| [1935] インターネット道場―――体験実話特集・藤原敏之先生「あなたは必ず救われる」より(6) |
- 信徒連合 - 2016年01月26日 (火) 09時46分
インターネット道場―――
体験実話特集
藤原敏之先生「あなたは必ず救われる」より(6)
人間は死なないもの
以前私が呉にいた頃のことです。久保田君という青年がありました。年は28、9歳の方でしたが、その心境の素晴らしさや高さときたら抜群で、常に頭の下がる思いで教えられるところが大変多かったのであります。久保田君は陸軍の現役時代に大東亜戦争に動員せられ、ビルマ作戦に参加されましたが、英国軍との戦闘で大変苦戦したとのことであります。
その頃内地から送られて来た慰問袋の中に一冊の『生命の實相』が入っておりました。戦地のため別に読むものがなく、手にとって読んでみると、今まで聞いたことも考えたこともない様な事ばかり書かれてあり、読んで行くうちに段々心を惹かれて行ったというのであります。戦地にいると毎日が、今日が最後だという切羽詰まった気持ちで暮しているといいます。今日の作戦で、敵の撃ち出す弾丸に当ればそれでお終いだ、今日が人生最後の日になるかも知れないと、心に決めている時に読んだ『生命の實相』はただの本や文章ではなく、一言一句がそのまま生命の糧となるものばかりであったと申します。すっかり魅せられて読んでいるうちに、人間は死なないものであるという信念が植え付けられたというのであります。
ある日の戦闘で彼は敵弾に倒れて野戦病院に運ばれ、手当ての結果一命は取り留めましたが、右足太股の所を弾丸で打ち抜かれ、ついに股の付け根から切断し、義足を着けて歩くようにしていたのであります。だから久保田君の足音は普通の人と違って、大変に賑やかで遠くの方からでも直ぐ判るのです。金属で造った足でありますから、歩く度にガチャコンガチャコンと大きな音がするのであります。
終戦になり復員して郷里の呉に帰り、市役所に勤務しておりましたが、定期健康診断の結果レントゲン検診で肺に黒い影があるから、精密検査を要するという通達を受け、指定された広島大学病院の呉市の広の分院で検査の結果、思いがけなかった肺壊疽(はいえそ)という病名で、即刻入院加療を要するとの診断が下され、そのまま入院して療養生活が始ったのであります。
この病気の原因は太股を撃ち抜かれた弾の破片が一部身体に残っていて、身体中を廻り歩いた末に肺臓まで来て止って仕舞い、そのため肺の腐る病気になってしまい、相当に進行していて、片肺だけ完全に駄目になっているというのだそうであります。
大抵の人なら、これで参ってしまうのでありますが、久保田君には人間神の子であり、死なないという信仰があったので何の動揺もなかったと申します。しかし一年余りの入院生活ですっかり衰弱してしまい、骨と皮になり、この世のものとも思われないまで衰弱し、虫の息と表現するのが適当である程になったのであります。
ある日、内科部長(博士)の回診があり、丁寧に診終わった先生の口から「久保田さん、今日からあなたはこの病院が好きなら居ても宜しいが、嫌なら帰っても宜しいよ。また薬も好きなら飲んでも宜しいが、嫌いなら飲まなくても宜しいよ」と言われたのであります。この言葉は誰が考えても余程カンの鈍い人でない限り、明らかに死の宣告であります。
大抵ここで信仰のある人と無い人との区別がハッキリと出て来るのであります。普通は死に直面すると、どんなに普段気丈夫な人でも目の前が真暗になり、転倒してしまうといいます。久保田さんはその言葉を聞いても平然としていて、遂に来るべきものが来たかと心に言い聞かせ、「ハイ」と力強く返事することが出来たといいます。恐らく医者も、若い夫婦を前にして死の宣告を下すことが、どんなに辛いことであったか想像が出来るのであります。
先生が病室を出て行かれると、久保田君は結婚半年で入院し、新婚早々今死んでしまうとすれば、愛する妻はまるで私の看病をするために結婚したようなものではないかと思うと、ハラワタがえぐられるような思いであったと言っておられました。
ハンカチを顔に当てて泣き伏している新妻に向って、「君、今の先生の言葉を聞いただろう。気の毒だが諦めてくれ給え。すまんが直ぐに退院の手続きをしてくれ。ここで死んでは皆さんに、この汚い、臭い身体をタンカか大八車で遠い所まで運んでもらわねばならん。それで私の命のある内に家に帰っていればそれだけ人様に御迷惑を懸けなくて済むから、これから家に帰る」と言われ、その足で退院したのであります。
