには、
「この子は私の孫でございます。今7つになりますが、どういうものか、ものが言えないのです。本当なら今年小学校に上げなければならないのですが、啞のため普通の学校に入れないので、啞の学校に入れなければなりませんが、なにぶんにも幼いので手放すのも心配で困っておりましたところ、御近所の奥さんが、藤原先生の所に行って相談してみたらと勧めて下さいますので、思い切って連れてまいりました」という訳です。要するにその啞を私に治せと言うのであります。
普通の人でありましたら、「冗談言うな」と言うところですが、私は、尊師谷口雅春先生から「人間は神の子であるから不完全な者など一人もいない」という尊い真理をお教え頂いておりますので、そんな啞などは断じておらないと信じております。
「ああ、そうですか。啞はありませんよ」と言いました。お祖母ちゃんは、 「先生、この子は啞なんですよ。私が朝から晩まで『婆(ばば)言え、婆言え』と言っても何にも言わないのです。お菓子を与えては『マンマ言え、マンマ言え』と言っても全然何も言わないのです」と言うのです。
「それは言えないようにしているものがあるからですよ」と言って諄々と話してあげました。人間は肉体ではない、生命であるということ。その生命が神の生命であり、自分の孫でも子でもない、神様からの授かりものであり、お預かりしている神の子である──ということをよく話してあげ、 「神さまだから、啞の神さまなんかありませんよ。ちゃんとものを言っているけれども止めているものがあるから、言えないような姿が現れているだけなのですよ」と言って、この世はすべて心に思っていることが形に現れているので、みんな心の影であることを話しました。
「お子さんがものを言えないのは、言ってはいけないという心の影が啞という姿になっているのです。あなた達、きっと他人にも言えない秘密を持っているのでしょう。この事ばかりは人に言えないという隠し事が原因となって、可哀想に言いたくても言えない啞となってこの子に現れているのです。ですから、私に何でも白状しなさい。打ち明けてしまいなさい。言って良いこと悪いこと位は私はちゃんと心得ていますよ。秘密は絶対に守りますから」 と申しますと、子供を救いたい一心からボツボツ話し出したのであります。
20年振りに戻ってきた夫を自殺に追いやる
「実は今から27、8年前になります。私の夫は大工でした。腕の立つ職人で稼ぎも良かったのですが、なにぶんにも大酒呑みで、毎晩のように酒場に通い、呑んでばかりおりましたが、その内に酒場の女とねんごろになり、とうとう二人で駆け落ちしてしまい、行方知れずとなってしまいました。残された私はこの娘が3歳、下の娘がまだ乳呑み児でどうすることも出来ず、それでも生きるためには必死の覚悟で働きました。働くといっても手に職はなく、赤ん坊を負っての日雇い稼ぎで、親子3人お粥をすすって生活しました。それでも幸病気もせず、娘も成長して、手助けもしてくれるようになり、そのうちにこの子には婿養子に来てくれる人があり、下の娘も貰って下さる方があって嫁いで行きました。
私の方の荷が一遍に下りてやれやれと思っていた、ちょうど終戦の翌年のある日、それも夜中も過ぎて2時頃です。トントン、トントンと雨戸を叩く音にハッと目が覚め、耳を澄ましていると、風のあたる音ではなく、確かに誰かが、叩いているのです。電報なら『電報!電報!』と言って叩くはずですが、黙って叩いています。玄関に出て『どなた?どなた?』と声を掛けますが返事がありません。不審に思いながら戸を開けますと、暗闇の中に一人の老人が立っているではありませんか。驚いて『どなたさんですか』と尋ねますと、その老人は『わしよーッ』と言ったので、ハッとしました。20年前に私達を見捨てて出て行った夫だったのです」……
その夫の姿を見た時忘れていた恨みが一遍に大波のように湧き起ったのです。「この馬鹿野郎、よくもぬけぬけと今頃帰って来てッ」と20年間の恨み憎しみの感情を思いっきり発散させて、ありったけの言葉で悪口雑言を浴びせ、「よくも帰って来たな、男なら恥を知れ、それでもお前は男か、一歩も家に入るな、絶対に人目につかぬよう今夜の中にこの島(倉橋島)から出て行け」とまるで自分の島のように言って、お茶の一杯も飲ませず追い出したそうであります。夫は痩せ衰え「す**とをしたよ。何と言われても仕方がない。戻れた義理でも何でもないが、何分にも町では食べるものが無くて、とうとう栄養失調になり、身体が動かなくなり、働くに働けず、倒れてしまったら薄情な女は、わしを捨てて逃げてしまった。一人になったわしはどうすることも出来ず、その場でひと思いに死のうと決心したが、その時思い出したのは生れ故郷のことだった。残していったお前達があの戦争でどうなったか、生きていたら一目遭って、ことわりしてから死のうと人目をはばかりながら夜中にこっそり帰って来た。どうか赦しておくれ」と泣いて詫びているのに、薄情にも親子二人で追い出したというのであります。娘さんの方も気が強くお父さんに向って「お前のような奴、親でも子でもない。さっさと出て行け」とののしりながら追い出したのです。夫は泣きながら暗闇の中へ消えて行きました。それっきり雨戸を閉めて寝てしまったというのであります。
