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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[2045] 完全優位の『正統・生長の家』、そして『マサノブ教』は脛(すね)に傷もつ教え!  <第三部>
塚原卜伝 - 2016年02月04日 (木) 15時08分



「子記事」に、遥かなる追憶<第三部>として、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録の数々を掲載します。


********************


「掲示板」情報のお蔭で、マサノブ君の生来の實相隠蔽の内容が明らかとなったのであります。そして、マサノブ君の實相隠蔽度合いが最近益々今生では回復不可能となって来たこともわかるのであります。



[ T ] 「掲示板情報」で判った『狂乱総裁』マサノブ君の今に到る思想的生い立ち 


1、 子供の頃、庭の蛙をとらえて“火あぶりの刑”に処して遊んでいた。 (残酷無比)

2、 子供の頃、食卓に零した味噌汁を吸うように叱られた。 (見返したい怨念)

3、 「遂に自分も独裁体制を布く事が出来た」と友人に語ったとか。これも少年時代からの夢?(独裁者志向)

4、 青年の時代に書いたタイトルは『穴グラから』であった。 (光明思想ではなく暗黒思想)。

5、 若き頃の発言は「人生で一番大事なことは、権力を持つこと」 (権力への憧れ)

6、 退職金と権力を手中に収めるための、復職を前提とした「副総裁辞任劇」、(飽くなき金銭欲)

7、 その昔、信徒(宮崎氏)から寄贈された“お山”の住居を教団に買取らせて自己資金化? (飽くなき金銭欲)

8、 「法燈継承劇」を無理矢理に演出挙行、『ニセ法燈継承者』をまかり通させる。(手段を選ばず目標達成)

9、自分もまた死後、「大聖師号」を付けさせたいために、清超先生の御遺言を無視した。(手段を選ばず目標達成)

10、 継承者自らが、継承した教団をつぶす“忘恩的行為”を着々実行。 (破壊と蕩尽)

11、 看板は『生長の家』、中味の実態は換骨奪胎した『ニセ生長の家・マサノブ教』で信徒を欺瞞 (詐欺商法と同じ)


以上、要するに『残酷無比・怨念・独裁・暗黒思想・権力欲・金銭欲・戦略的知力・宗教詐欺』――― これが完全に『神性隠蔽マサノブ狂乱総裁』の正体であります。常識的な意味から言っても、『宗教・信仰』の世界からは考えられないことばかりであります。これがそのまま『非生長の家マサノブ教』のアキレス腱であり、脛の傷となってしまっているのであります。




[ U ]  完全優位の『正統・生長の家』、そして完全劣性のスネに傷持つ『マサノブ教』の比較



   比較項目    「正統・生長の家」  判定    「マサノブ教」  判定


1、 教義について     唯神實相神学 ○        左翼唯物現象論 ●

2、 基本聖典      『生命の實相』 ○        『大閑雑感』  ●

3、 経典        『甘露の法雨』 ○        『大自然惨禍経』●

4、 神示        神示集・神示祭 ○         人間知    ●

5、 神想観       完全に実修   ○         不完全実修  ●

6、 礼拝         『實相』   ○        大自然(雑木林)●

7、 祭式          日本式   ○         西洋式    ●

8、 立教目的    人類光明化と日本国實相顕現 ○     地球環境保護 ●

9、 国家観        生命的国家観 ○         世界市民思想 ●

10、 國體         天皇国日本  ○       共和制・世界政府 ●

11、 愛国心      中道實相の愛国心 ○      戦争に繋がる・不要 ●

12、 講師のレベル    非常に高い   ○    非常に低い  ●

13、 信徒の質     求道心は旺盛  ○    お孫さま信仰  ●

14、 体験談       真理の証し人  ○  たまたま、非科学的 ●

15、 国防意識     旺盛(七生報告) ○  マサノブ君にはナシ ●

16、 お金と真理との優先順位    真理 ○         お金・退職金 ●

17、 人生の霊的使命   真理国家の建設 ○      優雅な宗教貴族生活 ●

18、 浄財の使用目的  立教の使命と目的に沿って ○  超高給と利ザヤ稼ぎ ●

19、 教団設立の淵源   實相世界    ○ 『狂乱総裁マサノブ』の人造●

20 「天壌無窮の御神勅」  日本国家の淵源 ○      一切認めず無視 ●

<追加>

21、 人間観          神の子  ○     人間至上主義(罪の子)●

22、 運動方針    個人と国家の實相顕現 ○   趣味と遊びのクラブ活動 ● 


 総合点              100点            零点              



 

(57)
Pass

[2046] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (1)
遮那王 - 2016年02月04日 (木) 15時52分



●  1716 :初心者=マサノブ:2012/06/30(土) 11:46:57 ID:TfQ0e6RA

<<人間は神の子である。これは永遠に変わらぬ真理でしょうか。ちがいますね。これは救済です。人間を神の子だと考えれば救済されることがある。はっきりといえるのは、ただこのことだけです。・・・「人間神の子」は、真理ではなく救済です。少なくとも、それが真理であるとする決め手は、いまだどこにも見いだせてはおりません。問題は、千年後も一万年後も、かりに人類が生き残っていたとしたときに、「人間神の子」がなおも人類を救済する力を持つのかどうか、ということです。人々の意識は時代とともに変化します。真理の追究ということでいえば、ひたすら「超越項」のみで真理を語ろうとする雅春先生の言葉は、もはやほとんど役に立つことはない、とわたしは考えます。残る問題は救済です。今の時代にそれがどこまで通用するのか、これが大きな疑問です。「真理は永遠に変わらない」。この言葉にあぐらをかいているあいだに、時代はさらに先へと進んでゆくことでしょう。 >>



****************



<感想>

@ 雅宣総裁は「人間神の子は真理ではない」と完全に否定したのであります。

A 雅宣総裁は「人間神の子」の思想は“時代と共に変化するもの”即ち、“永遠不滅の真理ではない”と宣言したのであります。


B 「人間神の子」に変わる新しい真理は“生命の實相の悟り”がなくても編み出せると豪語したのであります。


C いつまでも開祖・谷口雅春先生の『御教え』を信奉していると時代の変化から取り残されて、社会的には思想の落伍者となると言っているのであります。


D だから、宗教に於いても、“時代即応の教え(「今の教え」)」への転換が必要と「雅宣教」の時代妥当性を強調しているのであります。


E 雅宣総裁よ!そこまで言うなら、堂々と「雅宣教」或いは「地球環境保護・森のオフィス」として独立せよ! いつまでも「生長の家」の看板を使い続けるな! 雅宣総裁の本音は、独立したいが「生長の家」の看板(金の成る打出の小槌)と信徒は手放したくないということであります。“最大の原理主義者”は他ならぬ雅宣総裁その人なのであります。我々は決して騙されてはなりません。



Pass

[2055] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (2)
遮那王 - 2016年02月05日 (金) 10時31分


● 1740 :初心者=マサノブ:2012/06/30(土) 23:13:38 ID:TfQ0e6RA
「無の関門」とは言語の二項対立の問題ですよ。それを超えたところで、さてなにを得られるというのでしょう。雅春先生は「真理を直接把握された」とありますが、その確証をあなたはどのようにして得られたのでしょう。


359 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 15:52:54 ID:TfQ0e6RA
「解脱の手段は知識である」


58 :初心者=マサノブ:2012/07/08(日) 12:25:19 ID:TfQ0e6RA
倉田百三氏が語っておられたのが本物の宇宙であれば、雅春先生はそれを論破なされたのであるから、本物の宇宙の問題は解決済み、との論法になるのでしょうけれども、雅春先生が論破なされたというのはほんとうなのでしょうか。「超越項」や「霊的直観」を持ち出さずに、論理だけで論破なされたのでしょうか。雅春先生がもしも反証不可能な「超越項」や「霊的直観」を持ち出しておられたのであれば、論破は無効と考える次第です。


58 :初心者=マサノブ:2012/07/28(土) 20:58:08
日頃わたくしどもの発想を「人間知」とさげすんでおられる方々の発想の限界なのでしょうか。ああいう人たちは、日頃は具体的なことは何も発言なさらずに、「実相覚」の持ち主であることをそれとなくにおわせておられますが、いざ何かを発言したり発想したりすれば、あの程度のものしか出てこないというのがかなしい現実のようです。昔から「言わぬが花」ともうしますが、「実相覚」の持ち主とは、何かを語ればかならず馬脚をあらわす人々でもあるようです。


