| [1927] <続・緊急質問> 「稀有の出来事が何を教えているかを正しく知る努力」については、マサノブ君は未解答だ! |
- 塚原卜伝 - 2016年01月25日 (月) 15時08分
マサノブ君! 君は平成16年10月の新潟中越地震遭遇記「旅人の被災」のなかで『こうして、生長の家の講習会史上初めて、予定されていた講習会が開かれないという事態になった。天災による不可抗力であるにせよ、それまで講習会推進に努力してきた大勢の人々のことを思うと、何とも無念の思いが残る。そして、こういう稀有の出来事が何を教えているかを正しく知る努力が必要だと思った。』と書いている。しかし、小生の見聞の範囲内では、君の言った『こういう稀有の出来事が何を教えているかを正しく知る努力が必要だと思った』に対する解答は、その後、今日に到るまで何処にもなかったと思う。
それに今回の1月24日の長崎南講習会の観測史上初めての予期せぬ長崎市にとっては未曾有の大きな雪害の発生によって、講習会場を前回比1個所増設したにかかわらず、結果的には前回比▼80%減の参加者となり、しかも講習時間をも1時間繰り上げて終了したようである。
天皇陛下は「天皇晴れ」とまで言われているように、その行かれる先は不思議にも好天気に変化していった。また、開祖・谷口雅春先生の御講習会も不思議に好天気が開けていったのである。全く“天”も味方したわけであります。一方マサノブ君は「神・自然・人間の大調和」を説きながら、過去においては「宇治の集中豪雨や大水害」、「新潟中越地震による講習会の教団史上始めての中止」、今回の「長崎の未曾有の雪害による信徒の足止め」―――大きなものだけでもこれだけの“惨禍”が起こったのである。
三界唯心所現の法則から見て、あのニセ経(「大自然惨禍」経、「観世音菩薩惨禍」経)の持つリズムが度重なる『惨禍』を引き寄せてきたとしか思えないのである。「讃歌」ではなく「惨禍」だったといえるのである。マサノブ君は、もう既に前世までの積徳を今世において完全に使い果たし、“徳”の世界に於いては、大負債者となってしまったのではないのか、と考えざるを得ないのである。
その意味に於いても、今回の長崎市の前代未聞の雪害、及びよりによってその日に講習会が前以ってセットされていたこと・・・「稀有の出来事が何を教えているかを正しく」この際マサノブ君は総裁として全信徒の前にその見解を述べるべきではないのか? それは自称にしろ、教えの継承者としての当然の責務ではないのか? 早急に嘗ての「新潟中越地震」と「宇治の集中豪雨と大水害」と今回の「長崎市未曾有の寒波積雪と講習会」についてその見解を回答すべし!
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