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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[2014] インターネット道場―――体験実話特集・藤原敏之先生「あなたは必ず救われる」より(12)
信徒連合 - 2016年02月01日 (月) 07時44分



インターネット道場―――


体験実話特集


藤原敏之先生「あなたは必ず救われる」より(12)





 溺れる者は藁おも把む

 これから申上げる話は、今大阪で駐在本部講師として活躍しておられます着月(あきづき)暁(さとる)先生からお聞きした体験談であります。

滋賀県彦根市に丸橋彦造さんという方が居られて、この方は結核に罹り、長い間療養所や病院であらゆる治療をせられたのであります。御承知の通り、昔は結核は不治の病とせられ、今の癌のように考えられておりましたが、彦造さんも長い闘病生活で第3期症状といって開放性になり、肺から喉頭結核になり、腸結核になり、腎臓結核になり、肺からは喀血し、喉頭からは血痰が出、腸結核になるから血便が下り、血尿が出るという具合で身体中の血がみんな流れて出るので血の気が全然無くなり、便所は血の海のようになっていたとのことであります。

まるで割木に紙を張ったように痩せ細り、骨と皮だけの身体で死ぬのを待つばかりという状態であったそうであります。着月先生の滋賀県巡講で、昭和24年6月19日の夜彦根で御講演があり、彦造さんのお母さんが講演会に行かれて、着月先生のお話をお聴きになり大変感動せられたのであります。

 着月先生がお若い頃、やはり肺結核に罹られ、長い闘病生活をせられたのであります。結核も今では薬や治療法もよく効くものが沢山出来て、死亡率もグンと減っておりますが、昔は労咳などといって、一度この病気になれば絶対に治らないといわれ、労咳筋といって、結核患者の出た家は死に絶えるとさえ言われた位恐ろしい病気でありました。この病気に罹りますと、転地療養といって日当たりの良い温かくて空気の良い所で気長に療養して、死期を少しでも延ばすようにする以外に方法はなかったのであります。

 着月先生の体験談によりますと、大阪でも和歌山に近い淡輪という所の海岸近くの気候の良い所のお宅の離れ座敷を借りて、そこで療養しておられたとのことでありますが、一年が二年となり、二年半も過ぎた頃には、働かないで生活するのでありますから、貯金は全部引き出して食ってしまい、それからは持物を一つずつ売って金に替えて生活費に当てておられて、三年近くなる頃には売る物も無くなってしまったと言っておられます。ある日奥様が「あなた、もういよいよ売る物も無くなってしまいました。どちらかに片付いてもらわなければもうどうにもなりませんよ」と言い出されたそうであります。

その意味は治るものならここで治って貰いたいし、どうせ治らぬのなら、この辺で死んで呉れということであります。そうでなければ共に餓死する他は無いという切羽詰まった状態までに追い込まれたと申しておられます。

 それでも人間は生に執着があり、生きたいという願いがありますから、そう簡単に死ぬわけにもゆかずにおられますと、奥様も背に腹は代えられず、とうとう帰って行かれたそうであります。後に残された着月先生はどうすることも出来ず、最低の生活で生命をつないでおられたそうであります。

一日たった一合程の米(お茶碗に一杯位の米)を塩粥にして貰って、おかずは味噌をつけて食べておられました。御馳走といえば、たまには佃煮を少し買って貰って舐めるようにして食べておられたそうです。ある日、家主の奥さんに頼んで買って来てもらった竹の皮に入れた佃煮を包んであった古新聞に生長の家の広告が載っていたのに、ふと目が着き読んでみると、人間はすべて神の子であって病気は無いと書いてあり、病気その他で苦しんでいる人はハガキ一枚送れ、パンフレット無代進呈するというのだそうです。

 昔から“溺れる者は藁をも把む”という言葉通り、人間もいよいよ絶体絶命という所まで追い込まれますと、良く確かめてからとか、考えてからという心の余裕がなくなります。それはちょうどお腹が減り切って、何か食べたいという一念でいるようなものでありまして、そんな時にはこれを食べたら栄養になるとか、どれ位美味しいかとか考える余裕もありません。ただ食べたいというそれだけであります。ですから何でも美味しく、何でも栄養になるのです。信仰も同じでありまして、切羽詰まった状態の時ほど、効果があり、素直に入信出来るのであります。

