| [158] インターネット道場ーーー感激的体験記 ・ 小林春恵先生 「山新田のおかか」 (「わが信仰の旅路」より) <その一> |
- 信徒連合 - 2015年08月05日 (水) 07時11分
「わが信仰の旅路」
元・本部講師 小林春恵先生著
山新田のおかかのこと <その一>
おかかの生い立ち
私の信仰の足跡をふり返る時、忘れられないのは、“山(やま)新田(しんでん)のおかか”のことです。まず、そのことからお話を始めたいと思います。当時、私はまだ二階堂春恵として、一地方講師として新潟県の加茂(かも)という町で鍼灸師(はりきゅうし)をしながら、み教えをお伝えしていました――
私のところへ初めて小出(こいで)タケさん――山新田のおかかの本名――が訪ねて来たのは、自分のかわいい一人娘のことでした。
小出タケさんは、二人姉妹の妹です。姉が婿さんをとっていたのですが、この姉が男の子を生むと産褥熱(さんじょくねつ)で死んでしまうんです。
それで小出さんは親たちから「生まれた男の子が大きくなって、もの心ついた頃に、自分は、本当はあの小出の家に生まれたんだけれども、親が死んだために他家へやられたなんて思うようになるとかわいそうなので、タケ、おまえ、姉の後へなおってくれなければならない」――といわれて、姉婿と結婚したのです。 小出さんは、子供をたくさん生んだらしい――つまり、何回も妊娠したらしいけれども、どの時もみんな大変な難産で、帝王切開して胎児をお腹からひっぱり出したりして、大騒ぎして、結局、一人も生きて生まれた子供はいなかった。小出さんは非常にお産に苦労した人なんです。
ところが、小出さんは、自分の生んだ子供が欲しゅうて、欲しゅうて仕方がない。そこで、ある時、湯殿山(ゆどのさん)行者(ぎょうじゃ)のところへ行ってみてもろうたんです。そしたら、「おまえ、本当に子供を生みたいと思うのなら、妊娠しても絶対、医師にも産婆さんにも見せないで、そのことはでだれにも言わないで、毎月、月参りしなさい。必ず、子供を生ませてあげる」って、その行者が言ったそうです。おかかは、それはもう嬉しゅうて嬉しゅうて、妊娠しても、家の人にはもちろん、産婆さんにも聞かせねば、お医者さまにも聞かせないで生んだ。その子供が、私のところへ来るきっかけとなった女の子なんです。
それがね、おかかは、お産の兆候(ちょうこう)があるいよいよの時まで、家の人にも隠していたというのですから、なかなか上手に隠していたと思うんですけれども、それを知った家の人は大変心配した。第一、それを知らされた産婆さんがあわてたというんですよ。「いやあ、おかか、おまえは、子供なんか絶対に生めないんだから。おまえ、これまでにあれだけお産でシンドイ思いをしていながら、まだこりごりしていないのか。絶対、おまえさんを、難儀(なんぎ)しないで子供を生ませることはできないんだから」と、産婆さんはそんなことをいうんです。そして、「おまえさんの子をとりあげるなんて、おらはダメや、お医者さまを連れて来てくれ」と言うわけです。産婆さんではどうにもならない。
ところが、医者の所からおかかの家に来るには、二里有半の山坂を登らなければなりませんから、とても、医者の方から、おかかの家まで来てもらうなんていうわけにはいかない。そこで、筏(いかだ)を組んで、おかかをその上にのっけて、川の流れに流して医者のいる町まで運ぶわけです。
その時、おかかは、「湯殿山さま、勘弁(かんべん)しておくんなさい、勘弁しておくんなさい」って、心の中で一所懸命あやまったんです。「医者の所へ行くなんて、私の意志ではございません。私の意志ではありません。みんながよってたかって私を連れて行くんです。私は決して医者なんかに見てもらおうなんて思っておらんのですから、勘弁して下さい」と言ったというんです。 ところが、医者の所へ連れて行かれると、医者はおかかの難産癖をよく知っているので、「よし、そいじゃ、これから手術をして、子供を出そう」と言って、手術の準備を始めました。つまり、帝王切開して、お腹にいる子を出すということです。ところが準備をしている途中で、手術室の電気が消えてしもうた。どうしても手術室の電気がつかない。そこで、ローソクをつけたのですが、ローソクというのは、電気と違ってやっぱり火が安定しておりません。医者は「どうもこれでは手もとが危なくて手術するのはやっぱりダメだ。どうせ、お産なんかは、そうそう一日やそこら遅れたからといって、どうってことはない。明日の朝、明るくなってからにしよう」と言って、おかかの切開手術は翌日の朝になったんです。
それから、おかかは、大急ぎで、自分に付き添っている人を、その湯殿山行者の所へやって、神おろししてもらった。そうしたら、その行者が霊媒のようになって、神様の言葉を言うんです。「電灯を消したのは、わしが消したんだ」と。 病院でも、手術室の電気がどうして消えたのか、どこが故障して停電したのか、いくら調べてもわからなかったそうです。 「おまえは、医者にさからわないようにして、上手にそこ(病院)を出なさい。出さえすれば、子供を生ませてやる」って言ったのです。
