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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[4166] 完全優位の『正統・生長の家』、そして『マサノブ教』は脛(すね)に傷もつ教え!  <第九部・変装マサノブ総合篇>
塚原卜伝 - 2016年07月16日 (土) 08時10分




「掲示板」情報のお蔭で、マサノブ君の生来の實相隠蔽の内容が明らかとなったのであります。そして、マサノブ君の實相隠蔽度合いが最近益々今生では回復不可能となって来たこともわかるのであります。



[ T ] 「掲示板情報」で判った『狂乱総裁』マサノブ君の今に到る思想的生い立ち 


1、 子供の頃、庭の蛙をとらえて“火あぶりの刑”に処して遊んでいた。 (残酷無比)

2、 子供の頃、食卓に零した味噌汁を吸うように叱られた。 (見返したい怨念)

3、 「遂に自分も独裁体制を布く事が出来た」と友人に語ったとか。これも少年時代からの夢?(独裁者志向)

4、 青年の時代に書いたタイトルは『穴グラから』であった。 (光明思想ではなく暗黒思想)。

5、 若き頃の発言は「人生で一番大事なことは、権力を持つこと」 (権力への憧れ)

6、 退職金と権力を手中に収めるための、復職を前提とした「副総裁辞任劇」、(飽くなき金銭欲)

7、 その昔、信徒(宮崎氏)から寄贈された“お山”の住居を教団に買取らせて自己資金化? (飽くなき金銭欲)

8、 「法燈継承劇」を無理矢理に演出挙行、『ニセ法燈継承者』をまかり通させる。(手段を選ばず目標達成)

9、自分もまた死後、「大聖師号」を付けさせたいために、清超先生の御遺言を無視した。(手段を選ばず目標達成)

10、 継承者自らが、継承した教団をつぶす“忘恩的行為”を着々実行。 (破壊と蕩尽)

11、 看板は『生長の家』、中味の実態は換骨奪胎した『ニセ生長の家・マサノブ教』で信徒を欺瞞 (詐欺商法と同じ)

12、 そして、ついに帰幽後も依然として霊界の共産主義・社会主義思想に執着している強力な霊魂群に憑依され、彼らの目的達成のために『生長の家』とその『御教え』の完全解体と抹殺のために動いている“共産党工作員”である事を今夏の参院選挙の「本部通達・指令」を通じて自白したのであった。


以上、要するに『残酷無比・怨念・独裁・暗黒思想・権力欲・金銭欲・戦略的知力・宗教詐欺』――― これが完全に『神性隠蔽マサノブ狂乱総裁』の正体であります。常識的な意味から言っても、『宗教・信仰』の世界からは考えられないことばかりであります。これがそのまま『非生長の家マサノブ教』のアキレス腱であり、脛の傷となってしまっているのであります。




[ U ]  完全優位の『正統・生長の家』、そして完全劣性のスネに傷持つ『マサノブ教』の比較



   比較項目    「正統・生長の家」  判定    「マサノブ教」  判定


1、 教義について     唯神實相神学 ○        左翼唯物現象論 ●

2、 基本聖典      『生命の實相』 ○        『大閑雑感』  ●

3、 経典        『甘露の法雨』 ○        『大自然惨禍経』●

4、 神示        神示集・神示祭 ○         人間知    ●

5、 神想観       完全に実修   ○         不完全実修  ●

6、 礼拝         『實相』   ○        大自然(雑木林)●

7、 祭式          日本式   ○         西洋式    ●

8、 立教目的    人類光明化と日本国實相顕現 ○     地球環境保護 ●

9、 国家観        生命的国家観 ○         世界市民思想 ●

10、 國體         天皇国日本  ○       共和制・世界政府 ●

11、 愛国心      中道實相の愛国心 ○      戦争に繋がる・不要 ●

12、 講師のレベル    非常に高い   ○    非常に低い  ●

13、 信徒の質     求道心は旺盛  ○    お孫さま信仰  ●

14、 体験談       真理の証し人  ○  たまたま、非科学的 ●

15、 国防意識     旺盛(七生報告) ○  マサノブ君にはナシ ●

16、 お金と真理との優先順位    真理 ○         お金・退職金 ●

17、 人生の霊的使命   真理国家の建設 ○      優雅な宗教貴族生活 ●

18、 浄財の使用目的  立教の使命と目的に沿って ○  超高給と利ザヤ稼ぎ ●

19、 教団設立の淵源   實相世界    ○ 『狂乱総裁マサノブ』の人造●

20 「天壌無窮の御神勅」  日本国家の淵源 ○      一切認めず無視 ●

<追加>

21、 人間観          神の子  ○     人間至上主義(罪の子)●

22、 運動方針    個人と国家の實相顕現 ○   趣味と遊びのクラブ活動 ● 

23、 父母のこと   汝の父母に感謝せよ ○    孕ませた奴・産んだ奴  ● 

24、 支持政党 (國體護持・愛国)自民党  ○   サヨク民進党・共産党  ●   

25、 自己紹介    愛国の民      ○    隠れ共産党員・工作員  ●



 総合点              100点            零点              






(99)
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[4167] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (1)
遮那王 - 2016年07月16日 (土) 10時45分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (1)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

*************************




● 876 :曳馬野=マサノブ:2015/08/30(日) 19:01:52 ID:???
谷口家の中からも現在の方針に強い批判の声が出ていす。・・・について>>869で書いて返事待ちなんですトンチンカンさんのね。
清超先生の『心境』についての 質問 なんて・・ ご兄弟とお話下さい!!・・・心境の話じゃないですよ、今の様な状態にした張本人さんと云うことになるのではないのと質問しているのです。兄弟と話してくださいなんてよそに振っちゃいけないのではありません。少なくとも恵美子先生が「監禁されてます助けて」と云ったかどうかハッキリして下さいね。云わなないということですと監禁話は作り話と云うことになりますので。事実なら監禁罪で訴えれば即総裁罷免でしょう、万々歳ですね。

● 877 :曳馬野=マサノブ:2015/08/30(日) 19:18:43 ID:???
『私は雅春先生が九州に行かれてから昭和53年に足を洗ったのでよくわからないのです。教えて下さいよ』・・ (曳馬野=マサノブ)。よくもまあ、白々しいことを言いますね・・こんな思い込みしかできないといつか私が誰だか判った時恥かきますよ

○ 878 :トンチンカン:2015/08/30(日) 20:42:45 ID:z9V4A.MQ
「曳馬野爺さん」の都合に合わせて 生活している のではありません!!大閑人で、パソコンオタクの・・『谷口家の中からも現在の方針に強い批判の声が出ています。・・・について>>869
 書いて返事待ちなんですトンチンカンさんのね』(曳馬野=マサノブ)。勝手なことを言わないで下さい!『谷口家の中からも現在の方針に強い批判の声が出ています』と書いたのは、トキさ
 んですよ・・ トキさんに督促されたら?!『谷口清超先生から、正式な法灯継承の告知は聞いていません』(トキさん)
 これについても・・

● 879 :曳馬野=マサノブ:2015/08/30(日) 21:11:44 ID:???
勝手なことを言わないで下さい!!あなたに質問したところ我慢しきれなくなってトキさんが返事をよこした。それについて質問を続けた。そしたらあなたがトキさんが返事したと云った。結局真面な返事はあなたからはないのです。だから私が尻尾を巻いて逃げ去ったと云っていたから、逃げを打っているのはあなたでしょうと云っているのです。挙句のはてにあなたに合わせて生活しているのではないときたもんです。私も去年の一月いっぱいまでは夜も働いていましたから時間が不規則だったのです。以来夜は何時でも空いています。私を総裁だと考え、私が意見を述べないと尻尾を巻いて逃げたと、勝ち誇ったような物言いの意見を貼り付ける。それも物言いだけで真理とはかけ離れたもの、そりゃ話もしたくなくなるというものでしょう。今日はあなたが寄って来たから書いているだけです。しかし書く時はしっかりした論拠の下書かれますよう希望します。感情丸出しの言葉ばかりでは話になりませんから文全体に対しての意見でなく、一部の文に対し先入観丸出しの標語だけでは会話になりませんから。>>876 の「監禁されてます助けて」の返事は誰からもありませんよ。是非何時でもよいのでして下さい。トンチンカンさん

○ 880 :トンチンカン:2015/08/30(日) 21:18:42 ID:z9V4A.MQ
『清超先生から総裁指名を受けたのではないのでしたら』・・と、≪法燈継承≫の雲行きが悪くなってきたようです・・すると、矛先を替えて『清超先生こそが、今の様な状態にした張本人さんと云うことになるのではないの』と、清超先生に『責任転嫁』しようとしているのです・・・・どこまで「薄汚い根性」なのでしょうか・・ 「女々しい」のでしょうか・・

○ 881 :トンチンカン:2015/08/30(日) 21:24:27 ID:z9V4A.MQ
>>876 の「監禁されてます助けて」の返事は誰からもありませんよ。是非何時でもよいのでして下さい。トンチンカンさん
・こんなの、周知のことですよ!!・当時、色々な書き込みがありましたよ・・・・具体的に、某親戚のお嬢さんが「結婚報告」の為に、恵美子先生宅に訪問したら、監視カメラで気づいた 総務部長 が飛んで来て、追い返した・・とか〜〜



******************



<感想>

マサノブ偽総裁は、とうとう「初心者」時代以降の屁理屈理論も出来なくなってしまった。「枯れ松模様」も「恵味な弁当屋」も休業が殆んどで書くに書けない程に追い詰められてしまった。そこで、長屋談議や井戸端会議のような程度のことしかかけなくなってしまった。所詮、マサノブのいうことはサヨク屁理屈で真理に基づいたことなど書ける筈はないのである。



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[4180] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (2)
遮那王 - 2016年07月17日 (日) 08時57分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (2)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

*************************



● 882 :曳馬野=マサノブ:2015/08/30(日) 21:29:08 ID:???
私が此処に書きこむと阿保な本流の人間が、すぐ総裁がどうたら言い出して総裁に迷惑をかける形になっていますので、私の住んでいるところを書いておきます。姫街道と浜松から長篠の古戦場に向かう街道の交差点を追分と云います。いろんなところに追分はあります。静岡に問い合わせることの出来る人は訊いてご覧なさい。その交差点のわきに住んでる人は誰ってね。私は有名人じゃないけれど妻が役してるから判るでしょう。二度と総裁などと勘繰らないでね。

○ 884 :トンチンカン:2015/08/30(日) 21:37:05 ID:z9V4A.MQ
>>882
こんなこと書いて、「信じなさい!!」と言っているのですか?
≪言行不一致≫な人のことを・・・

● 885 :曳馬野=マサノブ:2015/08/30(日) 21:41:32 ID:???
清超先生に『責任転嫁』しようとしているのです・・・と貴女が言っているだけです、返事が出来ないとすぐに「責任転嫁」だと来るのですね。>>881 では恵美子先生が助けを求めたという証拠にはなりませんね。救いを求められたという事実があるか聞いているのです。

○ 886 :夏、時々出ている志恩:2015/08/30(日) 21:44:20 ID:SyLM2JDI
〜恵美子先生が軟禁のような状態に...についての投稿記事〜
再掲  本流対策室/5板より  
1841 :元本部職員D:2013/07/05(金) 01:22:05
お身内(お山)の関係者の方から 重大なお話 を先ほど聞かされました。内容は、谷口恵美子先生は軟禁のような状態にあり、自由にお子様やお孫様に 会えなくなっている というものです。
まさに、雅宣総裁の人間性に大いなる疑問を 投げかけるものでした。改めて さらに取材して 投稿します。 悲しくて今日は眠れそうにありませんが・・・
...........................
1847 :元本部職員D:2013/07/05(金) 12:43:27
取材元や登場する人を 匿名にしてくださいとの条件で あらためて実情をお聞きしました。先日、恵美子先生のお孫さんにあたる方の 結婚式が 執り行われる事になったそうです。そのために、各地から恵美子先生のお子さまやお孫様も 東京に 集まられたそうです。結婚式の前日か前々日に、恵美子先生のお宅にご挨拶に伺ったところ門の前には以前よりも大きな監視カメラが二台設置され、両脇の防犯用鉄柵も以前より立派になっていて驚かれたそうです。以前にその方(娘さま)が 恵美子先生にお目にかかろうとして連絡すると、喜ばれたそうですが、直前になって「会えなくなりました」との 連絡が入り誰かが許可しなかったと思い、このたびは前もって連絡をせずに 当日面会という形で お邪魔したそうです。 楽しく語り合われながら 階段を登り、お部屋で お話をしていると・・・何と5分後に部屋をノックする人があったそうです。○島総務(管理→総務に訂正)部長がそこに立っていてこう言ったそうです。「ここは生長の家本部の建物ですから許可なく立ち入りはできません、出て行ってください」さすがに恵美子先生も驚かれて、何でドアの外に○島さんが居るのかしらと怪訝な顔をされたそうです。帰り際に、その○島管理部長は「もう2度と来ないでいただきたい」
と申したそうでありますが、その娘さんは残念ながらお断りします」と申されて退出されたそうです。恵美子先生が軟禁状態のように監視されている事は、まず監視カメラによっての来訪者のチエック。そして直接電話を受け取れない。管理部女性職員によるチエック(必ず誰から電話があったかの報告義務)そして、毎朝のお礼と称する雅宣総裁からのチエックがあることはほぼ
間違いないだろうという事です。ちなみに、今回結婚式を挙げられたお孫様も、ご両親とともに再三面会を希望していましたが、断わられたそうです。その時のお断りの恵美子先生の声がとても淋しいものであったそうで、ご本心で会うことを断っておられるのではないことは明白に判ったそうです。 裁判の時は、事情も詳しくない恵美子先生を引っ張り出しておきながら、肉親や孫たちには会うことを禁じている人間とはいかなるものなのか・・・
私は悲しみで言葉を失いました。 本部総務部の管理をされている方たちはおそらく命じられるままにされているのだと思いますが、それが人間としてやって良いことなのか、ましてや生長の家の教えと齟齬がないかを繰り返し考えていただきたいと思います。本来は純子夫人が中に入って間を取り持ち和解に導くことが当然と思いますが、どうやらその形跡は一つもないという現状です。皆さんを悲しませる行動を指示する人間の末路は・・・監視カメラの外で法則がいずれ働く事でしょう。

● 887 :曳馬野=マサノブ:2015/08/30(日) 21:48:01 ID:???
こんなこと書いて、「信じなさい!!」と言っているのですか?  ≪言行不一致≫な人のことを・・・どんな意味、私が誰だか確認したけりゃしなさいと云っているだけ。なんで≪言行不一致≫な人のことを信じなさいとなるの、やはりまるで脳軟化症だね。

○ 888 :夏、時々出ている志恩 :2015/08/30(日) 22:06:05 ID:6hRUvSRg
恵美子先生のことは、「監禁」ではなくて、「軟禁」です。
正しく言えば、雅宣様によりまして恵美子先生が「軟禁のような状態にある...」ということが、過去に話題になっていました。
では、なぜ、恵美子先生ご本人が、そのことを 公表されておられないかということも、警察沙汰に されないかということも、過去に、みなで語り合っておりました。
その理由は、親というものは、愛する子を、かばう からです...,ゆえに、そのようなことを 公には口外されなかったのでしょう、警察にも訴えなかったのでしょう、というコメントが、当時、ございました。しかし、恵美子先生は、軟禁されていらした後は、高知におられる既婚の娘さん一家のところへ身を寄せられました。ですから、そのように、どのようなお気持ちでいらしたかは、言葉ではなく、行動で、表明されておられます。その後、恵美子先生と 雅宣様ご夫婦とは、親子の ほのぼのとした温かな交流は されておられるのでしょうか?恵美子先生が、森のオフィスへいらしたり、雅宣様ご夫妻のご自宅を訪れたりされたり、というお話は、一度も聞いたことがないのですが、その後のことは、いったい どうなっているのでしょうね。

● 889 :曳馬野=マサノブ :2015/08/30(日) 22:07:45 ID:???
志恩さん、それはもうここに来て三年になりますから見ています。それは身内との接触に人間らしからぬことがあったという事であって、その状態が嫌でそこから抜け出たいと恵美子先生が望み行動に移したことがあるかと聞いているのです。本流から言えば軟禁状態に置かれていたというのですが、そのような行動を怪しからんと恵美子先生が言ったのかどうかを聞いているのです。それはそれでやむを得ないものが在るとして甘受していたのかどうか。そんなことを聞いているのです。知っていたら書いて下さい。電話で話をしたとか、お孫さんが会話してたら出てくれと云われたとかいうのなら、その時点で恵美子先生が救いを求めそうですよね。本人が監禁されていると声を上げないのでは、そこに何かの事情があると考えられませんか?

● 890 :夏、時々出ている志恩 :2015/08/30(日) 22:12:01 ID:6hRUvSRg
曵馬野さん、恵美子先生が、軟禁のような状態にはなっていなかった。とおっしゃるのでしたら、もしも ご存知でしたらですけれど、具体的に、わかるように 反論を おねがいします。






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[4196] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (3)
遮那王 - 2016年07月18日 (月) 08時30分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (3)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 891 :曳馬野 =マサノブ:2015/08/30(日) 22:18:19 ID:???
ダブりましたね。よく総裁は公人だから非難するのだという意見がある。となりますと生長の家を託すに足りない息子であるが親の情としては忍びないから総裁にしておく、ということですと
恵美子先生は生長の家の行く末よりも親子の情を優先したという事になります。公私の区別のつかない人が二代目白鳩総裁だったというのですね。

● 892 :曳馬野 =マサノブ:2015/08/30(日) 22:28:47 ID:???
恵美子先生が、軟禁のような状態にはなっていなかった。とおっしゃるのでしたら、そんなことは一回も言っていませんよ。知りもしません。ただね本流が非難の対象を総裁にしているけれど、私の見方では清超先生、恵美子先生が無限の知恵に導かれて最高の生き方をしたかどうかが問われるのではないか、しいては生長の家の教えの正しさの評価に影響するのではないかと考えるのです。こう書くとすぐに責任逃れだという言い方をする人間がいるけれど、教でいけば自由自在になりなおかつ良い結果が出るということでしょう。真理の証明が出来ていないと思うのです。

○ 893 :トンチンカン :2015/08/30(日) 22:36:31 ID:z9V4A.MQ
『本人が監禁されていると声を上げないのでは、そこに何かの事情があると考えられませんか?』・・(曳馬野=マサノブ)
『お通夜の暴言』から来る ≪恐怖心≫ ですよ!! マサノブ爺さんに対する・・・マサノブ爺さんの ≪暴言≫ は、それほど強烈なのでしょうね!! マサノブ爺さんの ≪暴言≫ の影響で他界された お偉い先生 もおられました!!

