| [2110] 議論の種を蒔き続け、マサノブ君の擁護温存を図る「トキ」さん、―――そこには開祖・谷口雅春先生の『御教え』復活への情熱は何も感じられない! |
- 千葉周作 - 2016年02月10日 (水) 18時20分
「トキ」さんという人は、本当に“議論好き”な人である。開祖・谷口雅春先生は「真理を理屈で理会しようとする事は、真理の周りを堂々巡りをしているだけで、いつまで経っても真理の奥堂へ入ることは出来ない」、「時々、生命の實相研究会の様な会を開いている人がいるが、生長の家の教えは既に完成されたものである。実践あるのみである」、「真理を自分のものにする為には、赤ん坊が母の乳房を求めて膝を這い登っていくようにして真理を求めて行かねばならない」と言われているのである。
「トキ」さんは、開祖・谷口雅春先生のこの求道に関する誡めに真っ向から対抗している。「トキ掲示板」に於いても、盛んに「議論歓迎!」を叫んでいる。かくして「トキ掲示版」は“お喋りサロン”として議論好きな人達が相集う掲示板となっているのである。「トキ」さんは基本的には、マサノブ擁護温存の姿勢であり、開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』復活に対しては“なんとしてでも!”という姿勢ではない。時々、「トキ」さんは、現教団の運営方針にクレームをつけた意見を投稿しているけれども、しばらくするとまたマサノブ君擁護の投稿文を書くこともしばしば。この様なところから、「コウモリ軍団」とか「内股膏薬」とも評されているのである。マサノブ君の方針の是正を求める。本流復活側の考えも理解できるが、かといって自分は本流復活側を支持する者ではないとも言っている。最近になって漸く教勢衰退を食い止めるためには、開祖・谷口雅春先生の教えに帰るしか道なし、と主張しだしたが、これまでは世間的常識である「足して2で割る」式の「和解」案を繰り返してきた。「和解念仏和尚」というニックネームも付けられた。
四面楚歌・孤立無援に陥って、いよいよ追い詰められたマサノブ救済策としての『教団再生の道』をマサノブ君は「トキ掲示板」に打ち出したが、これまた線香花火の如く消え去った。そこで、マサノブ君の救済の為の窮余の一策としてであろうか、今回、下記の如きマサノブ擁護温存論をまたしても打ち出したのである。やはり、「トキ」さんは裏でマサノブ君と繋がっていたのである。そして、議論のタネを掲示板に蒔いて、議論活発化によって少しでもマサノブ君を擁護し、延命をはたし、どこどこまでも温存を図って生きたいのである。
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2/9「トキ」さんのマサノブ総裁「擁護論」の要約(投稿NO.131・132)
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=toki2&mode=res&log=29
@ 谷口雅宣先生は、おそらく、世界的な潮流として、政治思想に保守とリベラルがあるとしたら、紆余曲折はあるにせよ、最終的には保守的な思想は敗北し、リベラルが勝利する、という発想をもっておられるような印象はあります。さらに想像をすると、政治的にリベラルな発想が世界を制するべきだ、というのは、個人的な信念だけではなく、人類の未来とか世界の平和という観点から見ても必要である、という考えを彼は持っていると思われます。
A ところが、生長の家という宗教を見ると、天皇制を全面的に肯定し、家制度を援護し、霊界話を前提に話をするなど、合理主義やリベラルの発想では説明できない内容を含んでいます。谷口雅宣先生の価値観からすると、このままではリベラルな思想が勝利したときには、生長の家は時代遅れの信仰であると批判され、同時に、リベラルな時代に逆行したと糾弾されるということになります。すると、彼の発想では、生長の家総裁としてなすべきことは、生長の家を保守からリベラルな信仰へと転換することだということになります。それをすることが信徒を正しい道に導き、教団を繁栄させ、世界の平和にも貢献をすることになるからです。
