| [2178] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(11) |
- 信徒連合 - 2016年02月14日 (日) 08時59分
インターネット道場―――
体験実話特集
大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(11)
上級生10人に決闘状を叩きつけた勇敢な息子 滝本さんが、私に頼みに来た目的というのは、同氏の息子さんが甲南中学の3年生でした。けれども、5尺7寸(173センチ)位の背の高さで堂々としたプロレス選手みたいな体格をしていて、3年生のくせに5年生の生徒10人程を相手にして西宮の浜に於いて決闘(はたしあい)をしようというので決闘状を突きつけた。それが学校の当局に知られて決闘は行われなかったが、ある期間、停学処分になったのです。そして停学の期間が終わりまして、もう学校へ出席してもいいという様になったのですけれども、「学校に行きなさい」とお母さんが言うと、息子さんは、 「あんな学校へは断じて行かん。僕が正しいからああいう悪い奴は制裁を加えようと思って“果し状”を附けたのに、善い者を停学に処して悪い者を停学に処しないような、ああいう間違った学校へは断じて行かん。もう僕はこういう家に居るのも嫌だから、50円呉れ、出て行く!」って言うんでした。
その自分の50円というのは、それは昭和6年頃でしたから、大分値打がありました。兎も角、その頃では、170,180円位の給料取りというと素晴しいんですからね。「50円呉れ」と言うのは“3万円くらい呉れ”と言うのと同じかも知れん。 ところがお母さんの考えでは、50円遣ったら──そんな無鉄砲な坊やですから、何するか判らんから、お母さんが心配して弱っているところへお父さんが帰って来たんです。
「一体どうしたんだ」とお父さんの滝本さんがたずねる。 「いや、こういうことです」と母親が説明すると、息子は「お父さん、50円呉れ、この家出て往くから」と言ってきかない。 「そんな無茶なこと言わずに、もう少し待っとれ」と、言っても、息子はガラス障子をガタガタさせて、暴れて諾(き)かない所へ、生長の家の誌友の渥美保満さんが其処へやって来たというわけです。そして渥美さんが、 「そういう子供の相談なら生長の家に行ったらいい」と言って教えてくれたのです。
「生長の家という感化院(少年院のようなもの)があるんですか?」と滝本さんが言うと、 「感化院じゃないですよ」 「一体何ですか?」 「何ですか?って、人生百般のことは生長の家というところへ行けば皆な解決するんだから」 と渥美さんは言って、それで滝本さんを私の宅へ伴(つ)れて来たのでした。子供も連れて来ようと思ったが子供は随(つ)いて来ないので、お父さんだけが相談に来たのでした。
で、そんな話を聞いてから、私は、 「あんた、その息子を『不良だ、不良だ』って盛んに言うけれども、どこも不良じゃないではないですか。正義を貫くためなら、相手が10人であろうが、こちらは下級生で1人ででも、上級生10人を相手に決闘しようというのは、正義のためには命も惜しまないという中々立派な人格じゃないですか、昔なら幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべい)、清水の次郎長というところだ。そういう素晴しい息子を“不良だ不良だ”と、親が理解してやらないから、『こんな無理解な家には居らん、50円寄越せ』と言って暴れるのは無理がないじゃないですか。だから、子供っていうものは“認められたい”“愛されたい”“讃(ほ)められたい”“人のお役に立ちたい”“自由になりたい”という5つの願いというものがあるのに、“認めてやらん”“愛してやらん”“讃めてやらん”と、それで、こんな者は役に立たん”というので親も悦んでくれないし、自分の自由を束縛しようとする。だから、“認められたい”“愛されたい”“讃められたい”“お役に立ちたい”というその願いが1つも叶えられないから、せめて自由になりたいと、『家に居っても自由がないから、家を出て自由を得るために50円寄越せ』と言っているのだから、その息子さんの美点を先ず認めて、讃めてやることですよ。あんた家へ帰って息子さんに、『生長の家に行ってお前の事を相談したら、生長の家の先生がお前を讃めとったよ。お父さん、お前を間違えとったよ。お前は素晴しい者なんだそうだ』と言って讃めてやりなさいよ」 こう言って、私は滝本さんを帰したのでした。
