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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[2593] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(28)
信徒連合 - 2016年03月19日 (土) 12時17分





インターネット道場―――


体験実話特集 


大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(28)





 人間は霊と心と肉体の三面をもつ

 人間は、肉体の面から見ると、肉体は物質でありますから、物質はそれを使えばエネルギーが消耗し、摩耗し、その消耗や摩擦を補充し補填しなかったならば、それは疲労するのであります。(物質でも「素地がくたびれる」などと言って「素材の疲労」を表現するのであります)その“素材の疲労”甚(はなは)だしくなれば物質はボロボロになり、正常の姿を失うのであります。その正常な姿を失った状態を、肉体では“病気”と称するのであります。

 ところが、それは人間を“物質面”から見た姿でありますが、人間の肉体は単なる“物質”ではない。それには“霊”があり“心”があり、“心”の変化によって物質的面の肉体が支配されることは、悲しければ涙が出るし、恐怖すれば心臓がどきどきするし、美味しい食物を見れば唾液が多量に分泌されますし、“心”が主動者として肉体の状態が支配される実例はいくらでも挙げることができるのであります。

 しかし“心”は、肉体の病的方面や、面白くない環境や、“悪”の存在の方を見て、それに執(とら)われますと、その“心”が肉体を支配するはたらきが、悪化して来るのでありまして、肉体を健康にするはたらきの方には作用しなくなるのであります。

 人間は、“肉体”と、“心”(精神)と、“霊”との三つの面をもっていますが、その“霊”の面こそ、実は単に“面”ではなくて、人間の“本体”なのでありまして、それは“神の分霊”なのですから本来完全なのであります。“心”は“肉体”と“霊”なる実相とをつなぐ架橋(かけはし)みたいな働きをしている“道具”なのであります。

 その“心”が、病気とか逆境とか争いとか貧乏とかいう「物質的状態」の欠陥の方ばかりに振り向いていますと、その不健全な“心”の波動が肉体を支配しまして、肉体を不健全にし、それを病気にしますし、既に肉体が病気になっていますならば、その病気を益々悪化せしめるように、“心”が“肉体”を支配するのであります。

 そこで肉体を健康にしようと思うならば、その“心”をして肉体の不健全な状態や環境の不満足なことに振り向けることを止め、“神の分霊”なる“霊”なる自己の“生命の実相”の完全さに振向けしめるようにしますと、“心”は恐怖や不安で乱れた波動を起すことを止め、正常な“健全な波動”を起しますから、その、正常な“健全な波動”で肉体を支配しますから、肉体は自然に健康を恢復することになるのであります。だから聖経『続々甘露の法雨』には、

霊の法則には
  疲労の法則なく
  病気の法則なく
  ただ健康の法則のみあり。
  されば汝に如何なる症状顕るるとも
  病気は本来なし
  病気はただ「信念の反影(かげ)」に過ぎずと断定せよ。

と示されているのであります。これが“霊”なる実相の方に“心”を振向けることなのであります。


次に掲げるのは、4、5年前から「お前は血圧が高い」と医者から診断され、血圧が高いことを気にして悩んで、“心”が高血圧の方へのみ振向いていたので、その“心”の支配によって益々血圧が高くなりついに一時倒れてしまったのが、飛田給練成道場で人間の実相の完全さに振向いて癒された実例があります。

 それは昭和45年7月6日、旭川市公会堂にて生長の家の講習会がありましたときに、旭川市神居5条5丁目の稲見岸平さん(当時63歳)が次のような実例を話されたのであります。


有難うございます。(拍手)私は、4、5年前から血圧に悩まされまして今日までまいりましたが、たまたま本年4月の上旬に、220という、非常に居ても立ってもいられない状態で倒れました。

たまたま、神居の大島先生がいらっしゃいまして、「血圧は心の迷いであるから、飛田給道場にゆかれたらどうか……」というような有難いお話を頂戴しまして、4月の27日に医者にかかっても、どうも捗々(はかばか)しくないので飛田給練成道場に行く決心をしました。

飛田給に行きまして、最初の1日は、勝手も分らず無我夢中でした。その夜休みまして、疲れたせいか、なんかスピーカーの音がすると思いまして、ひょっと目を醒しましたところ4時50分でございます。「4時50分には皆様、道場にお集まりの支度を願います……」こういうスピーカーを通しての放送でございます。早速、床をあげて洗顔、テキストを持参して道場に参りますと、既に本部の先生は道場に正坐されてお待ちになっております。