 天理教の教祖も「学者と金持ちゃ後まわし」と言っておられます。まだ何かに頼って何とかしようと思っているうちは、真剣に求めようと思わないから救われないのであります。神は無限の愛であり、平等の愛であります。差別せられないのでありますが、受けない者には現れないのであり、それは太陽が平等に照っていても、被(おお)いをして光を受けない者には日が当らないのと同じであります。

 その頃生長の家では5銭のパンフレットが発行せられていて、早速パンフレットが届けられました。吸い付けられるように読んでみると「人間は肉体ではない生命である。その生命は宇宙さえも造り、摂理し、動かしておられる神様のお生命がそのまま人間となって現れているのが自分である。従って病むことも、死ぬこともないのが人間である」と書かれてあったのであります。

 これは誰でも驚くのが当り前でありますが、死ぬことばかり考えておられた着月先生にとっては大変なことであり、魅つけられるのは当然であります。まるで電気にでも触れたかのようになられ、その足で、当時兵庫県においでになり、今は発祥道場になっている所にお住まいでありました谷口先生の御指導を受けられ、不治と言われた結核を克服して健康体になられ、以来40数年間谷口先生のお弟子として今日に及んでおられます。

 この着月先生のお話を聴かれた丸橋彦造さんのお母様は大変感動せられて、「うちの彦造もどうせ助かるとは思われないが、せめてこの先生のお話を聴かせてやって安心して死なせてやりたい」という一念から連合会長に頼んで個人指導をお願いされたのであります。




 「どうじゃ、生きとるか死んどるか」

 幸い翼20日は、夜が近江八幡の講演会で昼は空いていたので引き受けてもらい、20日の午前中連合会長の案内で丸橋さんのお宅を訪ねられたのです。裏の離れが病室になっていて、そこに通されてみると、彦造さんは長い患いで床ずれが出来るので厚い藁蒲団の上に寝かされ、薄い掛け布団を2ヶ所も釣ってあり、全くの骨と皮で全然血の気がないような哀れな姿で寝ておられたそうであります。この世のものとは思われぬようなひどいやつれ方に驚かれた着月先生は彦造さんの耳元をのぞき込み、「どうじゃ、生きとるか死んどるか」と大声てどなられたそうであります。

 彦造さんは衰弱して目は全然見えなかったけれども耳は良く聴こえ、意識だけはハッキリしていたと申しておられました。喉頭結核で声帯を冒されていて殆んど声にならないので、しわがれた微かな声で「へえー、まだ生きとりますわな」とかろうじて答えられたそうであります。着月先生は「そうかい、誰が生きとるのか」と聞かれて、彦造さんは「わたいが生きとります」と答えたら、「ほう、あんたが生きとるのか。そんなら息は誰がしとるか」と尋ねられて、「息かてわいがしとりますわ」と答えると、「あんたがしとるか」と聞かれ、「へえ、わいがしとります」というと、着月先生「随分器用なことするねー。それなら暫く止めてみー?」と言われて、彦造さんも暫く考えてから「そいつは出来ません」と答えたそうであります。

そうしたら着月先生「そりゃあ、おかしい。君は今自分で息をしていると言ったじゃないか。自分でしているものなら、自由に止めたり始めたりせんか」と詰め寄られて、彦造さんは「そんなら誰が息をしとりますのや」と言えば、先生は「そこじゃ、そこが第一間違っている、自分で生きているじゃの、息をしとるじゃのと、とんでもないぞ。息一つ自由に出来ない者が、あと何をしていると言うのか。何も出来ていないじゃないか。丸々生かされておりながら、自分で生きているとは何たることじゃ。大泥棒。神様のお生命を神様のお働きを横取りしとる。横領罪じゃ。けしからん。今返せ、そら返せ」と詰め寄られたのであります。

 彦造さんは心の中で「ああ、そうであったのか」と初めて気付いたといいます。これは大変な思い違いをしていたと懺悔の心が湧き出し、こういうのを大懺悔と申します。この懺悔が起ると心の中に何の抵抗も感じなくなり、先生の言葉はそのまま神の声となり、耳で聴かずに耳を通して魂の奥底まで通るようになるのであります。耳で聴くのは学問であり、魂で聴くのが信仰なのであります。

