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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[2108] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(7)
信徒連合 - 2016年02月10日 (水) 07時43分



インターネット道場―――


体験実話特集 


大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(7)





先天性赤痣が消えた話

山口県長府の永松角次郎さんのお宅では種々(いろいろ)の病気が治りましたが、こんな例もあります。村岡ツル子さんといわれる奥さんが子供を産んだ時に、赤ちゃんの額にちょっと小豆粒大の薔薇(ばら)色の痣(あざ)があったんですが、その時は別に気にもかけなかったんですけども、1年位赤ん坊が成長すると、段々顔が大きくなって来て此の痣も成長して大きくなりました。しかもこの痣は、ただ皮膚の表面が赤くなっているだけではなくって盛り上がって脹(は)れている痣なんです。そういう見苦しい痣が時々ありますね。何か、こう異常に別の瘡面(そうめん)の皮膚をくっつけたような、梅干を半分に切って貼り付けたような赤い痣なんですね。“特にこれは女の子だから可哀想だ”というので、親としてはもう大変です。で九州の福岡の医大の皮膚科の専門の博士の所へ連れて行って相談したのです。

そしたら、その博士は、
 「これは電気メスで焼き切る方法があるけれども、しかし焼き切った後にも跡が残ってキレイにはならんですよ」と言われた。“それでは仕方がない、どうせキレイにならないのなら仕方がない。手術の仕損(しそこな)いは一番困る”と思って、それで手術をしないで帰って来たんでした。




  実相直視・現象際断

やがて村岡ツル子さんは生長の家に触れられた。そして知人のすすめで、松永さん宅で開かれた生長の家誌友会にその痣の子供を連れて出席したのですが、その時に恰度、本部講師の大島基先生(この方は当時、70歳以上の年配の方で、仙台出身の方でした)が指導に来ておられましたので、
 「先生、こんな痣が出来とるんですが、どうしたらこの痣がとれましょう。医者はこう言うんですが……」
 と言って相談すると大島基先生は、
 「そんなもん無いじゃないか」
 と、こう言われた。

これはまた現象を際断した言葉で、素晴しいですね。人間は本来、“神の子”ですから、実相に於いては病気はナイんだすからね。ところが、「そんなもん無いじゃないですか」と言われた時に村岡ツル子さんは、“あの先生、70歳にもなっているから目が薄いのかしら? こんなに大きな痣があるのに無いなんていうのは目が薄いので見えないんじゃないか”と、こう思いましたので、
 「先生、この通り痣があるんですよ。よく見て下さいよ。梅干を半分に切って貼り付けたように膨れとるじゃないですか! これは医者に見せたら斯う言うんですよ」と言って又説明しますと、
 「神様が拵えないものは、医者に診せたって、医者がどんなに診断したって、そんなもの無いんだ!」
 と大島先生は、実相直視(じきし)の言葉を端的に言われるんです。

 「併(しか)し、先生、生れた時は小ちっちゃかったのが段々大きくなったんです」
 「生れた時からあらわれていたというのは、それはねえ、祖先の迷いの“心の波”というのを受けとるのじゃ。それを“業”と称(い)うんだが、その祖先の業すなわち心の波が現象(かたち)に現れているんだよ。それは映画みたいなもんだよ。映写機から来る光の波が銀幕に触れると、それが色々の人間の姿になって見えるように、祖先の放送する“心の波”が映し出したものなんだよ。映画に映っている姿は、見ていると“ある“かのようにみえるけれども、そんなもの、ありゃしないんだよ。ただ祖先が“幽界”という映写室から送っている“心の波”の現われじゃから、祖先に『甘露の法雨』を読んであげて、先祖が悟りを開いたら、それで本来無い痣は消えるんだから、祖先に『甘露の法雨』を読んであげなさいよ」と、こう言われたのであります。