B 歴史的に見ると、こういう発想をすること自体は別に不自然なことではありません。宗教団体といえども社会的存在である以上は、社会の流れとは無関係ではいられないのです。そして、そのような目的を達成するためには、従来の旧習を放棄し、自由な発想で運動を展開することが、自由や人権、平和と信仰との調和の観点から求められる、ということになります。信仰というものが社会通念から逸脱した存在であってはならないということになります。すると、普通の人でも理解できる事例、例えば、ヒルクライムとか家庭菜園から信仰に入る人がいても良い、という発想があっても良い、ということになります。
C ヒルクライムや家庭菜園から自然保護運動や環境保護運動へとつなげて、その上で、自然神のような発想へとつなげれば、生長の家の信仰とも繋げることができるかもしれません。従って、ヒルクライムも家庭菜園も、彼の発想では、何も問題はない、ネットでヒルクライムや家庭菜園を批判する人は、従来の古い考えから逸脱できない遅れた、哀れな人であって、これはほっておけばいいのです。 以上、敷衍すると、谷口雅宣先生の理論が実施されたら、教団は繁栄し、信徒は喜び、世界は平和になり、人権や自由な社会がもたらされる、ということになります。
D 谷口雅宣先生の脳内では、おそらく、自分の基本的な方針は理論的には完成しており、あとは、それをどう実践するかだけである、という結論になっているのでしょう。谷口雅宣先生は、日夜、教団を正しい方向へと導くため、自ら範を示し、自転車に乗られたり、家庭菜園をされているのです。
E どうして、教団はここまで悲惨な状態になっているのか、それは、谷口雅宣先生の理論は完全ですが、それを実践する幹部や信徒がおかしいから、ということで説明できます。
F 谷口雅宣先生が私利私欲で教団を私物化しているとか、または、自分の政治的な信念を実現するための手段として、教えをねじ曲げる、というのは違うとおもいます。あくまでも善意でやっていることなのです。
G どんなに美しい理論でも、結果がでなければ、それは「間違いである」ということになります。わざとした場合を「故意犯」とするならば、わざとではない場合は「過失犯」ということになります。しかし、理論が正しくないという点では同じです。
<講評>
@ まず、最初に指摘されなければならない事は「トキ」理論には大きな矛盾がある。「トキ」さんは、「谷口雅宣先生の理論は完全」という。しかし、その理論に基ずく“結果”は惨憺たるものであった。なぜ惨憺たる結果に終わったか?それは「実践する幹部や信徒がおかしかった」からだと言う。しかし、マサノブ理論を(アホラシクテ)熱心に実践できない幹部や信徒の行動予測を始めから計算外に置いて組み立てられたマサノブ理論は、始めから不完全不備な理論だったのである。この点がまず「トキ」理論の矛盾点であり、「トキ」理論が最初から破綻を来している点である。
A 「トキ」さんは、宗教や信仰というものに対する考え方が根本的に間違っているが故に、可笑しなマサノブ擁護論を展開するハメになってしまったのである。宗教と信仰の対象は、「久遠悠久、永遠不滅の絶対的“真理”」である。「トキ」さん、曰く「信仰というものが社会通念から逸脱した存在であってはならない」と。これは逆である。社会通念が「真理」から逸脱すれば社会的混乱が生ずる。社会通念を正常化してゆくのが「真理」であり、宗教と信仰の使命である。如何に、時代が変遷して行こうとも、地球上の人たちの病悩苦はなくならない。如何に唯物肉体医学が進歩発展しようとも、唯物肉体医学では治癒出来ない病気は次々と発生する。此処に超物質的治療(メタフィジカル・ヒーリング)、つまり『真理』の出番があり、時代が如何に変わろうとこのことは変わらないのである。個生命の進化、輪廻転生を通しての真理の把握、三世を貫く因果の法則の自覚、ここに人間存在のための宗教と信仰の必要性が存するのである。宗教や信仰は時代の変遷に振り回されるものであってはならないのである。「トキ」理論、「マサノブ」理論は此処のところで主客転倒の基礎的マチガイを犯しているのである。
