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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[2047] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より (1)
信徒連合 - 2016年02月04日 (木) 18時27分




インターネット道場―――


体験実話特集・大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(1)




  老人が血圧を高くしないための心得

 尤(もっと)も、若い人の血管は普通の血圧の3倍、4倍位ありましても破れないように弾力がありますけれども、年寄りはたいてい心が頑なでありますから、“心の投影(かげ)であるところの“肉体”もやっぱり頑なになっている。即ち肉体の全組織が硬化して、恰(あたか)もゴムが風邪引いたようになって、弾力がないですから、血管が破れやすいのです。

だから老人ほど心に弾力を持たんといかんのです。“柳に風折れなし”とか“雪折れなし”とかいいますが、心を柔軟にもたねばなりません。頑なに“わしは此の家の主(あるじ)であるから、わしの言ったことを一歩でも枉(ま)げたら、わしの沽券(こけん)にかかわる”なんていうようなそういう頑固な気持で、古くからいる家の“主”みたいにやっとる人は脳溢血に罹り易いのであります。ですから老人になればなるほど柳の枝のように柔らかい心になって誰の言うことでも一応素直に受け容れるクッション的な心になると血管にも弾力が増えて来ます。

柔らかいものは折れないんです。柔らかいものは却って強いんです。硬いものは強いようだけれども、どんな鋼鉄の軍艦でも爆薬で粉砕します。しかし空気は軟らかいから、原子爆弾が爆発しても空気は破壊しない。

 『生命の實相』の第3巻(愛蔵版。頭注版は第6巻)に、日本板硝子の技師長をしておられた杉江重誠(じゅうせい)さんという人の体験談が載っている。あの時分はまだ日本板硝子の技師長ではなかった。あれは大阪府の工業試験所というところの技師で、毎日熱して熔けて光を放つガラスの変化を見詰めている実験を続けておられた。ガラスを何度で何時間熱するとどういう色に変化する。どういう鉱物を入れて熱すると、ガラスがどんな色になる。同じ鉱物を入れても十時間熱するとこういう青い色であるけれども、もう少し熱すると黄色になって来る。更にこれを高温度に熱すると、今度は何(ど)んな色になる──などという実験をするので、途中で休憩したり、居眠りしておったら、何時間目にどんな色になったか判らんですから、間断なく一所懸命にそのガラスを熱して見詰めておらなければならない。それで、杉江さんは、「こんなことをしておったら神経衰弱になるかも知れん、人間は8時間眠らなければならんのである」と思って恐れておられた。

「人間は何時間眠らなければならん、ならんならん」という「心の思い」で自分を縛っていたのですね。また「人間は物質の肉体だから、そんなに長時間夜の眼も寝ずにガラスを見詰めとったら神経衰弱になる」と、こう恐れておられましたら、到頭神経衰弱になって、それから5年間も郷里の石川県七尾に退いておられた。そしてその工業試験所を退職するとき、「私は神経衰弱になって、こんな仕事しとったらもう何時までも体が保(も)たんから、だから辞職さして頂きます」と言うと、所長が「君、いままで折角勤めたんだから、何も辞職しないでもいいから、現職のままで休暇を上げるから、健康が恢復するまで休んだらいいじゃないか」と言ってくれたんですが、当時の心が融通のきかぬ真直(まっすぐ)一点張りの杉江さんは、「そんな、月給なんて貰って休んどったら気兼ねで心が休まらないから、絶対私は辞職します」こういって頑張って、とうとう辞職してしまったというのですね、

そういうなのが“頑(かたくな)な心”というんです。折角所長が「月給をやる」というんだから、月給を貰ったらよろしい。すべての好意を素直に受けるという柔らかな心をもつことが必要です。“貰う人”があるので「あたえる悦び」というものを味わうこともできるんです。だから「素直に受ける」ということは、一方に於いて「あたえる悦び」を相手に施していることになっているのであります。




  「受ける」と「与える」とで愛が成就する

 「あたえよう」と思っても、「そんなもん要るもんか!」といって相手を撥ねつけたら、此の世界に「愛」というものが成り立たないことになります。貰ってくれる人があるから“あげる楽しみ”というのがあるわけであります。此の世は持ちつ持たれつなんであります。だから人が「貰ってくれ」というものはハーイと素直に受けたらいいんです。

 嘗て、服部先生に救われたひとりのご婦人がありましたが、その人は何とかいう霊的治療をする人でした。そして霊的治療をして患者が御礼に金を呉れると、「そんな物、貰えません。私は人救(たす)けやっとるんですから」といって撥ねつけて、折角「やろう」という人の好意を受けませんでした。そのくせ、他(ひと)に金を貸してありまして、その相手は貧しくて払うのに困っているのに、時々その人の処へ寄って「貸してあるんだから返してくれ」と言う。相手は「いま無いから払えない」と言うのに、その払えないという人に、「返せ」というんです。そのくせお礼を上げるという人には「要らん」というんです。まあそういうのが、頑固な根性なんです。

心に“一つの型”をにぎっていて、それによって自分の生き方が窮屈に硬化している。こういうのを頑な根性というので、血管その他肉体の組織を硬化させるのです。

心は柔らかいのが一番いいんです。柔らかいものは剛(こわ)いものより強い。柔かいものは怪我しない。空気なんか柔かいから幾らナイフで切っても切れやしない。ところが、固形物になると、大分硬いから切れば切れる、たたけば砕けるということになるのであります。




  柔かい心の産む戦争のない世界

 柔かい心になると病気というものが無くなります。心がつかむ“型”が無く、柔らかくなると“我(が)”というものが無いから、神様の「そのままの心」というものが其処に現われて来ます。

我というこの「頑張りの心」というものを人類全部が無くしてしまうと世界は平和になるんです。かたい「頑張りの心」から戦争が起るんです。ベトナムでも双方とも頑張って血を流している。双方が柔らかい心になったら戦争の起りようがないのです。それなのに自分の主張をグーッと通したい。向こうも自分の主張を通したい。どちらも譲らんというから喧嘩になるより仕方がない。どちらかが柔かければ、喧嘩は起こらないわけであります。

0(ゼロ)は最も柔かい。柔かい心の極致は0(ゼロ)であります。神様のそのままが柔かい0(ゼロ)の心のところに姿を現わします。硬化して一定の“心の型”を握っていたら、神様の自由自在のおもいが素直にそのままに、そこに姿をあらわすわけにゆかないのであります。そしてそこに神様ならざる姿が現われてくるのが、病気とか、不幸とか災難とかいうものであります。



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