| [2351] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(14) |
- 信徒連合 - 2016年03月05日 (土) 08時10分
インターネット道場―――
体験実話特集
大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(14)
自分の逆睫(さかまつげ)と子供の蓄膿症治る
昭和42年4月22日、舞鶴造船所の体育館で生長の家の講習会がありました時に、京都府船井郡丹波町豊田の北村すみえさんが次のような体験談を発表されたのであります。
私の家庭と申しますと、主人と2人の子供で、外から見れば本当に幸せそうに見えるんですが、実は主人が大酒飲みで本当に困って悩んでおったのでございます。そして子供は蓄膿症で医者から手術せよと言われたのでございます。そして私は逆睫(さかまつげ)と、3つの悩みがあったのです。
そしてふとした時にこの「白鳩」誌を戴いたのでございます。そうして読まして頂いているうちに、本当に今迄私が悪かったんだな、本当に感謝を忘れた、夫にも子供にも感謝の足らなかった私であったと言う事を、つくづく思わせて頂きまして、……
そうしているうちにふと鏡の前に坐ったのでございます。そうして見ますと、もう逆睫は既に無くなっていたのでございます。どちらであったやろうと思って見たのですけれども、それもなくなっていて、本当にもう、まあ不思議な事もあるもんだ、本を一冊読まして頂いただけで、こんな逆睫がとれたんだ!……神の子病気ないと云う事、本当かな?と惑わされて疑いをもっておったんですが……
ある日、去年の8月でした。両丹道場で個人指導を受けさして頂いたんです。そしたら“貴方の家庭が許すなら道場に入って練成を受けたらどうや”と言うて頂いて、それで一応練成を受けさせて頂いたのでございます。そして毎日毎日長村(おさむら)先生の御講話を戴き、谷口雅春先生の『生命の實相』を通して読まして頂いたのでございます。その時は、一つ一つ私の胸にあたる事ばっかりで“ほんに私が悪かったんだ”と思い、又天地一切のものに感謝せよと教えて下さいました。そうして御先祖様、お父様お母様、夫や子供達、一切のものに感謝せにゃあかん、感謝せねば本当に神の心にかなわんと書いてある。私は本当にそんな心など今まで一つもなかった。そうして主人が酒を飲むのも、私が悪いんじゃなくて、主人が悪いんじゃと思うておったのでございます。
『生命の實相』を読んで以来、私が悪かったんだ!と思わして頂きまして、毎日毎日そのことを胸に抱きながら、“許して下さい、主人許して下さい。子供よ許してくれい、私は感謝と愛がなかった私だったじゃ”と、それを毎日胸に抱きながら練成させて頂いて、10日間を終えて家に帰ったのでございます。
そうして又酒を飲んで又怒るかと思うて帰ったら、主人は“10日間の練成、ご苦労であった”と言ってくれたのでございます。本当に神様のお蔭でこうして、主人のあたたかい心を戴いたのであります。
子供の蓄膿症も医者より手術せよと言われていたのでございますが、帰って見ましたら、皆様!自分が変われば家庭が変わる、周囲が変わる、環境が変わると申されております。素晴しいみ教えでございます。その通りに子供の蓄膿症も治り、今では元気よく学業に励ましてもろうております。これもみな谷口先生の御教えのお蔭でございます。
皆様どうぞこの素晴らしい谷口先生のみ教えを身につけて、一人でも多くの人々に伝えて、家庭光明化をしようではありませんか。皆様どうぞよろしくお願いします。ありがとうございます。
この体験談には随分ハッキリと「肉体は心の影」という真理が具体的にあらわれているのであります。逆睫というのは、瞳を逆にマツゲが刺すようにあらわれているので、恩ある人を逆に不平をいったり、攻撃したりする心のあらわれであり、そんな逆攻撃の心が消えたら逆睫も消えてしまう訳であります。練成を受けて自分の心が治って帰宅してみると、飲酒癖があって、よく叱る主人だと今まで思っていた良人が、やさしい言葉で自分を迎えてくれたのも、主人が癇癪持ちでも飲酒癖でもない、妻の心の反映としてあらわれていたのに過ぎなかったのであります。蓄膿症は不平の心が臭い膿の形でたまっていた(本人の心の場合もあれば、母親の心の場合もある)のが形にあらわれていたので、この場合はお母さんの心が、生長の家の本を読み、練成を受けて、不平の心が感謝の心に変ってしまったから、その母親の心境が子供に反映して子供の蓄膿症が治ったのであります。
神経衰弱治り福運自然に来る
またこんな例もあります。それは昭和42年11月8日、三重県津市文化会館で生長の家の講習会のありました時のことであります。三重県鈴鹿市南若松町北原永の野瀬新一(当時61歳)さんが次のような体験を発表されました。
私は千代崎相愛会長の野瀬でございます。私がこの生長の家の教えに触れましたのは、昭和14年、現在(いま)から約28年前の、忘れもしません5月13日の夜、生長の家の本部から新田先生が──私の叔母の家でもって誌友会がありました時であります。叔母は東京麹町区の平河町に住んでおりましたが、その晩、感謝という事に就いて懇々(こんこん)と私のためにお話してくれたのであります。私はそれ迄父にも母にも妻にも子供にも、又私が勤めておりました住友銀行の同僚に対しても、感謝の「カ」の字も私は有(も)っておりませんでした。
新田先生は、 「それはとんでもない間違いである。貴方を本当に憶(おも)って下さるのは貴方の父母であり、奥さんであり、そしてまた子供は尊い尊い神の子である。そして、また銀行の女子を──実は女子を、仕事を覚えないと言っては叱っておったのであります── 一所懸命でやる女子の仕事に対して叱るということは間違っている。人間はみんな神の子である。素晴しい人間である」 ということを懇々と私のために話して下さいました。
