| [3295] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第78回 |
- 信徒連合 - 2016年05月21日 (土) 07時43分
<再掲示>
インターネット道場――
「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか)
第78回
マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。
「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。
また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。
インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。
そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。
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もっと霊界の知識を持ち伝えよう。現象界の出来事は霊界でその雛形が刻々と出来上がりつつあり!
先祖供養、および個別霊の供養
<再び、特に現代社会の重要事項である“念の憑依・直接憑依”とその対策について>
『生命の實相』第9巻・霊界篇上巻(P.107)
<<現世の生活中、われわれは自己自身の傾向および喝仰の如何に従って、高級または低級のスピリットの影響ないし干渉を受けることがある。われらは自己がある状態および思考によって、善霊または悪霊を惹きつけたり拒斥(きょせき)したりする、約言すれば各人の霊魂は現世にいながら幽界の同僚をもつのである。>>
『生命の實相』第10巻・霊界篇下巻(P.188・190−191)
<<霊魂が憑(つ)くというのは・・・念波による遠隔操縦の場合もあれば、霊魂が来て直接操縦する場合もあります。>>(P.188)
<<人間がそういう動物に憑(つ)かれないようにするには、・・・心をポカンと放心的にしないことが第一です。それから、動物のような低劣な精神を起こさないことが第二です。心が虚になり放心的になると他の霊魂が乗り憑(うつ)って来ますし、心を虚にしないでも自分が動物同様の下らない念波を起こすと、その瞬間に悪霊の念波と波長が合うために感応してくるのです。ところで精神統一というと、何も思わないで心がウットリとして来るのがよいのだと思う人がありますが、心は何も思わないでウットリとしているのは霊媒状態すなわち他の霊魂に乗り移られる時の精神統一状態であって、神想観の場合の精神統一状態ではないのです。・・・心がうっとりするというのは霊媒のトランス状態のことです。元来、精神統一法に二種あって、心を虚にする精神統一と、心を実にする精神統一とがあるのです。霊媒を養成する場合の精神統一法は心を虚にする精神統一法であって、わが霊魂が一時遊離して肉体を操縦する権利を放棄して、わずかに霊線によって肉体に繋留されているというだけになっているのですから、他の霊魂がその肉体に入り来ってそれを操縦するのです。神想観の精神統一法はそういう精神統一法ではなく、心を充実の極にする。・・・>>(P.190−191)
『人間死んでも死なぬ』(P.118−120)
<<その酒場には・・・一人の内儀(おかみ)さんが、ほんの一杯だけと思って酒場へ入って来ているのであった。内儀さんの側には霊界から舞い戻ってきていた飲酒家の霊魂が立っていた。彼女はどうかしてその内儀さんの飲む酒を横取りして飲みたいと思った。併しもう地上の肉体を失っている彼女にはそれが出来なかった。いつまでも執拗に内儀さんの側にまつわりついて内儀さんの肉体を通して自分の飲酒欲を満たそうとつとめていた。で、内儀さんは、最初酒場へ足を踏み入れた時の決心を忘れてしまって、しきりに杯を重ねていた。・・・一週間ばかりの間、彼女(霊魂)は始終その酒場にうろついて呑みに入って来る人達に憑依しては自分の渇欲を充たそうと勤めてみた。・・・なぜ霊魂が地上の人間を誘惑することを許されるのだろうか・・・一つには霊魂はかくの如き試みによってのみはじめて自ら自分の非をさとり得るからである。二つには、誘惑される者に、誘惑される資格があるからである。あの場合の内儀さんは彼女(霊魂)が誘惑しなかったにしても、他の現実界の人が誘惑し得る如き心的状態にいたのである。悪霊に憑かれる者は彼自身がその程度の低さにいるからである。>>
『人生を支配する先祖供養』(P.132)
<<人間の脳髄というものが一種の精神電波の受信機であり、高級霊界からの放送霊波をインスピレーションとして受けることもできるし、迷界からの怨念(おんねん)や呪詛(じゅそ)の霊波をも受信して、それによって行動することもあり得るからである。・・・前者の場合には素晴らしい発明や創作や企画や構図が生まれて来るのであるが、後者の場合には自ら選んで・・・惨害(さんがい)を受けることすらあるのである。>>
『霊界の妻は語る』(第11章・直接憑依現象、P.231−246)
<<「・・・今、私はこの霊媒を通してあなたに話しているのではありません。霊媒の中にいて話しているのです。・・・私、一時的にこの人の肉体を使うことを許された・・・私は肉体的な感覚を全部とり戻したのです。・・・霊媒の体の中へ入れるぞ、入って中から話すことができるぞと教えて下さる者があるのです。・・・私は自然にスッポリと霊媒の肉体の中に、このように入ってしまったのです。>>(P.234)
<<霊界から誰かが霊媒の身体を占領した場合には、霊媒は常に烈(はげ)しい危険に晒(さら)されているのです。>>(P.246)
『人生を支配する先祖供養』(P.57)
<<敵意を持つ念霊が殖えれば殖えるほど、この世界に禍(わざわい)が一層多く生ずることになるのである。・・・日本の交通事故の多いのも、堕胎児の死の刹那(せつな)の怨念が、大人に恨みを返すために禍(わざわい)していると解釈できるのである。>>
『龍宮住吉霊宮落慶鎮座大祭の祝詞』