○ 894 :夏、時々出ている志恩 :2015/08/30(日) 22:42:30 ID:6hRUvSRg
曵馬野さん、私は打つのがのろいので、889を拝見しないで、890を書きました。失礼しました。お返事、ありがとうございます。
どういう事情がおありになったのかは、恵美子先生や純子様に、信徒は直に伺えませんから、恵美子先生が、自由に孫にも会えないというのが、ほんとうのことのようでしたから、それは、軟禁状態にあると、いうことに なってしまうでしょう。なんでしたか、軟禁プラス、恵美子先生に大金の家賃も払わせたり、恵美子先生の通帳や印鑑も取り上げていたということも言われていましたが、それも、なにかのご事情があったからということですか?
普通は、そんなこと しませんよね。世間で よくあるように、なにか、お母様とお嫁さんとの折り合いが、ひどく悪くなっていた。で、雅宣様は、お母様のほうではなく、奥様の純子様の味方についていた、ということも含まれるように思いますけれど。
恵美子先生が、私情を優先されたからというのでしたら、もしもそうでしたら、母親って、そういうところがありますから、恵美子先生の母親としての愛が、それだけ強かったということですから、その子の未来を、あきらめていないということもあり、恵美子先生のことは、責められないと思います。

○ 895 :夏、時々出ている志恩 :2015/08/30(日) 22:46:00 ID:6hRUvSRg
トンチンカンさんによりますと、お葬式のときの暴言が恐ろしかったから...ですね、私は、考えが甘チャンなので、未来をあきらめていないからですが。さて、どちらでしょう?

● 896 :曳馬野 =マサノブ:2015/08/30(日) 22:47:20 ID:???
『お通夜の暴言』から来る ≪恐怖心≫ ですよ!! マサノブ爺さんに対する・・マサノブ爺さんの ≪暴言≫ は、それほど強烈なのでしょうね!!マサノブ爺さんの ≪暴言≫ の影響で他界された お偉い先生 もおられました!! −−−「無畏怖」の状態になる事が救いなんでしょう。そのお偉い講師さんも恵美子先生も【恐怖心】に苛まれていた?それじゃ偉い講師になっても何にも救われていないじゃありませんか。そんな程度が生長の家の救いなんですか?生長の家の教え全相復活なんて言っても、所詮大した救いには与かれないということですね。何のための宗教でしょうか?どんな救いを信徒に与えることができるのでしょうか?教えてトンチンカンさん

● 897 :曳馬野=マサノブ :2015/08/30(日) 23:01:59 ID:???
私は、考えが甘チャンなので、未来をあきらめていないからですが。さて、どちらでしょう?ーーーよく考えればそういうことでしょう。清超先生が跡継ぎ問題を確かなものにせずに逝ったという事も共に加味しなければいけないでしょう。監禁されたと公言しないという事については志恩さん説でいいのですが、苟も悟った人法統を全相にわたり継承したという人が、今の様子を見通すこともできず総裁代行にしていたというのは肯けません。このような路線を清超先生も御存じであったということはないのでしょうか? 挙げ句の果てに、精一杯の ≪屁理屈≫ をこね回して、清超先生、恵美子先生、そして、谷口雅春先生をも 貶めようとしているのです・・・『「無畏怖」の状態になる事が救いなんでしょう』・・なんて、真理の「つまみ食い」を見せびらかしながら・・・『人間智』が秀逸だと、こんな風に ≪屁理屈≫ が、次から次へと出てくる様になるのですね?!

○ 898 :トンチンカン :2015/08/30(日) 23:18:40 ID:z9V4A.MQ
『監禁されたと公言しないという事については志恩さん説でいいのですが』(曳馬野=マサノブ) 『恵美子お母さんの監禁』の事実は <認めている> のでしょうね・・・『恵美子お母さんの監禁』の事実を<認めた>のならば・・・普通一般の人間なら、まずは ≪謝罪≫ から始まると思うのですが・・・・「曳馬野爺さん」は、それでも 『一切の謝罪ナシ』 を貫いているのです!!



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[4211] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (4)
遮那王 - 2016年07月19日 (火) 09時59分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (4)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 900 :曳馬野 =マサノブ:2015/08/31(月) 06:52:16 ID:???
清超先生は、生長の家を 近代化させて、より発展させたいというお気持ち、清超先生が 雅宣様と、同じ路線をお考えだったかどうかは、存じ上げません。−−−近代化の内容がどんなものだったのでしょうかね、まともに話せるのは志恩さん位なのでしょうか。二年前に春さんが云っていた疑問がまだ春さんの中で解消されていないようですからね。兄弟で話し合っても疑問が解決できないのでは、こんな掲示板での話し合いでは所詮無理というものでしょうか?当地の三浦強化部長は愛知県の重鎮であった方の息子さんですし、大塚参議は百万運動の時の愛知県の青年会を率いていた方ですよね、そんな方が総裁と直に話し合える立場にいて、本流の言うように金のために組織にいるとは考えにくいです。真面目な感想有難うございました。

○ 904 :トンチンカン:2015/08/31(月) 14:16:17 ID:z9V4A.MQ
『地獄の真っただ中』にいての≪自由≫でなくば『何の真理』でしょうか? 「マサノブ爺さん」の求める、転生(霊界)後の 『生活の指標』 は、これっ・・・・転生(霊界)後に、真理を求めての ≪修行≫ を望んでおられるのです!!『クモの糸』に絡まれながらも、≪心の自由≫を実現したいのでしょう・・・だから、『現世』において『地獄の真っただ中』に行く為には・・と考え、谷口雅春先生を貶め、清超先生、恵美子先生を貶め、『生長の家の解体』という ≪法罪≫ を犯すという、類い希なる 『生活法』 を選択しているのであります!!
(参考) <本流対策室/5>
5350 :曳馬野=マサノブ:2014/01/05(日) 18:46:11 ID:DRKPMCuI
アァ〜〜 またまた <屁理屈> ですか? 恵美子お母さんが、他のご兄弟と共に生活されている「環境」なら、<恐怖心>なんて 当然ないと思います。でもね、マサノブ君に <暴言> を吐かれる度に マサノブ君に対する<恐怖心>が芽生え、箱の中に閉じ込められた環境ではね・・・・<お通夜の暴言>は相当なモノだったようですね 。−−−真理は死刑の鎖も絶つ とか何とかいう本に戦犯として死刑判決から抜け出した遠藤なにがしさんの話があるでしょう。恐怖心の湧かない環境でなら?そんな環境なら馬鹿でもチョンでも恐怖心は湧かないに決まっているでしょう。地獄の真っただ中にいての自由でなくば何の真理でしょうか?

● 4382 :曳馬野=マサノブ :2015/09/05(土) 18:30:04 ID:JPiKJZkg
昭和48年ごろだったか、生学連経由で原理講論薦められましたよ。でも朝鮮人がと云うならば、神武東征の主体者がどのような人であったか?魏志倭人伝に出て来る邪馬台国の卑弥呼とか倭人とはどんな人達なのか?倭の国と大和の国とかの倭と大和の違いは?少なくとも飛鳥時代の朝廷を補佐した人間には朝鮮からの渡来人が重用されていたようです。安倍なんて名も渡来人のもののようです。縄文から弥生への脱皮には朝鮮人の力が働いていたようです。米作のための技術、農工具の政策、他色々技術的には当時支那の影響もあって日本より朝鮮の方が進んでいた。こんな視点からの天皇論も学ばなければならないでしょう。皇室の中にも朝鮮の血が流れていることでしょう。九州北部に渡ってきた朝鮮人の力を借りて神武東征はなされたのではないか?渡来人は福岡山口県あたりに住み着いたものと思われる。そんな人間の子孫が明治維新を起こし官軍の総大将の西郷を邪魔者扱いし賊軍としたと考えるのは考えすぎか?まあ何れにしても朝鮮を毛嫌いしても、日本の国家成立の時点で血が混じっているのは事実でしょう。日清戦役の付録としての韓国併合でしょうから、差別問題はしっかり考える必要があるでしょう。





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[4222] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (5)
遮那王 - 2016年07月20日 (水) 09時10分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (5)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 3463 :尊皇 =マサノブ:2015/09/07(月) 13:55:51 ID:WE3Euklo
集団的自衛権がないと国が守れない、というのがウソ。個別自衛権を磨くのが先決です。日本会議は間違えている。

● 3464 :尊皇=マサノブ :2015/09/07(月) 14:08:44 ID:WE3Euklo
イラク戦争をちゃんと検証することなく集団的自衛権など通せばとんでもない事になる。国会承認不要で派兵できるんです。危険極まりない。日本の若者は中東で住民殺害を分担することになります。個別自衛権の話を無理矢理集団的自衛権で説明するから噛み合わなくなるのです。

● 4422 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ :2015/09/08(火) 15:00:55 ID:DD4jWV6M
「ある」とはどういうことか、たとえ話をいたしましょう。ひとつの部屋があるとします。この部屋に身動きできないほどの人間をつめこんだとしましょう。これがわたしの考える「ある」です。ひとつの場が「ある」だけで満たされている。こうした状況をこのたとえ話はしめしています。身動きできないということは、いっさいの運動が不可能であるということです。誰ひとりとしてうごくことができないということです。運動が可能であるためには、誰かが部屋をでていく必要があります。誰かがでていくことで「ない」という状況が生じ、これによって運動が可能となります。「ある」だけでは運動は生じないということです。「ない」という状況ができて、はじめて運動が可能になるということです。わたしはおもいます。「ある」はけっして神ではない。「ない」こそが神なのだと。「ない」こそが神の働きであり、神そのものなのだと考えます。神とは「かくりみ」であるともいいます。身をかくし、場をあけてこその神といえるのではないでしょうか。

● 4424 :純粋教理批判(身元の詮索は無用) =マサノブ:2015/09/08(火) 15:31:55 ID:DD4jWV6M
ユダヤ教にツィムツムという考え方かあるようです。はじめに神が存在した。しかし何も起こらなかった。そこで神はみずからを収縮させて場をつくりだし、そこに世界を創造した。これがツィムツムの考え方であるようです。わたしは、みずからを収縮させたのは神ではなく「ある」であると考えます。しかも「ある」は自発的にみずからを収縮させたのではなく、外部におわす神によって収縮を余儀なくされたとも考えます。実相はみずからを収縮させて「ない」をつくりだしたのではなく、外部の神によって収縮を余儀なくされ、結果として実相の不在、つまりは「ない」がつくられたのではないか。これがわたしの考えるところです。

● 4426 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ :2015/09/08(火) 16:14:54 ID:DD4jWV6M
わたしがなぜ外部にこだわるのか、その理由を説明いたします。
ゲーデルの不完全性定理というのがありますね。この定理が意味するのは、内部だけでは完全性の実現はない、ということのようです。完全性を実現するには外部のたすけをかならず必要とする、ということのようです。これをひとことでいえば、完全性を実現するには他力を絶対的に必要とする、ということです。自力では何もできないということです。「ある」は自力では完全なる収縮を実現できない。外部のたすけ、他力によってしか完全なる収縮を実現できない。ゲーデルの定理はこのことをしめしているとしかわたしにはおもえないのですね。実相独在とは内部だけですべてがまかなえるという考え方であるはずですが、ゲーデル的にはこれはありえない考え方になるかと存じます。なお、ゲーデルの定理にかんしての専門的な知識はもちあわせておりませんので、このあたりの追及はご容赦のほどを。以上が、わたしが外部にこだわる理由のひとつということになります。



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[4240] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (6)
遮那王 - 2016年07月21日 (木) 09時01分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (6)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4408 :純粋教理批判(身元の詮索は無用=マサノブ
生長の家の教理にかんして私見を述べさせていただきます。みなさまからのご意見や反論は歓迎いたしますが、教理と無関係の書き込みにはいっさい応答いたしません。實相独在への疑問。まずはこのことから書くことにいたします。實相独在とはどういうことかと申しますと、現象はない、実相のみがあるということですね。このことはいいとして、わたしが疑問におもいますのは、
「實相に外部はないのか」ということです。教理にもとづけば「外部はない」ということになりますね。外部はない?ほんとうでしょうか。わたしはあるとおもいます。實相に外部はある。これがわたしの考えです。外部があれば實相独在とはいえない。つまりはこういうことです。

● 4413 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ:2015/09/08(火) 13:22:01 ID:DD4jWV6M
実在するものを称して生長の家では実相といいますね。実相とはようするに「ある」ということです。それがただある。これが実相です。実相独在とは、あるものだけがあって。ないものはない、とこういうことをいっているわけです。真に実在するものによって世界はつくられている。実相独在とはこういうことをいっているわけです。このことにかんしての疑問です。実在するものだけで世界をつくることははたして可能なのか、これがその疑問です。世界をつくるためには実相の不在が必要なのではないか。「ある」だけでなく「ない」という状態が必要なのではないか、わたしがいいたいのはこういうことです。

● 4414 :曳馬野=マサノブ:2015/09/08(火) 13:28:02 ID:JPiKJZkg >>4412
私の投稿は雅春先生の言うことへの疑問を書いているだけです。云うことが可笑しければ、「どこそこが変」とあなたの意見を書けばいいのです。濡れ衣を着せられても私にはなんてことないのです、勘違いする人間が可哀そうだというだけですので。普通の脳みそしていれば分かる事が解らない、そんな人間が救われているという生長の家、何を救ってきたのか。

●○ 5669 :フニュ(´・ω・`)るん吉=マサノブ??:2015/09/08(火) 00:56:49 ID:???
>>悟りの発達の低い人たち』とは、ちょっと衝撃的な内容でした・・・(-_-;)
生長の家は、要するに「悟り」やもんねぇ。神の子の真理を絶対境地で体験して悟らにゃ、本物の我は出てこない?ですよね?
自我のまま、現象の我のまま?ですよね。「我即神」の絶対境地になってないんやもの。例えば、生命の実相を読んで「実相独在の真理」があまりに有難くて、読んだ後は有難い、明るい心持ちになってその結果、心の法則によって現象界に良いことが起こる。(それは嬉しい事だけど)しかしその時の心は依然として、自我の心ですよね?新生したわけでは無いですよ・・・ね。
ところで、二代目の清超せんせいは、ご自分が神の子ということを如実に実感されてたんでしょうか?どう思います?

● 2652 :曳馬野=マサノブ :2015/08/23(日) 10:25:23 ID:JPiKJZkg
わたしも、全く同意見です。【その真理を悟っていない人間が、何べん上辺だけ「聖経」を読誦しても、その真理を鳴り響かせることはできないと思います。】わたしたちには聖典「生命の實相」があるのですから、【悟ってやろうではありませんか!】
過去の生長の家信徒のしてきたことを頭から否定している言葉でしょう。悟ってから甘露の法雨を読みましたか?悟らずして甘露の法雨を読んで、藁にもすがる思いでこれを読めば良くなるとの信念で良くなったから『聖経』なる言葉が出来たのでしょう。ですから甘露の法雨の言葉で変化が出たのか、良くなるとの信念で変化したのかは、はっきりしない。こういう言葉を平然と吐ける人間を褒めてくれるとは。天皇陛下が「生命の実相」読んで天皇の仕事を全うしていますか?悟ってから何かをしていますか?クダラナイ解説です。生長の家ができる前ずっと以前からの日本人の生活として国柄はできていたのです。生命の実相を悟らないといけない、???です






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[4249] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (7)
遮那王 - 2016年07月22日 (金) 11時30分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (7)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!