 それから村岡ツル子さんは、そうすれば痣が治るかと思って、一所懸命に聖経『甘露の法雨』を毎日読んでは“ちょっとでもこの赤い痣が引っ込んだか、小さくなった”と毎日見るけれども、ちっとも小いさくならないでだんだん大きくなるのでした。それで“矢張り聖経も効かん。生長の家も駄目だ、『甘露の法雨』も駄目だ”と思っていられた訳です。

聖経を読むのもやっぱり“祈りの科学”の科学的法則に順(したが)わなければならないのです。祈りは単なる“迷信”ではなく何でも祈ればよいという訳ではなく、科学的法則にかなわなければならない。法則にそむいたら効果がないこともあるのです。そんな訳で、折角聖経『甘露の法雨』を読みながらも段々痣が大きくなったわけです。




  聖経『甘露の法雨』の正しい読み方

やがて、暫(しばら)くたって、生長の家の某(あ)る本部講師が来られて、また松本さんのお宅で誌友会が開かれたのであります。そしたらまた村岡ツル子さんが自分の痣のある子供を連れてきまして、「大島先生がこう言われたので、私は『甘露の法雨』を読んで、“もう治ったか、もう治ったか”と思って見ると、益々痣が大きくなるんですが、先生どういう理由(わけ)ですか、聖経はこの子共には効かんのでしょうか?」といって、悲しそうに質(たず)ねますと、その本部講師の先生は、

 「あんたは、毎日聖経を誦(あ)げても、その誦げたあとで、“もう治ったか、もう治ったか”と思って毎日痣を見つめて、“まだ痣がある、まだ痣がある、癒っとらん、癒っとらん。ちょっと大きくなった”と思うんでしょう……」
 「ええ、その通り思います」
 「そう思うと、思う通りに現れるというのが、生長の家で説いている『心の法則』ですよ。

だからあんたがその痣を見つめて、“まだ痣がある、まだ痣がある、今日は一層大きくなった、今日は一層大きくなった。痣がある”とこう思う念(おもい)を積み重ねていったら、その念いが現象(かたち)に現れるから、それは治らんのが当たり前ですよ。『甘露の法雨』を祖先に誦げるのは、“病気を治そう”と思って“病気”を心に把(つか)んで読んでいたのではいけないのですよ。病気なんて何(どう)でもいい、本当に無いんだから。生まれつきの病気というのは祖先の迷いの念が霊界から影を映しているのだから、病気を思わず、祖先に唯(た)だ感謝つもりで『甘露の法雨』を唯だ読んですよ。感謝の気持ちで唯だ読むのであって、“病気を治そう”とか“こうして欲しい”とか、そういう想念(おもい)を棄ててしまって、唯だ読むんですよ。現象を見て、痣があると思ってはならない。現象を見ると“痣はある、ある”とこう思うから、なるべくそれを見ないようにしなさいよ」と言われたんです。

 それから村岡ツル子さんは教えられた通りに“痣を見ないようにしよう”と思ったのですが、現象的には、実際に痣があるんですから“見ない“というわけにいかないのですが、何とか見ないようにしようと工夫をこらして、その赤ん坊に頭巾(ずきん)を着せたのです。頭巾を額の真中まで深く着せて痣をもう見ないことにしたのですよ。で二ヶ月間、この頭巾を脱がせなかったというんです。そして毎日、無条件で唯だ祖先に感謝の気持ちで聖経『甘露の法雨』を読んで、そして二ヶ月経ちまして頭巾を取って見たら、この痣がすっかり無くなって消えてしまったんですね。その盛り上がっていた半分に切った梅干の塊(かたまり)みたいな痣が、固まってコロリッと除(と)れたんじゃないんです。そんなものは本来無いのであって唯「想念の固まり」なんですから、想念が消えると同時に、その痣の固まりも消えてしまったんです、ね。まあそういう実際の体験談があるんです。

