| [2356] 『教団が新しいものに挑戦していくことの方がよほどまし』・・ (曳馬野) |
- サーチャー - 2016年03月05日 (土) 14時55分
<トキ掲示板(「部室」板/4)>
1084 :トンチンカン :2016/03/05(土) 14:46:57 ID:z9V4A.MQ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 『教団が新しいものに挑戦していくことの方がよほどまし』・・ (曳馬野)
これは「雅春先生の御教え」をシッカリと受け継いだ上での、その線上でのお話! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
・<法燈継承>・・ このコトバだけはしっかりと握って、実際の行動は・・??
・まずは、<言行不一致>を止めましょう!!!
(参考) <トキ掲示板(組織 板)> 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 3138 :曳馬野 :2016/03/05(土) 13:55:08 ID:BsTgObKc (マサノブ)
言葉で書いてある神示でさえ?なんですから目に「見えない実相」なんてもっと?でしょう。 だからいつも言っているのです、騒げば騒ぐほど生長の家が?になると。斯う書くと騒がれると困る人間がいる、と云うでしょうがさにあらず騒ぐほどに他教団は喜ぶのです。
個人の問題はいざ知らず、国家間の問題のように力で競う問題は何ら解決できない教えだと。いくら国体を説いても現実には何も解決できないのです。雅春先生指導の生長の家最盛期の昭和50年代でさえ大したことが出来なかったのです。
それをボチボチと教団の信徒を説得していくという。全部し終わったところで元に戻るだけのことでしょう。50年代から40年経ってやっと元に戻るだけ。その戻るだけに今から何年かかるのでしょうか。こう考えたとき今している事の馬鹿さ加減が分かります。
それに比べれば教団が新しいものに挑戦していくことの方がよほどましと云えるかもしれません。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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