114 :初心者=マサノブ:2012/08/01(水) 10:57:16
絶対的信を確立するとは、世界にたいする見方や解釈の仕方を、ただひとつの見方や解釈に固定するってことのようですね。固定された見方や解釈だけで世界を理解しようとするってことのようです。はたしてこれで、ほんとうにうまく行くのでしょうか。世界は流動的であるようにおもえます。真理の相も、けっしてひとつの相に固定されるのではなく、千変万化して流動しているかのように、わたしには感じられます。流動する世界、流動する真理を、絶対的信によって固定された・・・信を確立した人の言動に、新味性や意外性はまったく感じられません。絶対的信を確立した人が理解できる範囲は格段にせばまるはずです。・・・信を確立した人は、自分が理解できる範囲を「実相覚」と呼び、それ以外の理解できない部分を「人間知」と呼んでカテゴリー化することで、理解できる範囲のせまさを正当化しているようにもおもえます。絶対的信を確立した人は、理解できない範囲を拡大させてしまったことで、世界を語る言葉を持てなくなってます。世界を語ろうとしても、具体的なことは何も語れないので、大言壮語することで、自分は何もかも知っているのだとするポーズをとるようになります。こうしたことも、すべてが予想の範囲内に収まってますね。世界や真理がもしも流動的であれば、なおさら手の打ちようがなくなります。大言壮語することで、自分は何もかもわかっているのだと、自分にも他者にも思わせるよりほかはなくなります。


275 :初心者=マサノブ:2012/08/16(木) 11:11:17 ID:TfQ0e6RA
それでも雅春先生はみずからの教えを完全に理解しておられたと考えてよい、ということになるのでありましょうか。教えの問題点と限界ということでいえば、雅春先生が言及しておられない、本物の宇宙の実在問題はどのように考えればよろしいのでしょう。日本国実相顕現や人類光明化の具体的なヴィジョンがいまだ示されていないということを、どのように考えればよろしいのでしょう。雅春先生は、生長の家の教えをほんとうの意味で理解しておられたということが、はたしていえるのでありましょうか。みなさまはどのようにお考えになられるでありましょう。


117 :初心者=マサノブ:2012/07/29(日) 16:19:16
「人間知」と人をさげすまれるのであれば、人間知よりもすぐれたものを何かひとつでも見せてごらん、といっておるのでありますよ。ツベコベいっとらんと、「実相覚」とやらを見せてごらん。得意になって、無意味なほどに低レベルな文言を連発しておられる「あなた様」にいっております。


129 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 13:01:45 ID:TfQ0e6RA
二元論を採用すれば、スムーズな説明が可能となります。ただ、「超越項」をもちいるということと、想像的な部分がどうしても出てまいりますので、いまのところこれについて説明する予定は
ありません。


1853 :初心者=マサノブ:2012/07/02(月) 16:38:48 ID:TfQ0e6RA
わたしは、『生命の実相』では真理を知ることはできないと考え、教えを手放したのであります。・・・「現象は本当にないのか」ということです。雅春先生はいったいなにをご覧になられて「現象はない」と言われたのでしょうか。。問題となるのは、雅春先生はどの範囲までをご覧になられて「現象なし」と言われたのかということです。この宇宙だけなのか、それともほかも見ておられたのかということです。雅春先生は、いったいどこまでの範囲を考察の対象としておられたのでしょう。雅春先生が言われる「現象」とは、どこまでの範囲をさした言葉なのでしょう。


1862 :初心者=マサノブ:2012/07/02(月) 17:53:14 ID:TfQ0e6RA
生長の家でいう「現象世界」とは、どの次元までをいうのでしょう。仮に宇宙が11次元であるとしたときに、この11次元すべてが「現象世界」ということになるのでしょうか。それとも、「生長の家の文脈」では、無根拠に、11次元は浅はかな人間どもが考え出した幻想だ、ということになるのでしょうか。なんにしても、生長家でいう現象世界の範囲とはどこまでをいうのか、これはどうしても確認しておきたいところであります


284 :初心者=マサノブ:2012/07/19(木) 08:06:44 ID:TfQ0e6RA
「実相は神様がおつくりになられた完全なる実体である」と説明したとします。この場合、一見すると、実相を、現象との差異としてではなく、実相を実相として語っているようにみえますが、「完全」という言葉じたいが「不完全ではないもの」との意味しか持たず、「実体」にしても、「虚ではないもの」の意味しか持たないということからもわかるように、実相をどのように説明したとしても、その説明のなかには現象の影がかならず入り込んでいるということがわかります。「実相直視だ」といってみたところで、こうした表現のなかにも現象の影が入り込んでいます。



***************



<感想>


@ 雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の“お悟り”の境涯が全然理解出来ていないのであります。「無の関門」の透過と云う事も、「絶対実在の絶対把握」と云う事も、「實相覚」による“實相世界の直接認識”と云う事も、「百尺竿頭」からの“實相世界への飛躍”といった史上最高峰に位置する「谷口哲学」の神髄を雅宣総裁は全然わからないのであります。


A 「無の関門」を超えられた開祖・谷口雅春先生の霊的御境涯から見れば、雅宣総裁の霊的レベルと霊的理解度のレベルの境涯が真面目に信仰している一般信徒の境涯よりも低い事が明確に判るわけでありますが、雅宣総裁は自己の霊的境涯などは全然思い致す事なき現象の知識中心の傲慢な世界に居座って中身なき評論文を書いているだけであります。


B 細かい事を<講評>すると限がありませんので省略せざるを得ません。 傲慢で自己の位置する霊的境涯に関して全く無知な雅宣総裁は、難しい言葉の羅列はしますが、その中に於いての論理の矛盾点には全く気が付いてはいないのであります。雅宣総裁の書く文章内容は『生命の實相』を熟読した者の書く文章ではないのであります。まさに<非・生長の家 雅宣教>と評される所以であります。



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[2070] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (3)
遮那王 - 2016年02月06日 (土) 13時55分

● 1738 :初心者=マサノブ:2012/06/30(土) 22:54:14 ID:TfQ0e6RA
第一あたしは、本物の宇宙の信者です。本物の宇宙は実在する、よって実相独在は間違いである、ということを主張したいのでありますけどね。


157 :初心者=マサノブ:2012/07/12(木) 20:56:12 ID:TfQ0e6RA
問題があるとすれば、それは奴隷意識という枠組みのなかでしか雅春先生の教えが理解されてこなかった、ということですね。「実相独在」という壮大なヴィジョンが打ち立てられていながら、小市民的な欲望の充足に終始していたのはどういうことだ、って話ですね。壮大なヴィジョンに見合った何ができるのかって話です。万教帰一、人類光明化、日本国実相顕現とさまざまなことが言われてきながら、何が実現できたのかって話です。実現できるのが『生命の實相』を護ることだけでよいのかって話です。救済とは、個人的な経験でいえば、真理を味わい尽くすってことですね。真理の味わいは救済に勝るとわかれば、真理に救済を求めようとはおもわなくなるのでは?


32 :初心者=マサノブ:2012/07/27(金) 21:08:46
「実相独在」が本物の宇宙によってつくり出されたヴィジョンである可能性が出てきます。「実相独在」のヴィジョンにアクセスすることで、それにいくらかでもふさわしい現実世界を体験できるという仕組みが宇宙にあったとしても、なんら不思議ではありません。もちろん、「実相独在」のヴィジョンは人類の願望が投影されたものである可能性も考えなくてはならないでしょう。



***************



<感想>


@ 雅宣総裁は、講習会で教義の三点セットの話をします(唯神實相・唯心所現・萬教帰一)。しかし、「實相独在」の言葉は出しません。その理由を彼はここで白状しているのであります。曰く「實相独在」は間違いである、と。彼の思想は「唯神實相」と言葉では説明しますが、心中では「二元論」であります。


A <人類光明化、日本国実相顕現とさまざまなことが言われてきながら、何が実現できたのかって話です。>とは、開祖・谷口雅春先生及び信徒たちを余りにも馬鹿にした文章ではありませんか!雅宣総裁は、『生命の實相』の真理を素直に受け入れ実践して病悩苦からどれだけ大勢の人たちが救われたか、建国記念日の制定・国旗国歌法の成立・元号法制化等々に対して開祖・谷口雅春先生が信徒を率いて日本国家に偉大なる霊的実績を残されたかを完全に無視して、逆にそれらの働きを快く思っていないことが分かるのであります。


B <救済とは、個人的な経験でいえば、真理を味わい尽くすってことですね。真理の味わいは救済に勝るとわかれば、真理に救済を求めようとはおもわなくなるのでは?>と雅宣総裁は書きましたが、肉体の健康と経済的富裕を享受して生活する“貴族趣味的宗教”の蜜の世界で遊ぶ評論家であります。