このような体験談が1つだったら、それはまあ偶然にそれが治る時期が来たんだろうと思う人があるかも知れんけれども、それと同じ実例があるんですよ。




  症状を心が見つめている間は消えない

山口県に岩国という処があります。現在(いま)は村岡ツル子さんも岩国附近に移転して居られると聞きましたが、その岩国に講習会がありました時に、中島さんという未亡人のお宅に泊めて頂くことになったのです。この方は帝人機械株式会社とかいう、帝国人絹系統の紡績機械を拵える株式会社の重役の未亡人で、立派なお宅に住んであられましたが、ちかごろ余り生長の家に熱心でないと聞いているのに、私を泊めてやろうと仰言るから、“何か魂胆があるんだな”と思いながら泊りましたら、翌朝、朝御飯を頂いておりますと、そこの若いお嫁さんが生れて半年位のお嬢さんを抱っこして来られて、

 「先生、この子供の鼻の先を見て下さい」と言うんです。
 見ると、その子供の鼻の先に、これは梅干という程の大きさでもないけれども、熟した桜桃(さくらんぼう)を半分に切って貼り付けたように、鼻の形の上に又別の赤い盛上った
痣が出来ているんです。そしてその若いお嫁さんが、
 「先生、これはどうしたら治りますか、生れた時からあるんですが」
 「生れた時からあるのは、それは先祖の業だから、祖先に『甘露の法雨』を読んだらいいんですよ」
 「先生、ある白鳩会の奥さんが矢張りそう言って教えて下さったので、私は毎日『甘露の法雨』を読んで、“もう治るか、もう治るか”と思って見詰めているけれども、益々大きくなるんです。……それでもうこの痣には聖経もきかんと思いまして、此の頃は『甘露の法雨』を読むのも止めたんですが」とこう言われるんです。

 そこで私は“村岡ツル子さんのお嬢さんの痣が、見詰めている間は消えなかったが、見ないで唯だ祖先に感謝の心で『甘露の法雨』を誦げているとその痣が消えてしまった”という前の実例を話して、
 『あんたもそうしなさい』と言いましたら、
 「あ、それで先生わかりました。実は先生、この子供はこの鼻の先に痣があるだけではなっくて、この後頸部(こうけいぶ)の所にこれどころじゃない大きな赤い痣があったんです。ところが、生長の家の赤ん坊の育て方は“あまり抱くな”というので、お乳を飲ます時以外は仰向けに寝かしておけというから仰向けに寝かしておいて育てたんです。そうして『甘露の法雨』を読んでおったら、赤ん坊の時は仰向けに寝かしつけてあったのですから──後頸部の箇所(ところ)は一寸も見ないでおったのですよ。そうして『甘露の法雨』を誦げとったら、見ないでいた頸(くび)の方の痣は消えちゃったんですよ、先生この子の頸を見て下さい。まだよくよく見ると一寸桜色みたいに薄桃色みたいになっているでしょうが、これがねえ、ひどい痣だったのが消えたんですよ。やっぱり、見ないで『甘露の法雨』を読んだら消えるということが分かりました」と言って喜ばれたのでした。

 そして翌年、また8月に講習がありました。そしてやっぱり中島さんのお宅で泊めて頂く機会に恵まれたのであります。前の年から一年も経ちましたから、その子はもう自由に走り廻っるようになっていました。お嫁さんがその子を連れて来まして、
 「先生、この子の顔を見て下さい。すっかりキレイに痣がとれました」と言われました。
 見ると、その鼻の赤い痣はすっかり、キレイに治ったわけです。

だから病気というものは、心に病気を把(つか)んで“これを治そう”“もう治ったかしら”なんて思って、症状を毎日点検しているようなことでは駄目なんですよ。症状はどうであろうともそんなものは全部心から放してしまって、何にも悪いもののない、病気も不幸も何んにも無いと、一切が完全円満なる実相の世界に突入してしまうことによって、病気というものは消えるものなんであります。だから聖経『続々甘露の法雨』には次のように説いているのであります。