明くる日の新聞の夕刊に、身元不明の老人の水死体が音戸の瀬戸に打ち上げられたという記事が載っていました。それを見て二人は顔を見合わせて、親爺は海に飛び込んで死んだとわかったのですが、名乗り出もせず、死体も引き取りにも行かず、いまだにそのままにしており「大方、共同墓地にでも埋めて貰っているのでしょう」と言っておりました。そのことを知っておりながら一言も他人に言わず“言ってはならん。言ってはならん”と隠し通していると話してくれたのであります。 仏教の経典にありますように、さすがに因果くらまさずで、法則を曲げることは出来ないのであります。かわいい孫や子供が啞になって親も子も苦しまなければならない結果は、このように明確に現れているのであります。
男が家庭に求めるものは……
私は「それごらん、その通り他人には言えない秘密を二人が心に秘めて、言ってはならんと思い続けていると、その思いが啞という姿になって現れているのですよ」と申上げたのであります。「その啞の原因となった間違いを解けば、啞なぞはもともと無いのだから、すぐに、ものを言うようになりますよ。なるほど事情を聞けば腹が立つのも無理はない、恨むのも当然だと思いますが、物事は一方的に起るものではない、事件が発生するには必ず相手があってのことですよ。よく一人角力(ずもう)はとれないと言います。ご主人が酒場に入りびたって酒を呑んだことが善いとは言わない。悪いことに決まっている。また酒場の女と駆け落ちしたことも絶対に善くない。しかし、お酒でも呑まずにおれないように仕向けていたものがあることに気が付きませんか。誰が女房や子供を捨てて生れ故郷を離れて暮らしたい者がありますか。そうでもしなければ生きてゆけないほど行き詰らせていたものがあったのですよ。あなたはご主人が大工で腕も良くて、金儲けは人よりも勝れていたと言いましたが、そのご主人が一日働いてクタクタに疲れて帰って来た時に、喜んで出迎え、『お帰り。疲れたろうね。ご苦労さん、あなたが働いて下さるお蔭で私達はこうして楽に生活で来て有難い』と喜んでお礼の一言でも言ったことがあるかね。『何、男が働いて女房や子供を養うのは当り前や。もっと頑張って稼ぎを増やせ』と夫の尻を叩くことはあっても喜んだり感謝したことはないでしょう。『さあ疲れたろうね。一本付けたから、呑んでゆっくり眠って身体の疲れを癒しましょう』と気持のよいお酒の一本も呑ませたことがあるかね。恐らくないでしょう。それではご主人は立つ瀬がないですよ。夫が外で働くのは趣味や道楽ではないのです。妻や子が幸せであるように、何とか喜ばせてやりたいと、ただそのことばかりを楽しみに頑張っているのですよ。妻を愛しておればなおさらのこと、妻の喜ぶ顔を見るだけで一日の疲れも、フッ飛んでしまうものだ。どんな苦労も苦にならないのだ。その期待に答えるどころか裏切って不平たらたら、膨れ面をしておられたのではどうにもやり切れなくなりますよ」と申しました。
男はこんな時、つい魔がさすというか「ええい、一杯やって行こうか」ということになり、酒場に一歩入れば、喜んで見せたり、笑顔で迎えてくれる女性が待ち構えている。世の中の冷飯組や淋しさでやり切れない男達を迎えて虜にする商売の人達が到る所に網を張って待っている。家では一生懸命働いて疲れて帰って来ても“帰るのは当り前”となんの感激も喜びも表現しない無表情な妻にひきかえ、バーやキャバレーでは綺麗にお化粧し、着飾った女性が最高の笑顔で待っている。客が一歩入れば飛びついて来て、最高の喜びを表現する。後は至れりつくせりのサービスを惜しみなく与えてくれる。これでポーッとならない男はどうかしている。ましてや家庭の中が暗く冷たい毎日をおくっていて、妻から愛情のひとかけらもないような男性にとっては、まるで水気のない砂漠で水にありついたようなものであり、陸にはねあげられた魚が水を得たようなものです。まるで石が坂道を転がり落ちるように、歯止めを掛ける理性も節度も失ってしまうのです。 私も会社を定年退職する前は、よく地方の支社に出張しましたが、一応行事や会議が終ると、決まって支店長や次長が「部長、ちょっとお疲れ休めに一献(いっこん)差し上げたいから、お付き合いを」というわけで接待と称してバーやキャバレーに連れて行かれたものであります。