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[2079] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (4)
遮那王 - 2016年02月07日 (日) 08時44分




● 1747 :初心者=マサノブ:2012/07/01(日) 07:21:31 ID:TfQ0e6RA
本物の宇宙は存在します。雅春先生は、見せかけの宇宙のみをご覧になられて、「現象なし」と宣言せられました。本物の宇宙の存在を雅春先生は見落としてしまわれました。したがって、本物の宇宙にかんしての言及はいっさいなされていないというのが現状のようにおもわれます。


1754 :初心者=マサノブ:2012/07/01(日) 08:10:50 ID:TfQ0e6RA 訊け様
本物の宇宙と、雅春先生が説かれる「実相世界」はまったく別物なのですよ。「実相世界」は、本物の宇宙にくらべて不完全すぎるような気がいたします。雅春先生は、実相世界には光が存在すると、たしかいっておられますよね。本物の宇宙には光は存在しません。光が存在するということは、実相世界がそれだけ不完全であるということを示しているとわたしは考えますが、実相世界にはほんとうに光が存在すると雅春先生は考えておられたのでしょうか。


121 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 08:32:01 ID:TfQ0e6RA
わたしのいう「本物の宇宙」は、それが実在すると信じられているのではなく、それが実在であるのはすでに明白であるので、「それがどこにあり、何であるのか」ということだけを問題にするということです。本物の宇宙とは、信仰の問題ではなく、真理の追究の問題であり、したがって「寂光論争」とは無関係であると考えます。


124 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 10:11:31 ID:TfQ0e6RA
雅春先生が説かれる「実相世界」は、わたしが予想する本物の宇宙とは、その性質があまりにも異なっています。現状では、本物の宇宙を実相世界とみなすことはできません。また、本物の宇宙成立の過程を考えてみるに、実相世界がつくられた過程とは、あまりにそれは異なったものであるということがいえます。



***************



<感想>


@ 「評論すれども答えなし」これが雅宣総裁の貴族趣味的机上信仰論の性格であります。開祖・谷口雅春先生は現実の資本主義社会での苦悩を通しての思索の果てに住吉大神のお導きによって「百尺竿頭進一歩」して完全円満にして至美至妙なる實相世界を如実に御覧になられたのであります。この「實相宇宙(実在宇宙)」そのものこそ“本物の宇宙”であります。


A 雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の如き直接体験がないのに、傲岸不遜にも<光明一元の「実相世界」は、本物の宇宙にくらべて不完全すぎるような気がいたします。>とぬけぬけと言い放ち、しかし彼は肝心の“本物の宇宙”の内容説明は一切していないのであります。更に、“本物の宇宙”を霊的に観て彼自身で直接体験したとは述べず、「それがどこにあり、何であるのか」という問題提起するだけに終っているのであります。全く無責任極まりなき評論家そのものであります。




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[2089] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (5)
遮那王 - 2016年02月08日 (月) 07時24分



● 310 :初心者=マサノブ:2012/07/20(金) 09:39:45 ID:TfQ0e6RA
言葉に意味はありません。言葉とは、いってみれば、月を見よと指し示す指先のようなものです。指先と月は、ほんらいまったく関係がないものです。言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。ただ「あれを見よ」と、真理のある方向を指し示そうとしているだけです。・・・言葉に意味があると履き違えたところで、教義の絶対化が引き起こされ、意味の不在を埋めるために信仰はイデオロギー化していきます。・・・真理と言葉を履き違えたために、言葉にしばられるという現象が起きています。雅春先生が語られた言葉以外の言葉には耳をかさない。こうした現象が起きています。「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。この言葉は「べつの何か」を指し示そうとしています。その「べつの何か」がわからなければ、言葉を絶対化し、暴走させるよりほかはありません。


313 :初心者=マサノブ:2012/07/20(金) 13:37:20 ID:TfQ0e6RA
「行間を読む」を現代では「文章の構造にアクセスする」といいます。「作者の死」ともいいます。「行間を読む」とわざわざことわりをいれられるまでもなく、人は行間を読むことでしか文章にアクセスできないとするのが、現代風の考え方です。つまり、行間を読んだからといって、それは特別なことでもなんでもなく、そのことによって、行間を読まずしては知れないことが知れるということにもなりません。いうまでもないことですが、文章の構造にアクセスするにあたって問われるのは読み手の技量です。読み手の技量の不足はとうぜんのごとくあります。技量不足をおぎなう手段が、文章にたいする情緒的反応です。読み手の技量不足を熟知しておられた雅春先生は、情緒的反応に文章の力点を置かれたはずです。その結果、多くの奇跡を生みだすことには成功なされましたが、その反動として、読み手がほんらいアクセスすべき領域は遠ざけられました。人類光明化といったところで、この言葉に具体的な意味はありません。人々にできることといえば、この言葉に情緒的に反応するか、アクセスすべき領域をさがすかのどちらかしかありません。これまでなされてきたのは、情緒的反応が主であったと考えます。


315 :初心者=マサノブ:2012/07/20(金) 15:55:15 ID:TfQ0e6RA
なんにしても、それが自分にとって心地よいかどうか、心に響くがどうかで言葉の価値を判断するのが、生長の家の伝統的な言葉への接し方であるということがいえそうです。即効性を求めておられるという意味で、生長の家の方々が言葉に麻薬的効果を期待しておられるのも、またたしかなことだという気がいたします。



***************



<感想>


@ 雅宣総裁は此処で全く“不埒千万”なことを言い放っているのであります。曰く、<言葉に意味はありません。言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。>と。一体全体、雅宣総裁は『生命の實相』で説かれている事とは全く逆の事を言い放ったのであります。「言葉」=「生命」=「神」とは信ぜず、言葉で「實相円満完全」と唱えれば、言霊の響きが潜在意識下において信念化して「円満完全」なる實相が現象化するということを非科学的であり、理性に反すると考えているといわざるを得ないのであります。残念ながら、これが生長の家最高指導者の基本思想なのであります。


A 雅宣総裁は、古来、“言詮不及”と言われた真理を100%に限りなく近付けて書かれた文章芸術の極致が『生命の實相』の御文章であり、読む人の心の大転換(360度の廻心)を引き起こすその生命的芸術 の神髄が(自己の恵まれすぎた生い立ちと生活環境のためか)判っていないのであります。生長の家総裁としては全くの落第生であります。


B 理論と理屈で突き詰めて納得行くまで思索していく方法ではなかなか奇蹟的と言われる結果(難病や経済的窮乏からの奇蹟的恢復)は実現困難であります。しかし、言葉の持つ言霊の力によって心が<情緒的反応>を来してその結果こころの迷い(神性隠蔽)が解消するほうが奇蹟的結果を容易に導きだせるわけであります。此処が信仰の秘訣でありますが、雅宣総裁は、これを<言葉の麻薬的効果>と表しているわけであります。総裁としては明らかに間違った解釈です。『御教え』を自虐的に冷酷に観ていると言わざるを得ません。雅宣総裁は自己人生に於いて、病悩苦や経済的な局限状態の経験がないからこの様な現実から遊離した世界での机上の理屈の世界に浸っておれるのでありますが、宗教や信仰の門を叩く人たちは切羽詰まって訪れる人が殆んどであります。この現実に真正面から向き合ってこそ“宗教家”と言えるのであります。従って、雅宣総裁は本当の宗教家ではありません。



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[2099] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (6)
遮那王 - 2016年02月09日 (火) 10時35分

● 1722 :初心者=マサノブ:2012/06/30(土) 17:53:20 ID:TfQ0e6RA
そもそも救済とはなんなのでしょう。救済を欲する状態から抜け出すこと。これをわたしは救済の条件にいたしたいとおもいます。雅春先生の教えで、この条件は達せられるでありましょうか。雅春先生の教えは、実際に救済につながっているといえるのでしょうか。私が見るところでは、みなさま方は、雅春先生が書かれた文字に執着し、いつまでたっても、その書かれた文字に救いを見いだそうとしておられるように感じられます。


128 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 12:54:55 ID:TfQ0e6RA
雅春先生の教えによって実現された救済は、人々を奴隷状態から解放してきたといえるでしょうか。むしろ実現された救済は、奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけであるような気がいたします。・・・いかに快適な奴隷生活を実現するか。生長の家では、このことだけが考えられてきたとおもわざるを得ない、というのが経験的に得られた結論です。


357 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 15:20:51 ID:TfQ0e6RA
「救済運動」の具体的なヴィジョンをお持ちなのでしょうか。わたしは、新興宗教は、成熟した宗教となるために、「病気治し」を第一とする時期をすでに脱したとも考えておりますが、いまだ新興宗教は「病気治し」を第一に取り組むべき時期にあるとお考えなのでしょうか。「雅春先生は教えの問題点と限界をご存じであったのか」との問いであります。教えの限界をまったく問題にすることなく、その完全無欠性や万能性を信じ込んでいるあいだは、みずからの立場を相対化し、客観的に評価することなどけっしてできるはずもありません。おのれの全能感に酔い知れ、大言壮語するのが関の山であり、これが教えの絶対化やイデオロギー化の温床となる可能性さえあります。役行者様は、教えの問題点や限界をひとりとして訴えるものがいないということを望まれますでしょうか。



***************



<感想>


@ またまた、雅宣総裁の傲岸不遜な言であります。曰く、<雅春先生の教えは、実際に救済につながっているといえるのでしょうか>と。然らば雅宣総裁よ!汝は立教以来の何万ともいえる真理による奇蹟的治癒や環境からの奇蹟的脱出の体験記録を如何に観ずるや?