B これからの時代趨勢として、「紆余曲折はあるにせよ、最終的には保守的な思想は敗北し、リベラルが勝利する、リベラルな思想が勝利したときには、生長の家は時代遅れの信仰であると批判され、同時に、リベラルな時代に逆行したと糾弾される」と「トキ」さんはマサノブ君の思想を支持している。「天皇制を全面的に肯定し、家制度を援護し、霊界話を前提に話をするなど、合理主義やリベラルの発想では説明できない内容を含んでいる」「雅春先生の『御教え』は時代遅れの思想である」、と「トキ」さんはマサノブ君の思想を支持している。「久遠悠久、永遠不滅の絶対的“真理”」など時代趨勢の変化の前には無力であって、いつまでもそのような『真理』を固執していたのでは、時代の敗残者となる、というのである。「トキ」さんも、おそらく「地方講師」の一人であろう。それも「教務」とか「準教務」と云ったエライさんであろう。現教団にはこの程度の講師しか残っていないのかと情けなく思うものである。『真理』の何たるかが理屈では理解していても自己生命の「生命の實相」では理会できていないのである。本流復活側の熱心な信徒であれば、「久遠悠久、永遠不滅の絶対的“真理”」は、常に中天に光輝燦然と輝く太陽の如きものである事くらい知っているのである。
C 「トキ」さんは,マサノブ君同様、“歴史”というものの理解に欠けているのである。開祖・谷口雅春先生の『古事記と日本国の世界的使命』の御文章を幾回でも納得が行くまで読み返すべきである。――
<『古事記と日本国の世界的使命』4〜5頁>
「歴史と言うものは、現象界に實相が如何に投影し表現されて来るかということの、その現われ方、即ち實相が現われる場合の作用、反作用という風なものを次第に追うて並べて行くことによって、その民族に如何様に實相が現われ、實相が現われんとするに当って如何に反作用を起こし、自壊作用を起したかを知り、それをずっと時間的に貫いて観てそこに實相が如何なる相を以って現われるかという事を知ることによって、大宇宙に於ける日本国の位置及びその将来性を知り、現在自分が国家構成の一員として及び個人として如何に生きて行くべきものであるか、将来この世界は如何に発展して行くべきものであるかということをはっきりさせるためのものが歴史の研究であります」
この開祖・谷口雅春先生の御文章が正しく理会できておれば、上記の「宗教団体といえども社会的存在である以上は、社会の流れとは無関係ではいられないのです。そして、そのような目的を達成するためには、従来の旧習を放棄し、自由な発想で運動を展開することが、自由や人権、平和と信仰との調和の観点から求められる、ということになります。信仰というものが社会通念から逸脱した存在であってはならないということになります。」という主客転倒したことは言えないはずである。だから、マサノブ君の思想と価値観は、開祖・谷口雅春先生の思想と価値観(唯神實相論)とはまったく違う「サヨク的唯物現象論」という事になるのである。
D 「トキ」さんは言う。「谷口雅宣先生が私利私欲で教団を私物化しているとか、または、自分の政治的な信念を実現するための手段として、教えをねじ曲げる、というのは違うとおもいます。あくまでも善意でやっていることなのです。生長の家総裁としてなすべきことは、生長の家を保守からリベラルな信仰へと転換することが信徒を正しい道に導き、教団を繁栄させ、世界の平和にも貢献をすることである」と、「トキ」さんはマサノブ君を擁護している。マサノブ君は、純粋な人間(宗教家)・私利私欲なき人間(宗教家)・善意なる人間(宗教家)―――確かに、實相マサノブ君はその通り、しかし、現在のマサノブ君は十重二十重の厚い迷いの雲に神性隠蔽されている状況下にある。然らば、「トキ」さんに問う。
1、 清超先生の認可なく、勝手に「法燈継承者」と公言・広言する事は、果して純粋な正直で真面目な宗教家(人間)だといえるのであろうか?
2、 開祖の『御教え』を換骨奪胎して、自分の思想信条のサヨク唯物現象中心の教えに転換したのは果たして純粋な私利私欲なき、真面目で善意そのものの宗教家(人間)といえるのであろうか?
3、 開祖・谷口雅春先生の『御教え』を何処何処までも信奉せんとする義兄・実弟・本部講師達を教団外へ追放処分してシャーシャーとしているのが、純粋な私利私欲なき真面目で正直な善意溢れる宗教家(人間)だといえるのであろうか?