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● 4427 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ :2015/09/08(火) 23:26:36 ID:DD4jWV6M
「ある」=実相だけでは世界は創造されない。「ない」=実相の不在があってこそ世界に動きが生まれ、天地の創造が可能となる。これがわたしの考えです。実相は独在にあらず。実相を不在にさせた外部が必ず存在する。わたしはこのようにも考えます。真理は内部にではなく外部にある。わたしがいいたいのはこのことです。

● 4428 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ :2015/09/08(火) 23:44:01 ID:DD4jWV6M
真理が内部にあるとすれば、真理は自分の所有物ということになります。病気治しであれ何であれ、真理を自由に利用できるということになります。真理が外部にしかないとすれば自由にそれをもちいるというわけにはまいりません。人間中心主義とはいうまでもなく、真理は内部にあるとする考え方から生まれたものです。真理が外部にあるとすれば人間が中心になるという考えはおそらく生まれてこないでありましょう。実相独在はイデア論です。それは真理を自己の所有物とするイデア論の考え方です。わたしはイデア論に反対いたします。

● 197 :感想男=マサノブ:2015/09/10(木) 10:03:43 ID:JPiKJZkg
20年12月から21年6月までの文章ですね、ですから後出しジャンケンと云っているのです。私はあなたの薦めている文(あなたのブログの引用箇所)の中から感想を書いているに過ぎないのです。あなたの意見は後付の理屈でしかないでしょう。吉田講師にこれからは国体の話しやら戦争賛美の講話はするなとそっと話すぐらいならば、外部の人間、憲兵なといない集まりはいくらでもあるのだからそこでそういった話はしてはいけないと云えばよい。「僕は今本当のことを言うが」、なんてそっということ自体それまでは違うと云っているのと同じです。『検閲制度』が在ろうが真理に基づいた正しい生き方を人々に知らそうというのが宗教家のとる道でしょう、そしてそれを自由自在にできるのが真理を実践している人間だ、位の説きかたをしていたのではないのですか。こういう語り口を出すところそのものに、生長の家の自由な生き方が本当にできるものかの疑問が増えますね。あなたの「誇るべき点」を読んでの感想なんです。その敗戦前の雅春先生の言への疑問なんです。「恥ずべき点」の戦後の話ではないのです。知的誠実さがあり宗教家としての正しい道を歩んでいたかそれを疑問としているのです。云うことと行動が相反するという話が喧しい時がら、敗戦前に雅春先生がどんなことを言い国民を先導したかを知りたいのです。戦後に何云っても詮無いことです。
雅春先生が敗戦前に言行一致であったか不一致であったかを聞いているのですから。ついでながら『真の神、宗教』の『真』はあなたのように相対的な価値で使う言葉ですか?生長の家はキリストの教えがいのちを得る『真の教え』であるなんて使い方をしていたでしょう。

● 200 :感想男=マサノブ:2015/09/10(木) 13:29:22 ID:JPiKJZkg
論点がずれますね、私が証明する立場ではないですよ、あなたのブログを読めば雅春先生の正しさが分かるというから、読んだ感想を言っているのです。イメージ的な言葉でイメージを造っているだけで疑問への答えにはなっていません。ちゃんと疑問に答えてあれば次に進めますが、答えになっていないのでストップするのですが。昔の事は知りませんが多分本流の方との話でも同じよぇな話の進め方をするから、話しても始まらないということになっているのではないですかね。会話するもしないも自由、単に自分のブログでそれぞれが意見を述べていると思えばなんてことないでしょう。

● 204 :感想=マサノブ:2015/09/10(木) 15:02:42 ID:JPiKJZkg
 雅春先生ですが戦前・戦中・戦後を通して「大和の國の理念」「八紘一宇の理想」を御主張、されておられます。変節していないどころか、首尾一貫しているのです。そこが先ず、大切な点です。ですが、称賛とは全肯定を意味しないのです。その点が曳馬野サンや破邪サンには、ワカラナイご様子ですね。理念と云う生長の家特異の考えを述べるのは勝手です。然しその現象化を目的に満州国というものの現実を称賛したのです。理想の天地を造ろうとして日本人が移住したのです。そんなものを造らなければ引き上げに際し悲惨なことに合わずに済んだのです。誰がどんな理屈を云いましょうとも日清日露の両戦役での戦利品なんです。明治20年から昭和20年までで60年です、戦に明け暮れた60年と云えましょう。そして戦後70年、満州が無くとも戦争が無くとも日本はなんてことはないのです。
 昭和の20年の在り様を理念の日本の顕現である戦は迷いを打ち消す働きだと、軍国日本の宣伝に則った発言で国民を先導したのでしょう。然し残ったものは何、共産中国のみです。大和の理想国、八紘一宇の理想国今どこにありますか。大調和の谷口家が何処にありますか。現象実相などの言葉に関係なく人間は生きているのです。其処に何らの理想の実現がなされないのであれば単なる理屈と云われてしまうでしょう。

● 206 :感想=マサノブ:2015/09/10(木) 16:35:40 ID:JPiKJZkg
と、云うことで「谷口雅春=変節漢」の汚名は拭われました。
何処からこんな結論になりました?




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[4263] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (8)
夜叉王 - 2016年07月23日 (土) 10時17分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (8)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 210 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ:2015/09/10(木) 17:15:05 ID:DD4jWV6M
横から失礼します。
>その通りですよ。そして迷いは打ち消されて西欧列強の支配下にあった国々は独立しました。日本はイエス・キリストのような役割を果たしたわけです。ーーー なにをもって独立というのですか。政治的に独立できればこれが独立ですか。アフリカの国々はいまだにフランス語をつかってますね。インドは英語です。南米はポルトガル語やスペイン語です。進駐軍の支配下にあった日本が公用語として英語をおしつけられて、いまだに英語をもちいていたとしても、独立できたと考えるのですか。もしもすべての日本人が英語を日常語としていたなら、日本的精神はとっくの昔に失われていますよ。西欧の支配下にあった国々は政治的には独立できたかもしれませんが、民族の精神は失ったままなのですよ。精神はいまだに西欧列強の支配下にあるのですよ。植民地支配からの解放が日本国の使命であるのなら、精神の解放に向けて日本国はなぜもっと積極的に取り組まないのでしょう。ポストコロニアルの問題になぜもっと積極的にかかわろうとしないのでしょう。理由を教えてください。迷いが打ち消された?本気でいってるんですか?

● 211 :感想=マサノブ:2015/09/10(木) 17:16:55 ID:JPiKJZkg
貴殿が答えずに、論点を変えられたから(笑)ーーー 論点なんて何も変わっていないです。現象に実相を現しつつあるものとして、満州国の建国をたたえ、生長の家の満州教化部まで設置したのです。そして満州版の聖典なるものを出版し、それらの本に書かれたものを大事にしているのが分派。私には侵略の片棒を担いだと見えます。あなたの例えは、話でしかない、私は事実に関しての感想を述べているのです。野球にしても体験する子供にとってどちらがいいか、という事であって勝っても負けても何ら問題ではない話です。戦争に出会いいのちを懸けて体験する価値が有るか無いかの話です。たとえ話など出すこと自体話にはなりません。現実の検証なくして進めていた政策の当否は分からないでしょう。すぐにたとえ話で話をはぐらかそうとする。そんなあなた

● 213 :感想=マサノブ:2015/09/10(木) 17:41:50 ID:JPiKJZkg
>>207  検証不能な大昔の話でなく検証可能な近世の話を何故しないのですか。戦後、戦争をしなくても安泰だった(笑)それダケの事実をもって「戦いを選んだ者は見通しが甘かった(笑)それが、ご主張の趣旨なんでしょうか? 戦いの道を選ぶ必要が無かった、本来の日本国土でない処に呼ばれもしないのに出ていくことが正しいのか、との話が何故勝った負けたの見通しの話になるのですか、あえてそう言った話し方をしているように見えますよ。論点のすり替え。

● 214 :感想=マサノブ:2015/09/10(木) 18:05:13 ID:JPiKJZkg
今までは称賛していた対象(皇軍)ですが、それへの評価を変えることって日和見主義ですか。明治の皇軍ではない、そう知った雅春先生は意見を変えられたわけですがこれって、知的誠実さに映りますがね 【日清日露で日本防衛を全う出来たところで欲をかかなければ良かったが満州国などと国を作り出してまで大陸に出て行ったことを、雅春先生は八紘一宇の実現として褒めていた。それに対して当時の大日本帝国は酷かったとあなたは言う、変だね。師弟もろともに言い訳、取り繕いに見えます。満州からの引き上げに際し若い女性が露西亜兵からどんな仕打ちを受けたでしょうか。満州にいた兵がシベリア抑留に何故あったのでしょうか?満州国建国にもろ手を挙げた人がいたからです。明治以来日本精神は政治の対外的には発揮されていないのでは?それよりももっと以前古事記日本書紀の造られた時から日本精神は天皇の取り巻きによって隠されてきたのではないかと思っています。ホツマツタヱの大事な所を意図的に省いて出来上がったのが古事記日本書紀ではないのだろうか?邪馬台国の存在卑弥呼の人間像がはっきりしないのはその辺に原因があるような。漢字文化になる前の縄文日本に日本国の起源はある。漢字文化後の古事記に天皇制を見出す雅春先生は正しいのであろうか? 前半への意見は言うけれど、肝心な古事記の話はあなた流に云うと華麗にスルーですね。「戦時国際法で言えば侵略です」がの部分を本流派は華麗にスルーするという。自分の都合でスルーと云う言葉を言うけれどあなたも同じですよ。雅春先生は自覚に基づいて真理を説かれたのかも知れませんが、言葉の上では古事記から出発しているのです。ホツマツタエの原文の世界はまるで知らなかったのです。江戸時代に漢字をあてはめたものはご存じであったかもしれませんが、多分知らなかったでありましょう。漢字渡来以前の物語を聞き取りしたものと云う古事記、しかし現実は形象文字ともいうべきホツマツタエに書かれていたものをかゃくほんして作られたものらしい古事記を基に真理を説かれていることへの疑問であります。これへは一言もなくスルーする、本流の事は言えませんね。

● 215 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ:2015/09/10(木) 18:20:31 ID:DD4jWV6M
後回しでおねがいいたします。私見をつづけさせていただきます。アフリカやインドの作家が先祖を題材にした小説を書こうとしても、フランス語や英語では十分に書き表すことができないわけですよ。わたしたちが日本語で受け取っている西行や親鸞とおなじものを英語で書けるか、ということですよ。日本の使命とは何だったのでしょう。戦争をすることで使命は果たし終えた。こういうことですか。それならそれでかまいませんが、もしそうならポストコロニアルの問題に日本がなぜ関与しないのか、理由をきちんと説明しておくべきであったでしょう(それとも説明されているのですか?)。そうでなければ、「日本国の使命」は表面だけをみてとってつけた理屈とみなされたところで文句をいえなくなるでしょう。それとですね、もしそういう使命が本当にあるのであれば、アフリカや南米の諸国が民族の精神を回復するまでは、日本人は日本の精神について語るべきではない、ということになるのではないですか。生長の家は逆に日本的精神を高らかにうたいあげているようにおもえますが、アフリカや南米の国々がいまだに抱え込んでいる問題をおもいやるのであれば、こういうことはできないはずです。こうした無神経ぶりがどこからくるのか、教えていただきたいとおもいます。



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[4282] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (9)
遮那王 - 2016年07月24日 (日) 11時16分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (9)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4576 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ:2015/09/10(木) 13:34:02 ID:DD4jWV6M
外部の真理はマイノリティとしてあらわれる。外部の真理は無限の富者としても、完全なる健康体としても、主流派の人々が待望する全能の神としてもあらわれることはない。外部の真理は少数派であり社会的弱者でもあるマイノリティ、あるいは外部であるがゆえに理解不能のまったき他者としてしかあらわれることがない。「真理は外部にある」ということでわたしがいいたいのはこういうことです。神的なもの、仏的なものが病者や貧者、老人や子どもといったマイノリティや社会的弱者としてあらわれるという寓話は、古今東西かわらぬ真実として語りつがれてきたのではないでしょうか。神的なもの、仏的なものが王様や殿様としてあらわれるとはまず考えられない。金持ちとしてあらわれるという話もあまり聞くことがない。かりにそのような姿であらわれたとしても、わたしはその話に心ひかれることはないでしょう。外部の真理は不完全な姿でしかあらわれない。完全円満なる実相としてあらわれることはほとんどない(もちろん例外はあるでしょう)。これが古今東西の真実ではないでしようか。そして、もしもこれが真実であるとすれば、なぜそうなるのでしょう。「それは外部の真理とはそういうものだから」とわたしならこのように答えるでしょう。いっぽう、内部の真理とはなにかといえば、それはまず間違いなく左脳自我の産物であるということがいえます。なぜなら、内部の真理はほとんど例外なく、善と悪や、霊と物質といた二項対立をたてる仕方で真理を説明しようとするからです。二項対立をたてるのは左脳自我の特徴です。内部の真理とは左脳自我の真理にほかなりません。善と悪の二項対立をたてるものは、善を内部におきとどめ、悪を外部へと放逐しようとするでしょう。霊と物質の二項対立をたてれば、霊を内部に留保し、物質を外部へと放逐しようとするでしょう。外部はマイノリティのたまり場なのですよ。外部の真理が二項対立をたてるという仕方であらわれてくるということはないといっていいでしよう。外部の真理といえども言葉をもちいる以上、二項対立から完全にのがれるというとは、もちろんできません。二項対立は言葉の宿命です。二項対立をたてる仕方であらわれてくることがないというのは、外部の真理は、内部の真理のように自己の所有物として「すでに今ここにある」のではなく、外部からの告げ知らせとしてそのつどあらわれてくるものなので、こちらが二項対立をたててあれやこれやと言い立てられるものではないということです。
かくいうわたくしとて、今は「内部」と「外部」という二項対立をたてることで物事を説明しようとしておりますでしょう。これはもちろん外部からの告げ知らせではありません。禅僧の道元は悟りについて「自己をはこびて万法を修証するは迷いなり。万法すすみて自己を修証するは悟りなり」といっていたようです。内部の真理はつねに自己(左脳自我)をはこびてなされるもののようにおもわれます。万法すすみてあらわれてくるのが外部の真理であるといえます。

● 216 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ :2015/09/10(木) 22:23:13 ID:DD4jWV6M
言葉を奪われるということは自国の文化や伝統から完全に切り離されるということですよ。精神をも奪われるということですよ。日本人の英語化がすすんで5世代、10世代とたてば、いまある文化や伝統など跡形もなく消え去っていることでありましょう。植民地支配はまだおわっていない。これは厳然たる事実です。日本の使命とはいったいなんだったのですか?文化から切り離されて生きなければならない人々の苦悩を共有する。これも使命なのではないですか。「イエス・キリストのような役割を果たした」というのであれば、こちらのほうがよりいっそう重要な使命のようにおもわれますが、それを「どこ吹く風」でいられるとは、いったいどうした風の吹き回しなのでしよう。


○ 4578 :志恩:2015/09/10(木) 19:09:38 ID:6hRUvSRg
マイノリティとは、少数派、弱者という意味のようですが....、
>>神的なもの、仏的なものが 王様や殿様としてあらわれるとはまず考えられない。金持ちとしてあらわれるという話もあまり聞くことがない。 <<というのが、どういう意味なのか わかりません。例えば、道元も 釈迦 も 空海 も、出生を調べてみますと、揃いも揃って、彼らの生まれた家の両親は 位の高い人たちで、生まれた環境は、とても裕福な王様や、殿様に近い人たちだったりしていますから。

○ 4579 :志恩:2015/09/10(木) 20:05:54 ID:6hRUvSRg>>4576;あなたの言い回しが、とても理解しにくい言葉なので、ピンとのはずれた答えを するかもしれませんが、一応、答えさせていただきます。我が家のご先祖様は、浄土真宗なのですが、最近、調べたいことがありまして、必要に迫られて、私は仏教、歎異抄の現代訳の本を4冊、読んだんですけれど、すごく難解で、もしも、谷口雅春先生の教えを知らなかったら、さっぱり、わからなかっただろうなと思いました。でも、「生命の實相」などを
読んでいたおかげで、言わんとするところは、おかげさまで わかったように思いまして、改めて、雅春先生に感謝しているところです。仏教的にいえば、外部の真理とは、仏様が、われわれが、幸福な人生といいますか、人間として心豊かな宗教生活を生きていってほしい、悟ってほしいと願っている全相の真理(実相独在)を、外部の真理として、われわれに 伝えているのですが、われわれは、五感の世界で生き、五感でしか、考えないところがありますから仏教的にいえば、阿弥陀様の願い、伝えたい悟りの一部しか、われわれは、受け取っていないのだ...ということでしょうか? 内部の真理とは、自分という我が、真理を知ろう、学ぼうと、努力した結果、取得した真理のことでしょうか。
あとの、あなたの文は長文なので省かせていただきますが.....、
仏教の本をよみ、〃阿弥陀様の願い〃 というところをよみましたら、阿弥陀様(神様)は、信心する心も、すでに人間に与えてある。ですから、われわれが我の力で、信じよう信仰しようと、頑張らなくともよい、つまり、すべて よきものは、目には見えず、五感では感じられなくとも 与えられずみであるから、現象にどのような辛いこと悲しいことがあらわれても、そのままを受け取り、ごくみじかな人・物、事に、あぁ ありがたいと感謝して、信心の心を、実践しながら 生きておれば、仏様が、からなず良きようにお導きくださいますぞ!という感じ。読後の感想ですけれど。ですから、道元禅師の「・・万法すすみて」は、そういう意味ではないかと思っております。

○ 4580 :志恩:2015/09/10(木) 20:32:03 ID:6hRUvSRg
(ネットより)岡潔先生が語られていた道元禅師の ・・
最近読み返した岡潔さん著「春宵十話」の中の「日本的情緒について」の中にも、禅の言葉が。学生時代は、あまり重視せずに読み飛ばしていたのでしょうが、今回読み返して「そうか!」と感じました。それだけ、昔の僕は未熟だったのでしょう。また10年後に読むと、別の箇所に感動するのでしょうが…。名著とは、そういう本でしょう。何度も読めて、読むたびに自分を叱ってくれ、成長のきっかけを与えてくれ、深い感 動で包んでくれる本。そういう本に若い頃、何冊出会うかが、人生を決めます。
さて、「春宵十話」の中にあった言葉とは、皆さんも歴史で習ったであろう 道元禅師の以下の言葉です。もっとも、学校では「リンザイ宗はエーサイ、ソートー宗はドーゲン」のような、唯物論的な知識しか得なかったかもしれませんが…。福井に「永平寺」を開き、現在も「禅の祖」と慕われる道元の言葉とは「自己を運びて万法を修証するが迷。万法進みて自己を修証するが悟」という一言です。分かりやすく現代語に意訳してみると、「自分の基準で現象を修正、検証するのが迷い。自然の法則で自分を修正、検証するのが悟り」という意味です。岡潔さんの本の中では、この言葉を少年の教育を論じた部分で用いているのですが、
そこで懸念している問題は、残念ながら、45年後の日本では、さらに悪い形で全て的中しています。戦後の日本では、人知に対する「致命的な思い上がり」を国民が持つようになり、過去や未来、自然や伝統すらも、「今の価値観」という裏付けに乏しい感情で分析・批判するようになりました。その結果は、これだけ情報ツールが発展し、教育インフラも整いながらも、迷い、自殺、**(確認後掲載)、家族崩壊、伝統破壊のオンパレードに。交通事故の死者の3倍、日清戦争の戦死者の8倍もの自殺者がいるなんて、あまりにいびつな社会です。なんと「15分に1人」が自殺し、「3分に1人」が、未遂であれ試みている計算です。岡さんは、花や昆虫の話を使って、子供の頃に情緒を豊かに育てることが、人間にとって、また社会にとってどれだけ大切かを、繰り返し繰り返し強調し、日本の行く末を案じています。「人づくりなんて、なんとおこがましい考えか。人は自然が育ててくれるのだ。人間はただ、その手伝いができるに過ぎぬ」。「一年間違った教育をやると、修正には二年かかる。今のような教育では、十七、八歳くらいには脳底に損傷が生まれ、征服欲や劣等感など、動物的本能のままに動く人間が増えるだけだろう」。「人間には、見る世界と見える世界がある。見える世界の摂理を無視して見る世界のみの調和を求めようとすると、どのようなことになるのか、考えているのだろうか」。岡さんが案じているのは、全て「自己を運びて万法を修証する」という「迷」方式の思考回路から生まれる行動と、その結果です。要するに、「自分がやりたいから、やる」、「そう思うから、それが正しい」という、完全に自己都合の動機で勝手に動き、相手や自然の存在を顧みない「迷」の状態に陥った国民の行く末を案じているので す。