何しろ歩くというより這うといった方が当っている位の弱り方で、幸い広の駅は病院から近かったので、奥様に助けられながら、やっと駅までたどり着き、汽車のデッキまで這いずり込んで、デッキに坐ったまま吉浦の駅に着き、汽車からやっとのことで外に出たのであります。
大抵のものなら「誰かに頼んで家まで運んでもらってくれ」ということになるのですが、自我が完全に放棄せされ、計らい心がなくなり、生きようとする努力さえも捨て切った者には、自分がなく、都合がないから、なるべく人様に迷惑をかけないで生きよう、出来るだけ人様のお役に立つ生き方をしようという、それだけになるものなのであります。
このような生活を信仰生活というのであります。普通はその逆でありまして、他人の迷惑なんか一向に構わない、自分さえ都合が良ければそれで良い、他を犠牲にしてでも、目的を達成しようと考え、努力しているのが当り前で通っている世の中であります。
当時は自動車等なく、トラックやバスでも木炭車といって木炭を焚いてガスを発生させて走っていた時代であります。ちょっと車を呼ぶという具合にはいかないので、自分で歩いて帰られたのです。久保田さんは少し休んで、今度は奥様に「町のお風呂屋さんに連れて行ってくれ」と頼み、銭湯に行き、「30年近く使わせて頂いた身体を洗い浄めてお返ししたい。
このまま家に帰って死んだら、この臭い汚い身体を人様に洗ってもらわなければならぬ。自分で生きているうちに湯棺を済ませておけば安心だから」と言って1時間余りかかって、頭の先から足の先まで石鹸をつけて綺麗に洗って貰いました。そして3時間余りもかかって休んでは歩き、休んでは歩き、蟻が這うようにして、やっと家までたどり着き、部屋に入りました。
1年余りも家を空けており、家の中は蜘蛛の巣とホコリだらけで、今死んでもお葬式が出来そうもないので、せめて一部屋だけでもお掃除して死んでやったら助かるだろうと思って、手拭を頭にかむり、箒(ほうき)とハタキを持って、ホコリをはたくやら、箒で掃くやら大掃除を始めたというのであります。息のある内に少しでもと思いながら、掃除しているうちにさすがに広い家の中もすっかり綺麗になり、すっかり大掃除が終ってしまいました。
それで寝たかというと違うのです。ひょろっと外に出てみると、広いお庭が草とゴミで大変な汚れ様、これでは屋内の式が終って戸外で行う廃葬の儀式が出来そうもないと思い、鍬(くわ)を持ち出し草削りから始め、草を削ると竹箒で掃き、広いお庭の清掃も全部終ってしまったのです。
もちろん一日でしたかどうかは知りませんが、お葬式の準備だけは一応終りました。しかしまだ死にそうもなく、死なないということは、まだ用が残っている証拠であると考え、今度は裏の菜園(野菜畑)に出てみると、長いこと放ったらかしにしているので草が伸びて大変であります。
「自分が死んだ後、この草を抜くだけでも家内が大変であろう。人様に頼んでやるとしてもなお大変だ」と思い、「生きているうちに1本でも引いて死んでやれば家内が助かる」と思って、広い畑の草引きを始めたというのです。死ぬるまで、死ぬるまでと思って草引きに精を出していると、どうも死にそうにないので、更に畑の手入れを続けました。豆やその他のものが植えられているのが、コチコチに固まっていて、ヒョロヒョロになっているので、また鍬で耕して、軟かくし、便所の肥まで汲み出して水を薄めてかけてやったりして、さすがに広い畑も全部手入れを終ったというのであります。
死を恐れないということがどんなに人間の力を増大し、無限の生命を与えられるかということが、ここでも証明せられるのであります。その後も久保田さんは、死ぬまでもう一つ、もう一つと誰かのためになることをして死のうと覚悟してやっているうちに、何んという不思議、現代医学で治る見込みなしと死の宣告を受けた肺壊疽が完全に治ってしまったのであります。
丸儲けの人生
久保田君のそれからの人生は捨てた生命であり、返した生命でありますから丸儲けの人生となったのであります。私達も一日も早く、このようにもともと無い命であったと気付くことが救いの根本なのであります。
私も28年前に御教えにふれて自分だと思っていた肉体も、私が生きていると思っていた人生も、全てお返ししてしまいましたので、その後の28年間は丸儲けの人生となり、いつ終りになっても、不足のない人生となったのであります。
ここのところが最も大切なところであります。何があっても当り前、と思っているくらい気の毒なことはありません。そんな人は足りるということはなく、有難いという感謝も起らないのであります。“有難い”という字はありにくいと書かれてあり、あるはずのないものがあるという意味であります。だから有難いのであります。何でも当り前ではちょっとも有難いものはありません。条件0(ゼロ)の人生、これこそが神の子の人生であります。