私は元来お酒は一滴も呑まないし、仕事などでお客の接待などの時は、呑んだふりをして杯洗に流したり、特別製で銚子にお茶やサイダーを入れておいてもらって、それを呑んでお相手をしたものであります。そんなわけで夜は宿で夕飯を済ませたらゆっくり休みたいと思っているのに、先方は部長の接待という名目でお酒を呑んで遊べるのでどんなに断っても承知せず、連れ出されたものであります。また私は家に最愛の妻がいて愛情と真心で喜んでつかえて貰える幸せ者だから、そんなところに全然興味がない。それどころが宿に着いても必ず家に電話をかけて妻の声を聞かないと眠れないぐらい妻を愛していましたから、他の女性のサービスなどいっこうに必要が無かったのであります。家に電話するのも別に家内が恐ろしかったからではありません。電話を掛けると妻が喜ぶからであります。私は妻を愛していましたからどうして妻を喜ばせるかということ、それだけでありました。愛情が形に現れたら自然と相手を喜ばせたいという感情になるものであります。夫婦は一体であり一ッ生命でありますから互いに捧げ合い尽し合い助け合うことになるのであります。左と右の手は互いに別の存在のように見えますが、もともと一つにつながり、一体でありますから、お互いに求め合うということはなく助け合うことしかありません。相手に困ったことはないか、もしも困ったことでもあればすぐに助けに行きます。寒い時など手が冷えてかじかんで来ると何も言わなくても互いに撫で合い摩り合いします。また、左の手の甲に蚊がとまると「ちょっと頼む」と言わなくとも右の手が、サッと行って蚊を叩き追うでしょう。かゆかったらかいてやります。このように形は互いに別でありながら、心は一つに繋がっているからであります。
谷口雅春先生は「愛は自他一体の自覚である」とお教え下さいますが、愛があれば自分のことを忘れて相手の為に尽したい、何とかして相手を喜ばせたいという心が働くのであります。 話はキャバレーのことに戻りますが、そんな訳でどなたが主賓かわからないままお付き合いしてキャバレーに行くと、綺麗どころがずらり並んで待ち構えております。一歩店に入ると、飛び付いて来る、ギュッと手を握って「マアよく来てくれたわね」というわけで身体を密着するようにして暗いボックスへ案内して、ありったけの表情と態度を示して喜んで見せるのであります。さすがに商売だけあって心得たものであります。男性の弱点をちゃんと掴んでいて、求めているものを惜みなく与えて満足させるのです。初対面なのに、「あんただれ」ではそっけないから親しみを増すため洋服の内ポケットあたりを気付かれないようにソッと見る。そしてネームを見て私が藤原だとわかると暫くして、「あんたフーさんと違いますか」と問いかけられ、ハッとすることがある。あれ、この人知っているのかなと、戸惑いすることさえあるくらいであります。
人間の心の底で求めているものは、他人(ひと)から喜ばれるということであります。これが一番弱いところでもあります。ですから喜んでくれる者には益々喜ばせたくなるのであります。嬉しくなると何も惜しくなくなる。平常はケチな男でも、気持がよくなり、お金を与えて喜ぶ者にはお金が惜しくなくなり、思い切ってチップをはずむのであります。後になって「しまった、いいとこ出して張り切り過ぎた」と小遣いに不自由しなければならぬ羽目になるのであります。
このように世間には色々な商売があって人の不足しているものを提供すれば、必ず繁昌するのが商売のコツであり、繁栄の原理・原則であります。家庭で愛情に飢え、喜びが不足していると必ずその不足するものを、補うために他に特別配慮を求めに出掛けるのであります。これが夫の浮気の原因となることを、世の女性はよく心得る必要があります。夫を他の女性に取られたからといって夫を恨んだり、相手の女性を憎んだりすることは間違いであります。その前に反省し、どちらが被害者か見極めることが肝腎であります。このように家庭で愛情に飢え、笑いと喜びが不足しておりますと、その不足を補うために補給基地を求めて、一歩家を出たら慰安所がそこら中に待ち構えております。このわなにかかったが最後、脱け出すことは難しくなります。男というものはある程度までは自制出来ますが、越えてはならぬ一線を越えてしまえば、今度は度胸が定まり、逆に強くなります。「矢でも鉄砲でも持って来い」というわけで、いったん三角関係になったり、奥さんが捨てられてからでは、遅いのであります。泣いてもわめいても取り返しがつかなくなります。一刻も早く内観し反省して危険信号の出ない先に、改めなければなりません。
はじめから啞の子はいなかった!