私振返ってみますと、私の今までの生活は全く間違っておったという事に気が付いたのであります。家内に対しても感謝したことは御座いませんし、子供に対しても叱っておりました。そしてまた銀行の女子職員なんかを叱りますと、女子は泣きます。……本当に私は「済まなかった、済まなかった」と思って先生のお話を聴きながら、もう涙がポロポロと流れて参りました。それが昭和14年の5月の13日の晩でございます。
そうすると、その当時、私は非常に強度の神経衰弱に罹っておったのであります。翌14日の朝、不思議なことが起ったのであります。それは昨日まであんなに暗かった私の気持が、朝、眼が覚めますと、恰(あたかも)も霧がスゥーッをこう霽(は)れたようにスカーッと致しまして、草も木もウンと悦んでいるように見えたのであります。更に、神経衰弱の原因を造っておりました……その神経衰弱が一瞬に消えてしまったのであります。そして更に、銀行の仕事も充分に出来るという自身がムクムクと湧いて来たのであります。
私は余の嬉しさに、私の叔母の家へ跳んでまいりまして、 「叔母さん、神経衰弱は治りましたよ」 と申しますと、叔母さんは、 「ああよかったね、それではこれかあら生長の家の本部に行って……谷口先生のお話を聴きに行こう」と言って、私を、当時山脇高等女学校の旧校舎にあった生長の家の2階の講堂(現在は生長の家の聖典等を頒布する世界聖典普及協会になっている)へ連れて行ってくれました。
そこで私は、ふと窓際を見ますと、不思議な方がいらっしゃいました。恰も透き徹(とお)ったような、なんか人間には見えない神々しいような方がいらっしゃいました。不思議な方が居られるなあと私は思ったのであります。そうすると其の方が静かに壇上に上がって参りました。……其の時に叔母が初めて、「あの方が谷口先生ですよ」と教えてくれました。私は、谷口先生を全然存じませんどころか、生長の家を私は貶(けな)しておったのであります。しかし昨夜聴いたことによりまして……最初に映った谷口先生の姿は、本当に人間の姿には見えなかったのであります。
私は先生の話を全身を耳にしまして一言一句聴き洩らさじと聴きました。先生は……大体の要旨は、“人間は本来、神の子である、病気もない、災難もない、不幸もない、それが実相である。その実相を顕すために根本になるものは、感謝しなければならない……一切のものに。人間の健康と幸福は感謝することから始まるのである。人間が感謝を忘れたらいけない。感謝することから始めるのである”ということを言われました。恰もそれは、私自身に言っているように私は聴いたのであります。
「よし、この素晴しい教えを私は、今後自分の生活の信条にしよう」と誓ったのであります。爾来、約28年になりますが、私の身辺には本当に奇蹟と思われるようなことが10以上もございます。現在は、私は、本当に実相が将に顕現しているのではないかと思われる程の、感謝と悦びと1つのうれしい毎日の仕事をさして頂いております。で、その仕事を私に与えて下さいましたのは、築山さん(発音通り漢字不明)という方であります。この方は、造船、製鉄、電気関係の日本の五大メーカーの1つである、神戸に本社がある(当時)会社でありまして、鈴鹿に三重工場がありますが、その工場の部長さんでありまして、30年来の……矢張り谷口先生の御教えを受けておる……現在什一会員で、私の会の方であります。その方の唯一言によって、私の現在の仕事が授かったのであります。
それは、一昨年(昭和42年)の7月の27日の夜、私の家で盂蘭盆の送霊の祭りを(千代崎誌友会で)致しました時に、毎月行っております誌友会に、その築山さんだけが唯一人お見えにならなかったのであります。
ところが、その翌日、私の家内が、 「お父さん、築山さんから霊牌(れいはい*)を貰って来て、二人だけでお祭りしましょう」 とこう言いますから、 「よし、そうしよう」 と言って私は築山さんの宅へ霊牌を貰いに上りました。そして貰いまして、帰る間際に、実は私はその当時失職しておったのでありますが、「私は現在(いま)、失業中であります」と申しますと、築山さんは非常に心配されまして、「私もなにか力になりましょう」と言ってくれました。そうしますと、その翌日、7月29日の日に、住友関係の取引先でありますが、其の会社と、……その或る代理店の社長が、今まで一度も来たことがないのですが、その築山部長さんに挨拶に見えたのであります。その時に、その部長さんの部下である或る課長が、私の現在勤めている会社の社長に向って、「貴方の、四日市の出張所では女子許(ばか)りで責任者がない、早く責任者を作って下さい」と強い言葉で言われたそうであります。その時に築山部長はふと、 「それではいい方を世話しましょう」と言って、実は私のことを申し上げたのであります。
私は住友銀行関係始め、住友の会社に三十数年勤めさして頂いた者でありますが、その時に、同じ住友であります者ですから、その社長は一も二もなく私を勝手に三重出張所の責任者として決めて帰られて、「どうぞ宜しく」と言って帰られたらしいんです。……その晩に、築山さんは私の家に跳んで参りまして、 「あなた、やってくれますか」 と、こう言ってくれましたんです。そしたら、私は住友でありますから、喜んで「是非お願いします」と言ってお願いしました。そして現在では、私の家を事務所にしまして、そして給料を頂きながら、嬉しい毎日を過ごしております。……
この体験にもあらわれておりますように、心が一転して感謝の念に満たされるようになれば、単に病気が治るだけではなく、運命も好転し経済的にも裕(ゆた)かになれるのであります。
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