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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[1898] インターネット道場―――もっと霊界の知識を持ち伝えよう。現象界の出来事は霊界でその雛形が刻々と出来上がりつつあり!(第二十回)
信徒連合 - 2016年01月23日 (土) 11時35分




インターネット道場―――


もっと霊界の知識を持ち伝えよう。現象界の出来事は霊界でその雛形が刻々と出来上がりつつあり!


(第二十回)




個性命の進化と向上

(その2)



霊魂の進化の程度の測定標準(『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻P.120)

<<・・・ともかくわれらの地上において霊魂の進化の程度を測定する標準はあるのであろうか?この世に出生した霊魂の高さを示す徴候というものはあるのであろうか――と自分はいった。

 ヴェッテリニは答える――「直覚的認識――霊魂の認識のほかに、外より見える徴証(しるし)もたくさんある。そのうちの一、二をここに言ってみよう――

<第一>、“雅量(がりょう)”である。しかしここにいうところの雅量は人間霊魂の深き認識より出発したる他に対する赦(ゆる)しである。それは聡明なる雅量であって寛大と峻厳(しゅんげん)との必要を知るところの雅量である。Bonte-severite(寛大なる峻厳)こそ向上せる霊魂の特徴として記憶すべき一つである。

<第二>、卑しき者、世に出でざる者、弱きものに対する愛――社会的成功、名誉、地位等に対する無関心によってともなわるる愛である。

<第三>、哲学的思索の傾向、霊界の神秘を知らんとする熱望、その神秘に貫き入ろうとする努力――これらは霊魂の進化そのものである。」>>




霊魂の個性の存続と価値

(『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻P.135)

<<個性的意識は、進化の過程を通じて層一層個性的となるものであるか?またスピリットは常に自己自身の存在と継続と同一自己を意識しているか?それともある教義でとなうるごとく、進化するということそのことのために、個性的意識が普遍的意識に吸収されてしまうものであるか――すなわち霊魂の進化とは緩徐なる個性の破壊的過程であるのか?

自分のこの問いに対してレイヌは鋭い注意をあつめて聴いていたが、自分の方へ振り返った――
「コルニリエさん。ヴェッテリニのおっしゃるところによりますと、個性的意識は進化の度が進むに従っていよいよますます大となるのです。霊魂が一生涯によって獲得し征服したすべては、その霊魂の個性をそれだけ明瞭にそれだけ強大にするのです。個性は彼のものです。彼のみのものです。蒼色のスピリットは灰色のスピリットよりも個性が明瞭です。白色のスピリットは蒼色のスピリットよりもなおいっそう個性的です。なおいっそう高級なスピリットは、なおいっそう自己自身であるのです。>>



 
霊魂の個性の存続と価値

(『人間死んでも死なぬ』P.340−341)

<<その如く、「あなた」の肉体は幾度滅びても、<「あなた」なる理念>は、つねに設計者の中にあって永遠に死滅することないが故に、幾度でも地球またはその他の遊星の如き適当なる環境材料を見出して、そこに“現象的な人間”として姿を現し出るのである。そしてかくして出生する“現象的な人間”は<本当の人間(理念の人間)>のただの投影(かげ)に過ぎないのである。
 私は「人間」そのものは、設計者の「理念」なるが故に消えることなき久遠不滅の存在なのであると言った。ここに見逃すべからざる二つのことがある。