すると、その翌日、その息子を連れて滝本金太郎さんが訪れて、私の前へ平身低頭して長い間お辞儀をしておられる。やがて、 「先生、有難うございます」 と言ってハラハラッと今度は涙を流して感謝されるのでした。親というものは、息子が家出を思い止まったというと、そんなに嬉しうて堪(たま)らんものなのですね。そして、滝本さんは、 「先生の言われた通りに、家に帰って息子に、『生長の家の谷口先生という人にお前の話をしたら、“何も其の息子は不良じゃないじゃないか、昔なら幡随院長兵衛か清水の次郎長というところだ。大いに見所があるじゃないか。正義のためには一歩も譲らんというそういう人格者は素晴しいんだ”と言って讃めておられたよ』って言いましたら、そしたら息子が、『谷口先生という人は、本当にそう言ったか?そりゃ谷口先生という人、大いに見所がある!』と言って、一遍、その谷口先生に会わしてくれ。家出しないことにしたというので伴(つ)れてまいりました」というのでした。
こっちが「見所がある」と言ったら、向こうがまた私のことを「見所がある」というのですね。やっぱり「立ち向う人の心は鏡なり……」で、こっちが向こうの良い箇所(ところ)を観てやれば向こうもこちらの良いところを観るんですね。不良の人間なんて神の創造(つく)り給うた此の世界にはないんです。兎も角そういうようにして、その息子さんは立派な青年に立還(たちかえ)ったわけなんです。
さて、その続きの話ですけども、その滝本金太郎さん、スタンダード・オイル会社の日本に於ける営業部長だったのですが、戦時中はアメリカの会社ですから、日本では仕事がなかったけれども、戦争が終わりまして亦スタンダード・オイル会社が日本へ進出して来まして滝本さんは引き続いて、その営業部長になって仕事をしておられた。そのうちに、“滝本さんが喉頭癌になって、入院して喉頭の手術をされた”という噂を私は星丘重一さんから聞いたのでした。その時、私は星丘さんに言った。
「ああ、いよいよ首を切ったですか! それで業が消えたのですよ。何しろ200人の内180人も馘切ったんですからね。“切る者は切られる”という法則があるんですから、ああそれで滝本さんの業が消えて良かった!」といって滝本さんを祝福しました。
後で聞いてみると、医者が感心したそうですね。普通の人は、まあ命に拘(かかわ)るような手術を受ける時には、「この手術をした後はどうなりますか?」「何日位したら、どのようになりますか?」なんて色々心配そうに訊くそうですけれども、滝本金太郎さんは俎(まないた)の上に載った日本の鯉みたいに、泰然自若として何一言訊かない。もう肉体は本来人間で無いことを悟って、肉体は人間の皮袋に過ぎないと、泰然自若としておられたので、医者が感心したというんです。
喉頭の手術後、滝本さんは暫く声が出なくなっておられたが。手術後暫くすると声が出るようになって、1年間許(ばか)り全治したように見えていましたが、またやがて癌が再発しまして、声が出なくなったのでした。癌の再発というのは、医者に言わせると大抵治る見込みがないので、駄目だということになるんですね。滝本さんも泰然自若と自分の運命に安住して、寝ておられたんです。
再発の喉頭癌が治って
ところが、大阪教化部に稲葉君子さんと言われる地方講師で教化部に住み込んでいらっしゃる女の方があって、この方が今まで十数人の癌の人を指導して治しているんですね。それで星丘重一さんが戦後、滝本金太郎さんと仕事の関係で仲よくしておられて、互いに連絡があって、“もう一ぺんこの滝本さんを生かしてあげたい”とお考えになって、“あの稲葉君子さんは、多勢の癌患者を導いて治しているから、一つ稲葉さんの話を聴かせてやりたい”と思って、滝本さんを紹介して、稲葉さんをして訪問せしめられた。
そこで、稲葉さんは滝本さんの枕元で、「人間は神の子、癌は本来無い」という真理を諄々と説いて聞かせたんです。その中に、霊感的に稲葉さんの頭に浮かんだのは、何か親類の人で癌で死んだ人の霊魂がまだ霊界で癌を継続しておって、その癌の苦しみの霊波を滝本さんに送っているので、その霊波が──丁度テレビの放送局から送られた電波が、テレビに映像として現れるように、滝本さんに現れているんだというような感じがするんですね。
高徳の先生で癌に罹って没(な)くなられる場合、霊界の霊に頼られた結果のこともある。『維摩経』に「衆生病むが故にわれ病む」という句があるのがそれです。稲葉君子さんは、「あんた、親類の人で誰か癌で死んだ人無いですか」 というと、滝本さんは考えて、 「そんな人ない」 「無い筈ないんですがねえ」 「それでも無い……」 「それじゃあ、親類の人でなくても、親類同様であんたに頼っとるような人で、それで癌で死んだ人はないですか」 「それならある、その友達は癌で死ぬ時に私に、残しておいた子供2人のことを頼んでいった。それで其の2人の子供を私は学資をやって今大学に出してやっている位なんです。その位助けてやっとるんだが、併(しか)し、彼が、今迷っておって私に憑(かか)ってくる、そんな馬鹿なことはないと思う。何しろ死に際に私は彼のために『甘露の法雨』1巻を読んでやって、棺桶の中へ『甘露の法雨』を入れてやったんだ。だからもう彼は悟っとる筈なんだけれども……」