  無機物が硫酸の劇作用に触れたるときの破壊と、
  肉体に起る炎症又は糜爛(びらん)とは別物なり。
  たとい硫酸が胃の粘膜の内面を破壊するとも
  その次の瞬間より瘡面(そうめん)に腐爛(ふらん)なき新肉芽(にくが)を発生し
  回復を続けるもの、
  これ生ける生命体(せいめいたい)なり。
  物質療法はただ結果をみて、
  結果を緩和する処置をするに過ぎず。
  病(やまい)の原因は「心」にあり。
  しかも「迷いの心」にあり。
  汝ら「迷い」に捉わるることなかれ。
  迷い」を去り、汝の生命(せいめい)が「神の生命」なる実相を諦観(たいかん)せよ。


  血液の循環は心に従って自在に変化す。
  速脈も遅脈も恐るることなかれ。
  ただ羞恥の感情すらも
  血液の流れを顔面に逆流せしめ、
  ただ驚愕(きょうがく)の感じすらも
  心臓をして早鐘(はやがね)のごとく動悸(どうき)せしめん。
  心平和となれば心臓の働きも亦平和に恢復(かいふく)せん。
  すべての病を癒す道は
  先ず汝の感情を平和ならしむるにあり。
  憎しみによる心の不調和により生じたる病いは
  憎しみに代(か)うるに愛を以ってすれば癒えん。
  不平に伴う心の不調和より生じたる病いは
  不平に代(か)うるに感謝をもってすれば癒えん。
  悲しみによる心の傷より生じたる病いは
  悲しみに代(か)うるに悦びの情(こころ)を起せば癒えん。

  汝ら常に愛し、
  感謝し、
  悦びて公の仕事にいそしめば、
  すべての病いは汝を冒すこと能(あた)わず、
  既に病いある者も速やかに癒ゆること必定(ひつじょう)なり。


 その聖経の一節にふさわしい心臓病の癒やされた実例を次に紹介することに致します。それは、瀕死の重態の心臓疾患が聖経を読み、親に感謝する心を起すことによって癒えた実例であります。

昭和43年1月27日、奈良県公会堂で生長の家の講習がありました時に、五条市須江町の旅館業伊奈ゆき子さん(当時50歳)が話された実話です。

  ……(前略)本当に、初め私は心臓を悪くしまして、もう明日死ぬか明後日死ぬかというて、もう死ぬこと許(ばっか)し考えていたんでございます、そしてその頃、私は親の恩ということを一寸も知らなかったんでございます。恥ずかしい話でございますけども。……けれども、この教えを小西先生に教えて頂いて、初めて親の恩を知らして頂き、そしてもう人に愛を与えるということを諄々(じゅんじゅん)と説いて聴かして頂くんですけども、はじめは何だかサッパリ解らなくって、ほんとに何んで私だけがこんなに責められるんか知らんと思っておりましたけども、「これを読みなさい、これを読みなさい」と言うて枕元へ『甘露の法雨』を置いて下さいまして、その『甘露の法雨』をはじめて自分が読んだ時に、本当にもようこそようこそ……こんな嫁をこんな妻を……よう今まで置いてくれた、愛してくれたと思えば、本当に申し訳のうて申し訳のうて、涙がもう枕元にこない(手まねする)なるんでございます。涙と洟(はなみず)とでね。そしてもう本当に“ああ申し訳なかった、悪かった、もう自分が今まで他(ひと)を愛することをせんと愛されること許(ばか)し考えておったために、自分がこんな病気になったんだなあ”と思って、もう本当に悪うて悪うて申し訳のうてもう……ほんまに一杯の思いでございまして、そしてその心臓を治して頂いて、初めて信貴山(しぎさん)の練成会に……一泊見真会に寄せて頂いた時に、大分坂道がありましたけども、子供を背負うて、その坂道を歩きましたけど、その心臓なんかもう忘れておりましてね、小西先生に「本当に先生に、あの時、もう死ぬか明日死ぬか、今日死ぬかと思うとったのに、こんな坂、子供を背負うて上がれるとは夢にも思うとりやしませんだ」と言うてよろこびまして、そして其麼(ほない)しておりましたけども又自分の罪深いためか胸を病んで、そして主人の三角関係も出来ておりました。