4、 開祖の御著書のなかで、サヨク反日のマサノブ思想に反する御本を再販停止(事実上の絶版)にする事は純粋かつ私利私欲なき真面目な性格の宗教家(人間)と言えるであろうか?
5、 実母の恵美子先生を軟禁状態同然の生活をさせていたこと、どうして純粋な真面目な宗教家(にんげん)などと言えるであろうか?
6、 清超先生のお通夜の席での恫喝的暴言、清超先生の御実家である荒地家の人たちを門前払いしたこと、どうして純粋な宗教家(人間)だと言えるであろうか?
7、 信徒や幹部の諫言的意見や改善意見を封じ込め、絶対的独裁運営を行なってきた冷淡・冷血マサノブ君を、どうして純粋な私利私欲なき、善意に満ちた宗教家(にんげん)だと言えるのであろうか?
8、 自己決済の高額年俸、副総裁退職時の破格の退職金の着服?、自宅を○千万円で教団に買取らせての自己資金化、信徒の浄財で教団赤字埋めの為の株式市場での利ザヤ稼ぎ、―――どこに私利私欲なき宗教家の姿があろうぞ?
9、信徒の浄財を独裁権限で使って、清超先生の禁じられていた本部移転を行なって豪華ログハウス建築「森のオフィス」を建築して、百万円?もする豪華な薪ストーブのある総裁邸を新築して、優雅な宗教貴族として、春は花見、夏は涼風、秋は紅葉狩りとキノコ狩り、自転車競技とバザーで自由勝手に気ままに暮らす、その間を縫って全国に観光目的の小旅行、そのついでに環境講話の講習会・・・いったいどこに善意に満ちた私利私欲なき宗教家の姿があろうか? 人間中心主義と近代工業社会の資源の浪費を批判しながら、その生産物を最大限に利用して「自然との共生」と言う。自己の主張に本当に忠実な私利私欲なき純粋な行動を取る真面目な宗教家なら完全な言行一致―――自給自足の自然生活に入るはずだ。マサノブ君は、「自然との共生」と言う言葉を隠れ蓑にして宗教貴族と化した。それを「トキ」さんは、「普通の人でも理解できる事例、例えば、ヒルクライムとか家庭菜園から信仰に入る人がいても良い、という発想があっても良い、ヒルクライムや家庭菜園から自然保護運動や環境保護運動へとつなげて、その上で、自然神のような発想へとつなげれば、生長の家の信仰とも繋げることができる、ヒルクライムも家庭菜園も、彼(マサノブ君)の発想では、何も問題はない、ネットでヒルクライムや家庭菜園を批判する人は、従来の古い考えから逸脱できない遅れた、哀れな人であって、これはほっておけばいい」、というマサノブ君の考えを容認しているのである。このように、ヘンな理解できない理屈をつけてマサノブ君を擁護しているのである。
<総括>
要するに、今回の「トキ」さんの投稿文は、マサノブ擁護温存のための、矛盾に満ちたオカシナ、オカシナ内容のものであり、まさに「コウモリ軍団」であり「内股膏薬」である。これで又、「トキ」さんは信用を失った。「本流復活」運動に水をさしたのである。今こそ「トキ」さんもわれわれと連帯して「マサノブ辞任」を組織内部から推進して、マサノブ君を教団から退去させねばならなかったのに、「トキ」さんはマサノブ擁護温存に再び舵を戻したのであった。これで「トキ」さんの先日言った言葉「教団の混乱を解決するためには、開祖・谷口雅春先生の『御教え』に戻ることしかない」という言葉は、「トキ」さんの時流迎合主義による発言であったのだ。また何時ひっくり返るか分からない。かくして「コウモリ軍団」は双方から相手にされなくなって行くのである。「トキ」さんが名誉挽回するためには、「教勢衰退」と「教団赤字転落」の責任をマサノブ君に取らせて「総裁辞職」・「教団退去」へと追い込んでいくことだけなのでる。
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