○ 4581 :志恩:2015/09/10(木) 20:36:31 ID:6hRUvSRg
現代の日本では、何かを思っていることや、何かに対して無価値でも独創的な意見を持っていることだけで、「個性」とか言われます。しかし、個性という言葉は、そんなに安売りできる概念ではないでしょう。言葉をもてあそぶ者は、言葉にもてあそばれるものです。就職活動でも、進まず、進んでも通らず、通っても不安なのは、「自分の動機だけで仕事や社会を解釈したがる学生」です。そうしないと不安なのでしょう。しかし、そのような「自分、自分」という考えこそが、迷いの根源であることを知る必要があります。業界や企業に対する認識が、経済の仕組みや事業の本質、経営の魅力といった「自然の営み」に基づいた動機からもたらされていれば、そのような学生は打たれ強く、たくさんの内定をもらうものです。要するに、「自分の動機で仕事を見るのが迷。仕事の成り立ちから自分を修正するのが悟」とも言えるでしょう。仕事とは、世の中の問題解決を通じて社会に貢献し、その過程で自己表現を行っていくことです。仕事が成り立つところには、必ず喜びがあります。つまり、「相手」がいます。そして、お客さんの喜びが生まれる方法のみが、自然に継続する関係を生み出します。「自分なり」とか、「自分がやりたいように」とは、もっともらしく聞こえながらも、実は自分を理想から遠ざける動機と言えるでしょう。自分を押し通して得られる成功など、この世に一つとして存在しません。かといって、成功するには「自分の抑圧」が必要というわけでもないのです。ただ、相手の言うがままに「パシリ」となるのが仕事だ、というわけではありません。「相手も嬉しい。だから自分も嬉しい」という一致点を求めて仕事を選び、決めるのが、最も理想的で本質的な就職活動だと言えます。そのような動機は、内定しても消えるどころか、ますます成長していきます。「自分が楽しい」とか言っているうちは、まだ知識不足の好奇心の発露に過ぎません。楽しいのは、飽きます。でも、経営や会計の原則を知り、お客様の本当の幸せを願う時、そこには必ず、必要な修正がおのずと生まれてきて、
その修正が楽しくなっていきます。「親が育てば子も育つ」と言われます。同様に、「自分が育てば仕事も育つ」と言えるでしょう。もし、仕事が楽しくないのなら 、それは自分が成長していないからです。就活が楽しくない、と言うなら、それは同じ動機にこだわっているからでしょう。相手の喜びを動機とし、その獲得・増加を目的にすれば、飽きることもなく、ましてや疲れることなど考えも及びません。楽しい就活、あるいは充実した仕事がしたいなら、そのように働いている人と話すことです。おそらく、恐ろしく当たり前のことを、真剣な顔をして語ってくれるでしょう。秘訣とは、現実を逃げた場所ではなく、目の前の現実そのものの中にしか、ないのですから。そして、そういう「普通の言葉」が似合う人と自分を比べ、自然に修正点が見えてくるでしょう。素直じゃなければ、「ふん、自分とはどうせ違うんだ」と思って、また暗い世界に戻っていくだけです。それが「迷」です。迷いもまた、成長の糧であることは間違いありませんが、迷いにもレベルがあります。 どうせ悩むなら、最後になって「あ〜、嫌だ!」と投げ出すためではなく、心からの余裕と自信を生む「悟」に行き着くために、どんどん悩みたいものですね。(引用おわり)

● 4583 :純粋教理批判(身元の詮索は無用)=マサノブ:2015/09/10(木) 22:17:25 ID:DD4jWV6M
志恩さま
>例えば、道元も 釈迦 も 空海 も、出生を調べてみますと、揃いも揃って、彼らの生まれた家の両親は 位の高い人たちで、生まれた環境は、とても裕福な王様や、殿様に近い人たちだったりしていますから、わたしはいちおう古今東西の寓話についていっているわけですから、寓話についていっていただければ助かります。例外はもちろんあります。これは寓話ではありませんが、維摩居士は金持ちとして描かれていたはずです。ちがっていますかね。それと道元、釈迦、空海にしても、神的なもの、仏的なものに近づくにつれて豪奢な暮らしや高い身分からは離れていっているのではないですか。もし釈迦が国王となって法を説いていたとしたなら、仏教ははたして成り立ちえたでありましょうか。それと、身分が高い低いということだけが問題なのではなく、それが「外部の真理」であるのか「内部の真理」であるのかということも、よくよく考えてみなければならぬ問題なのではありますまいか。道元、釈迦、空海は外部の真理によく触れえた方々ではあったはずです。つけくわえておきますならば、外部の真理はマイノリティだけでなく「教えを説くもの」としてもあらわれるといわれております。わたしは以下のごとく述べております。>外部の真理は少数派であり社会的弱者でもあるマイノリティ、あるいは外部であるがゆえに理解不能のまったき他者としてしかあらわれることがない。ーーー 「教えを説くもの」とはこの「外部であるがゆえに理解不能のまったき他者」にあたるものです。師の教えが理解できるものであれば、「それは理解不能のまったき他者」ではないので「教えを説くもの」として認められることはないでしょう。
>仏教的にいえば、外部の真理とは、仏様が、われわれが、幸福な人生といいますか、人間として心豊かな宗教生活を生きていってほしい、悟ってほしいと願っている全相の真理(実相独在)を、外部の真理として、われわれに 伝えているのですが、われわれは、五感の世界で生き五感でしか、考えないところがありますから仏教的にいえば、阿弥陀様の願い、伝えたい悟りの一部しか、われわれは、受け取っていないのだ...ということでしょうか?内部の実相に働きかけて収縮させた外部の存在をわたしは「阿弥陀如来」と勝手ではありますが呼んでおります。ただし仏教的な解釈とはずいぶんとちがっています。わたしのいう阿弥陀如来は理解不能のまったき他者であるがゆえに、人間にはとうてい理解のおよばぬ存在であるということです。なにを考えておられるのか、わたしにはわかりません。
>内部の真理とは、自分という我が、真理を知ろう、学ぼうと、努力した結果、取得した真理のことでしょうか。ーーー内部の真理とは、人間が左脳自我をもったことで外部の真理を受け取れなくなり、その代替物としてつくりだした真理です。
>ですから、道元禅師の「・・万法すすみて」は、そういう意味ではないかと思っております。ーーーおっしゃるとおりかもしれませんが、外部の真理はふだんの心がけとは関係なくあらわれてくるものと考えております。一念不生とはこういうことであるとわたしは理解しています。


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<コメント>

開祖・谷口雅春先生は、大悟徹底され「實相」を生命的に把握されてから、哲学理論的に質問される人には理論的に解かれました。しかし、一方マサノブ君は、生命的な「真理」の把握なく、つまり、大悟徹底の生命的体験なく、人間知で「實相」・「真理」をかんがえて理解しようとしているに過ぎない。だから、「屁理屈理論」となり、「外部の真理」とか「内部の真理」とか言う風に分析知だけが発達し、綜合智が後退してしまっているのです。このような指導者の説明や解説を聞くとわれわれの様な普通の信徒は何がなんだか分からなくなり、迷いの中に引きずり込まれ、「真理」の正しい把握から遠ざかる一方です。この点「志恩」さんの説明は流石です。よく分かります。「志恩」さんは、「ホンモノの生命」を把握されています。屁理屈屋のヘボ学者であるマサノブの如きは「志恩」さんの足元にも及びません。



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[4294] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (10)
遮那王 - 2016年07月25日 (月) 08時28分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (10)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4589 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 09:22:25 ID:DD4jWV6M
志恩さま
>生長の家が日本精神について 語っているのは、戦後、日本人全体が、 GHQ政策により自虐思想を刷り込まれてきたことへの、脱却と、本来の古代からの日本精神を取り戻すことに目的があるからだと思います。ーーー これぐらいのことはわたくしとして考えておりますよ。あなたのいわれる「GHQ政策」だけでもあれほどの混乱が生じたわけです。ポストコロニアルの問題がいかに大きなものであるのか、それは想像にかたくないでしよう。
あなたがいっておられるのは、「日本国の使命」といいながら、生長の家はポストコロニアルの問題にはまったく関心を払うことなく自国の問題に専念した。つまりはこういうことですね。
わたしが問うておるのは、ポストコロニアル問題にたいする言及があったのか、なかったのか、ということです。もしも言及がなかったとすれば、それは関心がなかったのではなく、そのような問題があることを知らなかったということになるでありましょう。「日本国の使命」にたいする疑念が生じてまいります。
>生長の家の掲示板に来て、生長の家の教えを 純粋に批判しに来てるわけじゃん。ーーー それって、あたま、おかしくないですか?反論をお待ちしております。

● 4591 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 11:17:58 ID:DD4jWV6M
訊けさん
訊けさんは「迷いは打ち消されて」といっておられますよね。これは「政治的独立を果たしたのだから迷いは打ち消されたのだ」と、こういう意味ですか。だとすればあまりにも甘すぎる認識とおもわれますがいかがでしょう。「迷いは打ち消されて」の言葉が象徴しているように、「植民地支配からの解放はすでに成し遂げられた」、これが生長の家の認識であるようですね。政治的解放が成し遂げられたあとに何が起こるのか、このことにはまったく関心がないということですね。雅治先生が不完全であるかどうか、というようなあいまいな表現はもちいないほうがよいですよ。植民地支配にたいする認識が甘すぎるのではないか、ということです。こうした甘い認識のもとに「日本国の使命」が語られているのではないかということです。認識が甘すぎる。これがわたしのいいたいことです。このような甘い認識のもとに「日本国の使命」が語られているとすれば我田引水のそしりをまぬがれないということです。植民地支配からの解放が日本国にとってそれほどまでに重要であるのなら、ポストコロニアルの問題がなぜ語られないのか。いまだに消えずにのこるこの問題をなぜ語らないのか。「迷いは打ち消されて」などとなぜのんきにいっていられるのか。こうした単純素朴な疑問にまずは答えていただきたいのですよ。

● 4592 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 11:25:00 ID:DD4jWV6M
訊けさんはポストコロニアル問題にクエスチョンマークをつけておられますよね。まったくご存じではなかった。こういうことですね。こういうことをやっていると、植民地支配からの解放が重要なのではない、あの戦争をいかに正当化するかということが重要なのだ、というのが生長の家の本音であるととられかねませんよ。

● 4593 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 11:43:59 ID:DD4jWV6M
訊けさん
>その事実を以て「谷口雅春=不完全」を申されるのも、自由だとは思います。ーーー 曳馬野(注:マサノブ)さんはある事実にもとづいて雅治先生を「変節漢」といっておられるのではないですか(詳しいことは存ぜませぬが)。訊けさんにいわせれば、それはそれで自由あるはずでしょう。いっぽうでは「自由」といって問題をはぐらかそうとし、他方では「自由は許さぬ」といきりたつ。以前からこういうことをやっておられるのですか。

● 4597 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 12:58:43 ID:DD4jWV6M
訊けさん、日本軍がおこなったハングル文字の復活?知りませんね、教えてください。
>大東亜の解放と云うことは、日本民族が日本民族となり、中華民族が中華民族となり、比島人が比島人となり、ビルマ人がビルマ人となる事である。これを第一次欧州戦の解決策たるウイルソンの民族自決案と同様と考えてはならない。民族はバラバラに自決しても却って滅びる、全ての民族が其の独自の使命を生きつつ渾然『家』となることだ。ーーー 具体的な言及がなにもなされていないではないですか。具体的にはどうしろといっておられるのですか。
>排外的日本人は外人を見て、『あれは外人だ、外人は排斥すべきものだ』と見るが、包容的日本精神は、イギリス人を見れば、『あれも日本人だ、日本人がイギリスと云う土地に生まれたのだ』と見、インド人を見れば、『あれも日本人だ、インドに生まれている日本人をインド人だと云う』と考える。斯くの如くして普天卒土(ふてんそつど)、天上天下、日本の国土ならざるはなく、日本の国民ならざるはなく、仏教も基督教も、日本の教えならざるはないのである。ーーー 「日本人」をイギリス人やインド人に置き換えてもいいということですか?この掲示板にいる人たちはみなイギリス人であるとイギリス人は考えよ、ということですか。いったいなにがいいたいのですか。それと「排他的」という言葉がもちいられていますが、わたしは実相独在の排他性を問題にしているところなんですがねえ。実相独在とは「実相しかない」と言っているわけですから、これ以上の排他的表現はなかなかみつからないでしょう。

● 4598 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 13:11:35 ID:DD4jWV6M
訊けさん、ところでわたしは、植民地支配にたいする認識が甘い、といっているのですが、これは「吉瀬美智子にたいする認識が甘い」とおなじレベルのことをいっているとおっしゃりたいのでしょうか。植民地支配にたいする認識を問うているのですよ。どういう認識なのですか。戦争を正当化できる部分だけをとりあげて、それを認識のすべてとしているようにもみえますが、いかがでありましょう。「自由」とはいわすに、こうした疑念をはらすようなことを何か書いてくださいよ。
>一見すれば「ポストコロニアル問題に触れてないのは、他に本音があるからだ」なんでしょう。ーーー そんなこと、雅春先生ご本人でないと、ワカンナイですよ。「ワカンナイ」ということは、そういう本音もありかも、ということですね。





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[4303] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (11)
遮那王 - 2016年07月26日 (火) 07時54分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (11)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4600 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 13:26:12 ID:DD4jWV6M
論点とは離れますが、「排他的」ということにかんして私見をのべさせていただきます。教理を批判するといってもその矛盾点をいってやろうとか、そういうことではないのですね。教理の排他性、このことを批判したいのですよ。「大調和の包容の精神」といいながら、実際はものすごく排他的な教理なのですよ。教理と異なることをいえば「迷いだ、人間知だ」と排他的な言葉が即座にかえってまいりますが、なぜこうなるのかといえば、教理に排他性がひそんでいるからですよ。教理の排他性が今ある問題を引き起こしている。このことに気づかなければ問題のまともな解決はありえないといっていいでしょう。総裁は排他性の犠牲者です。

● 4601 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 13:31:01 ID:DD4jWV6M
わたしが「教理に排他性がひそんでいる」といってもそんなの誰にもわかりっこないでしょう。それでも本流の排他性をみていれば、教理の排他性を否定するわけにはいかなくなるでしょう。本流の排他性は「誤読」ではなく教理がつくりだしたものです。

● 4602 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 13:49:16 ID:DD4jWV6M
ハングルのことはわかりましたが、文字=言語というわけではないのでなんともいえません。日本人が英語化したあとに、その英語をカタカナで表記するようになったとしても、事情は少しもかわらないとおもいますが、いかがでしょう。ところで訊けさんはなにか誤解しておられますね。わたしは「現地言語の復活」に関与できるのであればもちろん関与すべきであるが、たとえそれができないにしても、「解放」がそれほどまでに重要なら、ポストコロニアルの問題をなぜ語らないのか、ということをいっているのですよ。戦争を正当化する文言はあふれるばかりに語られるが、ポストコロニアルの問題はなにひとつ語られない、それはなぜなのかと問うているのですよ。解放などどうでもよい、戦争を正当化できればよい、これがみなさまの本音だからですよ。本音はこういう形であらわれるものなのですよ。解放が問題なら真の解放に向けてより真剣に語りあうべきであったが、それがいっさいなされてこなかった。本音はみえみえでしょう。

● 4603 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 14:17:03 ID:DD4jWV6M
>まとめれば具体的言及とのことですが、「各民族の宗教をそのまま活かせ」です。ーーーだからどうやって生かすんですか。英語でお経をよんで生かせということですか。

● 4605 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 14:55:43 ID:DD4jWV6M
>本質部分に於いて万教は帰一する、そういう意味です。仏教も基督教も神道も、本源は同じであるというのが、雅春先生の御教えです。ですんで、英語でお経を聞かせるのではなく(やってもいいが)むしろ、基督教を基督教たらしめる・・・・そんな意味になりましょうか。万教は一切を包容する日本精神によってそれぞれが活きる、雅春先生の御教えでいけばそれが、具体策でしょうか。ですんで、「オマエ等明日からキリスト教徒になれ!」と云う西欧的態度とは、一線を画していると思います。ーーー現実を見ましょう、現実を。一切を包容する日本的精神が生長の家のどこにあるのですか。生長の家のなかでさえ実現されていないものをもってして具体策とする。こういうことばかり言いつづけて80年がたってしまいましたねえ。