A 雅宣総裁よ、汝は、講習会場にて真理によって救われた人達(真理の証し人)の体験談を、<奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけ>と、冷ややかな目で見ているだけなのか? この様な観方が雅宣総裁の深層心理であるから、講習会の講話や著書で体験記録を一切取り上げないのではないのか?


B 雅宣総裁よ、汝は<「病気治し」を第一とする時期をすでに脱した>と宣言しているが、医学益々発達して病気で苦しむ人たちが一向に減らぬどころか増え続けることの現実を如何に見るや? また医学では治らぬ病人の増加に対して最後の拠り所の役目を持つ宗教の世界は必要ではないと冷酷に断言するのか? また、「病気治し」すら出来ぬ宗教が果たして宗教と言えるのか? 答えは如何?「成熟した宗教」の内容とは“病気治しは病院の役割、成熟宗教は自然との共生・地球環境保護に専念”と云う事であるのか? 雅宣総裁よ! ためらわずに返答すべし!!




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[2109] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (7)
遮那王 - 2016年02月10日 (水) 08時19分

● 103 :初心者=マサノブ:2012/07/09(月) 15:38:07 ID:TfQ0e6RA
異端とみなされるのは、つねに真の信者です。


1777 名前:初心者 =マサノブ投稿日: 2012/07/09(月) 15:14:06 ID:TfQ0e6RA
わたしは、人間嫌いであると同時に医者嫌いでもあります。自分の流儀は通します。


1784 :初心者=マサノブ:2012/07/01(日) 14:00:36 ID:TfQ0e6RA
雅春先生の教えが正しいにしても、つけ加えることはまだまだいくらでもある、ということは述べさせていただこうとおもいます。わたし自身の体験からすれば、雅春先生の教えにとどまっているかぎりは、これ以上さきへは進めないとする壁につねにさえぎられていたという気がいたします。・・・正直もうしますと、雅春先生の教えだけでは限界があるということを感じます。


54 :初心者=マサノブ:2012/07/08(日) 07:31:42 ID:TfQ0e6RA
信仰が、個人的立場を超えて集団的になることで問題が生じます。「絶対的真理」という言葉が登場します。「絶対的真理」とは、誰もがそれに服従しなければならないとされる真理です。これにより、信仰は争いの場となります。


83 :初心者=マサノブ:2012/07/09(月) 11:24:25 ID:TfQ0e6RA
科学は宗教よりもさらに先へと進んでいるのかもしれませんね。


134 :初心者=マサノブ:2012/07/10(火) 19:39:27 ID:TfQ0e6RA
生長の家からは、現象世界がなぜ今あるように見えているのかという、その仕組みにかんしてさえ、具体的な声明はなにも発表されていませんね。あいまいな表現で語られることはあるにしても、具体的で詳細な説明は避けて通っているというのが実情であると考えます。具体的な説明をすれば、それが理論的、あるいは論理的な矛盾をはらむという事態が予想されますね。そうした事態を避けるには、具体的な声明はいっさい避けて、どのようにでも解釈できるあいまいな表現で通すのが、もっとも確実な安全策ということになります。


21 :初心者=マサノブ:2012/07/27(金) 17:36:53
「人類光明化」、「日本国実相顕現」とかけ声は勇ましいものの何も実現できていない。具体的なヴィジョンを提示できそうもない。これが現実であるにもかかわらず、雅春先生の教えが最勝最尊だといわれている理由を語っていただきたい。最勝最尊といわれる雅春先生の教えが出現して80年が経過したにもかかわらず、いじめの問題ひとつとってみても、問題の解決にいたっていないのはもちろんのこと、解決への道筋さえ示されていないのはなぜなのか。それでも最勝最尊といわれるのはなぜなのかを語っていただきたい。何が起きていようとも現象を見ないという画期的な方法を編み出されたがゆえに最勝最尊であるということなのでしょうか。何をもって最勝最尊といっておられるのか、それを明確に語っていただきたい。以上が生長の家に望むこと。


323 :初心者=マサノブ:2012/07/21(土) 12:37:18 ID:TfQ0e6RA
今もわたしは、雅春先生の教えにはまったくもとづかないと考えられる救済理論を研究しております。
研究の成果がでるかどうか、それもまったく未定です。


314 :初心者=マサノブ:2012/07/20(金) 13:44:21 ID:TfQ0e6RA
「不変の真理」とか「絶対的真理」とかの話になってくると、厳密な批判なり分析なりが必要になってきますね。


27 :初心者=マサノブ:2012/07/27(金) 20:49:29
歴代のトップは何を呼びかけて何を実現してきたのでしょうか。


342 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 11:22:22 ID:TfQ0e6RA
わたしの問いかけは、
「一元論は決定論か」
「一元論が決定論であれば、どのような仕組みで自由意思が担保されたのか」のふたつです。


356 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 14:56:56 ID:TfQ0e6RA
それと、わたしが雅春先生の教えを批判いたいしますのには理由があります。その理由とは、雅春先生の教えが絶対化されイデオロギー化されていることが不快であるから、ということになります。生長の家としてなすべき、実現可能なヴィジョンがなにひとつとして示されていない現状では、教えの絶対化やイデオロギー化は、上記のような理由からかならず起こります。ヴィジョンの不在をおぎなうためのもっとも手っ取り早い方法として、教えの絶対化やイデオロギー化が避けがたく起こります。具体的なヴィジョンを示せないのであれば、雅春先生の教えを批判という形で相対化することでしか、教えの絶対化やイデオロギー化の動きに対抗することはできないでありましょう。ことここにいたっても、「われこそは真の生長の家」と主張するといったように、教えの絶対化やイデオロギー化に拍車をかけるがごとき言動があとを絶つことはないといえます。教えの相対化がこんにちほど必要とされた時期はなかったものと考えます。


392 :初心者=マサノブ:2012/08/18(土) 09:51:11 ID:TfQ0e6RA
こんにちの事態に雅春先生の責任はあるのかということですが、「ない」といわれるのであれば、「甘え」という言葉でごまかすのではなく、きちんとした具体的な考え述べるべきであります。雅春先生が扇情的な表現を多用されたのは事実であります。扇情的な表現にあおられて、みずからの立場を絶対化させてしまった信徒がいるとすれば、これを雅春先生の責任であるとすることに異論をさしはさむ余地はない、というのがわたしの考えであります。「絶対的真理」の表現を好み、「真の生長の家」といっておられるお方は、おそらくみずからの立場を絶対化しておられるのでありましょう。もしも生長の家の教えが「いい教え」であれば、このような事態はふせげたものと考えますが、いかがでありましょう。教義が扇情的な表現で説かれれば、それを聞くものはたしかによい気持ちにはなれるでありましょうけれども、その結果としてみずからの立場を絶対化させてしまう信徒があらわれるとすれば、どんなにそれが心地よくとも「いい教え」とはいえないような気がいたしますね。信徒が、説かれた「教え」やみずからの立場を絶対化させてしまうような教えは「いい教え」とはいえない、というのがわたしの現時点での結論であります(こうした考え方はカルトにもあてはまるでありましょう)。この意味では、仏教(といってもいろいろあるようですが)は、教義が絶対化されるでもなく、信徒がその立場を絶対化することもないようにおもえますので、「いい教え」といってよいのではないか、という気はいたします。


399 :初心者=マサノブ:2012/08/18(土) 12:38:27 ID:TfQ0e6RA
具体的なことはなにも語らずに、ただ一方的に相手を人間知としてさげすみたがる体質が、生長の家にはあるようです。トキ様は、わたしにたいしては、ある一定の言論を封じたいと考えておられるようですが、(たとえば総裁と同一人物として扱われるということも含めてです)。それと、雅春先生の批判は権利の侵害にあたるが、総裁先生の批判は、総裁先生を支持する人々の権利の侵害には当たらないと考えておられると理解してよろしいのですね。