と滝本さんが言いましたら、稲葉君子さんが、 「なにしろ生長の家の誌友になって20年間も『甘露の法雨』を読んどっても未だ悟らん人があるのに死に際に一ぺんだけ『甘露の法雨』を読んであげただけで、それでもう悟っとる筈なんて、悟りはそんな安易なものでありませんよ。しかし肉体をもって生きとる間は、肉眼で見ると“肉体はアル”とこう見えるから、中々『肉体はナイ、物質はナイ、病気はナイ』という真理を悟り難いけれども、霊界へ往って、もう肉体を本当に焼いた後の霊魂だけになってしまっておったら、『肉体はナイ、物質はナイ』ということの真理が一層よく解り易いから、だから、死んでからこの『甘露の法雨』を読んであげると、早く霊魂が悟るんだからその人の名前を唱えて聖経を読んで上げなさいよ」 と言われたんです。
それで毎日、滝本金太郎さんは聖経『甘露の法雨』をその人の霊の悟りのために読んだのです。そしたら、“癌の再発”はそのまま消えて、それが治ってしまったのでした。
滝本金太郎さんに最後にお目にかかった時
何時でしたか、生長の家の本部の参与制度が出来まして、目黒の雅叙園で、参与会の発会式がありましたときに滝本金太郎さんは参与に任じられて、再発の癌を征服して健康な姿で、私に挨拶されましたのです。頭の毛は7割ほど白くなっておりました。尤(もっと)も僕より12,3歳年輩の人ですからその時既に70歳を半ば過ぎておられたけれども、それでいて矍鑠(かくしゃく)として斯(こ)ういわれた。「先生、お陰で私はこんなに元気になりました。これからまた旅行です。(終始、会社の支店や出張所を巡回視察して監督指導助言のために歩いておられるのです)それで私は独楽(こま)のようにこうして旅行していると却って元気なんですよ」と言っておられました。
仕事に熱中する時病気は無い
独楽(こま)というものは、こう速力速く廻っていると真直に立っているが、速力が鈍って来るとフラフラッと傾いて倒れて来るのです。人間もまた、そういうもんなんです。本当に仕事に熱中している時には、健康はよくてフラフラにならないものですけども、仕事が無くなって妄想や心の隙が出来る暇があるとフラフラになるですね。
あの、死んだ先代の羽左衛門(うざえもん)という歌舞伎の名優が居りましたね。……70何歳(いくつ)で亡くなったのですが、あの人、楽屋に行くとスッカリ老人らしくなって腰が屈んでいるんだそうです。それで楽屋で、仕事がない時はヒョロヒョロなんですが、舞台へ出たらシャーンとしてしまう。はまり役の白井権八にでもなったら実にもう若々しい瑞々(みずみず)しい若侍(さむらい)になるんですけれども、それがもう楽屋へ入ると腰の曲がったお爺さんに還ってしまう。
心が弛(ゆる)むと、誰でも却ってフラフラの状態が現れるのであります。心がシャンとすると、肉体もシャンとする──人間は肉体じゃないので「理念」が生きているんですから、精神力が勝ったとき、理念のすがたにちゃんとこうなって現れるわけであります。だから、人間は仕事が無い程不幸なことは無いのであって、仕事をさして頂くということは有難いことだと思わんと可(い)けないですよ。
仕事は人身を売買するためにあるのではない
賃金が安いから仕事をさぼってストライキをしてもいいなんて、そんな馬鹿なこと考えたら大変な間違いである。生長の家に言わせると、仕事というものは、人間が地上に生れた時に使命として神様から与えられているものだから、神様に対する捧げ物として神聖な気持で仕事はすべきであって、賃金のために働かないのが当たり前なんです。要するに、賃金のために働いていた者は、これは皆な身売りでありまあす。
売春禁止法というものが問題になったりしましたけれども、あれは女の或る一部の粘膜を暫らく貸してやるというだけの仕事なんです。それでさえも人身売買として人は軽蔑します。だけどもですね、男の人が金を得るために、ハンマーを握ったり、種々(いろいろ)の仕事をして全身を使っているのは、これは全身を或る高の金銭で売ってるんだから、その方が余程人身売買ということになるわけですよ。兎も角、金のために働くのは皆これ人身売買であって、本当の民主主義的な、自主的な自覚が足らんということだと思います。
ですから、吾々は金のために働かず、使命のために働くという時に、初めて、人身売買が止(や)まって、職業の神聖性というものが出て来るわけなんですね。