それで午前5時から、神想観を先生の御指示に従ってやらせて頂きました。5時から5時半まで神想観をやらせて頂きまして、その後30分間、だいたい20名ほどの各部屋ごとの割り当てによって、道場の掃除、浴場の掃除、あらゆる練成道場の清掃にあたるわけです。

それで、6時半から朝食でございます。朝食も、200名ほどの方の朝食でございますから、いくぶん余裕がございまして7時半でございますが、今度は本部の先生の『生命の實相』についての講義がございます。これがだいたい1時間ほどございます。講義が終わりますと、今度は体験談の発表もございますし、それから笑いの練習もございます。これは健康のために皆さんも御存じのように、笑いの練習をやらなければいかん!ということでだいたい15分ぐらい笑いの練習も致しました。殆ど、休養という時間はないのです。だいたい5、6分、10分程度の休養でございます。代わる代わる諸先生の講義、それから体験談の発表、夜分に至りまして、9時半に終了になりますけれども、殆ど病気という観念がなくなってしまうんです。

人間は神の子ですから、病気はないわけですから、それを自分で病気と称して今まで医者にかかりまして、体温計とくびっ引きでは、とうていこれは自分自身が迷いの心であって病気は全くない!!ということに私は4日目に、少し知恵が遅い方でございますけれど、4日目にそれを感じたわけです。

医者には、「入浴もいかん、病気にいかん、仕事をしてもいかん、とにかく病気の治療に専念しなきゃいかん……」とにかく八方塞(ふさ)がりなんです。ますます自分の気持ちは暗くなる一方でございます。それで私も、先生の言われたことがそこで初めて分ったのでございます。8度5分もある体であって、入浴したら皆さんどうなると思います?道場の入浴は、みな同じ部屋の方が一緒に入るのでございますけれども、みな思い思いの病気を持って来られた方です。病気なんてことは、ぜんぜん忘れちゃっているんです。

入浴しまして、上って来る中には、私と同じ部屋の方でも、体温計を当てられた方がありましたけれども、自宅におっては、水が上ったり下ったりして、大変悩まれておられる方が、道場に来られて入浴されても、ぜんぜん水が上らないんです。どういうことだろう?と思いまして、始めは自分が信じられないことだったんですけれども、Aの方に聞きましても、Bの方に聞きましても「僕もそうだ、私もそうだ……」と言って、みな水の上り下りで悩んでおられた方々が、全部「全く不思議だ、心の迷いはここにあったんだ……」ということですね。

 まあ10日間の練成でございますけれども、私どもは只今申し上げましたように、「病気、病気……」と言って自分で勝手に病気しているんであって、決して人間神の子健全な体でこの世に生まれさせて頂いた以上は病気はないのである!!ということを悟らせて頂いたのです。

   それで私は、『生命の實相』の第2巻(頭注版)のたしか73頁と記憶しておりますけれども、“自縄自縛”というところがあるんです。「自分が勝手に自分の体を縛りつけて、“私は病気だ病気だ”……と言って自分が勝手にきめておる。こういうことはいけないのである、人間神の子であると、感謝しなければいけない、全ての人に感謝しなければいけない……」ということで私は救われましたのでございますが、どうぞ皆さん、私の体験を通しまして、病気は本当にないんであると、そういう確信を持ちまして少しでも早く、実行に移されるようにお願いしたいと思います。

大変まとまらないお話でございますが、今後とも私は、愛行を続けさせて頂きたいと思います。有難うございます。(拍手)


この体験発表のように“心”が霊的実相の健康の方を振り向いて、体温計や血圧計の指標が上ろうが下ろうが、そんな事に“心”を捉われないようになりますと、その“心”の支配下にある肉体が健康を恢復するのであります。

練成道場では、単に真理の書籍を読んで自分の“心”の工夫を独りでする以上に、指導者の直接の指導と多勢の練成参加者の協同動作により“心”の転換が速かに行われる点に効果がはやく現れるのであります。

“心”を“病”の方から“実相”の完全な姿の方へ振り向けるには、聖経『甘露の法雨』をはじめ『続々甘露の法雨』『天使の言葉』等の聖経をかわるがわる毎日読むと、それらの聖経には、人間の実相が“神の分霊”であり、本来完全円満であることが書かれているのでその言葉(文章)の力によって“心”が人間の霊的実相の完全さの方に振向くので“心”の波長が健全正常になり、その健全正常なる“心”が肉体を支配しますから、肉体も自然に健康を恢復することになるのであります。