477 :初心者=マサノブ:2012/08/19(日) 13:01:41 ID:TfQ0e6RA a hope様
わたしは、20年前に組織を見限り、それからしばらくして生長の家の会員であることも辞し、現在はその教えの影響下から脱すべく新境地を開拓中であります。やめた理由は、生長の家とかかわっていたのでは悟りを得られないことがわかったから。


333 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 09:13:42 ID:TfQ0e6RA
すでに向かうべき方向性が定められている一元論的世界であるにもかかわらず、人間に、どこにでも向かうことができるという自由意思があるとするなら、神はどのようにして自由を実現されたのでしょうか。この「自由実現の仕組み」を雅春先生はどのように説明しておられるのでしょう。まずはこのあたりをおうかがいしてみたいところであります。


397 :初心者=マサノブ:2012/08/18(土) 11:30:52 ID:TfQ0e6R
20年たった今でも、なにも実現されていません。



***************



<感想>


@ 雅宣総裁は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を自己の個人的思想「今の教え」に完全転換し、開祖・谷口雅春先生の御姿(印象)を信徒の心から消し去る事を強引に推し進めていると言われて久しいのであります。彼のこの深層心理が図らずも此処に露呈されているのであります。曰く、<異端とみなされるのは、つねに真の信者>・<人間嫌いであると同時に自分の流儀は通す> ・<雅春先生の教えだけでは限界がある、つけ加えることはまだまだいくらでもある>、つまり開祖・谷口雅春先生の『御教え』は不完全で補強する必要がある、それを為すのが自分(雅宣総裁)の使命であると言ってのけているのであります。だから、“雅宣教”とも云われる「今の教え」へ強引に転換して行っているのであります。


A 雅宣総裁は、「絶対的真理」を認めず、霊的真理よりも「科学」優先の考え方、云うなれば唯物思想者であると云う事であります。


B <「人類光明化」、「日本国実相顕現」とかけ声は勇ましいものの何も実現できていない。具体的なヴィジョンを提示できそうもない。いじめの問題ひとつとってみても、問題の解決にいたっていないのはもちろんのこと、解決への道筋さえ示されていないのはなぜなのか。>と、全く見当違いの事を述べているのであります。「人類光明化」、「日本国実相顕現」に関しては既に大きな足跡を生長の家は遺して来ているのであります。『御教え』による個々の“いじめ”の個別的解決の例は多数にあり、国家全体の対策としては「教育勅語」の復活を通して長期的に解決されるのであります。しかし、これ等の具体的活動に対して雅宣総裁は賛同をしないのであります。


C <雅春先生が扇情的な表現を多用されたのは事実であります。扇情的な表現にあおられて、みずからの立場を絶対化させてしまった信徒がいるとすれば、これを雅春先生の責任であるとすることに異論をさしはさむ余地はない>との雅宣総裁の見解は、教え親に対する弟子としての非礼極まりなき言葉であります。このようにして雅宣総裁は「雅春先生も間違いを犯されている」として開祖・谷口雅春先生を過去の人として信徒の心から消し去って行っていくのであります。宗教家と称する資格は微塵もないのであります。それほどまでに雅春先生のことが気に障るのであれば遠慮は要らない、トットと出て行き「雅宣教」を設立しなさい。


D <20年前に組織を見限り、それからしばらくして生長の家の会員であることも辞し、現在はその教えの影響下から脱すべく新境地を開拓中であります。やめた理由は、生長の家とかかわっていたのでは悟りを得られないことがわかったから>と。平成2年に一般会員から「副総裁」に昇格し、それまでの組織を意のままに変革して来て20年、これこそ現在の「非・生長の家 雅宣教」の姿そのものであります。雅宣総裁の“さとり”とは、冷静緻密な知恵で着実に権力と財力を握れば意のままに組織を変革できると云う事なのでしょうか?




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[2124] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (8)
遮那王 - 2016年02月11日 (木) 10時17分

● 152 :初心者=マサノブ:2012/07/12(木) 10:18:44 ID:TfQ0e6RA
バサラ的な生き方とは、何があろうと気づかぬふりをして保身に汲々とするのではなく、それが財産であれ、才能であれ、持てるものはすべて散じ尽し、使いきろうとする生き方だ。バサラを生きる人とは、破壊のなかにあっても、思うがままに、生きたいように生きようとする人たちをいう。バサラは、バカバカしいこと、それをやって何になるというようなことを好んでなそうとする。生きる目的は、持てるものをすべて使いきることなのだから、たとえどんなにバカバカしいことで、世間から「物狂い」と後ろ指をさされるようなことでも、それが「蕩尽」につながるのであれば、平気でそれをやりとげようとする。奴隷状態にある人々がなしたがるのは、保身に役立つことばかりだ。奴隷状態にある人々のご利益とは、病気が治り、経済が立ち直り、人間関係がよりスムーズに運ばれるようになるといったような、小市民的な願い事の実現なのだ。・・・マネーであれ、ロマンであれ、理想であれ、持てるものを徹底的に散じ尽し味わい尽くす。


167 =マサノブ:初心者:2012/07/13(金) 09:37:17 ID:TfQ0e6RA
バサラとは、思いっきりばかげたことをなすことだな。奴隷根性ではできないことをなすことだな。後世に残るほどのばかげたことをなすことだな。森にオフィスをつくる。これはバサラだな。後世に残るバサラだな。生長の家はこれまで、後世に残るようなものは何も残していない。奴隷根性では何も残せないってことだ。

( 注:バサラ(婆娑羅)の意味、南北朝内乱期にみられる顕著な風潮で、華美な服装で飾り立てた伊達(だて)な風体。 はでで勝手気ままな 遠慮のない 常識はずれの ふるまい。遠慮なく 暴れさしてもらいますぜ!という意味もあり。)


171 :初心者=マサノブ:2012/07/13(金) 10:54:41 ID:TfQ0e6RA
バサラとは奴隷状態からの解放だ。



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<感想>


@ 雅宣総裁は明確にその本音を宣言したのであります。曰く、<バサラとは、思いっきりばかげたことをなすことだな。奴隷根性ではできないことをなすことだな。後世に残るほどのばかげたことをなすことだな。森にオフィスをつくる。これはバサラだ>と。


A <生きる目的は、持てるものをすべて使いきることなのだから、たとえどんなにバカバカしいことで、世間から「物狂い」と後ろ指をさされるようなことでも、それが「蕩尽」につながるのであれば、平気でそれをやりとげようとする。マネーであれ、ロマンであれ、理想であれ、持てるものを徹底的に散じ尽し味わい尽くす>。まさに雅宣総裁は、信徒の浄財、1000億円の教団資産を徹底的に蕩尽しつつあるではないか! 個人的な人生目標である「森のオフィス」に、イエスマン役員を造るための超高給年俸に、親衛幹部のための太陽光発電・電気自動車購入の補助金、余剰資金での利ザヤ稼ぎの株式投機・・・まさに“蕩尽”そのものであります。これが深い迷いに包まれた遊蕩児・雅宣総裁の現実の姿であります。



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[2143] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (9)
信徒連合 - 2016年02月12日 (金) 10時49分




● 176 :初心者=マサノブ:2012/07/13(金) 15:44:27 ID:TfQ0e6RA
こうしたから神があらわれるというのは、神への指図であるのかもしれませんね。神にかんしての発言は慎重であるべきかと考えます。




<感想>

「大調和の神示」には、「汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる」とあるのでありますが、雅宣総裁はこれを“神への指図”で怪しからぬ、神への不遜であるからこの神示は採用せぬとしたのであります。かくして、義兄と実弟の方々を追放し和解を拒んでいる自己の“非”を信徒の追及の目から避けているのであります。

この“指図”という言葉は“教化”という言葉と同じであります。かつて、ある信徒さんが雅宣総裁の「迷いは自由から来る」との見解に対して「その考えは間違っています。迷いは本来ないものだから、どこからも来ません。無いものの出所を詮索することこそ迷いです」と諫言の手紙を出しましたら、雅宣総裁は「この信徒は自分(雅宣)を“教化”しようとしている」と、「小閑雑感」で反論していました。この件からも「初心者」の思考は雅宣総裁の思考と“瓜二つ”だと考えられます。




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[2158] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (10)
遮那王 - 2016年02月13日 (土) 08時23分