そのことを、行者の所から帰ってきた付き添いの人から聞いたおかかは、ちょうど、その町の近くの村に、村長をしている人でツネドンというおじさんがいるので、お医者様に、「先生、おれ、ちょっとツネドンまで行ってきたいと思いますから、やらせておくんなさい」と言ったのです。そしたら、お医者さまは「ああいいよ、一日や二日遅れたって、どうってこともない。用事があるなら行ってこい」と言ってくれた。
それで、おかかは、すぐ、ツネドンの家へ行ったわけです。そして、行くとすぐ産気づいてきた。そして、お医者さまも産婆さんもいない所で、なんのたわいもなく子供が生まれたのでした。こうして生まれたのが、小出さんのかわいい女の子なんです。 小出さんの最初の子は難産で死に、その後、妊娠するたびに難産で、何人、医者で堕したかわからない。この人は普通では子供を生めない運命をもっていたのでしょう。それでもやっぱり女の人ってものは、素晴らしいものですね。自分のいのちがいくらあってもたりないような難産で、それまでみんな子供は堕していながら、どうしても子供が欲しゅうて欲しゅうてたまらんのですね。そうして、生まれたその女の子が、またかわいらしい女の子でね。
おかかというのは、身丈は私ぐらいしかなかったと思うんですが、まあ、器量が良いどころか、悪い方に近いと思うんです。親父さんも、田舎者で、そんなにかわいげな男にも思えなかったんですけれども、実に絵に描いたようなかわいらしい女の子がうまれたのです。“鳶が鷹を生んだ”ようなものですね。
子供の寝小便
その子が十四歳になってから、寝小便をたれるようになってしまった。それまで、この子は絶対寝小便などたれなかった。もうちっちゃい時から、シッコ教えて、それはもう本当に世話のかからない子だったのです。それが、十四歳からは寝小便をたれ始めた。
おかかはこのかわいい娘の寝小便を治そうと、それはもう夢中でした。 「赤犬の肉を食わせれば治る」とか、「湯治へ行けば治る」とか、「医者にかかれば治る」とか、とにかく、こうすれば寝小便が治ると聞いたことはみなやってみたのです。このように、おかかは、かわいい娘のために動いたわけなんです。けれども治らないで、私の所へ来たのは、寝小便をたれだして二年半も経過し、十六歳になっていました。 その頃私は“鍼灸(はりきゅう)マッサージ”の看板を出していました。私の所へ、本人が先に来たのではのうて、おかかが来た。おかかのおじさんで、柏崎に住んでいる人がいる。娘の寝小便にほとほと困ってしまったおかかは、その柏崎のおじさんの所へ相談に行ったのです。ところが、そのおじさんなる人が生長の家をやっていて、おかかに、『生命の實相』を渡して私の所へ行きなさいと言ったわけです。おかかは、『生命の實相』を持って、私の所へ来たのですが、“鍼灸マッサージ”の看板がかかっていたので、きっと、おさずけ灸でもしてもらえると思ったらしい。
そして、「娘が寝小便たれだ」と言う。 「ああ、そうか、そうか、娘の寝小便たれぐらい治すのは簡単だ。すぐ治してやるから」と、私が言ったら、「いや、今、娘を連れて来ていねえから、それじゃあ、明日連れて来ます」と言う。
そこで、私は、「何も、娘を連れて来んでもいい。わしの所の灸は間隔灸と言って、本人にすえなくても、親のおまえさんに灸をすれば、簡単に治るから、娘なんかいなくてもかまわん。そんな心配いらん」と言ったら、おかか、からかわれたと思って、ちょっと腹立たしげな顔をしたわけです。
そして、「先生、おらは本気になって、おまえ様の所へ来てるのに、そんなどこの国に子供が寝小便たれてるのに、親にもぐさをすえれば、子供の寝小便が大丈夫治るなんて、そげんなバカげた話を、おらは聞いたことがねえ」って言うわけです。
私は、「これまでは聞いたことがなかったかも知れないが、私の所では治る。間違いない。おまえさんの親指ぐらいの大きさの灸を、おまえさんの腰の所へ、私がすえてあげる。そうしたら治る」と、おかかに言いました。
そんな話を手始めにして、私は、まず、“肉体というものも、運命というものもみんな心の影だ”という話をおかかにしたのです。
「人間が本来神の子であって、そんなに病気になったり、そんないい歳になって、寝小便たれるなんてことは出来ないんだ。それはお前さんの家(うち)の心の影だ」
そうしたら、おかかは「いや、わしとこの心の影と違います」って言う。 「じゃあ、どの影や」と私が言うたらね、「これは医者の影や」って、おかかが言う。 「おまえんとこの娘の寝小便が、医者の影って言うのはどういうことだ」って言ったら、 「うちの娘、十四歳の時、盲腸病んで、盲腸の手術した。その時から、寝小便たれはじめた。だからこれは、医者が、小便を出すあたりのところの筋を間違ごうて切ったんだ。それで、小便たれになったに違いねえ」って、おかかは言うたんです。