 昭和43年9月29日、福岡県の九電記念体育館で生長の家の講習会がありました時に熊本県牛深市牛深町の若田静江さんが、子宮癌を手術するために入院していたのですが、入院以来、聖経『甘露の法雨』を毎日小さい声で読誦していますと、突然医師の方から手術をとりやめるということになり、コバルト60の放射線療法だけだということになり、それで子宮は治って退院したけれども、その放射線療法で、放射の影響を受けた直腸が焼けただれて、腸出血が中々とまらないで、一時は直腸癌の併発かと思われるような状態になっていたとき、今まで、病院や薬の方ばかりに“心”を振り向けていた愚をさとり、「今こそ生長の家の神さまにのみ振り向くより仕方がない」とて、毎朝5時10分の私の神想観の時間に同じように正坐して「実相」を観ずるようにせられたところ、さすがの放射線による火焼(やけど)で起った直腸の出血も止って、今では完全に健康を恢復した実例をお話になりました。

若田さんは、こう言われる──

   (前半省略)……が、手術することになったのでございますが、中々手術の日が決定(きま)らない儘(まま)、25日も過ぎたのでございます。その間、私は折角神様から頂いたこの完全な身体(からだ)の一部の、女の生命である子宮を取り去るということが本当に勿体ないような惜しいような気持で一杯でございました。ところが愈々手術の日も決定(きまり)まして、麻酔の注射もし、剃毛(ていもう)も済み、手術室の前まで参りました時、「いま一度レントゲンを撮ってみたい」ということになりました。その結果、胸部疾患、心臓肥大等で手術は取止めということになったのでございます。

そのまま部屋に引き返させられたのでございます。他に何と言うこともなく迚(とて)も元気で、今まで胸や心臓が悪いと思ったこともないのに、何故こんなことになったのか、とその時私は思ったのでございます。これこそ神様の御心かとつくづく感激致しました。

病室に帰りまた私に、他の患者の人達も「こんなことは初めてだ」と皆の人達が目を丸くなさった程でした。私は昨年の9月20日に入院しまして以来、ベッドの上で、一日一回は必ず『甘露の法雨』と『天使の言葉』を小さい声で読誦しておりましたのです。他の人達は“何の本を読むのか”と思っていられたようでございましたけれども、手術取止めになりました時に、「貴女は神様のお蔭を受けられたのですよ」と病棟中が評判になった位でございました。(拍手)

3ヶ月の間、今度はコバルト治療を受けまして12月末に退院致しましたものの、コバルト治療のために腸が焼けていたそうでございます。牛深の病院では「直腸癌ではないか」と言われた程だったのでございます。気になりながら5ヶ月も過ぎなますが、腸出血は止まらないので、其の時考えました。

“もう自分の病気は病院や薬では治らないのだ、全部薬を捨ててしまえ、此の尊いみ教えを頂きながら、今こそ生長の家の神様にお縋(すが)りするより他はない”と思い、6月11日の朝、5時に起き、5時10分から谷口雅春先生と共に神想観をさして頂いておりました。10日も経ちました頃からスッカリ全快に向いまして、血色も良くなり、食欲も出まして、唯今では以前(まえ)よりもずっと元気なこんな素晴らしい神の子にならして頂きました。実は私宅は牛深でタクシー業を営んでおりますので、夜寝(やす)みます時間が迚(とて)も不規則でございます。早い時は1時、遅い時は2時に寝(やす)見ますので、私は迚も早朝神想観等は出来ないものと思い込んでおりましたところ、何事も為せば成るのでございます。

白鳩連合会長、佐藤先生のお話の時に、夜寝むる前に枕を5つ叩いて寝ると5時に起きられる、と聞いておりましたので、早速実行してみましたら、本当に5時に目が覚めるのでございます。皆様、何事も行ずるということは本当に大事なことでございます。私がこんなに元気な体にならして頂きましたことは、毎朝5時10分の早朝神想観を行じさせて頂きましたお蔭の賜(たまもの)と深く感謝申し上げますと共に、谷口雅春先生に心から感謝申し上げ、厚く御礼を申し上げまして私の体験を終わらせて頂きます。皆様ありがとうございます。


 この体験談の終りに、「枕を5つ叩いて眠ると5時に起きられる」と教えられて、そのようにして寝ることにしてみると、5時10分の神想観の時間に間に合うように、本当に5時に目が醒めることができたという体験がありますが、それは、それを教えた人の“言葉の力”であると同時に、その教えを信じたその人の“心”の力であり、“心”というものが如何に肉体を支配する力があるかは、それによっても判るのであります。




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