● 242 :初心者(マサノブ):2012/07/17(火) 10:53:25 ID:TfQ0e6RA
神想観がエーテル体と関係しているのは、ほぼあきらかですね。エーテル体は、学習能力があり、持続力もあるといわれてますよね。人が、行と称して特定のイメージを念じ続けていると、エーテル体は、それに見合ったイメージをこしらてその人に見せることができるようになります。・・・神想観の行によって学習訓練を受けたエーテル体は、霊的世界や、あるいはそれをさえも超えているおもえる「超感覚的世界のイメージ」を提供できるようになります。このことはほぼ間違いないと考えます。・・・神想観をやっているがゆえに神想観がよくわかる、ということがはたしていえるのでしょうか。自分の行為や選択に価値を置きたがるがゆえに、かえって真実から遠ざるということはないのでしょうか。むしろ客観的に評価している側に真実があるという現象が起きてきても不思議ではないという気がいたします。神想観は、シュタイナーのいうイマギナツィオンに近いものであると考えられます。イマギナツィオンによって得られたイメージはけっして真実を語るものではないのでそれを捨てよ、とシュタイナーはいっているはずです。訓練されたエーテル体は、確信をともなった超越的な体験を提供してはくれるでしょうし、それが実際の奇跡的体験や実感をともなった真理観にむすびつくことはあるにしても、だからといって、そうした体験がいかなる真実性をも保証するものではないということは知っておくべきことと考えます。


247 :初心者(マサノブ):2012/07/17(火) 12:05:41 ID:TfQ0e6RA
神想観によって映像が見えたという話を聞いたことがあります。この映像はどうやって見ているのでしょう。その仕組みはどうなっているのでしょう。こうしたことを追究することも真理の追究のひとつと考えます。たしかに、救済や信仰とは別次元の話です。混同は避けなければなりませんね。それにしても、実相世界の存在はどのようにして確認されたのでしょう。それは映像によってではなかったのでしょうか。もしも映像であったとすれば、それがつくり出される仕組みを知る必要があります。・・・現状を超えるには、対立を呑み込むほどのより大きな「知の体系」をつくりあげるよりほかはないでしょう。小さな器ではどうにもならないところに来ています。小さな器しか用意できていないところで和解といってみたところで、そんなものに収まりきるような話ではないでしょうね。・・・対立を呑み込むに足る大きな器を用意するよりほかに問題解決の道はないはずなんですけど。



<感想>

@ 雅宣総裁は、彼自身の霊的体質上「神想観」が嫌いなのです。だから「神想観」が雅春先生の人間的工夫によるものではなく“神授”されたものであり、また、「神想観」最大の認識事項が「吾、いま此処、五感の世界を去って實相の世界に入る」ということが眼中にないのであります。故に、「吾と今と此処」の同時一体も把握できていないし、「神想観」を為すのは“現象(肉体)の自分”が“現象の世界”に座って瞑想する事だとの理解であります。この様な理解から雅春先生が神授された「神想観」は“補強”の必要ありとして「ヴアージョンアップ神想観」を着想したのであります。


A 霊体質上「神想観」が嫌いな雅宣総裁は、講習会に於いても午後の部最初の30分の神想観の時間を講習会の最後尾に10分程度の付けたしみたいな形にしてしまったのであります。「吾と今と此処」の同時一体の説明も「實相の自分が實相世界に坐して實相を観ずる」という大切な説明もせず、なんの感情も籠もらない暗記セリフの棒読みで世界平和の祈りに入って行き、ハイ終わりとなるのであります。雅宣総裁は「唯観實相」の最高観法が「神想観」である事が全然判らない。實相は理詰めだけで理解できると思っているのでありますから、本心では「神想観」の時間は廃止したいが形だけは残すのが得策と考えているのであります。


B 雅宣総裁は雅春先生が五感六感を超えた「實相覚」によって直視せられた實相世界の有様を単なる脳内イメージとしてしか考えず、左脳右脳の脳科学理論で解明できると考えているのであります。完全な唯物論者であります。此処から「御神像」は偶像崇拝であるから撤去したいとの考えが浮かんでくるのは当然な思考回路なのであります。



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[2179] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (11)
遮那王 - 2016年02月14日 (日) 09時46分




● 243 :初心者=マサノブ:2012/07/17(火) 11:36:03 ID:TfQ0e6RA
真理は理屈ではない。わかりきったことです。理屈で語れる部分での真理。いかにして真理を理屈で語るか。こうしたニュアンスで、みなさま方が信じておられる真理を語っていただきたいものであります。自分は語らずして、語る相手を心のなかで批判することなど、誰にでもできることであります。


272 :初心者=マサノブ:2012/07/18(水) 07:35:33 ID:TfQ0e6RA
ふつう問題にされるのは、雅春先生の霊的直観力ということになりますね。なぜ霊的直観力にすぐれた雅春先生が本物の宇宙の存在に気づかれなかったのかということが問題になるはずです。


274 :初心者=マサノブ:2012/07/18(水) 08:03:20 ID:TfQ0e6RA
生長の家と真理の追究は無関係です。


268 :初心者=マサノブ:2012/07/17(火) 23:42:18 ID:TfQ0e6RA
たとえ雅春先生であろうとも科学的知識の欠如には勝てないということ、これは正しい認識です。



<感想>

科学者は研究を進めて行くと最後は不可知の厚い壁に突き当たり、それを打開していくために“霊的世界”の研究に入っていくと云われます。霊的直観を拒絶し、何事も科学的合理性で考え、真理さえも脳科学理論の理屈だけで理解しようとする雅宣総裁は自己の思考レベルが極めて低レベルな領域に属していることすら分からないのであります。これが現教団の最高指導者の思考回路! 何をか況や!!であります。



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[2190] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (12)
遮那王 - 2016年02月15日 (月) 07時20分




● 156 :初心者:2012/07/12(木) 20:52:28 ID:TfQ0e6RA
生長の家に「しみじみとした、信仰のよろこび」や「深く、味わい深い信仰の境地」はなかったってことが、今やこのような形で露呈されてきてるの。「しみじみとした、信仰のよろこび」や「深く、味わい深い信仰の境地」にひたってた人たちが、本流を名乗り、あのように悪しざまに人の悪口を書きなぐるというような真似などできるはずがないでしょ。・・・批判するなら真理を語れ!


236 名前:初心者 投稿日: 2012/07/15(日)12:44:21 ID:TfQ0e6RA
わたしが雅春先生に抵抗するのはなぜかといえば、愛の行動によって実相が完全にあらわれきり、それによって非自己が自己へと回帰すれば、それでゲームセットだからです。現象世界をこよなく愛するわたしとしては、ゲームはおわらせたくない。よって、「愛の行動」にも「実相顕現」にも徹底抗戦するという新手のロールゲームを演じ続けるしかないのです。こう見えてもわたくし、現象世界への愛という有機的な思いをかかえ込みながら、生長の家というゲームセット画策集団に反旗をひるがえしておるのです。


266 :初心者:2012/07/17(火) 23:32:11 ID:TfQ0e6RA
救いを欲する人々を、いつまでも救いを欲する状況にとどめおくために、宗教は文字というパルマコンを供給しつづけます。


285 :初心者:2012/07/19(木) 10:02:52 ID:TfQ0e6RA
医者が病人を必要とするように、宗教は迷える人々を必要とする。医者が病人がいなくなることを願ってはいないように、宗教も迷える人々がいなくなることを願ってはいない。いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。迷える人々に、心に響く言葉をあたえ、それで束の間の平安をあたえたところで、効果が薄まれば、人々はかならず戻ってくることを宗教は知っている。迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。心に響く文字をあたえられた人々は、狂喜乱舞し、文字に群がりはじめる。やがて効果は薄れるが、文字の供給が途絶えることはない。文字には依存性があり、それがゆえに文字がパルマコンであることを宗教は熟知しているからだ。



<感想>

@ <宗教は迷える人々を必要とする、いつまでも迷い続けてくれる人をこそ宗教は欲しているのだ。迷える人々に心に響く文字を供給しつづけるのは宗教の仕事だ。それは麻薬に依存し欲する人々に麻薬を供給し続けることに似ている。>何と云うゾッとする様な発言でしょうか、しかしこれが雅宣総裁の本音の思想であります。生長の家はキライだがいつまでも“看板”だけは金の成る打出の小槌であるから利用し続ける。そのためには“日時計主義”さえ説いておれば開祖の教えを継いでいると信徒を誑かせることが出来る、ということであります。


A <雅春先生に抵抗する、「愛の行動」にも「実相顕現」にも徹底抗戦する>まさに雅宣総裁の相はこの通りであります。信徒の悩み相談の指導も出来ず、総裁としての仕事は人事権の行使(将棋の駒の動かし方)の快楽に酔い、職員給与の上げ下げ決定に快楽を感じ、後は“大閑”なるが故に“パソコンお宅”で<雅春先生に抵抗する>文章を叩き出しているのであります。