● 4606 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 14:59:53 ID:DD4jWV6M
>そうですかねえ・・・・・・各国が各国になる、各民族が各民族になる、それは多数語られているわけで(当たり前です、だって雅春先生は万教帰一ですからね)それでもダメだとなれば、何と返答すればよいのやら。まして、貴殿基準にそぐわないからとて「植民地問題はどうでもよく、戦争の正当化が本音だ」と云われても・・・・・なんて返答すりゃいいんでしょうか。ーーー訊けさんに聞きますよ。訊けさんにとって植民地問題は重要ですか、それとも重要ではないですか。

● 4608 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 15:48:22 ID:DD4jWV6M
>それは、その通りですよ。雅春先生は御主張あそばされましたが、現象界はいまだ、混沌としておりますよね。ですんで、その通りだと思いますよ。あくまでも現象だけを見ての判断では、貴殿が仰る通りだと考えます。ーーーそれなら具体策でもなんでもないではないですか。具体策とは現象界に影響を与える可能性があるものを、ふつういうはずなんですがねえ。いまだ現象にあらわれざるものをもって具体策となす。世間ではこれをやる気のない証拠とみなしますね。
>重要ですね。ただし、貴殿基準はハードルが高い気がしますね。ですんで貴殿基準に照らせばさほどには植民地問題、重要だとは考えておりませんね。そうは、言えるでしょう。私は植民地問題よりも「我が国の貧困問題」や「失業問題」、あるいは「経済状況」の方にどうしても関心が、いきますね。そんなところでしょうか。ーーーかつて日本は身の破滅もかえりみずに、植民地解放のための戦争に突入したのではなかったですか。今は「わが身大事」ということですか。たとえ経済が破たんしようとも植民地問題解決のために身をていして尽くすということは、もうやらないということですね。


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[4318] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (12)
遮那王 - 2016年07月27日 (水) 10時25分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (12)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4611 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 16:21:02 ID:DD4jWV6M
>そしてそれは、貴殿のポストコロニアル?も同様でしょうね。いまだ現象界には現れていないのですからね。そして貴殿は貴殿基準に照らせば、やる気がない証拠とみなされるのですね。ーーー 妙な言いがかりですね。わたしがいつポストコロニアルに取り組むといいましたか。私がもしも「植民地からの解放が日本の使命である」と強硬に主張しているのであれば、なにをさておいても取り組まざるをえないでしょう。しかしわたしはそのようなことは主張しておりません。やる気などあるはずがないでしょう。
>日本は、というより「私は」ですね、その、「もうやらないということ」なのは。私個人がどう考えるか?それが貴殿の設問でしたよね。ですんで個人的には我が身大事説、述べさせて頂きましたよ。いや、だって、考えてもみてくださいよ。我が国の貧困問題ですが、もう、尋常の領域にないレベルなんですからね。
それなら日本国はどうすべきとお考えなのでしょう。それが使命なら身をていして取り組むべきとお考えでしょうか。

● 4612 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 16:27:38 ID:DD4jWV6M
訊けさんは「植民地問題は重要だ」といっておられますが、どういう意味で重要なのでしょう。戦争を正当化すること以外に、訊けさんにとってどのような重要性があるのでしょう。

● 4616 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 17:17:56 ID:DD4jWV6M
>ああ、貴殿はポストコロニアルには取り組まれないのですね。了解しました。そして戦後ですが雅春先生がその問題、取り組まなかったのはやる気がなかったんだと、−−− そうですか。まあ、ブラジルやアメリカには教化部を作りましたが、「元植民地には作っていないじゃないか!」という事なんでしょうか。
もちろん取り組みませんよ。それと、わたしは「ポストコロニアルの問題がなぜ語られないのか」といっているのであって、教化部のことなどいっておりません。ところでわたしは以下のごとく述べておりますが、
>>私がもしも「植民地からの解放が日本の使命である」と強硬に主張しているのであれば、なにをさておいても取り組まざるをえないでしょう。ーーー これも訊けさんによれば「それは貴殿の基準にすぎんでしょう」となるのでしょうね。
>・・・・既述ですが戦後は、左翼の台頭が優先でしたよね、雅春先生に於かれては。そして、そちらへ注力されたワケでして、そんな時間はなかったのかもしれませんよね。ーーーポストコロニアルの問題は意識しておられた。そうおっしゃりたいのですね。
>現在、国内の児童がメシも食えていないんです。植民地問題の解決なんてのは、生存から独立へ進んで、さらに後になるのでは、ないでしょうかね・・・・・・私はそう、考えますがいかがでしょうか。ーーー 後でやるということですね。それなら今から話し合っておかねばならぬでしよう。活発なやりとりを期待しております。
>八紘一宇です。八紘悉くひとつ屋根の下に、相睦びながら暮らせれば最高ではないでしょうか。そして各地は各地の風習や宗教の下、それぞれの独自性を担保して存在するのです。まあ、雅春先生の云われた八紘一宇、これが当方の理想になりますね。雅春先生の万教帰一論でいけば戦争なんて起こらないし、まして、どっかの偉そうな国が単独で横行するような事態にも、ならぬでしょう・・・・・・イスラム教徒はイスラム教徒のまま。そして、基督教徒は基督教徒のまま、生きていくのです。そんな意味では重要と、考えますがいかがでしょうか。ーーー「各地は各地の風習や宗教の下」といっておられますが、それが阻害されているのがポストコロニアルですよ。言葉をうばわれたことで「それぞれの独自性」がたもてなくなったのがポストコロニアルですよ。ポストコロニアルの問題を解決せずして、いったいどうやってそれを実現するおつもりなのですか。ポストコロニアルは宗教問題でもありますよ。フランス語に支配されれば、いずれはカトリックが土着の宗教に紛れ込みます。英語に支配されれば、おそらくはプロテスタンティズムが紛れ込みます。訊けさんがいっておられるのは、すべてポストコロニアルの問題が解決したあとの話ばかりではないですか。なのに「ポストコロニアルは重要ではない」といっておられる。話が矛盾していませんか?

● 4617 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 17:18:57 ID:DD4jWV6M
ハズレのようですね。

● 4619 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/11(金) 17:45:40 ID:DD4jWV6M
>野球場で読んでいるためでしょうか、貴殿ご主張の意味がさっぱりわかんないんです。ーーー またその手ですか。わからなければどこがわからないのか聞けばよいでしょう。



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[4334] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (13)
遮那王 - 2016年07月28日 (木) 12時35分



遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (13)



@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4637 :尊王=マサノブ:2015/09/12(土) 08:22:33 ID:UX9V9c2Y
生長の家・開祖の『御教え』全相復活を目指す掲示板が改めて、「トキ管理人」氏に対して『純粋教理批判』・『感想』君2名の書込み禁止処置を要請する。実行して頂きたい。と言っているが、それは谷口雅春先生の教えに反する行為です。私には総裁かどうか判断はつかないけれども、総裁ならば尚の事議論をするのが生長の家だと思います。雅春先生は正々堂々を好む方でしたよ。『御教え』全相復活を目指す掲示板なのであれば、相手を書き込み禁止にしないで頂きたい。恥ずべきことです。

● 4639 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/12(土) 10:57:51 ID:DD4jWV6M
訊けさん、>ご投稿を拝読しようやく、貴殿疑問の所在地を了解できました。なるほど、そういう事だったんですね。「どうしてだ!?」と。とのことですが、いちおう私見を述べさせていただきます。>その手も何も、ホントにわかんないんです。ーーー まず当方主張は矛盾してるとのご指摘ですが、何処がどう矛盾してるのか・・・ホントにわかんないんですね。訊けさんは「それぞれの国の独自性や宗教性」をいっておられますが、たとえば日本が強制的に英語化されて三百年たったときに、それでも日本民族の独自性や宗教性はあるのかということですよ。わたしは「ない」と考えます。それしてこの独自性や宗教性がうしなわれた状況がポストコロニアルのかかえる中心的な問題点であるとわたしは考えています。訊けさんがいっているのは第二段階なのです。第一段階としてポストコロニアルの解決が必要なのですよ。英語化された日本人をふたたび日本語化することが必要なのですよ。それとも訊けさんは、たとえ日本人が英語化されたままでも民族の独自性や宗教性は担保されているとお考えなのでしょうか。
まず第一段階として日本人を再日本語化するということが必要でしょう。訊けさんはこの第一段階をパスしていきなり第二段階を語っておられるわけですよ。これは「わが校は地方予選や地方大会はパスして甲子園に出場する」といっているようなものです。地方予選や地方大会に出ずしては甲子園には出られないのですから、「甲子園に出る」というのはあきらかな矛盾です。これとおなじことを訊けさんはいっておられるわけです。
>また、ポストコロコロを解決せずして、どう解決するのですかの箇所も、意味がわかんないんです。教化設置も意味しないとの事でして、やっぱり意味がわかんないんです。ーーー ですから、今のたとえでいいます、日本人が英語化されたままでどうやって民族の独自性や宗教性を担保するのかということですよ。教化部をつくれば担保されるというものではないでしよう。たとえばアフリカに教化部をつくれば、現地の人々はフランス語の支配から解放されるのかということですよ。教化部をつくったところでどうしようもないでしょう。まず第一段階として独自の言語を復活させる。これが必要でしょう。もちろん簡単にできることではありません。ポストコロニアルは永遠につづく可能性もあります。そのときはべつの方法を考えるしかないでしょう。
>戦後だが元・植民地への手厚い保護政策(?)等「何か提案があったのか!?」と。そして「なかったならば大東亜解放、ホンキだとは思えない!」と −−− これが貴殿の(概略ですが)御主張の趣旨ですね。雅春先生は戦後、元植民地へ何もしてイナイじゃないか、それじゃ大東亜解放、単なるスローガンに過ぎなかったんじゃないか、そこが重要な貴殿御主張で、ございましたか。いえ、ちがいます。わたしはいまだに「植民地支配からの解放が日本国の使命である」と強硬に主張する人々に向けてこれを書いています。それならあなた方はポストコロニアルの問題をなぜ考えようとしないのか。このことを批判しております。

● 4641 :感想です=マサノブ:2015/09/12(土) 11:50:22 ID:JPiKJZkg
他の、本流掲示板のほうも、たまには ご覧になられたほうがいいですよ。 すごいことに なってます。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa.html
これが生長の家の信徒の姿なんですね。災害に会った人の事を一つも思いやれない人間の集団。志恩さんも色々言うけれど結局こんな人間の一人なんですね。追加  テレビで自衛隊のヘリによる救助の様子をずーとしていた場所が、さも太陽発電の場所であるかのイメージを優先させ教団を非難するための言葉を今でも載せ続ける本流掲示板、それをこちらに純粋教理批判さんを総裁とみなして太陽光発電を揶揄するために『志恩』さんが貼った。日本中で見ていた濁流にのまれて助けを呼ぶ人たち、流されていく家々の責任がさも太陽発電の建設にあるようにイメージさせた悪意のある投稿と云わざるを得ない。それに対する意見をトキ氏、訊け氏おそろいで非難する、一番訳の分からないお二人です。

● 4643 :感想です=マサノブ:2015/09/12(土) 12:17:58 ID:JPiKJZkg
そうでございましたデスか(笑)まあ、貴方から褒められたら、そっちの方が悲惨です。ところで、当方とのやり取りの件は
常にこういうすり替えばかりなので感想を述べているだけ、志恩さんと同じでイメージ合戦なんてするつもりはありません、感情に刺激を与えようとする言葉の羅列ですから。私は意味のないことをしてとの感想ですが、感情を刺激される人は話したくないという結論になるのでしょう。負けたでも降参でも私には何にも関係しません。志恩さんは掲示板が大変に事になってるから見てごらんと云ったけど、大変になっているのは書いた人たちの頭のなかと、読んで転載した志恩さんの頭の中だけです。

● 4645 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/12(土) 12:41:24 ID:DD4jWV6M
訊けさん、そうでしたか、ガクッ・・・・そして、だから、解りにくかったんだ。貴方は私を通じて他の方に語り掛けておられたわけですね(別に不愉快ではないけれども)。まあ、解りにくかった理由だけは分った、そんな感じの(コールド目前5回裏)現在ですかね。訊けさんに語りつつ、ほかの人たちにも語りかけていた。こちらのほうが真実に近いかとおもいます。二重化されたメッセージを送りつづけていた、というのはあるのかもしれません。じっさいにはべつのメッセージも送ろうとしているので、話が錯綜してわかりにくいのかもしれません。

● 4646 :感想です=マサノブ:2015/09/12(土) 13:16:52 ID:JPiKJZkg
<<よく分かりませんが、兎も角、濡れ衣だけは払拭されたみたいですね。ーーー よく分かりませんが、で横にほかって、濡れ衣だけは払拭されたみたいですね、で払しょくされたというイメージ作りに励む、脳内反応を起こす人たちであれば工作成功ですが、ただ読む人には何の役にも立ちません。




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[4350] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (14)
遮那王 - 2016年07月29日 (金) 11時56分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (14)



@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4647 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/12(土) 14:35:02 ID:DD4jWV6M
強力な薬には強い副作用があるように、強力な教理にも強い副作用があります。その副作用とは、教理を信じるものに尋常ならざる排他性を植えつける、というものです。今はどうか知りませんが、「真の教え」をたててそれに反する考え方を虚説として排除しようとしていた人がいたはずです。この人ばかりか、御指導者様ともくされる人物もこの方にしきりと賛同しておられました。
いっぽうを「真の教え」としてたてて他方を「虚説」として排除する。これが副作用としての排他性です。一信徒ばかりか、御指導者様までもがこうした排他性をもののみごとに発揮しておられたはずです。一般社会でふつうに暮らしている人が、自分と異なる考えを「虚説」ときめつけることなどまず考えられないことです。この考えられないことを、教理を信ずるものはいともやすやすとやってのけます。これがわたしのいう「尋常ならざる排他性」です。

● 4648 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/12(土) 15:09:28 ID:DD4jWV6M
言葉とはそもそもが排他的なものです。日本国とは何か、定義できますでしょうか。「日本人が住む国」といったところで定義にはなりません。なぜなら日本人とは「日本国籍をもつもの」だからです。地図をみせて「これが日本です」と示すことはできます。しかし日本国という概念がなければ地図をもって示すことはできないはずです。「これが日本です」と示せる人は日本国という概念をすでにもっているにきまっています。その概念をその人はどうやって得たのか、これが問題になります。もしも地球に日本しかなければ、日本という概念がうまれるはずがありません。日本という概念をもつためには、日本ではないほかの国がかならず必要になります。イギリスやインドや中国という国があって、はじめて日本という概念をもつことができるということです。
日本国とは、イギリスでもない、インドでもない、中国でもない、その他の国でもない、こういう仕方でしか定義できないはずなのです。地球上に日本しかなければこういう仕方での定義は不可能です。したがって日本という概念はうまれようがない、ということになるはずなのです。言葉は他を排除することでしか定義できない。わたしは言葉とはこのようなものだとおもっています。じっさいの言語活動はきわめて複雑であるので、どの言葉が何を排除しているのかを決めつけることはできません。しかし、いかに複雑であろうともあらゆる言葉が他のあらゆる言葉を排除していると、わたしはこのように考えています。言葉とはそもそもが排他的である。これがわたしの考えです。

● 4650 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/12(土) 16:49:02 ID:DD4jWV6M
マートンさま、>宇宙の定義は?ーーー 核心をついたよい質問ですね。宇宙ならざるものがあるのか。こういうことですね。もちろんあります。宇宙とはそもそも何かというと、大気圏の外側が宇宙なのですね。大気圏の内側は宇宙ではありません。つまり、大気圏の内側でないものを宇宙と呼んでいるわけです。大気圏の内側がなければ、もちろん宇宙もありません。もしも人間がひとりで宇宙をただよっていたとしたならどうでしょう。自分以外はすべて宇宙です。しかしその人が生まれてからずっとそういう状態であったとすれば、自分という概念が生まれるはずがないので、宇宙という概念をもつこともないでありましょう。わたしのいう「実相」とはこういう状態をいいます。自と他の区別がない。したがっていかなる概念も生じえない。それがただある。これが実相です。実相独在とはいっさいの概念が生じえない状態です。概念を生じさせるには外部からの作用を必要とする状態です。地球もふくめて宇宙ではないか、との反論がありそうです。もちろんそうですが、その人がなぜ「宇宙」という言葉をつかえるのかといえば、その人が宇宙という概念をすでにもっているからです。その概念はいかにして生じたのか、これが問題になります。

● 4652 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/12(土) 17:57:49 ID:DD4jWV6M
「言葉とは何か」が簡単にわかるはずがありません。言葉とは何かを言葉で説明しなければならないのですから、これは至難のわざです。言葉とは何かを知らなくても言葉をつかうことができるわけです。たいていの人は言葉とは何かを考えることもせずに言葉をつかっているわけです。このことが問題をひきおこします。
生長の家では、運転の仕方を知らずにクルマを運転する人のたとえがもちいられていたとおもいますが、言葉とは何かを知らずに言葉をつかっている人とは、運転の仕方は知っているがどういう運転をしたら危ないのかを知らずに運転している人といえます。




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[4370] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (15)
遮那王 - 2016年07月31日 (日) 09時55分

遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (15)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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▼ 以下の投稿者(毒舌な妹)=マサノブとも考えられる。一人二役で問答文を自作自演して自己顕示する性格はマサノブそっくりである、−−−

http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15447541
<生長の家「本流」信徒の毒舌な妹bot>なるものの"真の作者"は誰か? - 愛国者X
2015/09/12 (Sat) 16:00:41

twitter上で<生長の家「本流」信徒の毒舌な妹bot>なるアカウントが活躍しております。
ツイッターについて詳しくない方のためにも説明しておきますと、botというのは、ツイッターで何時間かおきにランダムで特定の言葉をつぶやく設定のアカウントを言います。
つまり、「コトバの力」でツイッターの会員に繰り返し<生長の家「本流」信徒の毒舌な妹bot>という、正体不明の人物が本流運動批判の宣伝を行っているのだ、と考えてください。
この人物のプロフには、次のように記されています。
>ネトウヨと一緒になって安倍自民党を支持しては、匿名で生長の家総裁・谷口雅宣先生への誹謗中傷をネットに書き込む「自称・生長の家本流運動」のお兄ちゃんに愛の鞭!本当の「保守」とは何か、もっと勉強してよね?(※宗教法人「生長の家」とは無関係です!)<ーーーのアカウントのフォロワー(支持者のこと)には、最近、扶桑社のサイトで本流運動批判を繰り広げている天理教徒の評論家・菅野完氏らがいます。それでは、彼(彼女?)が一体、どういうことを言っているのかというと・・・・

生長の家「本流」論者の毒舌な妹bot ‏@hikaiken • 19分19分前
お兄ちゃん、谷口雅宣先生が法灯継承者じゃないという根拠はなんなの?
雅宣先生を副総裁(=次期総裁)に選んだのは、第二代総裁・谷口清超先生だよ?清超先生を選んだのは雅春先生だし、どう考えてもお兄ちゃんの主張には無理があるよ?