それで、私が、「医者が娘を小便たれにしたのが、まったくその通りだったら、おまえんとこの娘は、昼間でもチョロチョロチョロと、歩いたあと小便流してあるくのか」って聞いたら、「いや、昼間ならたれねえんだ。夜、寝てからだけたれるんだ」って、おかかは言うんです。
それで、私は、「いくら気のきいた医者でも、昼はたれないで、夜だけはたれるなんて、そげな重宝な切り方が出来るわけがない」って言ったんです。
そして、私は、おかかに、「おかかね、肉体はすべて象徴的なもんだから、そういう寝小便はジメジメしていることが原因だ。おまえさんの家の中に、ジメジメした悲しい出来事はないか。悲しい出来事があると、それが、象徴的に娘の小便たれという形にあらわれて来るわけだから、おまえさんが、それを知らないで、家の中のジメジメした悲しい思いを治さないでいて、そうして娘の小便たれを何とか治そうと思って、水飲むな、みそつゆ絶対吸うなだの、そんな事をいくら言うたってダメなんだ。みそつゆ飲んだって、水飲んだって、小便たれないものはたれないのだから、そんなことは、みんな各人の心の中に、家庭の状態が出ているんだから、差し支えなかったら、私に、あんたの所のことを、話して聞かせんか」って言ったんです。
そうしたら、おかかは、「差し支えがあるどころか、ないどころか、村中、知らねえもんがないのでございます。どうか聞いてくれ」って言うわけです。 その時に、おかかから聞いた話は、次のようなものです。
おじじとおばば
小出さんの家のおじいさん、おばあさんという人は、この世の中は金さえ貯めれば人の上に立たれる、金さえ貯めればバカでもグズでもチョンでも、他人は頭を下げるんだから、なんて言ったって金を貯めねばならんという考え方を持っていた人です。それはそれはもう、盆もなければ,節季もなければ、節句もないという風に、朝仕事は当たり前、夜なべはあたりまえ、何せ、家族を働かせねばならんし、自分らも働かねばならん、という人生観を持っていたのです。
それで、他人にどんどんお金を貸すわけです。貸すときには、絶対担保無しには貸さない。山を担保にとる。山を担保にとるけど、その山に今から手を加えなければならないというような山には、金を貸さない。もうすでに木を植えて十五年も十六年もたって山の木がもう黙っていてもひとりでスイスイと伸びて行かれるようになったのに金を貸す。
山の木なんてものは、ちっぽけな間は、毎年、下刈りはしなければならないし、すきおこしはしなければならないしと、人夫賃に大変な金がかかるわけですから、十五年ぐらいは難儀する。そんなのには金は貸さない。ひとりで育つようになったのを担保にとるわけです。
それも、たとえば、時価千円で売れるくらいなら三百円ぐらいの担保にとる。そして、時期が来ると質流れでとってしまう。 そういうようなわけで、あっちも増えた、こっちも増えたと、もう見渡す限りの山々が、小出さんのおじいさんと、おばあさんのものになったのです。この二人には、あっちの山にも、こっちの山にも金の棒がぶら下がっているように見える。それらの山の木は世話の行き届いた良い木ばっかりですから、これらの木は一本時価どのくらいになるというわけで、毎日、眺めていると、まるでもう奥歯が合わないぐらい嬉しくて嬉しくて仕方がない。どこもかしこも財産がいっぱいで、まるで金の延べ棒がぶら下がっているような気がする。そういうような気持で楽しんでいたのです。
でも、こういう風にして貯めたものは、やがて痛みを添えて出る日が来るのです。本当の財産というものは、やっぱり家族中が仲良くして、喜んでその仕事を通して人に喜ばれれてお役に立って、おのずから貯まって来るのも――それが本当の財産です。徳と一緒にある財産――そうでないと、ただ金だけが貯まればいいと思っても、その金の中に、いろいろな人の苦しみやらがありますからね。だから、小出さんのおじいさん、おばあさんには財産に見えていても、ちょっと、心のある人が見れば、それはみんな悲しみの涙がたまっているようなものなんです。
藤(とう)七(しち)の家――この藤七というのは小出さんの家の屋号ですが――藤七の家に金借りたために、担保にあの山をとられた、先祖代々のこっちの山もとられた、というようなると、それはもう、悲しみが、そういう形をしているだけなのです。実にいつ何時(なんどき)、どんな大風が吹いたり、大嵐が吹いて崩れ落ちるかわからない財産であるわけなんです。小出さんのおじいさんとおばあさんにはそれがわからいなんですね。
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