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[2334] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (13)
遮那王 - 2016年03月04日 (金) 08時35分




● 292 :初心者=マサノブ:2012/07/19(木) 14:40:58 ID:TfQ0e6RA
宇宙は偶発的につくられたものです。ではなぜ偶発的につくられたのか。それは、神が神ご自身の姿をご存じでなかったからです。雅春先生の思想で現代の宇宙論を説明できるのでしょうか。雅春先生の思想は、おそらくは、宇宙論を全面的に否定することでしか成り立たないものと考えます。


305 :初心者=マサノブ:2012/07/20(金) 08:08:25 ID:TfQ0e6RA
生長の家は、いくつも考えられる宇宙論のどれを支持し、どの立場から神の創造説を論じているのでしょうか。それとも、「どの立場にも立たない」という特権的な立場から論じていると考えればよいのでしょうか。生長の家では、宇宙創成はじっさいにどのように捉えられているのでしょう。これを明確にしていただく必要があるのではないでしょうか。


335 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 10:08:05 ID:TfQ0e6RA
「なにが真の生長の家か」を問題提起するためにこれを書いております。問題点も限界も棚上げにしたうえで、言葉の心地よさに身をまかせて、ただただ信じ込もうとするのが「真の生長の家」であるのか、問題点と限界をあきらかにしたうえで、教えの真偽、正邪をたしかめようと務めるものが「真の生長の家」であるのか。これを問うているところであります。




<感想>

@ <「なにが真の生長の家か」を問題提起するためにこれを書いております>と雅宣総裁はさも自慢げに“問題提起”しておりますが、雅宣総裁に言われずともその答えは既に『生命の實相』に書かれているのであります。この様な解決済みのことを“問題提起”することは、雅宣総裁の『生命の實相』の読み方は<関心を持つところだけの“拾い読み”である事を証明したことになっているのであります。


A 講習会では定番の3点セット(唯神實相・唯心所現・萬教帰一)は説くが、あくまでも辞書の語句解説の域を出るものではなく、雅宣総裁は“實相”及び“實相独在”は理解出来ていないので“現象”中心の話しか出来ないのであります。だから、實相宇宙のことには触れず、現象宇宙しか見えていないので<宇宙は偶発的につくられたもの>としか認識できないのであります。雅宣総裁はかつて「創世記の雅宣流解釈」をブログ「小閑雑感」で発表しましたが、『生命の實相』第11巻に於ける雅春先生の霊感による解釈とは全然違ったものでありました。雅宣総裁はどこまでも自説を強引に押し通すのであります。



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[2352] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (14)
遮那王 - 2016年03月05日 (土) 08時22分




● 1866 名前:初心者=マサノブ 投稿日: 2012/07/16(月) 08:09:22 ID:TfQ0e6RA
「小市民的」・・・わたしの見るかぎり、すべてが小市民的なのです。絵手紙はどうでしょう。日時計主義はどうでしょう。「人間はみんな神の子なのだから、素晴らしいとこだけを見てゆきましょう」との、ありがちな発言はどうでしょう。病気が治ればそれが真理とする発想はどうでしょう。神の全知全能を人間の能力の延長線上でしかとらえらきれない稚拙な真理をどう理解すればよいのでしょう。・・・絵手紙や日時計主義は、世をしのぶための仮の姿なのでしょう。ほんとうはもっと大きなヴィジョンを思い描いておられることを期待いたします。


1867 名前:初心者 =マサノブ投稿日: 2012/07/16(月) 08:45:21 ID:TfQ0e6RA
大東亜戦争史観は、現代においてもそれほどまでに重要なことといえるのでしょうか。戦争史観にかんする論争を続けることに、どこまでの意義が見いだせるのでしょうか。・・・
「侵略ではなかった」ということが共通認識として得られたところで、さて「その後に描かれるヴィジョンとは?」となったときに提示されるヴィジョンは、いったいどのようなものになるとお考えなのでしょうか。いずれにしましても、総裁先生は「侵略発言」からスタートなされて、どのような「再構成」をなさろうとしておられるのかということが問題になります。「侵略発言」は総裁先生にとって本筋ではなく、旧来の考え方にしばられた信徒の方々に意識変革をせまるためのひとつのステップではなかったかと想像する次第であります。



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<感想>

@ とうとう雅宣総裁の本音の本音が出たのであります。講習会や自著ですらも書くことが躊躇(ため)らわれる本音であります。<絵手紙や日時計主義は、世をしのぶための仮の姿でその先にあるもの? 「侵略戦争」発言の最終目標とは?>この事を「初心者」の名を使って白状したくなったのであります。「俺のヴィジョンは壮大だ!」と専制独裁教主となった有頂天の今、最大の自己顕示を示したくなったのでありましょう。まさに“裸の王様”そのものの姿であります。


A <ほんとうはもっと大きなヴィジョンを思い描いておられることを期待いたします。>とは何を意味しているのか? それは「欧米エシュタブリッシュメント」(金融と資源の世界一極支配を目的とするロスチャイルド・ロックフェラー超金融財閥とヨーロッパ王室閨閥を中心とした世界的秘密支配機構)の世界制覇思想と軌を一にしたヴィジョンであります。具体的には、民族意識を排除した世界市民思想、国家意識をなくした世界国家・世界統一政府思想であり、上層階級と下層階級に二分割した支配機構であり、世界統一宗教であります。この様な世界の成就に雅宣総裁は非常なる魅力を感じているというわけであります。「信仰による平和の道」・「歴史から何を学ぶか」は雅宣総裁のこの様な思想への“全信徒洗脳の書”である事は明白であります。


B 『古事記と日本国の世界的使命』に書かれている今の時代まで続いている「ユダヤ民族守護神と日本民族守護神との霊界での戦い」の地上世界への映しが、<「非・生長の家 雅宣教」VS「真・生長の家 本流」>なのであります。和解派の人達の「和解」の最低条件は以上のような背景からして雅宣総裁をして教団外へ立ち去って頂くことでなければならないのであります。「名誉総裁」とか、「森のオフィス担当役員」とか、「名誉顧問」と云った“院政”の可能性ある事柄は絶対に認めることは出来ないのであります。




Pass

[2370] 遥かなる追憶<第三部>、「初心者=マサノブ君」の反・『御教え』語録 (15)
遮那王 - 2016年03月06日 (日) 10時20分




● 140 :初心者=マサノブ:2012/08/14(火) 11:09:19
わたしは、現総裁がノーベル文学賞でもおとりにならないかぎり、現総裁に衝撃を受けることはないとおもいますが、みなさま方は、いまさら何にたいして衝撃を受けておられるというのでしょうか。


143 :初心者=マサノブ:2012/08/14(火) 14:50:14
現時点で言えるのは、「ご乱心」以外のなにものでもない、ということだけです。ご返答をいただき、ありがとうございました。


286 :初心者=マサノブ:2012/08/16(木) 12:08:22 ID:TfQ0e6RA
このたびの「災害」にかんする、みなさま方の発言には関心を持たざるを得ません。新聖経と災害の関連性につきましては、まずはこれを主張しておられる方々にたいして、『生命の實相』にもどついた厳密なる説明を期待いたす所存であります。


291 :初心者=マサノブ:2012/08/16(木) 14:39:56 ID:TfQ0e6RA
宗教が人間の無知と恐怖心と想像力につけ込むことで成り立っている・・・生長の家にしたところで似たようなものだということを、みなさまの書き込みより再認識させられたような次第であります。


296 :初心者=マサノブ:2012/08/16(木) 15:47:59 ID:TfQ0e6RA
今回の新聖経と災害のむすびつけにしても、それを語るのであれば、全体を知る必要があるのではないでしょうか。新聖経が読まれなかったときにはなにが起きていたのでしょう。災害は起きなかったということがいえるのでしょうか。もしそうであるのなら、今回の災害の原因は新聖経にあるということがいえますね。


305 :初心者=マサノブ:2012/08/16(木) 17:57:39 ID:TfQ0e6RA
宇治においては、これまで『甘露の法雨』が数え切れないほどに読まれてきたでありましょうけれど、人間知による、できたてほやほやの新聖経の悪影響をふせぎきれなかったということなのでしょう。それともこれは見せしめということなのでしょうか。もしそうであれば、生長の家の内紛に巻き込まれた人々が気の毒としかいいようがありません。


308 :初心者=マサノブ:2012/08/16(木) 18:30:29 ID:TfQ0e6RA
生長の家の発想の限界はそれほど高くはない、ということがいえそうですね。