生長の家「本流」論者の毒舌な妹bot ‏@hikaiken • 51分51分前
お兄ちゃん、何度も聞くけど、神様が後藤健二さんを助けてくれるんじゃなかったの?宗教家ぶって、ネット上で堂々と「予言」していたんだから、外れたらどう責任とるの?それとも、自分たちの信仰が邪教だと認めますか?

生長の家「本流」論者の毒舌な妹bot ‏@hikaiken • 2時間2時間前
生長家って、万教帰一の教えだよね? なのに、どうしてお兄ちゃんは「生長の家信徒なら、住吉大神以外の神様を祭ってはいけない」というの?それなら、お兄ちゃんは、受験の時も天神様にはお祈りしなかったわけ?

生長の家「本流」論者の毒舌な妹bot@hikaiken
ええと、お兄ちゃんによると、この世界を支配している「闇の権力」がフリーメンソーにイルミナティーで、その手先がライオンズクラブにロータリークラブで、それらを操っているのが「ユダヤ民族の守護神」なんだね?・・・・・どこの大川隆法なんだよ、あんたは。

生長の家「本流」論者の毒舌な妹bot@hikaiken
地球温暖化は左翼の陰謀?二酸化炭素濃度の上昇と気温上昇が比例していないのは事実だけど、自然現象としては説明できない気候変動が起きていることと、メタンガスを含む温室効果ガスが人為的活動によって増えていることは事実なんだけど、それについてお兄ちゃんの見解は?

生長の家「本流」論者の毒舌な妹bot@hikaiken
お兄ちゃん、自民党の憲法草案読んでもわからないんでしょ?でもせめて日本国憲法改正草案Q&Aだけでも読みなよ。お兄ちゃんが改正してほしがってる9条の部分だけでもいいからさ。

生長の家「本流」論者の毒舌な妹bot@hikaiken
憲法無効論者のお兄ちゃんが、どうして憲法改正論者の安倍自民党を支持するの?まさか、あれだけ「谷口雅春先生の原点に返れ!」と言っているお兄ちゃんが、憲法復原と憲法改正の違いを知らないはずはないよね?

生長の家「本流」論者の毒舌な妹bot@hikaiken
そういえば、お兄ちゃんの仲間には、雅宣先生を後継者に指名した清超先生のことをも「闇の権力の関係者」と言っている人がいるよね〜そもそも、お兄ちゃんは谷口清超先生を「大聖師」とは認めていないけど、雅春先生と清超先生が同格と認めたのは雅春先生自身!お兄ちゃん、どうするの? 

生長の家「本流」論者の毒舌な妹bot@hikaiken
お兄ちゃんの大すきな「生長の家社会事業団」と言えば、児童虐待事件を起こした「生長の家神の国寮」を運営しているところだよね?「生長の家本流運動」って、児童虐待をする運動なの?それなら、谷口雅宣先生の生長の家国際本部に縁を切られても仕方ないよね。一体、だれが製作者なのでしょうか??????

● 4657 :純粋教理批判 =マサノブ:2015/09/12(土) 21:35:02 ID:DD4jWV6M
>ちょうど言葉の定義を聞こうとスレを開いたところで上の
言葉の定義ですか。これはもしかしたら他の物事の定義とは異なっているのかもしれません。人間が概念化できるもの、つまり定義できるものはすべて言葉でつくられているわけですから、言葉でないものはない、ということになるのかもしれません。鋭いところをついてこられましたね。まいりました。あえて定義するなら、言葉とは他の言葉との関係ということになります。言葉は単独で意味をもつことはなく、他の言葉との関係においてのみ意味をもちます。この「関係」をわたしは排他的にたがいを排斥しあう関係とみています。排斥しあう関係がなければ言葉に意味はないということです。たとえば「夜は昼の不在を埋める」といった言い方をします。昼の不在を埋めることで夜は意味をもちます。昼の不在がなければ(いつまでも昼がつづけば)夜は昼の不在を埋められないので意味をもつことはない。夜が意味をもたなければ(つまり夜が存在しなければ)昼は夜の不在を埋めたとはいえないので昼も意味をもたない。こういうことになります。わかりやすくいえば、昼だけがあって夜がなければ昼もないということです。昼と夜はたがいに相手との排他的な関係に入らなければ意味をもてない。こういうことです。実相と現象の関係もこれとかわりません。たがいに相手を排斥しあう関係でなければ両者ともに意味をもつことないということです(現象がなければ実相もないということです)。現象なしの実相が考えられますでしょうか。「現象はない」と言葉にすることで現象を不在にさせ、その不在を埋める形でしか実相は語れないはずです。悟りの境地は「万法すすみて」でありますから、ここで書いたこととはおそらく無関係でありましょう。


● 227 :感想です =マサノブ:2015/09/12(土) 15:56:53 ID:JPiKJZkg
>>217の感想そしてポイントとしては「批判」です。さすがに軍部を名指しでなんてバカなマネ、雅春先生は採用されてはおられませんけれども、明らかにこれは、。拝読くださいませ。『明窓浄机』飛躍篇(昭和19年)281頁より謹写――  国家防衛に必要なものを玉砕するように誘導して、「玉砕」の名によって最後を飾らしめて、実は国家の総戦力を弱らしめる底のユダヤの謀略もあるのである。(中略)「玉砕」と云う美名で喝采して事足れりとしているのは、一体貴様は日本を愛しているのか。日本本土の防衛陣が一つ一つ減って行くのを喝采する心なのか。私は、何処何処までも、「玉砕」を喝采する精神、日本将兵が水漬く屍や草生す屍になるのを喝采する精神をば、日本防衛力の後退を喝采する利敵精神として反対せずにはいられないのである。
このよぅな部隊長が各処に現れてこそ、日本は必ず【勝つ】のだ、と思わざるを得なかった。【勝つ】ために、生長の家の思想は、【今こそ】ご奉公しなければならぬ時が来たのだ。 略  世はさまざまだが【勝つ為に】【今こそ御奉公しなければならぬ】生長の家の思想であるから、石に噛り付いても自ら玉砕するわけには行かぬ。【玉砕の精神は海軍において特に唱導している精神ではない】 略 と云われた。【私は安心したのである。】 略 そうした米英を撃滅する為には、日本人自身が、まず日本人本来の『神州清潔の民』の精神に孵らなければならぬのだ。【この事こそ何物にも優りて戦力増強の第一となるべきもの】で、 略 【日本本土防衛の防人】たる忠勇なる将兵をして【『玉砕』の事なく守り抜き得せしむるのだ。】
「軍部主導の風潮への批判文と云えます」、とのことですが、全く違いますね。まず『玉砕』の言葉の捉え方が駄目、目一杯戦い一兵残らず戦い抜く、水漬く屍や草生す屍になってまで戦い抜くことを言っているのであり、日本防衛力の後退を喝采する利敵精神として反対せずにはいられないなんて捉え方が可笑しい。戦力増強の第一は『神州清潔の民』の自覚、つまりは神の子の自覚をもって生産に励めさすれば戦地の玉砕することなく本土防衛ができる、と昭和19年6月の時点で勝つ為の戦争協力を励まなければならない、と云っている文章です。「軍部主導の風潮への批判文と云えます」と云うように言葉のイメージで結論付けようとします。谷口雅春先生ですが「戦前も戦後も首尾一貫していた」でも「だから谷口雅春はだめなんだー」(ドヤ顔)のドヤ顔の言葉などいくらでもあります。

● 228 :感想です=マサノブ :2015/09/12(土) 16:04:41 ID:JPiKJZkg
『神州清潔の民』の精神に孵らなければならぬのだ
         ↓
『神州清潔の民』の精神に還らなければならぬのだ

つまりは神の子の自覚をもって生産に励めさすれば戦地の玉砕することなく本土防衛ができる
          ↓
つまりは神の子の自覚をもって生産に励めさすれば戦地の防人の玉砕することなく本土防衛ができる

● 231 :感想です=マサノブ :2015/09/12(土) 16:34:32 ID:JPiKJZkg
検閲を逃れんための方便、それは見えない。普通の信徒は私のように読むでしょう。軍部批判してない谷口雅春!だとすれば、どうなんです? 日和見主義者に、やっぱ、される訳なんですか?(笑)意味は伝わるかなあ・・・嫌味たらしく言っていては伝わりません、今の私には当然そう映ります。227文5段落目ですが、雅春先生が玉砕を望んでおられますか?(笑)どこです?その箇所は? どこの事を言っているのか分からないが、「雅春先生が玉砕を望んでおられます」なんて言っていません、雅春先生は神の子の自覚もて頑張れば外地の第一線で勝利するから本土には戦火が及ばない、玉砕が避けられると煽ることにより戦争を勝利で飾りたいという事を言っている。玉砕などと負け犬根性の言葉を称えるのは利敵行為だ、ということはそんな言葉を止めて勝利に向けて頑張れということ。先の文に態々【  】で囲った言葉を読んでください。

● 4621 :感想=マサノブ:2015/09/11(金) 18:27:23 ID:JPiKJZkg
他の、本流掲示板のほうも、たまには ご覧になられたほうがいいですよ。すごいことに なってます。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa.html
これが生長の家の信徒の姿なんですね。災害に会った人の事を一つも思いやれない人間の集団。志恩さんも色々言うけれど結局こんな人間の一人なんですね。 この「鬼怒川決壊の原因は、若宮戸地区ソーラーパネル」という記事が本流系掲示板に掲載された9/12(土)は、災害現場の被害状況を テレビが、ライヴなどで、次々に放映している日で、まだ、被害に遭われた人や被害状況全体像は、明らかになっていない日でした。あなたが張った日は9.11此処に書いてあることはまるででたらめです。10日の日の午後ライブ映像は若宮地区のものは流れていない。これがネットの怖いところ、わざわざ説明してあげたでしょう、これ見よがしにライブ映像はソーラーパネルの設置が原因と思わせてしまう本流ネット、それを貼り付け今なお反省の心は無し。



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[4387] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (16)
遮那王 - 2016年08月01日 (月) 10時42分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (16)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4658 :純粋教理批判 =マサノブ:2015/09/13(日) 00:23:28 ID:DD4jWV6M
ところで、
「不在を埋める」という難解な表現をもちいたのにはわけがあります。実相=「ある」だけで世界をつくることはできない。実相の不在=「ない」がなければ世界はつくれない。「ある」で空間が埋め尽くされた状態とは身動きがまったくとれない状態である。「ない」があることで動きが生じ、これによって世界の創造が可能となる。以上のことを最初に述べたはずですが、言葉の世界でもこれとまったくおなじことがおきている、ということをいわんがために「不在を埋める」という表現をあえてもちいたわけです。言葉の世界でも、「あるの不在」=「ない」がなければ動きが生じないのですね。「ない」を埋めることで動きが生じ、言葉は生き生きとした活動をはじめることができます。そしてこの活動が意味をつくりだします。言葉とはこういうものだとわたしは考えています。天地創造のはじめにおきた出来事とおなじ出来事が言葉の世界でもおきている。これはわたくし独自の考えかもしれませんが、わたしはこのように考えています。

● 4659 :純粋教理批判 =マサノブ:2015/09/13(日) 00:57:47 ID:DD4jWV6M
言葉には排他性があるということを述べてまいりましたが、これだけで問題が生じるというわけではもちろんありません。言葉があからさまな二項対立の関係に入るとき、排他性は暴力性をおびた排他性へとさらにパワーアップいたします。このパワーアップした排他性が問題をひきおこしているわけです。「真説」と「虚説」。これがあからさまな二項対立です。こうした二項対立では、片方の項だけが純粋に現前するよう意図されます。「現前」とは「今ここにすでにある」という意味です。片方の項の純粋現前が意図されるかわりに、もう片方の項は暴力的に外部へと排除されます。パワーアップした排他性は、あからさまな二項対立をもちいるものに、片方の項を外部へと排除するよう働きかけます。気に入らないものを排除したい欲望。これは誰にでもあります。この「働きかけ」はこうした欲望を刺激します。欲望を刺激されたこの人が虚説の排除を強硬に主張しはじめるのは、もはや時間の問題です。

● 4660 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/13(日) 11:22:01 ID:DD4jWV6M
真説と虚説の二項対立について、さらにつっこんで考えてみます。この一信徒によれば「物質なし」とするのが真説であり、「物質あり」とするのが虚説となるようです。「物質なし」とは「物質は存在しない」とする否定判断です。「物質あり」とは「物質は存在する」とする肯定判断です。ここにカント的な意味での無限判断を組み込んでみましょう。無限判断は「物質は非存在である」となります。「物質は存在する」これが肯定判断、「物質は存在しない」これは否定判断、そして「物質は非存在である」これが無限判断です。「ある、ない」で判断できる身近なカテゴリーが、無限判断では未知の領域へと移動したのがわかります。この未知の領域をわたしは「外部」と呼びたいとおもいます。この一信徒にとって、ものごとの判断は否定判断と肯定判断しかありません。この二つの判断だけでことたりているということです。内部の真理とはこういうものです。内部の真理には肯定判断と否定判断のふたつしかありません。この信徒にとって「外部」は存在しません。どちらかひとつが真でありあとのひとつのが偽である。これがすべてなのです。

● 4661 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/13(日) 13:12:44 ID:DD4jWV6M
二項対立がはらむ問題点は、暴力的ともいえる排他性だけでなく、無限判断を隠蔽するという点にもあります。実相と現象は二項対立の関係にあります。二項対立の優越項である実相は劣位項である現象にたいして十分に排他的です。そして無限判断=外部にたいしては排他的であるばかりでなく、それを隠蔽してさえいます。実相とは実在するものであり、現象とは実在しないものです。無限判断によってしめされる外部は非実在です。実在するものでも実在しないものでもない非実在です。「実在する、しない」というカテゴリーではけっして語りえない未知なるカテゴリーです。実相独在とされたことによって、こうした未知なるカテゴリー=外部は隠蔽されてしまいました。

● 4662 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/13(日) 15:17:22 ID:DD4jWV6M
カテゴリーとは何かといえば、それはおそらく「判断の枠組み」といえるものでありましょう。「物質があるのかないのか」との問いにたいして、人間はある判断の枠組み=カテゴリーをもちいることで答えをだしているにちがいありません。「物質はあるかないか」と問う場合、人は「物事はあるかないかのどちらかである」とするカテゴリーをもちいて判断し答えをだしているはずです。無限判断ではたよるべきカテゴリーがありません。このカテゴリーをもちいて判断すれば答えがだせる、というようなカテゴリーはどこにもないのですね。「物質は非存在である」といわれても、ほとんどの人はなんのことだか理解できないでしょう。なぜなら、これがなにを意味するかを判断するためのカテゴリーを誰ももちあわせていないからです。カテゴリーが皆無というのであれば、無限判断に意味などありません。「物質は非存在である」といったところで、その意味を判断するカテゴリーが皆無であるなら、「物質は非存在である」といってのける意味などどこにもあるはずがないからです。無限判断にもそれに意味をあたえるカテゴリーが必要です。そのカテゴリーがどこにあるのかといえば、それはその都度あらわれては消えるという仕方であらわれてくるカテゴリーです。ただ一度かぎりつかえるカテゴリーがあらわれては消える。無限判断のカテゴリーとはこういうものだとわたしは考えています。ようするに、カテゴリーは皆無なのではなく無限に存在するということです。無限に存在するカテゴリーのなかからその都度ごとの必要におうじてひとつのカテゴリーがあたえられる。それは自分でつくりだすのでもなく、選びだすのでもない。必要におうじて外部からあたえられる。これが「万法すすみて」であるとわたしは考えています。真理を語るにおいて二項対立(肯定判断と否定判断)をもちいさえすれば、比較的かんたんに真理は語れるものと考えます。なぜかといえば、固定されたカテゴリーをもちいさえすれば、誰でもそれなりのことはいえてしまえるからです。しかしそれはけっして「万法すすみて」ではありません。どこまでいってもそれは「自己をはこびて」でしかないとわたしは考えます。



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[4400] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (17)
遮那王 - 2016年08月02日 (火) 10時10分



遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (17)



@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4666 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/13(日) 17:46:46 ID:DD4jWV6M
カテゴリーはいかにして生じたか。「物事はあるかないかのどちらかである」はもちろんのこと、人間はさまざまなカテゴリーをもちいてその都度ごとに判断をおこなっているようです。ではいったい、そうしたカテゴリーはどのようにして生じたのでしょう。カントは、カテゴリーは生得的なものでも経験によって得たものでもない、といっているようです。ではどうやって得たのかといえば、意識がみずからの活動によって得たのだそうです。
カテゴリーは意識がみずからの活動によって得た。これがどういうことかを自分なりに意訳してみることにいたします。すべてのカテゴリーは外部からやってくる。これがひとつの仮説です。人間はその都度、外部からやってくるカテゴリーにもとづいて判断していた。カテゴリーはもちろん言葉で組み立てられているのであるが、その言葉は人間が理解できるものではとうていなかった。しかし感覚的にそれがどのようなものであるかは理解できた。その感覚を人間は自分たちが理解できる言葉に置き換えた。そうやっていくつかのカテゴリーが言語化された。いつしか人間は、言語化できたカテゴリーだけをもちいて物事を判断するようになった。以上のような意識活動によって人間はいくつかの主要なカテゴリーを得た。そして今はそのカテゴリーだけをもちいて生活している。これが、カントが考えたであろうことを自分なりにアレンジした意訳したものです。結果的になにがおこったのかといえば、無限にあるはずのカテゴリーのほぼすべてが隠蔽されてしまった、という出来事がおこりました。