(1)「人間」は設計者に関係していること。

(2)「人間」の本質又は“本当にある”人間は理念であるが、その理念とは類型的概念ではないと云うことである。

「<人間なるもの>」と云う共通類型的な概念ではなく、ひとりひとりの人間、「あなた」なるもの、「彼」なるもの------等々悉く設計者の心の中に描かれたる個性的な理念であって、決して類型はないのである。設計者を仮に神と云う。神の心の中には決して類型的な理念は描かれはしないのである。神は無限創造である。神は無相にして無限相を内に包蔵する。類型の重複を造り出す必要は決してないのである。「人間」には類型は一人も」ないのであって、悉く個性を備えている。類型の如く見える人間が若しありとすれば、それは本来類型の人間ではなく、まだ未発達であるが故に個性ある人間の特殊性が蔽(おお)われて開顕していないに過ぎないのである。それは柿の嫩葉(わかば)と大豆の嫩葉(わかば)とが、互いに類型的に形が似ているのは、それが本来類型的な為ではなく、それが未発達であるが為にその個性が完全に発揮されていないに過ぎないのである。

 「理念」には類型はなく、悉く個性的である。人間も赤ン坊は一層類型的であるが、生長するにつれて“より”一層個性的となる。猿の胎児と人間の胎児とは互いに類型的であるが生長するにつれて別個の斬然(ざんぜん)たる個性を発揮する。民族もその未発達期に於いては類型的な性格が多いが、より一層発達するに連れて、より一層個性的となるのである。>>



<註・コメント>

 開祖・谷口雅春先生のこの部分の御文章は、個々の霊魂の個性の進化に関する“生命哲学的”な根拠であると考えられると思います。こう云うのがマサノブ君の好きな<“理性”による理解>というものだと思います。開祖・谷口雅春先生の『御教え』は霊的直感的把握と共に、このようにキッチリと“理性的理解”が出来るものなのであります。




『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻よりの抜粋

<<霊魂の進歩は自己みずからの体験によって獲得した智慧によるのである。人はただ自己が経験したことのみを“本当に知る”のである。経験しないものは「であろう」にすぎないのである。>>(P.128)

<<人の霊魂も意識の鈍(にぶ)い不発達な状態から、しだいに進化するにつれて意識の玲瓏透徹(れいろうとうてつ)した状態へと到達する。かかる状態へまで進化した霊魂は、地上の運命を支配したり修正したりする力を得るのであるが、その力は霊魂の進化と共に常に増加するのである。>>(P.164)

<<スピリットが高級の進化をとげた場合には、高く進化せるという“その”事実によってそこには完全な調和が存在する。といってもこれは個性の滅却ということではない。ある完成せねばならぬ仕事に対する意見がマチマチにならないということである。完成すべき目標は一つである。分担すべき部分がちがっているが、受け持つ仕事をいかになすかということについて諍論(そうろん)されるということはないのである。

これに反して低き霊界においては、地上の人間生活に付きまとうていた異論百出的な状態が存在する。各スピリットは地上において有した性癖や意見の俤(おもかげ)をそのまま備えている。社会問題、政治問題、宗教問題等は論争の種であって、彼らにおいてはまだパッションは超克されていない。霊界通信においてスピリットの持説が区々に別れているのはこの理由によるのである――あるスピリットはきわめて真面目に、祈りは魂の安息のために必要であると説いているしまたあるスピリットはきわめて真摯(しんし)に、教会のために寄付金を募るのはよいと考えている。またあるスピリットは機才(ウィット)を誇るために、あるいは単に戯言(ぎげん)を弄(ろう)する面白さからでたらめな意見を述べて人々を欺(あざむ)くのである。「死者」は、彼が生きていた時知っていたこと以上のことを知らないのがふつうで、生きていた時よりも無知であることさえ時にはあるのである。例えば、生前優秀な肉体を備えていた霊魂は、肉体を放棄することによってかえって貧弱となったわけである。>>(P.167−168)、(註・コメント――開祖・谷口雅春先生は嘗て、“戦後の世の中には<体育館>は沢山出来でいるが、それ以上に<心育館>こそが必要である、と言われていたことをこの霊魂の進化に関連して今思い出します。)

<<人間は正邪を甄別(けんべつ)しなければならない。進化を促すのは研究であり、理会せんとする努力である。もし人間に「真理」ばかりが与えられるならば「真理」に到達せんとする努力はなくなり、彼等の進化は停止するのだ。>>(P.175)

