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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[151] インターネット道場ーーー<終戦の月・特集> *大東亜戦争の英霊諸霊に捧ぐ  「大東亜戦争は侵略戦争ではありませぬ!安らかに鎮まりませ・・・」 <その四>
信徒連合 - 2015年08月04日 (火) 07時37分




<終戦の月・特集>


            *大東亜戦争の英霊諸霊に捧ぐ*


          「大東亜戦争は侵略戦争ではありませぬ!
              安らかに鎮まりませ・・・」



 八月十五日は、大東亜戦争終戦の日であります。今回の特集は当、ブログ(「今昔物語」)の今までの掲載記事の中から関連記事を集めました。第三代目・雅宣総裁の“侵略戦争観”は明確な間違いであります。ここに於いてこの事を再確認し、開祖・谷口雅春先生の霊的真理に基づく日本国民としての正しい歴史の見方を学びましょう!



                 <その四>



            8月15日と『甘露の法雨』の奇蹟 


       < 聖経『甘露の法雨』は日本民族分断の悲劇を防いだ >



 8月15日は、大東亜戦争終結の御詔勅(しょうちょく)が玉音(ぎょくおん)放送として全国民にNHKラジオから伝えられた日であります。このことに聖経『甘露の法雨』が、大いなる働きをなした事、そして日本民族分断の悲劇を防いだ事、この奇蹟については、現代に生きる「今の教え」を信仰している生長の家信徒の人たちは詳しくご存知ないと思いますので、謹んでお取次ぎ申し上げます。


 昭和二十年八月九日と十四日の御前会議で、ポツダム宣言を受諾して大東亜戦争を終結するとの昭和天皇陛下御自身の御発意による決定が下され、終戦の御詔勅が翌八月十五日正午にNHKラジオで放送されることになり、その録音が完了されました。

 これを知った近衛師団の中堅幹部将校たちが本土決戦による徹底抗戦を主張し、これを阻止しようとした森師団長を射殺し、軍司令官のニセの戦争継続命令を出そうとしたのであります。これを伝え聞いた東部軍管区司令官・田中静壹大将は『甘露の法雨』をもって副官を従えて反乱現場へ駆けつけ、右手にその『甘露の法雨』を打ち振りながら熱情を篭めて天皇陛下の御心を諄々(じゅんじゅん)と反乱将校たちに諭(さと)されたのであります。

 不思議にも、この時、田中静壹大将が右手で打ち振っている“紫色のサック入り大型の聖経『甘露の法雨』”が反乱軍将校たちには、“紫色の絥紗(ふくさ)に包んだ天皇陛下の御諚(ごじょう)”に見えたのであります。かくして反乱軍は鎮圧されたのであります。そして無事に戦争は終結したのでありますが、反乱が実行され戦争が継続されていたならば、その後の日本はドイツと同様、東西に分割占領され、日本民族は分断の悲劇を招く事になったでありましょう。

 この民族的悲劇を間一髪のところで食い止めたのは田中静壹大将の打ち振られた『甘露の法雨』であります。開祖・谷口雅春先生は「生長の家四十年史」P.59−60に於いて次のように書かれておられます。――


<< ・・・ 反乱軍の戦争継続の考えを変更せしめたものは、全くこの奇蹟であったのである。田中静壹大将の右手に握っているものは、紫色ではあるけれども、紫色のサックに入った紫色の表紙を持つ大型の聖経『甘露の法雨』であったのである。それを反乱軍の中の唯一人が、天皇陛下の御諚と見あやまったのであれば、それは唯の錯覚だと言う事が出来るかも知れないが、田中静壹大将を取り巻いて、「戦争継続に反対なら射つ」と身構えして覘(ねら)っている多勢の将校全部に、その『甘露の法雨』が、紫色の絥紗に包んだ陛下の御諚と見えたのである。

 これは明らかに、住吉大神が日本滅亡の危機を救わんが為に『甘露の法雨』を媒介として、奇蹟を演じられたのだと解釈するほかはないのである。もしあの時点で日本が終戦の終結に同意いていなかったならば、ソ連は八月十五日の三日後にはエトロフ、クナシリ、ハボマイ、シコタンの諸島にまで侵入して来ていたし、(これをソ連はまだ返還しようとしない)日本軍は、当時まだ日ソ中立条約が有効中であるので、ソ連軍は決してその条約を破って攻撃して来るとは予想もせず、従ってソ連国境および北海道の兵員は極々手薄にして、南方に全兵力を投じていたものだから、ソ連が計画的に正規軍を以って侵入してきたら、ひとたまりも無いのである。

 もしあの時、近衛師団の反乱を鎮定(ちんてい)できずに戦争継続状態になっていたならば、瞬(またた)く間に北海道、東北六県、関東、信越諸県はソ連軍の席巻するところとなり、東京は東部半分がソ連の駐屯、西部半分がアメリカ軍の駐屯となり、日本は、恰もドイツが東ドイツ、西ドイツと分断され、ソ連圏内の東ドイツが未だにソ連に搾取誅求されて、経済的には常に貧しく、思想の自由すら失った警察国家であるように、ソ連圏の東日本はドンナひどい目に会わされていたかも知れないのである。

 これを救い給うたのは、実にあの時点に於ける天皇陛下の戦争終結の大英断の賜であるが、それにしても近衛師団が反乱を起こして、全日本の師団をリードして抗戦を続けていたら大変な事であったのに、その反乱を中止せしめた、住吉大神(観世音菩薩)の降ろしたまえる聖経『『甘露の法雨』が奇蹟的に反乱将校を鎮圧せしめる功徳を演じてくれたお蔭である。

 住吉大神が何のために、万教帰一を説きながら、特殊の生長の家という姿で、今から四十年前に出現しなければならなかったか――それはこうして此のような時点に於いて日本国家を鎮護救拯(きゅうじょう)せられんが為であったのである。>>

(注)「神の真義とその理解」P.223−230もご参照下さい。



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