● 4667 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/13(日) 18:08:51 ID:DD4jWV6M
カテゴリーが固定されたことで人間は外部の真理にコンタクトできなくなった。かわりに自前の真理をこしらえた。その真理こそ「内部の真理」とわたしが呼んでいるものです。内部の真理とはイデア論です。イデア論は「真理はわがうちにある」と考えます。わがうちにある真理を現象世界に純粋現前させる。これが、イデア論が説くところの真理のあり方です。外部の真理はイデア論によってさらに強固に隠蔽されることになります。イデア論をつよく批判したのがハイデッガーです。なぜなら、イデア論をもちいるかぎり、それは人間にとって都合のよい真理にしかならないからです。イデア論では真理は自己の所有物と考えます。所有物である真理を利用することで自分にとって都合のよい現実をつくりあげようとするからです。イデア論に対抗するかたちでハイデッガーが提示したのがアレーテイアと呼ばれる真理のあり方です。「アレーテイア」を自分なりに意訳すれば「隠蔽された真理(あるいは忘却された真理)を掘り起こす」という意味になるかと存じます。「万法すすみて」がイデア論でないのはあきらかです。イデア論が「自己をはこびて」であるのは、自分に都合のよい現実をつくろうとすることからもあきらかです。アレーテイアの基本は外部からの告げ知らせを聞くということにあるとわたしは考えます。なぜなら、隠蔽されているのは、他ならぬ「外部からの告げ知らせ」であるからです。ドイツ人哲学者であるハイデッガーは「万法すすみて」という真理のあり方にどうやら気づいていたようです。

● 4668 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/13(日) 18:37:23 ID:DD4jWV6M
自分にとって都合のよい現実をつくりだしてくれるのがよい真理である。これがみなさま方の考え方であるのはまちがいないでしょう。都合のよい現実をつくりだせないものは真理としての値打ちがない。みなさま方はまちがいなくこのように考えておられますでしょう。問題は「自分にとって」の自分とはなにものかということです。万法すすみて修証したところの自分であるのか、自己をはこびて万法を修証しようとしているところの自分であるのかということです。「実相を観る」とか「実相をあらわす」とかいわれますが、これはいったいなんためですか?隠蔽された真理や忘却された真理を掘り起こすためですか。自分に都合のよい現実をつくりだすためですか。

● 4669 :純粋教理批判 =マサノブ:2015/09/13(日) 21:25:58 ID:DD4jWV6M
人類を迷妄(イデア論)から救うといいながら、気づいてみれば生長の家もイデア論であった。結局こういうことでしょう。教団内で起きている問題をつくりだしている根本原因はイデア論です。イデア論であるがゆえに教団内部も迷妄におおわれた。こういうことでしょう。「すべての人を神の子としておがむ」。なんのためですか。隠蔽された真理を掘り起こすためではないですよねえ。忘れ去られた真理を掘り起こすためでもないですよねえ。すでにここにあるはずの真理を純粋現前させる。このためですよねえ。「すべての人を神の子としておがむ」も結局はイデア論であったということです。世界で起きている問題と教団内で起きている問題に本質的なちがいはないはずです。

● 4675 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/14(月) 05:58:53 ID:DD4jWV6M
今起きている問題はイデア論が自壊する姿です。「自壊」という言葉は使いたくありませんが、みなさまがわかる仕方でいえといわれれば「自壊する姿」というよりほかはありません。環境問題もおなじです。みなさまが理解できる言い方でいえば、イデア論の自壊が環境問題となってあらわれている、というよりほかはありません。「イデア論が自壊するのか」といわれても、それはわたしにはわかりません。

● 4676 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/14(月) 06:12:43 ID:DD4jWV6M
アレーテイアを失ったことで人類はその代替物としての宗教を必要とした。アレーテイアが回復されれば宗教は必要なくなる。これがわたしの考えです。



**********



(注)

このような理屈を幾ら人間知の思索で深めても、真理の周りを堂々巡り。このような理屈を積みかさねても、学者マサノブは衆生の実際の”病悩苦”なんかひとつも救えず! 「真理」は理屈の世界ではどうでも議論できる。重要なのは、その理屈で「真理」を論じているものが、衆生の現実の病悩苦を救えるか、その実績を持っているかが重要である。

この点から見れば、マサノブは実際的救済力ゼロであり、宗教家などといえたもんじゃない!







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[4416] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (18)
遮那王 - 2016年08月03日 (水) 08時55分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (18)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4677 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/14(月) 06:32:10 ID:DD4jWV6M
禅は宗教ではない、とわたしは考えます。禅者は宗教を必要としない。なぜなら、禅者はアレーテイアだからです。イデア論が自壊しつつあるということはイデア論の有効期限がきれつつあるということです。アレーテイアをふたたび取り戻す時期がきているということでしょう。

● 4678 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/14(月) 07:50:39 ID:DD4jWV6M
万教帰一とはようするに、すべての宗教はイデア論だということでしょう。人類意識がイデア論を欲し、それにもとづいてすべての宗教がつくられた。こういうことでしょう。イデア論によって構築された救済思想、これが宗教の定義でしょう。

● 4680 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/14(月) 11:23:13 ID:DD4jWV6M
宗教がなんで環境問題なんだ。ーーー私見ではありますがその理由を説明いたしましょう。現時点で人類を主導する西洋文明は二千年の長きにわたってイデア論を思想的な柱としてみずからの文化、文明を発展させてきたといえます。イデア論とは「みずからの言葉をもって真理となす」考え方です。「地球の資源は人類のものだ」といえばこれが真理となり、「すべての生き物のなかで人間こそが最高の価値をもつ」といえばこれが真理になります。
仮象の世界である地上にイデア界の真実を実現することこそが自分たちの使命であると西洋人は考えたはずです。そのためにはどうすればよいかというと、自分たちのなかにすでにイデアはあるのだからそれを実現していけばよい、ただこれだけのことでありました。自然界を自分たちが思うようにつくりかえていく。西洋人にとってのイデアの実現とはこういうものでした。そのためには何をやってもよい。イデア論は人類にとってとても都合のよい考え方でありました。西洋人は樹木を切り倒し、大地に傷をつけ杭を打ち込みました。それは徐々に機械化され、よりいっそう大規模なものとなります。資源の収奪は際限もなくおこなわれ、その余剰物や廃棄物が人類を苦しめるまでになってきたのです。
イデアの実現であったはずの行為が人類を苦しめる環境破壊へと結びついてしまった。このことがいよいよあきらかとなってまいりました。イデア論がまちがっていたのかもしれませんが、最大のあやまちは人類がイデア論を信じたことにあるはずです。みずからの言葉をもって真理とみなし、自分たちに都合のよいことばかりをやりつづけてきたことにあるはずなのです。すべての宗教はイデア論に帰一いたします。人類が二千年かけておこなってきたイデアの実践はいまや人類に悲惨な結果をもたらしつつあるともいえます。それでも宗教は、なおもイデアの真理実現のための実践をつづけるのか、それともイデア論の間違いをただすための実践へと方向を転換させるのか。多くの宗教がこうした岐路にたたされているのです。総裁は後者の道をお選びになった。大雑把な記述をしてまいりましたが、わたしはこのように理解しております。以上が「宗教がなぜ環境問題なんだ」の問いへのわたしなりの答えです。宗教も環境破壊をひきおこした物質文明も一蓮托生である。つまりはこういうことです。なおここで述べたことはすべて私見です。このことはいっておきます。

● 4683 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/14(月) 14:24:09 ID:DD4jWV6M
私から哲学を学ぼうとはするな、哲学することを学べ。(カント)哲学を学ぶのは大変な苦痛を伴うものですが、哲学するのはほんとうによいものです。ところで、哲学と宗教のちがいとはなんでしょう。かつてであれば哲学と宗教にそれほどのちがいがあったとはおもえません。主流派の哲学は宗教とどうようイデア論一色に染められていたといっても過言ではないからです。現代では事情が大幅にちがってきています。哲学はイデア論を捨てました。形而上学も捨てました。ニーチェの影響はもちろんありますがソシュールの影響がもっとも大きかったといえるはずです。具体的にどうちがうのかといえば、それは贈与と獲得のちがいです。現代の哲学が問題にするのは贈与です(異論はあるとおもいますが、わたしはこのように考えます)。宗教はあいかわらず獲得を問題にしています。宗教にとって真理は自己の所有物です。所有物である真理を利用してなにを獲得するか。これが宗教の中心テーマです。自分にはなにも戻ってこない。これが贈与です。純粋なる贈与です。見返りを期待した贈与は贈与ではありません。ハイデッガーは「思考はエスギプトである」といいました。エスギプトとは「それからの贈り物」です。アレーテイアはハイデッガーのいうエスギプトです。アレーテイアは外部からなんの見返りも求めることなく贈られてくる純粋なる贈与です。人間はそれを受け取りみずからのために用立てるだけです。お礼をいう必要はありません。さらなる贈り物を受け取るために媚びる必要もありません。心は関係ありません。見返りを必要とするのであれば、それは贈与ではないからです。ただし受け取るためには姿を似せる必要があります。言葉の意味ではなく姿を似せる必要があります。似せることができればアレーテイアはいつでもどこにでも贈られてきます。心を似せても無駄です。いくらうまく似せようとしてもなにも贈られてきません。外部の「それ」であれば純粋なる贈与が実現できます。では人間はどうなのでしょう。これが哲学の中心テーマのひとつです。なにひとつ自分にもどってこない活動、それが人間にできるのか。この問題を探求することが現代哲学の中心テーマであると、わたしはこのように考えおります。総裁がなさっておられるのは贈与であるのかもしれません。誰にたいするものかはわかりませんが、純粋なる贈与を実現するための活動であるのかもしれません。宗教にとって重要であるのは、なにひとつ自分にもどってくることのない贈与ではなく、多くのものが自分にもどってくる獲得です。総裁にたいする批判とは「総裁は自分にもほかの信徒にも何も獲得させてくれないではないか」というのがほとんどのようにおもわれます。そんな人たちになにかを与えたところで贈与にはならない。総裁はおそらく純粋なる贈与を実現しようとしておられるのです。

● 4686 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/14(月) 19:39:16 ID:DD4jWV6M
ここにひとりの罪人がいるとします。この罪人を強制的に罰するのと、本人が気づかぬままに矯正手段を講じて別の人格につくりかえるのとどちらが問題であるか。ミシェル・フーコーは後者のほうが問題であると考えました。気づかぬうちに人格をつくりかえられてしまうくらいなら、強制的に罰せられたほうがまだマシだとフーコーは考えたのですね。ポストコロニアルは後者です。言葉を奪われたことで本人たちが気づかぬままに別の人種に仕立て上げられる。これがポストコロニアルです。フーコーであれば、軍事力による直接支配よりもポストコロニアルをより深刻なものととらえるでしょう。軍事的支配よりもより深刻であるやもしれぬポストコロニアルにかんして、本流はなにもしてこなかった。「解放は日本国の使命」は戦争を正当化するための口実でしかないことが、これによって示されました。総裁は「あの戦争は侵略戦争であった」といっておられるようですが、「国の使命」をもちだしての反論はもはやできなくなりました。この件にかんしては総裁の勝利が確定いたしました。ポストコロニアルにかんして無関心であることを本流が「やましい」と感じることはないでしょう。「解放とはなにか」を本気で考えるつもりなど、もともとなかったのですから。




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[4430] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (19)
遮那王 - 2016年08月04日 (木) 09時25分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (19)



@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

*************************




● 4688 :屠蘇地租過疎=マサノブ:2015/09/14(月) 21:41:02 ID:MDvyz5eo
トンチンカンも≪信仰者≫なら、アジ演説はいい加減にしろよな!

● 4690 :屠蘇地租過疎=マサノブ:2015/09/14(月) 21:52:23 ID:MDvyz5eo
トンチンカンは、≪信仰者≫なのか?いや、違うな。ヘイトスピーカーだ。

● 4692 :屠蘇地租過疎=マサノブ:2015/09/14(月) 22:10:59 ID:LboeUCpg
トンチンカンよ、≪ヘイトスピーカー≫のお前が谷口雅春先生を語るな! 谷口雅春先生は、≪ヘイトスピーカー≫の道具ではない!

● 4694 :屠蘇地租過疎=マサノブ:2015/09/14(月) 22:19:36 ID:MDvyz5eo
はいはい、苦しい時の身元詮索ね(笑)。あんたの≪ヘイトスピーチ≫、ウザイんだよ。ただ、それだけ。

● 4696 :屠蘇地租過疎=マサノブ:2015/09/14(月) 22:31:29 ID:MDvyz5eo
今は、あんたのことを≪ウザイ≫って言ってんの!谷口雅春先生の≪信仰者≫だったら、≪ヘイトスピーチ≫なんかしねぇって。
いいか?もう一度言うぞ。谷口雅春先生は≪ヘイトスピーカー≫の道具ではない!あんたの書き込みを見て、そう思ってる人は多いと思うよ。

● 4698 :屠蘇地租過疎=マサノブ:2015/09/14(月) 22:39:23 ID:MDvyz5eo
>今やるべきコトは、「マサノブ爺さん」の ≪言行不一致≫ についての≪言及≫です。< −−− 大した≪信仰者≫だこと(笑)。そんなこと、「生命の實相」に書いてあるんか?
だから、トンチンカンは≪ヘイトスピーカー≫って言われるんだよ。

● 4699 :屠蘇地租過疎=マサノブ:2015/09/14(月) 22:47:18 ID:MDvyz5eo
山ちゃん1952さんも「悪意の言葉からは神性が生まれない。」って言ってるぞ。谷口雅春先生を思い、慕うのであれば、≪ヘイトスピーチ≫はやめろ。谷口雅春先生が悲しまれる。



<特別コメント>

* 一皮むけば、ヤクザ言葉の暴言マサノブ!

* すぐ、カアッとなるマサノブ組長! それを見習うイソベ若頭ーーーこれが彼らの正体だ!

* 狂乱マサノブの最大の暴言は、「オレを産んだ奴!」・「オレを孕ませた奴!」






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[4447] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (20)
遮那王 - 2016年08月05日 (金) 08時55分



遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (20)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4702 :神の子さん=マサノブ:2015/09/14(月) 23:55:06 ID:OBD5aeAY
屠蘇地租過疎さん、トンチンカンさんは簡単なことが分からない人なんです。例えばですね、中共に向けて同じように『お前たちの指導者は唯物論者で、自分たちの権力の為に政治をしている○○主席は辞めろ』『海外侵略の下準備をしている○○主席を国民は追放すべきだ』と繰り返し繰り返し述べ、私は正当な日本精神の持ち主です。私は日本人の代表として共産主義の虚説を伝えます。こんなことを3年も4年もしていたら両国が人類兄弟の本来の姿が出るはずはないのです。こんな簡単なことが分からないのです。信仰者なんてものではなく人間として??なんです。話すだけつまらないですよ。

● 4705 :屠蘇地租過疎=マサノブ:2015/09/15(火) 01:17:35 ID:MDvyz5eo
・トンチンカンも≪信仰者≫なら、アジ演説はいい加減にしろよな!
・トンチンカンは、≪信仰者≫なのか?  いや、違うな。ヘイトスピーカーだ。
・トンチンカンよ、≪ヘイトスピーカー≫のお前が谷口雅春先生を語るな!
・谷口雅春先生は、≪ヘイトスピーカー≫の道具ではない!
・今は、あんたのことを≪ウザイ≫って言ってんの!
・谷口雅春先生の≪信仰者≫だったら、≪ヘイトスピーチ≫なんかしねぇって。
・谷口雅春先生を思い、慕うのであれば、≪ヘイトスピーチ≫はやめろ。
何も間違ったことは言ってないよ。
それと、「サーチャー」をはじめ、いろんなHNを使って≪なりすまし≫をしてるのは、
ト ン チ ン カ ン だ ろ (笑) 。
≪ヘイトスピーカー≫って言われて、悔しかったら、山ちゃん1952さんの「悪意の言葉からは神性は生まれない」に反論してみろって。本流派のなかでもトンチンカンの≪ヘイトスピーチ≫を支持する者はいないぞ。

● 4709 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 06:42:39 ID:Sp9Va04o
実相に外部はある。その外部とは「非存在」、「非実在」といった無限判断によって示される領域である。これがわたしの主張です。実相独在といわれるのであれば、実相に外部がないということを説明してください。説明不可であれば、実相に外部があるということが強くうだがわれます。

● 4710 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 06:44:23 ID:DD4jWV6M
本流の欺瞞があばかれ総裁の勝利が確定いたしました。反論があればどうぞ。

● 4711 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 06:47:31 ID:DD4jWV6M
さらにわたしがいっていること。すべての宗教はイデア論に帰一する。「人間神の子」はそれじたいが環境問題である。哲学は贈与を、宗教は獲得を問題にする。

● 4713 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 09:34:38 ID:DD4jWV6M
すべての宗教はイデア論に帰一する。反論があればどうぞ。

● 4714 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 09:41:16 ID:DD4jWV6M
人類がほんらいの姿にもどること。「救済」をいうとすればこれが救済です。イデア論はほんらいの姿をうしなった人類がつくりだした一種のひずみです。ほんらいの姿にもどればひずみは消えて宗教も消えてなくなります。



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<特別コメント>

* 余りにも馬鹿馬鹿しくて読む気もしない屁理屈屋マサノブの文章であります。

* 汝、宗教家と称するならば、理屈を言う前に、個人指導をして相談者の病悩苦を解決してあげなさい! 屁理屈屋のマサノブには絶対出来ないのであります。

* 汝、マサノブ! 汝の屁理屈では絶対に人は救えぬ! なぬ? 「宗教は人を救うために存在しない。地球をすくうために存在するのじゃ!」って? 