そやけども、この教えを実行に移した時に、本当は主人は素晴しい観世音菩薩となって顕れて下さいまして、そして感謝しておりましたら、もう元気になって働いておりました時に夜更けになりましたら、この心臓が、夜1時頃になるとピンと琴線を引かれるようになって目が覚めるんでございます。そして、朝4時頃まで眠られないんですね。それでも昼は何とも疲れないで元気に働けるんだけども、そんなことが10日位続いたんでございます。そうしておりまして、一所懸命に夜は神想観して、“そんなもう眠られんていうことはないんや、1時間や2時間しか眠てないけど、昼こんなに疲れんと働けるのは有難い”としておりました時に、朝方に気いつきましたら、谷口先生が私の傍(そば)に居て下さるんですね。

ああ勿体ない、私のところへと思って、
 「ああ先生、この服の裾をちょっと摑(つか)」まして下さいねえ、先生の救いの念波を私にちょっと下さいねえ」って私がお願いしましたら、谷口先生が本当にね、「私から救いの念波は絶えず出ているんですよ。貴方達は受けたらいいだけですよ」って仰言(おっしゃ)って、私の背中にピタッとこう手を当てて下さいましたんでございます。そしたらもう全身が、えもいわれぬ暖かい感じに包まれまして、ああ有難い、有難うございますって言う頃に時計の音で目が覚めて、ああ夢だったんだと思ったときに、小西先生の所へ走って行きまして、「先生、ゆうべ谷口先生が、私のとこへ来て下さいましたんです」って言うてね、よろこびまして、それからどんどんと元気になりまして、もうこの頃は何でも願うことが全部(みな)あらわれて、うれしいことばっかしが現れて、私よろこんでおります。

本当にこの教えの素晴しさを……もうこれから1人でも多く……神誌を毎月ふやして、あの人に読んで頂こう、この人に読んで頂こうと思うて、そんなこと許(ばか)し考えている現在でございます。どうぞ皆さんも、この教えを実行にさえ移したら、必ず倖せに、健康になることを私はここで確信させて頂きました。有難うございます。
 谷口先生 ありがとうございます。


 この伊奈ゆき子さんの体験の中に、夢の中に私の姿があらわれたという話があるが、私は常に信徒の幸福や治病のために祈っているからその霊波が霊姿となって霊媒的能力のある人に感じられても不思議ではないのである。ブラジルなどでは、未だ「生長の家」の名も知らず無論私の顔など知らぬ婦人や、市長が夢の中で私を見て、その後、私に直接会って、その霊姿が私(谷口)であったと確認された話が屡々(しばしば)あったのである。



 次に紹介する大久保権治氏の礼状は、昭和14年交通事故により背面全身打撲を受けたその時の内臓出血と見られるものが体内に瀦溜(ちょりゅう)していた結果、身動きならぬ苦痛が起って来て中々治らないので、奥さんの友喜枝さんが去る4月19日第金曜日の本部白鳩会の集まりに出席して、私にどうしたら治るか尋ねられたので、聖経『甘露の法雨』を読みなさいと指導したところ、毎日夫婦して『甘露の法雨』を読んでいると言われるので、1日何回読んでいるかとお尋ねすると、一回宛(ずつ)読んでいるとのことであるので、『甘露の法雨』のほかに病気の場合には『続々甘露の法雨』を1日3回読誦(とくじゅ)しなさい。そして『生命の實相』の第1巻から大体6巻(愛蔵版。頭注版では第1巻から第12巻)までに「病気無し」の真理が主として書かれているから、その部分を充分読んで「病気無し」の真理を充分体得しなさい。聖経を読む場合には病気をあるとして心につかんで、その「病気を治そう」と思って読んでは効果が薄いから、「病気無し」の信念をもって聖経を1日3回以上読誦しなさい。特に『続々甘露の法雨』は病念を去る真理が書かれているから、病気の人は特に読まれるがよいなどという指導をしておいたのである。