さて、元に戻りますが、この啞の子供のおばあちゃんとお母さんに次のように申しました。 「あなたが感謝もせず喜びもせずにいて主人が酒場に毎晩足を運ぶようになったのは、あなたにも大きな責任がありますよ。それをお詫びもせずに、泣いて謝っているご主人をよくも追い返しましたね。寂しい思いをさせ、可愛い子供の顔も見られないような、知らぬ他国の旅の空で暮さなければならないようにしたのは誰の仕業ですか、それを『すみません』と一言の断りもせず、その上泣いて謝っているご主人を叩きだすようなことがよく出来ましたね」と諭してあげました。
はじめのうちは、“捨てられて死ぬるほどの思いをしたのは自分(こちら)の方ではないか”というような顔つきで聴いておられました。しかし、やはり人間の本性は神の子であり、仏性が宿っているのであります。じっと私の顔を見つめながら聴いていたおばあちゃんの眼に、だんだんとキラキラ光るものが感じられ、ポロッと一つ、玉の露が落ちたそのとたんに「わーッ」と大きな声とともにその場に泣き伏してしまったのであります。「ああ、そうでごわんしたな。今の今まで私が悪いなどと思ったことは一度だってありませんでした。主人が、病気になり女に捨てられたのは、罰が当ったのだと思って、可哀相だとも気の毒だとも思ったことはありませんでした」と言って肩をゆすって大声でウッウ、ウッウと泣かれたのであります。「お父ちゃん勘忍して、私が間違っていた」と心から詫びられたのであります。
私は娘さんの方にも「あなたもあなたじゃないか、よくも一緒になってお父さんを追い出したね。お父さんがいて下さらなかったら、あなたはこの地上に誕生することは出来なかったはずですよ。人間として生れ夫を授かり、子供まで授かったのは、誰のお蔭ですか。お父さんがいて下さったからじゃありませんか。それをよくも一緒になって悪口雑言を吐いて追い出しましたね。おこるだけおこり、口汚く罵(ののし)っても、『親子は親子。お母さん、憎いのは憎いけど折角帰って来たのだから、赦してあげたらどうでしょう』と一言いえなかったかね。そうすれば死ななくてもすんだのではないかね」と話しておりますと、だんだん頭が下って来て、ついに大声で泣き出されたのであります。お祖母ちゃんは、頭の毛はザンギリにして、着ているものは軍服のようなもので(当時はみんなそんなものを着ていましたが)、声もしわがれ声で、男と間違えるような声であり、はじめ私は男の人かと思った位であります。随分と気の強そうなお祖母ちゃんでありましたが、勝気な人が折れると、逆にまた激しいのであります。娘さんの方も母親に似て、気の強そうな人でありましたが、二人で畳に伏せって、おいおいと大声で泣かれるので、私も暫く二人を合掌して拝んでおりました。これが本当の姿だ。悪い人などおらないのだと実相を拝んでおりました。
そのうちに、部屋の外の廊下で一人でコトコト遊んでおりました啞の子供がスーッと障子を開けて入って来るなり、「ばば、ばば」と言い出したのであります。伏せって泣いていた二人が急に顔を上げて「ありゃ、この子が何か言ったのと違うか」と言っておりますから、私は「当り前や、はじめからちゃんと言っていたのや、それをあなた達が心の底で言ってはならん、言ってはならんと押し止めていただけや」と申しますと、お祖母ちゃんは子供の飛びついて、じっと抱きしめて、「おばあちゃんが間違っていて、ものを言われんめに合わせた。こらえてくれ、こらえてくれ」とお泣きになるのであります。お母さんの方も泣いて喜び、それっきり啞が治ってしまったのであります。そして普通の小学校に行かれるようになりました。それからというもの、私の家の二階が道場になっておりましたが、毎週の日曜講演会には必ず二人で来られるようになりました。このように本来神のお造りになったままの世界に、神の子に、啞も盲もいないのであります。あるように見えるのが間違いであります。昼間は絶対に暗は無いのに目を閉じて光を見ないようにして勝手に暗くしているようなものであります。あくまでも悪いものがあってそれが善くなってゆくというのではなく、悪や不完全は本来ないからこそ、真理(本当のこと)が自覚されたとき勝手に消えるのであります。
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