<<元乱れて影、完(まった)からずと謂(い)う、心霊界紊(みだ)れて、現象界はその影なりせば、現象界に顕われている世界の奥にある穏やかならざる「心の世界」・・・現(うつ)しこの世の現象世界に顕われきたる諸々の悪しき業(ごう)、因縁の源を浄化し奉りて、物質文明の秩序を整理し謹みて「古事記」の為さんとして為し終えざりし神業を此の世において完全の相に整えしめ奉つらんとして吾等今起ちぬ。>>
『霊界の妻は語る』(P.395−396)
<<あんたがあんたの正守護霊と心の波長が合っていたら、何者もあなたの肉の宮に入ることは出来ません。何故なら、あなたは生きている神の宮だからです。常に祈ることです。常にへりくだって愛をもつことです。霊的になることによって、あなたは何物も貴方を害することができないように蔽(おお)い護るところのものを引き寄せることができるのです。>>
<コメント>
平成現代の日本および世界の宗教界に於いて、目に見えない霊界と目に見える三次元現象世界との関係を正しくそして総合的に説いているところはやはり生長の家だけではなかろうか。但し、第三代目マサノブ君の「今の教え」ではなく、開祖・谷口雅春先生の「本来の御教え」であります。
現代社会に於いては生長の家の役割は以下のように、極めて重要なるものを持っているのであります。現代社会の最大欠陥は、人間社会のいろいろな事件、出来事はその原型は霊界で作られ、それが目に見える現象界へ映し出されていると云う事を正確に理解している人がほとんどいないということであります。この目に見える現象世界に起こる不幸な出来事は霊界なんかとは何も関係は無い。目に見える世界の中で(肉体)人間の(肉体)頭脳の知恵で解決策を考えなければならないというわけであります。不幸な出来事の根本的原因は目に見える世界の中だけでは分からないことが多いのであるから、物質的な手段・対策で応急的に対処しているわけであります。根本原因が目に見えない「霊界」・「心の世界」にあり、「霊界に於ける死者の想い」にあることが理解出来ない訳であります。社会的指導クラスの人達、政治家・学者・経営者・医者・学校の先生・特に霊的に優れた人を除く普通の宗教家など皆、理解してはおられないし、むしろそのような事は非科学的迷信的なことと、頭から理解しようとすらしないのであります。第三代目マサノブ君もその一人であります。
事はまことに簡単であります。基本的な事は、――
(1)人間社会のいろいろな事件、出来事はその原型は霊界で作られ、それが目に見える現象界へ映し出されていると云う事を信じること、子供はそのように小さい時から教えて育てる。
(2)人間社会のいろいろな不幸な事件、出来事の根本原因は霊界にあるわけでありますから、霊の世界の想念の浄化が先ず為されなければならないのであります。
(3)霊の世界で病・悩・苦の状態にある迷霊の心に真理の想念をこの三次元世界から念送し、病・悩・苦の心の状態を解消して差し上げ、真理の自覚を高めてあげる。これが“先祖供養”であり“個別霊供養”であり“水子(中絶児)供養”であります。
(4)これらの『霊供養』をお坊さんのような職業人に頼まず、自分自身で自ら心を込めて出来るだけ毎日行なう事。此の“自分自身で自ら心を込めて出来るだけ毎日行なう事”を強調する人はいないのではないでしょうか。霊的な縁が最も深い身内の人こそ最も心が籠もるからであります。
(5)供養をする人が経文の真理の言葉を理解しながら真理を念送すれば霊界の受信者(先祖霊と個別霊)も真理(唯神實相の真理)の理解が容易であります。従って、現代日常語で書かれている『甘露の法雨』に優るものはありません。この点、職業僧侶の読む漢文のお経は高度な悟りに達した僧侶以外はどの程度真理が念送されているかは疑問であります
このようにして日本国中の家庭で先祖供養・そのときに応じた先祖供養・個別霊供養・水子(中絶児)供養をその家の人自ら本人が毎日励行するならば、自然災害は減り、難病・奇病は少なくなり、凶悪事件も少なくなり、不登校・引き篭もり・いじめ・学級崩壊も防げる、そしてホームレスも少なくなり自殺も無くなり、離婚その他の家庭崩壊も少なくなり、生活保護受給者も少なくなり、母子家庭も少なくなり、健康保険の赤字も少なくなり、国家財政の健全化にも効果が出てくるは必定であります。
現象顕現の心の法則を正しく理解し、目に見えない霊界と目に見える三次元現象世界との想念の世界に於ける相互の影響の関係を理解して、自分の家系の御先祖に感謝の心で真理の言葉を真心こめて、毎日の日課の一つとして、子孫が当然行なう義務として、先祖供養・個別霊供養・水子(中絶児)供養を自分で行なう人たちが増えていくに従って、日本国家・日本社会は本当によき国家・よき社会となって行く。まず日本国家・国民が霊的レベルを上げてゆく、そしてそれを世界全体に広げていく。このことが具体的な生長の家人類光明化運動の実践課題であります。この方向こそ本来の生長の家の進むべき方向であります。マサノブ君が進める「信仰による世界平和」・「地球環境改善」は、<目に見えない霊界と目に見える三次元現象世界との想念の世界に於ける相互の影響の関係>を全く無視した唯物論(物だけ)思考で左翼主義者と同じ思考方向であります。更に言えば、個性命としての無限の進化向上(実相顕現)を目指して今生は地球上で魂の修行をつづける我々は、上記のような“霊界の浄化”と共に“自己の神性(仏性)顕現”のための“内観(神想観)”も怠ってはならないのであります。縦と横の双方相俟って“類は友を呼ぶ”法則のもと、不幸な出来事への必要以上の遭遇もなく前進と上昇の今生の地上人生が送れ、卒業の時来れば歓喜して次なる輪廻転生へと個性命(霊魂)としての我々は登っていく事ができるのであります。この様に考えればマサノブ君の『今の教え』では、霊界を説かず、神想観もしなくなって行きつつありますので、看板だけの生長の家であり、実体は左翼唯物論の単なる宗教的教養団体にしか過ぎないことがハッキリと証明されているのであります。
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