311 :初心者=マサノブ:2012/08/16(木) 19:36:26 ID:TfQ0e6RA
生長の家は、じっさいのところなにができるのですか?新聖経で災害を引き起こすことができると、本気で考えておられるのですか?もしそうであるなら、ほかにできることを列挙していただきたく存じます。


331 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 08:40:18 ID:TfQ0e6RA
結論からいいますと、状況証拠によって、新聖経には災害を呼び込む威力があるということを認める、ということですね。これならこれでよいのですが、であるなら、これ以降の新聖経にかんする言及は、以上のような認識にもとづいてなされる、ということを希望いたします。言及が、そのときどきの都合でちがった方向に向かうというような事態だけは避けなにを問題にしているかといえば、「一元論という決定論的世界において人間はなぜ自由でいられるのか」ということを問題にしております。聞くところによりますと、一元論を唱えていた哲学者のスピノザは、「人間の自由」の問題に突き当たり、しかも生涯にわたってこの問題を解決できなかったということですね。この問題を雅春先生は、「神は人間に自由をあたえられた」のひと言で解決なさいました。一元論の決定論的性質を棚上げにし、「超越項」をもちいることで、スピノザでさえ解決できなかったとされるこの難問を、雅春先生は解決なさったのですね。こうした説明に納得される方はよいですが、一方には「納得できない」とする勢力も当然のことに存在いたしますね。一元論という決定論的世界にありながら、なぜ自由意思というものが存在しうるのでしょうか。この問題を、「生長の家の教えの問題点と限界」に焦点をあてながら考えてみたいとおもいます。それはひとえに、「雅春先生は生長の家の教えを真に理解しておられたのか」の問いに答えを出したいからであります。


337 :初心者=マサノブ:2012/08/17(金) 10:44:44 ID:TfQ0e6RA
トキ様はなぜ「雅春先生への批判はご遠慮ください」とわざわざ表明なされたのでしょうか。これを表明なさるのであれば、総裁先生への批判もご遠慮ねがうように明記すべきでありましたね。それをしなければ、一方の批判だけが許されて、他方の批判は許されないという、いびつな構造が温存されますね。


515 :初心者=マサノブ:2012/08/20(月) 13:12:12 ID:TfQ0e6RA
このあたりが潮時と心得ます。もどってくることはありませんので、どうかみなさま、ご安心ください。ではこれにて。



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<感想>


@ 仮に「初心者」なる人物が雅宣総裁とは何の関係もない第三者であるとしたならば、ここまで執拗に「新・聖経」と豪雨落雷事件について言い訳を探して言及する必要があるのでしょうか? 雅宣夫妻の“北海道還暦旅行”と時期が一致している“世界旅行”を続けている筈の「初心者」が急拠舞い戻り、ここまで拘(こだわ)って「新・聖経」と豪雨落雷事件の相関を打ち消す投稿をし続けると云う事は、「初心者」=雅宣総裁か影武者、である事の証明以外のなにものでもないのであります。


A あれだけの豪雨落雷と行事中断に遭遇しながらも、雅宣総裁と純子白鳩総裁は信徒に対して事件を隠蔽したのであります。雅宣総裁のフェースブックの記述は<自然災害物故者慰霊祭と宝蔵神社大祭などで宇治市に来ました。宇治駅前の風景です。この時は晴れていましたが、午後3時頃から激しい雷雨でした。>、純子白鳩総裁のブログ「恵味な日々」の記述は< 18日は午後2時ころから関西地方は雷雨となり、屋外での御祭りの予定でしたが開始時間を30分遅らせて、屋内での慰霊祭となりました。 19日は、前日の雨に洗われた空が澄み渡り、輝くような晴天でしたが、吹く風には秋の気配が感じられました>と。いずれも“豪雨落雷と屋外行事中止、さらに信徒の心理的動揺”に関しては隠蔽しております。普通の人の感覚では団体の長は団体内で起こった事件については、“自己の心の顕れ(三界唯心所現)”と感じて深い反省の心が起こるのが当然であります。然るに雅宣総裁夫妻は講習会では「唯心所現の理」を説きながら少しも反省の心なく、偶然の自然災害で自分たちは被害者である、原因は地球温暖化にあり!とシャーシャーとしているのであります。一切者の自覚の欠如の最たるものであります。これが現教団の最高指導者の姿であります。


B 更に不思議なのは、雅宣総裁がこの宇治に於ける豪雨落雷・行事中止に何のショックも感じていないで、8月20日 (月)のブログ「唐松模様」聖経について (20)で < 宗教上の真理を言葉に表現することがいかに難しいかを示している。いわゆる“オリジナル”の表現は、必ずしも“完成”ではない。・・・ 我々にとって最も大切なのは、谷口雅春先生によって文字で表現された聖経の具体的詩文ではないのである。本シリーズで見てきたように、詩文そのものは“オリジナル”から何回も書き直されて今日のものに定着した。我々信徒にとって最も大切で、最も尊いものは、谷口雅春先生の“悟りそのもの”なのである。それが真理の“コトバの力”である。これがなければ聖経も作られず、『生命の實相』を初めとした何百冊もの書籍も地上に現れなかった。しかし、“悟りそのもの”があるからこそ、オリジナルよりもベターな表現が後に現れてくるのである。“悟りそのもの”の表現の過程に於いては、間違いや言い直しもあり得るのである。また、説く相手に応じた“方便説法”のようなものも必要な場合がある。そのことを認めなければならない。そして、時代が移っていけば、昔の方便説法(表現の一方法)は通用しなくなるのはごく当然のことである。・・・ 表現に囚われて「この表現でなければ真理ではない」というのを止めよ。真理は表現を超えたものであり、したがって無限の表現を要求するものである。・・・谷口 雅宣>と。相変らずの原理主義批判とご都合主義の自己正当化のためのみの雅春先生の「お悟り」の利用、そして、「新・聖経」の改訂版、更に「新・聖典」の刊行を<真理は表現を超えたものであり、したがって無限の表現を要求するものである>との自己本位の理屈をつけて示唆(予告?)しているのであります。この様な何等事件のショックも責任も感じていないで、直ちに別のことに集中できると云う事は、我々の常識では絶対に考えられないことであります。やはり、8・18宇治の事件は却って教団崩壊への過程を速めることになって歓迎すべき事であると雅宣総裁は考えているのかも知れないと強く思わざるを得ないのであります。



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<総括>


@ 一連の「初心者」の投稿文によって明らかになった事柄は、雅宣総裁は未だに「無の関門」を超えることが出来ず、しかし彼にはその自覚なく、「無の関門」を超えられて宇宙の絶対真理を説かれている開祖・谷口雅春先生の御境涯との差が全く分かっていずに本来の『御教え』批判を繰り返しているに過ぎないということであります。「盲目(めくら)蛇に怖じず」そのものであります。傲慢と驕慢の極に達した雅宣総裁が得意げに語る時代即応の現象中心二元論の「今の教え」は至上最高の「谷口哲学」に対しては「鎧袖一触」の存在でしかあり得ない、と言う事が分かっていない事が改めて浮き彫りにされたのであります。


A 更にいえることは、理論理屈で真理を論ずるだけでは、真理の周りを堂々巡りするだけでいつまで経っても真理の奥殿に入ることは出来ないのであります。『生命の實相』の真理を無我の心で素直に信じて人間苦(病悩苦)を脱した人の前には、如何なる理論理屈達者な人でも頭を下げざるを得ないのであります。真理の証し人を<奴隷状態を居心地のよいものへと変えただけ>と屁理屈をいう雅宣総裁は霊的考察を拒絶するための自己弁護のいい訳を言っているに過ぎないのであります。繰り返しますが、雅宣総裁は体験による答が出せない議論と理屈専門の評論家に過ぎず、宗教家では決してありません。<学者と金持ち後廻し>の典型的人物である事は間違いないのであります。


B 「初心者」なる人物をつくり上げて雅宣総裁は遂に開祖・谷口雅春先生の『御教え』への反逆という本音の思想を明確に自白したわけですから、彼はもはや生長の家の信仰者ではなく、従って速やかに「生長の家総裁」の座を自発的に降りなければなりません。彼は明らかに医学的には重度の統合失調症(精神分裂症)の状態にあります。バサラと言われる雅宣総裁の遊蕩から信徒の浄財を守り、1000億の教団資産を人類光明化と日本國實相顕現のために有意義に役立てるためにも信徒全員の力で「雅宣総裁の更迭」を図り、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を全相において継承していただける新総裁の下で教団を正常化し、大国難の時機に立ち向かわねばならないのであります。




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