| [2139] アメリカの国益のためのみに 占領軍から強要された日本国憲法 |
- 広報 - 2016年02月12日 (金) 10時13分
日本国憲法の出自(うまれ)は、きわめていかがわしい。
今日まで日本のマスコミや識者が、日本国憲法を「平和憲法」と呼んでいるが、日本が先の戦争に敗れた直後に、アメリカの占領軍が日本に押し付けたものだった。
アメリカという外国のために、つくられたものだ。
日本は陸海軍が完全に武装解除され、国土が灰塵(かいじん)と化し、国を守る軍という楯を失っていたので、占領軍が無理じいするのを、受け入れざるをえなかった。
アメリカは日本を占領すると、まだ、半年――6ヶ月もたっていないうちに、マッカーサー元帥の総司令部が書いた日本国憲法案を日本政府に示して、有無(うむ)をいわさずに受諾することを強要した。そのなかで、第9条が日本が「戦争を放棄」し、「戦力」――軍隊を永久に保有することを、禁じていた。
いったい、アメリカは日本という国の国益を考えて、日本に日本国憲法を与えたのだろうか?
もちろん、そのようなことはなかった。アメリカの国益のみ考えて、日本に日本国憲法を強要したのだった。
日本が軍隊を持つことを許されず、未来永劫(みらいえいごう)にわたって丸裸になれば、アメリカによる保護に、永久に身を委ねるほかない。日本をアメリカの属領のような属国とすることを、はかったものだった。
昭和天皇は日本国憲法案を御覧になって、流石(さすが)に不安になられて、日本国憲法が公布される前に、マッカーサー元帥と会見された時に、「アメリカはいつまでも、これからずっと、日本を守ってくれるのだろうか」と、御下問されている。マッカーサーは「日本をいつまでも守る」と、答えている。
日本国憲法は敗戦の翌年の11月に、公布された。
繰り返すが、日本国憲法は日本の国益を思って、制定されたものではなかった。アメリカのために、日本に押しつけたものだった。
私は40年以上も、アメリカに通って日本国憲法の制定の経緯(いきさつ)について、調べた。
アメリカのルーズベルト政権は、昭和16(1941)年2月だったが、国務省のなかに極秘裡に「特別研究部(スペシャル・リサーチ・ディビジョン)」(SR)を設置して、日本と戦って、日本を壊滅させた後に、日本をどのように処理するか、研究するチームを発足させた。日本が追い詰められて真珠湾を攻撃した、10ヶ月も前のことだった。
ルーズベルト大統領は、日本を憎んでいた。開戦のはるかに前から、日本に戦争を強いて叩きのめすことを、決めていた。(詳しくは、拙著『なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか』〈祥伝社新書〉を読まれたい。)
SRの若き一員に、戦後、コロンビア大学で教鞭をとったヒュー・ボートン教授があった。私はボートン教授のもとに通って、真相を語ってもらった。
SRは日米開戦後に軍部が加わって、対日講和条約案を作製した。これは、じつに苛酷なものだった。
日本に軍備を保有することも、いっさいの軍需産業も、航空機については1機すら持つことを、永久に禁じるものだった。
日本が降伏すると、占領軍総司令官となったマッカーサー元帥に、この講和条約案を盛り込んだ憲法を、日本に強要するように指令が発せられた。 http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi 加瀬英明のコラムより
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