<<霊媒的能力は、肉体的素質の問題であって、霊魂の素質に無関係だということである。>>(P.178)

<<あらゆる生物――造られたるものは――進化しなければなりません。それ故進化の方法を見いださねばなりません。>>(P.185)

<<高く挙(あ)がるもの、低く落ちるもの――興亡の変化が、ただ人間的事件より結果するものとしてはあまりに激しい――レイヌはそれをただ人間の残忍性だけの発露以上の高い原因に帰している。この恐怖すべき悲惨な状態をもたらしたのは人間の残忍性だけによるのでも、既成社会が新時代に対して無理解すぎるのによるのでもないといっている。それは宇宙変化の周期的法則に起因する――それは恒星の進化に原因する。時代が進化の一周期の完了期に近づきつつあるのだ。最も進化せる人種は滅びなければならない、これが自然の法則である。今より三百年――もしくはその前後のころに、地球の大変動が起こる――大地震、火山の爆発、大洪水、旧大陸の海中への沈下、新大陸の出現等があってわが国の大部分およびわが国民の大部分は破滅する運命をもっている。彼らは一種無言の本能によって、自己を破滅の淵(ふち)に運んで行きつつあるのである。――否むしろいっそう悲惨な運命へと突進しつつあるのである。>>(P.219)

<<その後のヴェテリニの霊示を聞くに、人間の霊魂が地上の進化の一段階を完了するには、普通四千年ないし六千年を要するのであって、その期間には、三、四十回の地上への生まれかわりと、それにともなう更生前の休養期とが含まれているのである。他の星の生活から地上へ転生せる霊魂群の間には、互いに相関関係があるのである。白色人種として進化すべく、他の星より転生せる人間霊魂群がことごとく皆、地上の試練生活の一サイクルを終了するには二万五千六百年を経過しなければならないことになっている。現代地上に生を享(う)けている霊魂たちは、一度に全部地上に生を享けて来たのではない。それは連続の周期波によって幾回にも分かれて地上に移住し来たったのであって、各自はかくして自己の受け持つ地上生活の舞台を完了しつつあるのである。フランス民族中には、この最初のころの地上転生の周期波に乗せられて地上に移住せる人間霊魂群がかなり多いのであって、これらの霊魂たちは、さらに重ねて地上生活を閲(けみ)する必要がないのであって、これらの古き移住霊魂は、今より三百年ほどの間に完全に霊界人としての生活に入り、新しく地上に生まれかわり来る霊魂たちを指導する役目をとることになる。だからこの周期の終末期に地上より姿を没するのは、必ずしもフランス民族またはフランス国民だけではない――それがフランス民族だけのように取り次いだのはレイヌの誤達である。今より三百年前後を一周期の終末として地上生活を完了するのは、今より約五千年前、地上生活に白人種として移行し来たれる移転霊魂の最初の一群である。

 この霊示が真なりとすれば、人間社会の進歩が不可解に遅々としている理由が説明されるのである。ある所要程度まで進歩せる霊魂は、(みずから進んで特殊の地上任務を尽くすために地上へ顕現(あらわれ)る霊魂は別として、)地上に再び生まれ来らず、まだ粗野なる未発達の霊魂のみが地上に移住し来たるのであるから、その道徳性および人間性の進歩があるレベルをいつまでも越ええないのは当然である。しかし更生周期(サイクル)の度数が重なるにつれて、地上人間の霊魂の進化がいっそう速やかになる見込みはある。すなわち、後に来たる霊魂は先の霊魂よりもいっそう教育的な条件を見いだす。換言すれば、その肉体器官は、いっそう精妙に進化せるものとなっており、個人的経験を通じておよび霊魂よりの指導を通じて、ヨリ多くを学びうることになるし、社会もまた個人の活動および創造をより自由に営み得るようになっているであろうから。>>(P224−225)



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