ところがその通り実行せられると驚くべき奇蹟が起って交通事故で内臓出血をしたものが腐敗して瀦溜(ちょりゅう)していたと思われる悪臭ぷんぷんたるものが肛門から勢いよく排泄されて多年の病苦が一時に解消したという礼状があるのである。

その外(ほか)友喜枝夫人の肺結核の空洞が消滅して手術不要になった事実など色々参考になることが書かれているので、その全文を次に掲げて皆さんの信仰を深める資料にすると同時に『続々甘露の法雨』講義の際であるので、同聖経がこんなに功徳があるという現証としたいと思うのである。さて次は、その大久保さんの礼状である。


   合掌 有難うございます。私共夫婦は生長の家に教えによって救われた者でございます。 甚(はなは)だ略儀ではございますが、御礼と感謝の意を表したく拙文その意を表し得ましたかどうか、書中失礼乍ら御眼にかける次第でございます。

   浅草に生れました私は富士尋常小学校に学び校長、上沼久之丞先生の薫育(くんいく)を受け、昭和7、8年頃に『生命の實相』を拝見したと記憶致して居ります。昭和14年交通事故に依り背面全身打撲を受け4ヶ月の療養後、家業(酒類販売)に就きました。この当時、兄弟姉妹は不和でありました。(昭和41年5月6日、本部白鳩会席上、谷口輝子先生に私が当時の病名多発性リュウマチについて妻が質問いたしました折、兄弟姉妹が不
和の原因と伺い、思い当りましてこの時から和解の祈りを始めました)昭和22年晩秋復員後から、右脇腹の痛み激しく起り全身的な痛みとなり、神経痛・多発性リウマチスと診断され就業時間がこの時から年々減じてきました。この頃から種々の仏書を読み漁(あさ)り『生命の實相』も読了し乍ら未だ神意を汲み取れずに居りました。

 昭和35年俳句が御縁で天谷友喜枝さん(現在、妻)を知り、生長の家の話を聞き生命の實相探求をはじめましたところ、結婚を約した友喜枝さんが昭和37年5月肺結核再発し中野療養所に入所致しました時から、2人して神想観、聖経読誦、本部の個人指導、神癒祈願をお願い致し、御教えの人間本来無病の祈りに専念致しました。昭和39年秋には友喜枝さんの左肺2個の空洞も消え手術も不要となり退所致し、40年6月医師の許可を得て築地本願寺にて結婚式を挙げることが出来ました。個人指導を頂きました故池田先生に御礼の御挨拶を申上げました。友喜枝さんは現在片肺機能不全とのこと乍ら、家事に専念し一見健康なる妻の日々を送らして頂いております。友喜枝さんの母、天谷美智子様は古い白鳩会誌友でありました。この体験は昭和42年7月八王子市民会館に於ける谷口清超先生の大講演会席上、体験発表を東村山支部市川孟様のお計らいでさせて頂き、皆々様から祝福を受けさせて頂きました。有難うございます。