条件があるのは神の子としての自覚のない証拠であります。神の子ではなく、自分だと思っているから条件があり、条件があるから善と悪と2つ出来、善と悪とがあるから、善なら喜ぶが悪なら困るということになり、不足がつきまとうのであります。不足のある人生に安心も本当の幸福もあるはずがないのであります。
仏教等で死んだら極楽にお参り出来ると説かれるのも肉体の死後という意味ではなく、にせものの我が死んだらという意味であります。私がなくなったものという意味であります。
親鸞聖人も「如何なる行(ぎょう)も及び難き身なれば地獄は一定住み家ぞかし」と申しておられ、極楽なんかいらない、地獄で結構だと決められたとき、大安心を獲得せられたのであります。
地獄を逃れようとする者には、地獄があり、地獄で当り前と決めた者にこそ極楽があるのであります。極楽の必要があるのは、地獄では困るという自我と都合があるからであります。極楽の必要がなくなるということは、地獄がなくなった証拠だからであり、その人にとって困るということが姿を消すからであり、あるものはただ満足と感謝だけとなります。このような生き方をする人に本当の生長の家人というのであります。
久保田君はこのようにして捨て切った命が再び蘇ったのであり、本来無いはずの命があるわけでありますから、丸儲けの人生となり、感謝と喜び以外になくなったのであります。身体もみるみるうちに太って来、立派な体格になり、顔も丸顔で色白でふっくらとし、お盆に目鼻を着けたような顔でいつも自然にニコニコしていて、まるで恵比須さんと大黒さんをミックスしたようなお顔になり、久保田さんの怒った顔や心配した顔など一度も見たことがなく、生きた福の神といった感じでありました。
ガチャコンガチャコンと賑やかな音を立てて歩き、坐る時は手をかけてガチャンという音と共に曲り、ゴッテンという大きな音を立てて坐るくせに、私に向っていつも「先生、僕はいつも僕が歩いていると思って歩いていることはありません」と言いますから「誰が歩いているの」と言いますと、「神様が歩いていらっしゃる。神様が歩いていらっしゃると思って歩いているのですよ」と申されます。
また「私は土の上を歩いていると思ったことがありません。必ず神様の上を歩いていると思っておりますよ。僕はいつも神様の上を神様が歩いていらっしゃると思いながら歩かせてもらっているのです」とさも当り前のように言われるのであります。
彼は市役所の戸籍係として勤務し、昔は今と違って原本を一字一字写していたのでありますが、「僕は市役所で事務をとっている時も、仕事をしている時も、僕が仕事をし、事務をとっていると思ったことはありません。常に神様がお仕事をしていらっしゃる。神様が事務をとっていらっしゃると思いながら、お仕事をさせて頂いておりますよ」と申しておられました。
久保田君の心の中には神以外のものは何もなかったのであります。生長の家のみ教えを全くそのまま、神我一体の心境で生活しておられたわけであります。
調子の良い時は神様のカも忘れて生活し、ちょっと困ったり心配事が起きたりすると「神様、神様」と慌て出すのは、神様を利用機関と考え、まるで臨時雇い位にしか思っていない証拠であります。これでも生長の家信者であります等言えた義理ではありません。谷口雅春先生は四六時中神想観と御教え頂き、神を忘れ、神から離れる時があってはならぬとお教え頂くのであります。
生長の家人にとって一番大切なのは表情であり、顔であります。表情が暗く顔に憂いを感じさせるのは、神から離れ神を忘れている証拠であります。久保田君のお顔を見ているだけで、どんな悩みも心配ごとも一遍に吹っ飛んでしまうような気がします。あれなら何を言わなくても、ニコニコしているだけで光明化運動をしていることになります。
私も久保田君のことをお手本にし、見習わなければいけないと自分に言い聞かせたものです。大きな声を張り上げ、声をからしてお話しなければ相手を明るくすることが出来ない自分を情けなく思ったことが何度かありました。信が内にあれば、自ずと外に現れるものだということを知らされました。心に喜びがあれば、当り前にしていても自然に頬笑みが溢れるものであります。喜びの波長は自然周囲を明るくし、暗い波長は周囲までも暗くするのであります。
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