こう言いますと、或る人は、“そんな馬鹿な。金貰わんと働いとったら生活に困るじゃないか!”と言うかも知れませんけれども、私はこうして喋(しゃべ)っとっても一つも金貰わないですよ。それでも、こうして私が喋った代償に、皆さんが講習費を払ったのを自分の懐に入れとったら、私は今自分大金持になっとる筈だけれども、だけども皆さんの納めた受講料は本部の宗教法人に収納されて、みな布教費に使われているけれども、こうして無料(ただ)で喋ってると愉快ですよ、本当に愉快ですね、無料(ただ)で働くことは。
それなのに、 「1時間1000円やるから、お前喋れ」 なんて言われると 「馬鹿らしくて喋れるか!!」 というようなことになるわけであります。だから無料で奉仕的に働くぐらい嬉しいもんはない。しかし与えるばかりしておったら、それじゃ生活に困るかというと、困らんわけなんです。自然と宇宙の生かす力が生活に必要なものをもって来てくれるのです。これを昔の人は「道心に衣食あり」といいましたね。ストライキでもして自分の働く代償としての賃金を競り上げても、いくら競り上げたって、人身売買の売り値段を競り上げたのでは奴隷の値段のセリ売買に過ぎないから、それで少しも価値がないんです。
私は、月給を貰ったら可(い)かんと言っているんじゃないんです。仕事をする心構えが即ち神様から与えられた仕事をさせて頂くのであるという感謝の心で人類に奉仕するという意味で働いておったら給料は、その報いとして向こうから感謝の形で循環して廻ってくるのです。そのつもりで働くならば、そうすると給料だって、自然に沢山ふえて来るということになるわけですよ。兎も角、自分の体を高く売り込もうとするような吝嗇(けち)な心を有(も)っているのは神の子の自覚でないですよ。
もしこのように生長の家の自覚に全ての人類がなったら、労働争議も何も無くなってしますし、マルキシズムも共産党も何も要らない。みんな、もう喜んで自分の使命とする働きを、もう皆寄って捧げ合いのをするから、拝み合いの世界、献(ささ)げ合いの世界が出来、そこにたちまち天国浄土が実現するということになる筈ですけれども、全ての人間がそういう悟りの状態にはまだ成り切らんもんですから、先ず生長の家の人だけからでも、それを実行してゆくことによって、世界が幾分でも早く光明化されてくると思うのです。
飛田給の道場で練成をしてもですね、無料で献労する奉仕員の間は気持よく浄化した気持で働いているが、少しでも給料を貰い出すと、心に不平が出て来る。“あの人よりも私の方が余計働いとるのに、それなのに私の方が給料は少ない”とこう思う。それで、沢山働きながら少しも貰わんどころじゃない、長期練成員というのは1月に9000円(昭和43年当時)を道場奉納金として宗教法人に払っておって、それで廊下の拭き掃除や、庭の清掃をしている。1ヶ月に9000円も払って拭き掃除をさして貰ってそれで「有難うございます」と合掌して、神様の御用をさして頂いていると、感謝していると不思議に病気が治る。
それは与える仕事であって、金銭に縛られないところの悦びの労働というものが、自分の内部にある完全な実相の生命を引き出すからであります。だから、金を払いながら拭き掃除やら汚い仕事をさして貰って「有難うございます」と拝んでおれば病気が治って気持が素晴しくいいわけなんですよ。ところが若し給料を貰って、 「お前、1日50円やるから、そこの廊下を拭け」 なんて言ったら、もう馬鹿らしゅうて、 「50円で働けるか!」というようなことになるんですね。そういうものなんです。無料(ただ)だから、悦んで働ける。吾々は、“肉体(からだ)を売る”という気持ちを捨てて、そして人類への奉仕、神への奉仕として働いておりましたら、そこはもうストライキも無ければ、闘争も無いし、病気も無い。しかも給料も自然にあがる。飛田給で仕事をして病気が治る。肺病でも血を吐きながらでも、仕事をしている治る人があるんです。
「あんな乱暴なことをする者があるか」という人もあるけれども、これは何も肺病の治療法としてするんじゃないんです。肺病の治療法は「廊下を拭いたら治る」というんだったら、皆廊下を拭けばいいけれども、そんなものじゃないんです。廊下を拭いたって、その心境にならなんだら治らん人もある。しかし其の心境になったらですね、賃金を貰わんと1ヶ月9000円払いながら血を吐きながら廊下を拭いとって、それで肺病でも治ってゆく。それは内在の神様の生命(いのち)がそのまま出るからです。
神様の生命がそのままで顕(で)れば、神様の生命は健康であるしか仕方がないというわけで、自然に健康になるわけなんであります。
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