 “汝の信仰、汝を癒せり”でありまして、神様の御機嫌次第で治ったり、治らなかったりするのではないのであります。正しい信仰によって、本来無い病気だから消えるのであります。彦造さんは何の抵抗もなく着月先生のお言葉を無条件に受け入れる心の姿勢が出来ていたのであります。

 なお着月先生は「君は今生きていると言ったね!、生きているということは、即ち寿命があるということだよ。寿命とは何だと思うか。使命だよ。生きているのは御使命がある証拠だ。つまり生きているのは使命があり、必要があるということだよ。用がある者が寝ているということがあるか。電信柱でも見てみろ。用がある間は立ってるぞ。用がなくなったら抜いて横にして貰うだろう。起きろ」と言われ、彦造さんは起きようとしてもがきますが、起きられるわけがありません。

お母様は「えらいことをしてしまった。こんなことなら頼むのではなかった。そっとしておけば4、5日位もつと思っていたのに……。今日は先生、殺してしまわれる」と気が気でなくハラハラしていると、着月先生は何もかも知っておられるので、お母さまを見て「お母さん、何をモタモタしているか、早く市場にいでもって行かんかね」と言われ、お母様は「ハイ、市場に何しに行くのですか」と聞くと、先生は「鯛でも、4、5匹買って来るのだよ」と言われ、あわてて市場に行き、鯛を匹買って来て「これをどうされるのですか」と聞くと、先生は「気が利かぬことじゃね、塩をつけて焼くんだよ。小豆飯でも早く炊かんか」と言われ、急いでお勝手に行き、小豆飯を炊くやら、鯛を塩焼きにするやらしておる内に、着月先生は彦造さんに「どうじゃ、返す決心はついたか」と尋ねられて、彦造さん「ハイ、今限りお返し致します」と答えると、先生「よし、それでよろしい。返したら君じゃないぞ。身体も君のものではないぞ。今日から自分の勝手や都合で自分を使おうとしたら承知せんぞ」と念を押されて、彦造さんはスッカリ決心がついたといいます。

 このようなのを新生といいます。キリストが「人新たに生れずんば神の国に入ることあたわず」と教えておりますが、新たに生まれるとは、もう一遍お母さんのお腹に入って出なおすということではなく、自分だと思っていたのを、また自分のものだと思っていたものを全部神様にお返しすることであります。

 着月先生は「今から人生は君のものでありながら、神様のものだぞ。まず神様今日は何を致しましょう、と神様にお伺いを立ててから行動するのだぞ、天のお使いとしての仕事を済ませて時間が余ったら神様のお商売(丸橋さんは自転屋)のお手伝いをさせて貰うのだよ」とこんこんと教えられたのであります。事業も商売も全部神様にお返しする生活を信仰生活というのであります。

私のものや、私のある生活は信仰ではなく、ただの生活であります。彦造さんは先生の言われる通り、固く心に誓われ、一切自分というものを認めないことにせられたのであります。

 着月先生、連合会長、お父様、お母様と5人で、赤飯と鯛のお頭付きで誕生祝いをして貰ったのが昭和24年6月20日であります。

 「僕の生まれ代りの日、誕生日は6月20日でありますので、毎月20日は誕生記念日として彦根の講演会にしております」と話しておられました。彦造さんはその日を境に、世間では薄紙を剥ぐ様に快くなったという人もありますが、僕の場合薄紙どころか厚紙どころか、まるで板を剥ぐ様に快くなり、完全に癒やされたのです、と話しておられました。

着月先生に約束した通り、余生は神様からお預かりした人生として神様に捧げ切られて、彦根の相愛会長になり、湖東地区の連合会長にまでなられ、18年余り元気で光明化運動に捧げて御昇天なさったそうであります。勿論、使命を完(まっと)うして霊界に移行せられたのであります。

この様に私達の人生は神様からの賜り物であり、御使命によるのでありまして、私の都合や目的のためにあるのではないのであります。これが神様(実相)の側から見た人生観であります。




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