 昭和42年3月永い間不和でありました妹から是非会いたいとの電話があり、17年振りの再会をすることが出来、和解の祈りが届いたと妻と2人で感謝の祈りを致して居りました。それから長姉(あね)とも17年振りで会い、次姉とも会え、2人の弟とも会えると云う誠に思いがけない解決が得られまして神様の御恵みに今更乍ら感謝致して居ります。昭和42年5月1日夜、右脇腹の痛みが激しくなり全身の痛みとなって寝返りも打てず、勤めを止めて病いなしの本然の姿になるべく、祈りの毎日を送るうちに大塚敬節先生に御縁あって診て頂きまして、弱胃腸(強い薬のための結果)、盲腸の癒着のお薬を頂く一方、神癒祈願をお願い致しました。7月には下痢も留り9月から仕事に就く予定の処、背骨が3ヶ所腫れて痛み、仰向けに就床(しゅうしょう)出来ぬことになりました。12月にはレントゲンで診て頂いたところ、変型性脊椎関節症とのことでコルセットベッドに入院を申し渡されましたが、身体(からだ)の動けぬ時以外は絶対に床に就かぬ心での日を送って来ましたので、コルセットをはめることで医師も納得しましたが、それきりで他の医師の医療を止め大塚敬節先生一本槍としました。この頃は神想観中及び聖経読誦中に、何か自分の現在の体は不要となり、新しい体が授かるものという感じが日々に強くなりました。全ては神様にお委(まか)せすると云う心になりました。市川孟様にこのお話を申しました処、それは谷口雅春先生の片栗粉のお話し通りいつか色の冴えた片栗粉が得られるようになるでしょうとのお言葉でした。

今春、誌友会で日野西恵美子様と知り合いお住所が近所で時折、往き来致すうち日野西様のその素晴しい生命力に接して一層精進の心を固めました。そして全ては神様の思し召しのままなるものと確信して祈願にいそしみました。

43年4月19日本部白鳩会席上、私を救いたい一心から妻が失礼をも省みず発言致しました処、先生から聖経『甘露の法雨』『続々甘露の法雨』を一日3回以上読誦、『生命の實相』第1巻から第6巻まで繰返し拝読の御指示を頂きまして、また医薬をやめて病なしの信念を以って、その夜から御指示通りに妻と2人で実行致して居りました。昨年来、病いなしの信念で生活して居りました故か、会う皆様から病人のようではない、明るいと言われて居りましたが私の心のどこかに未だ病を摑んでいたのでございましょう。

4月19日夜から御教え通りに実行して3日目の4月21日夜、突然右脇腹から下腹部にかけて激痛を感じ苦痛のため床に就き、翌22日は苦痛のまま床で過ごしました。午後から異臭のガス排泄あり、23日早朝、異臭の尿、ガスの排泄と共に何か塊が肛門から勢いよく飛び出し相当の出血がありましたので、直ぐ床に入りグッスリ寝込みました。眼が覚めまして空腹を感じ早速食事を頂きましたが、何か早朝までの自分でない点に気付き、妻に背骨を押して貰いましたところ一寸触れても飛び上がる痛みが幾ら押しても少しも痛まず、胸の苦しさも去りすっきりとして気も晴れ晴れと致し、ここ20余年なかった清々しさの自分を見出しました斯様(かよう)に20余年来の苦しみが忽念(ことねん)と消えましたのは、全ては御教えにより私の不明の点が氷解したものと早速2人で仏前で神想観をし、聖経を誦げて大神様に感謝のお祈りを致しました。

4月24日大塚敬節先生に診て頂きました処、何が出たか判らぬがとにかくよかったと喜んで下され、早速快気の挨拶を致しました。肉親はじめ全ての皆様から、よかったよかったとのお言葉を頂き感謝の毎日であります。

斯様な次第でありまして永年ひたすらに祈り過した私共が今回の喜びを得ることが出来ましたのも妻が先生から御教えの御言葉を頂くことによって、小生の永年の不明が氷解致すことが出来ましたことは、筆舌に尽せぬ有難いことでございます。先生に御礼の言葉をどのようにして申し上げようと案じていましたが、日野西様が手紙で申し上げるのが先生の御多用の毎日から考えて一番良い方法ではないかと助言を受けまして、斯くは乱筆ながら御礼の御挨拶を申し上げる次第でございます。有難うございます。                 合掌

 追伸
 腹中から出た異物は、過去の交通事故の際の内出血が塊り(直径約4.5センチ)となり直腸を突き破って肛門から出て来たものと云う説が現在では一番適切な言葉と伺いました。
 生長の家の大神様有難うございます。
 谷口雅春先生有難うございます。
   昭和43年6月24日                      大久保 権 治
                                       友喜枝
  谷口雅春様




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