[251] 鳩ポッポの土下座謝罪を<天晴れ!>と評価するのはマチガイ! |
- 上泉信綱 - 2015年08月15日 (土) 15時50分
* 安倍首相の「戦後七十年談話」が、8月14日の昨夕発表された。現状を踏まえての格調高い十分な内容が盛り込まれたものであった。中でも、注目すべき表現は『先の世代に謝罪を背負わせてはならない』ということで、これは従来の謝罪外交と訣別すべき宣言ということであります。
* この安倍首相の“謝罪外交継続終結宣言”に、結果的には、いみじくも鳩ポッポが最後の謝罪の役者を買って出たことになってしまった。すなわち、韓国を訪問中の鳩ポッポが12日、ソウル市内の西大門刑務所歴史館で独立運動家のモニュメントに靴を脱ぎ、膝を屈し、手を合わせ、ぬかずき土下座して謝罪をした。
* この鳩ポッポの土下座してのお詫びが前舞台の役割を果たし、14日の安倍首相の「謝罪外交決別宣言」が引き立ったと考えられるのであります。鳩ポッポは奇しくも、謝罪外交最後の役者として演出をしてくれたことになったのであります。
* しかし、世の中には次のような見解を持つ人もいるのです。曰く、――
<< 安倍首相の70年談話が出ますが、それに先立って、鳩山元首相は、「お詫び」とはどういうことかをしっかりと私どもに見せ付けてくれました。「お詫び」と云うならば、ここまでしないとダメだ、それを身をもって鳩山元首相は、教えてくださったのです。口だけの「反省」「お詫び」ではすまないのです。鳩山元首相がやったのと同じように「土下座」して始めて「お詫び」が完結するのではないでしょうか。戦後の土下座外交≠ここまで見せ付けてくれた鳩山元首相に、私は「アッパレ」を貼り付けたい思いです。口先で「反省」「お詫び」を言えば、それでやり過ごせるというような、その場しのぎではいけない、本当にそう思うのであれば、ここまでやりぬかないとダメだ。鳩山元首相のパー<tォーマンスを私はそのような目で見させていただいた次第です。>>(注・鳩ポッポのこの土下座は“パー”<無能な行為>と皮肉ってはいますが・・・)
* <「土下座」して始めて「お詫び」が完結する。それを実践して見せた鳩ポッポは“天晴れ!”>との評価は間違っているのであります。この本心からの誠意は個人間では通じるかも知れませんが、国家同士の間では逆効果であって韓国を付け上がらせることになるだけであります。今後色々な場面で日本政府攻撃に逆利用されるからです。対中国外交に於いても同じで、歴史上の事実から行っても、軍事強国の要求を無抵抗に呑み続けていった愚鈍な弱少国は、最後には完全な奴隷民族とされて根絶やしにされた実例があるのですから。
* 鳩ポッポのような何時までも唯々諾々と子孫末代まで謝罪し続ける日本であるならば、最後は共産中国に併呑され、国家・民族としては消滅してしまうことになります。信徒の人たちの中にも、マサノブ君の實相を見つめ祈ってさえすればいつかはマサノブ君の實相が顕われて元の教えに立ち返ると信じて實相直視の神想観だけを実践している熱心な信徒さんもおられますが、それは一知半解の真理の理解であります。
* 『生命の實相』の中にも、「関東大震災の巨大地震も一人、自分の想念の反映で全責任は自分が負わねばならない」という考えの人は信仰者としては立派な心がけであるが、本当は一個人の想念の反映ではなく錯綜せる大勢の人たちの想念の反映である」と書かれていました。大勢の人たちの想念の中味は順念もあれば逆念もあると云うことであります。そして大勢(たいせい)を制している強い想念が実現して行く事になるのであります。現象界の大勢の人の想念の他に、霊界からの個別霊の想念、集団霊魂群からの想念が影響してきます。勿論その個別霊の個性的想念が中心となって類友の法則によって他からの類似想念を集合せしめていくわけであります。「トキ掲示板」でもひととき、三界唯心所現は真理であるから「マサノブ総裁の姿も、習近平の現在の姿も、それを見る人の想念の反映だ。信徒は各自自己反省すべし」との投稿が為されていました。
* 「三界唯心所現の理」――「立ち向かう人の姿は課が身なり、己が心を写してや見ん」は真理ではあります。他からの想念(特に逆念)の影響の薄い個人対個人の1対1の関係では、唯心所現の原理はそのまま実践でき効果を発揮します。しかし、現界と霊界の大勢の順念と逆念が錯綜している公人の現状の姿を、自分一個人だけの心の状態の反映と見るのは明らかに間違っているのであります。自分一個人だけのその公人に対する實相直視の念は、その公人を取り巻く強力な自分とは反対の逆念によって打ち消されてしまいます。この点を間違えないようにしなければなりません。公人の場合は、あくまでもその公人の「神性隠蔽」についての正しい判断を下すことが一番重要であります。そして、その公人の現在及び未来の世界へ及ぼす影響度をも考えなければならないのであります。
* この様に考えて参りますと、マサノブ君は勿論のこと、鳩ポッポ、さらに習近平の言動は真理にそぐわない言動である事が判明するのであります。いたずらに、鳩ポッポを褒めたり、習近平の言動のマチガイを指摘しないで居ることは許されるべきではないのであります。そして、マサノブ君のマチガイの言動や非真理の書かれている文章のマチガイを指摘する事を以って「批判・非難・人格攻撃」として評論し、結果的にはマサノブ君の自己反省の機会を奪うことは正しいことではないのであります。
<注記>
日本は、戦後処理を巡って、同じ敗戦国であるドイツとよく比較されてきた。ドイツは誠意をもって謝罪したため周辺国との和解を成し遂げたが、日本は十分に謝罪しなかったため失敗したとの文脈であった。そうした場合に度々引用されてきたのが、西ドイツ大統領、ワイツゼッカーが1985年に行った有名な演説「荒れ野の40年」だった。だが実際にはワイツゼッカーは演説で謝罪はしていない。逆に次のように指摘している。
「自らが手を下していない行為について自らの罪を告白する事は出来ません」 「ドイツ人であるという理由で、粗布の質素な服を身にまとって悔い改めるのを期待する事は、感情をもった人間に出来る事ではありません。」(8月15日産経新聞第一面)
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