* 何を馬鹿げたことを言っとるのじゃ! このバカモン! そんな理屈、社会では通らぬ! 「宗教家」を辞めて、「地球救済士」と称せよ! 誰もついて行かぬわい!!






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[4459] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (21)
遮那王 - 2016年08月06日 (土) 07時42分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (21)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4715 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 10:05:33 ID:DD4jWV6M
ほんらいの姿とは「万法すすみて」です。人類がほんらいの姿にもどること、これが悟りです。

● 4716 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 10:24:29 ID:DD4jWV6M
「万法すすみて」に類することはスピリチュアルなどでもいっているわけです。「お告げ」などということもありますね。ひとことで「万法すすみて」といっても、まっとうなものからあやしげなものまで千差万別です。しっかりとした哲学に裏打ちされたもの以外は信用に値しない。これがわたしの哲学です。

● 4718 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 13:55:57 ID:DD4jWV6M
人類ほんらいの姿とは実相の外部=非存在、非実在とつねにつながっていることをいいます(これにかんしては「一度かぎりしかつかえないカテゴリー」としてすでに説明しています)。イデア論はその排他性によって外部を隠蔽し、人類がほんらいの姿にもどるのをさまたげでいる(「独在」とは「排他的である」ということです)。このことをわたしは批判しております。どうすればほんらいの姿にもどれるか。それは左脳自我の抑制です。左脳自我を抑制すれば誰でももどれます(というか、もどるよりほかはない)。それが二項対立の排他性を抑制することにつながるからです。二項対立を階層的につみあげることで成り立っている(とわたしが考える)教理は左脳自我を抑制するどころかむしろ強化している。その結果として本流にみられるような尋常ならざる排他性をうみだしている。このことを問題にしています。具体的にはとうするか、わたしがいえるのは禅、あるいは禅的な修行です。くわしいことをここで述べるつもりはありません。

● 4720 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 15:12:26 ID:DD4jWV6M
教団内でおきている問題は教理が避けがたく持ってしまった排他性によって生み出されたものです。教理の排他性に気づかぬかぎり問題の解決はありません。「大調和」という言葉でさえすでに排他的にもちいられているではありませぬか。

● 4721 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/15(火) 15:24:12 ID:DD4jWV6M
誤解があるようですね。禅、あるいは禅的な修行は外部とつながるまでの一時的なものです。いちどつながってしまえば特別な修行は要しません。それが人類ほんらいのあり方なのですから、自然にあるがままで何もする必要はありません。

● 4722 :神の子さん=マサノブ:2015/09/15(火) 18:46:04 ID:JPiKJZkg
仏はほどけ 自分で自分を縛っている自縄自縛の縄をほどけば もと仏

● 4723 :神の子さん=マサノブ:2015/09/15(火) 18:48:34 ID:JPiKJZkg
『人類がほんらいの姿にもどること』=『救済』=『悟り』
と上のものは同じでしょう





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[4475] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (22)
遮那王 - 2016年08月07日 (日) 08時14分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (22)



@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4724 :神の子さん=マサノブ:2015/09/15(火) 18:56:34 ID:JPiKJZkg
4722の事は雅春先生も言っていた、心で実相を観るという説きかたは、現象に引っかかる人間に対して、現象を見なくする手段、現象に縛られている自縄自縛の人間を解放せんがの手段、方便であり、目的はほどけた人間になる事です。美味しいものを呼び出す手段と考える人間は縛られた人。

● 4726 :神の子さん=マサノブ:2015/09/15(火) 19:42:33 ID:JPiKJZkg
「曳馬野爺さん」ご一統さま、もっと「分かり易く」書けないのですか?ーーー涎たらして、おお これこれこれで私の望がかなうぞ、と欲の心丸出しの人間を釣ったのかな。難解な正法眼蔵をかくも解りやすく説く清超先生の力量は素晴らしい、私の跡継ぎが出来た、と雅春先生が道元の正法眼蔵は難しいと云っているのだ。禅の素養ゼロの人間に何云っても解らないよ。分かろうとする個我、意識をゼロにして出逢うものに向かうこと、早い話がそのままなんだ、車の運転中前の車に追いついた、そこで何の感情なくアクセルを緩め一定の車間でついて行く事が出来ないでしょうあなたには。急いでいればなおのこと、いろんな感情の虜になる事でしょう。自分で行動をする、へたくそもっと速く走れよなとか追い越していくとか、自分が考えて行動するか何も考えずについて行くか、天と地の開き。庭掃除するに取っ掛かりは綺麗にしようと考えはするが、箒の先は落ち葉のある所に自然と移動して綺麗になる。次から次と落ち葉のある所に放棄の先は考えなくても移動するのだ。自分の行動が落ち葉により規制されるのだ。

● 4729 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 01:54:40 ID:DD4jWV6M
またしても勘違いがあるようです。わたしは「外部とつながる」ということをいっているのであって、禅の修行についていっているのではありません。外部とのつながりをとりもどすのに禅の修行が有効だといっているのです。禅僧になるわけではないのですから、とりもどしたあとの修行は必要ありません。禅の修行をいうのであれば、修行はつづけなければならないでしょう。外部とのつながりを維持するために禅の修行を続ける必要はない。こういうことをいっているのです。

● 4730 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 01:59:30 ID:DD4jWV6M
「大調和の排他性」の件ですが、一般論でいえば大調和のひとことをもって人をさばくのは簡単であるということです。大調和は不調和にたいして十分に排他的です。「大調和」を持ち出しさえすれば、不調和をかかえているとみなした人物を裁きの庭にたたすのはいともたやすいということです。一般論ではなく今回のことでもうしましょう。チャイニーズ頓珍漢君は「大不調和追求に逃げ」ということをいっています。追求は追及でしょう。どうやら頓珍漢君は「大調和」をたてにとって総裁の大不調和を追及しているようですが、このように「大調和」をたてにとりさえすれば相手を追及したり裁いたりがいとも簡単にできてしまうことを「大調和の排他性」とわたしはいっております。また頓珍漢君は「大調和しなくてもイイと逃げの手」とうたがってもいるようです。そりゃそうでしょう。「大調和せよ」といわれてそれができなければ、総裁ならずとも逃げ出したくなりますよ。頓珍漢君もわかっているように、誰もが逃げるしかないほどに「大調和せよ」は排他的なのです。

● 4732 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 10:08:21 ID:DD4jWV6M
実相独在とは内部の話です。内部でしか通用しない話です。実相には外部があります。それは到達不可能な外部です。そこになにがあるのか、それを知るのは原理的に不可能です。しかし外部は実相に作用して実相を不在ならしめ、天地創造の運動を開始させた。外部が内部に侵入した。内部と外部の相互作用がはじまった。わたしが「外部につながる」といっているのは、この相互作用につながるということです。こうすることで間接的に外部とつながるということです。外部と直接的につながるのはおそらく不可能でしょう。

● 4734 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 10:15:14 ID:DD4jWV6M
ところで頓珍漢君、天地創造について生長の家ではどのように説かれているのでしょうか。

● 4735 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 10:18:25 ID:DD4jWV6M
教団内で起きている問題は真理の排他性が原因であるとわたしは考えおりますが、これを「屁理屈」といわれる頓珍漢君はなにが問題だと考えておられるのでしょうか。

● 4736 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 10:23:49 ID:DD4jWV6M
頓珍漢君は、「真理は排他的だ」は屁理屈だといわれますが、なぜこれが屁理屈なのか、もっとつっこんだ話を聞かせてください。「大調和のどこが排他的なのか」と頓珍漢君は疑問をもたれましたよね。そこでわたしは答えました。「真理は排他的だのどこが屁理屈なのか」、今度は頓珍漢君が答える番です。

● 4738 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 11:00:59 ID:DD4jWV6M
言っていないことを「言った」というのはやめましょう。とにかく質問に答えてください。

● 4739 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 11:38:19 ID:DD4jWV6M
内部と外部の相互作用につながっている。これが人類のほんらいの姿である。その人類が二項対立の体制に入った(実相と現象、霊と物質、善と悪というような二項対立で物事を説明するようになった)ために、人類は相互作用とのつながりをうしない、その補償として宗教をつくった。相互作用につながって人類ほんらいの姿をとりもどせば宗教は必要なくなる。以上のようなことをわたしは述べております。

● 4738 :純粋教理批判 =マサノブ:2015/09/16(水) 11:00:59 ID:DD4jWV6M
言っていないことを「言った」というのはやめましょう。とにかく質問に答えてください。

● 4741 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 12:52:05 ID:DD4jWV6M
大調和の排他性について、大調和できないのは大調和の排他性のためである。これはまったくの曲解。大調和できないことをもって相手を裁けるのは大調和の排他的のためである。これがわたしのいいたいこと。

● 4742 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 13:00:46 ID:DD4jWV6M
大調和できないことをもって相手を裁くということは、大調和を排他的に用いているということ。真理を排他的に用いることで総裁を裁こうとする人が総裁の周辺には少なからずいた。これが今おきている問題をつくりだした。

● 4743 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 13:03:19 ID:DD4jWV6M
大調和できないことをもって相手を裁けるのは大調和の排他性のためである。これのどこが屁理屈なのか説明してください。

● 4746 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 13:30:44 ID:DD4jWV6M
真理を排他的に用いることで総裁を裁こうとする人が総裁の周辺には少なからずいた。これは事実でしょう。総裁周辺の人々は真理をなぜ排他的に用いたのでしょう。それは教理に排他性がひそんでいるためではないのか。



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[4491] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (23)
遮那王 - 2016年08月08日 (月) 09時37分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (23)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4748 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 14:49:38 ID:DD4jWV6M
教義にひそむ排他性に気づけば今おきている問題は解決する。
これが問題解決のための具体的提言です。みなさまのご意見、反論をお待ちしております。

● 4746 :純粋教理批判 =マサノブ:2015/09/16(水) 13:30:44 ID:DD4jWV6M
真理を排他的に用いることで総裁を裁こうとする人が総裁の周辺には少なからずいた。これは事実でしょう。総裁周辺の人々は真理をなぜ排他的に用いたのでしょう。それは教理に排他性がひそんでいるためではないのか。

● 4748 :純粋教理批判 =マサノブ:2015/09/16(水) 14:49:38 ID:DD4jWV6M
教義にひそむ排他性に気づけば今おきている問題は解決する。
これが問題解決のための具体的提言です。みなさまのご意見、反論をお待ちしております。

● 4750 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 15:22:36 ID:DD4jWV6M
総裁がなにをいっても「それは人間知だ」と周りの人たちにいわれたらどうでしょう。総裁は「人間知」を排他的表現ととらえるでしょう。

● 4752 :純粋教理批=マサノブ:2015/09/16(水) 16:07:40 ID:DD4jWV6M
すべての真理は排他的である。ここでいう真理とは内部の真理です。内部の真理は二項対立で成り立っています。実相をのこし現象を捨てるというように、片方の項だけをのこしべつの片方の項をきって捨てる二項対立で成り立っています。両方の項をともにのこすということはしません。片方をかならずきって捨てます。真理と異なるものはかならずきって捨てます。すべての真理はこのように排他的です。

● 4753 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 16:11:43 ID:DD4jWV6M
肯定にせよ、否定にせよ、それは二項対立にもとづく判断です。外部の真理を二項対立で判断することはできません。肯定も否定もありません。あるのは無限判断だけです。

● 4756 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 16:44:03 ID:DD4jWV6M
総裁が環境運動という方針を打ち出されたのは、イデア論にたいする鋭い感覚があればこそですよ。「宗教がなんで環境運動なんだ」と言っているような人はイデア論の排他性、暴力性にたいする自覚のない人です。



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[4506] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (24)
遮那王 - 2016年08月09日 (火) 07時10分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (24)

@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。
A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。
B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。
以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4758 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/16(水) 22:07:07 ID:DD4jWV6M
言葉の排他性について。言葉はもともとからして排他的です。日本国という言葉は、イギリスではない、インドでもない、中国でもない、その他の国でもないというように排他的にしか定義できません。すべての言葉は他の言葉にたいして排他的です。日本国がそうであるように、他の言葉との排他的な関係に入ることでしか定義できないのです。いかなる言葉であれそれを発したとき、そこにはかならず排他性がひそんでいます。言葉を用いるものは、自分でも気づかぬうちに他のなにものかをかならず排除しています。教理がいかによいことを説こうとも、それが言葉で書かれたものであるからには排他性を除外することはできません。ましてやそれがよりいっそう強固な排他性を発揮する二項対立を階層的に積み上げることで成り立っているとすればなおさらです。
どんなに人を救う力がある教理であっても、それにはかならず排他性がひそんでいます。排他性のない教理はどこにも存在いたしません。この教えは素晴らしい。たしかにそうでしょう。たとえそうであっても排他性をないものにはできないのです。
言葉のもつ排他性、教理にひそむ排他性、これに気づかなければおなじ問題が何度もくりかえされるだけです。犠牲者は総裁だけではありません。

● 4761 :どちらが正しい?=マサノブ:2015/09/17(木) 07:43:25 ID:DRZ7EDG2
ある前者の公案の通り方 無門関の日本的解釈とは随分違う どちらが本当か? 香巌智閑(百丈下い山霊祐の嗣)、高い木の上にのぼって、足をはなせ、手をはなせという、口にくわえてぶら下がっているところへ、人が通って祖師西来意を問う、達磨さんの伝えたもの仏教です、仏とは何かと問う。さあどうするかというんです。答えは一つ、口を開いて墜落して死ぬってのです。他にはないです。高い木を仏教といい、道という、いかにもらしく行ない清まして、光明を放ち智恵を得、立派なことはこの上なし、人みな跪拝する、インドの聖者、まるでオペラ歌手みたいにいかにもらしい。たしかに木には拠らないという一項があるはず、菩提もと樹にあらず、よって手を離し足を外しする、だがどっかでしがみついているんです。 ほんとうに放すことを知らない。それじゃしょうがない、これを有心という、クリシュナムルティだろうがラディニーシもみんな同じです。仏教のデカタンスともいうべき、格好だけはあって心なし。つまり心というものを見ている心がある=利己主義なんですよ、これが見えるか見えないか。 仏かただの食わせ者かです。残念ながら百人に一人見えるか、自らに気がつくんです。 仏は捨身施虎です、途中受用底です。お釈迦さまが前世において修行中に、飢えた虎が現れた。身をなげうって虎に与える、この因縁によって弥勒さんより何劫年先に、この世に現れたという。荒唐無稽な説話に見えて、これが仏教です、他にはないんです。 自己を完成させる、立派な聖者になる、光明という、これ、「なんという醜悪。」 と知る本来心です。なりふりかまわず他がために、あの人は救う価値がある、だから身をなげうってじゃないです。虎というもっとも害敵ですか、そんなもんのために尊い命をという。まさにこれ。 シルクロードを伝わって、繰り返し捨身施虎は(何種かの同様なたとえがあるそうです。)ついに日本の玉虫の龕の絵柄になったです。 いいですか、自分という架空従前の自己は、死なんきゃどうもならん、「答えろ。」  叱咤されて口を開く、死のうとした時に既に死んでいます、なあになんとかなろう、命あってのと云ってたらなんにもならん。 ましてや弁舌さわやかも一大蔵経もただの駄目。問答公案百出もってするなと、まったくこりゃ持ってのほか。 従前の死路頭を活却し、従前の活路頭を死却すと、にもって思い当たって下さい、議論しひけらかす、見れば死人、脳味噌まっ平らです。おれはという思い込みを、おれはと云わぬさえ思い込みを、どかん墜落してめったらになりゃすべておれ。 弥勒さんなんか待ったって来るわけない。たった今、手つかずのおれ。頌に日く、香は真の杜撰、悪毒尽限無し。衲僧の口を唖却して、通身に鬼眼を迸しらしむ。 杜撰という正当でないもの、いいかげんを云う、禅門ではしばしば使われる、そりゃ常識通念では届かない、持ち上げといてさっと引く、転ばぬ先の杖を奪うことあって、はじめて独立独歩ですか、衲は衣のこと衲僧学人、雲水です、仏教という大樹をよじてと、四の五の云ってるやつの口を抑える。ばかもんといって張り倒せば、とやこうじゃない通身のこったとちったあ気がつくんです。

● 4763 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 10:56:37 ID:DD4jWV6M
すべての真理は排他的です。私がこちらで真理を語ればそれはもちろん排他的真理です。そのようなことはいわれなくても承知しております。

● 4764 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 10:59:08 ID:DD4jWV6M
>信徒の支持派受けられない。このことはすでに確認いたしました。宗教にとって排他性こそが力なのだということがわかりました。

● 4765 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 11:12:05 ID:DD4jWV6M
「大調和せよ」が排他的であることはすでに証明されたはずです。「大調和せよ」はこれじたいがすでに不調和なのです。

● 4766 :奥投稿=マサノブ:2015/09/17(木) 11:25:34 ID:/T1FQImE >>3279
3279 :神の子さん:2015/04/14(火) 23:57:49 ID:f6iBwf1Q
>>3268 :ぼるぼ:2015/04/12(日) 19:04:23 ID:OnBODBwA
環境は心の影知ってるつもりの生長の家の家族 、トキさん訊けさんはこのように『生長の家の家族は横の真理は知っているつもりになっているだけ』には何も反応しないのですね、横も楯もないから、つまりは真理は知らないと云われているのでしょうにね



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[4522] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (25)
遮那王 - 2016年08月10日 (水) 08時36分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (25)



@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4767 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 11:28:04 ID:DD4jWV6M
排他性のない宗教はない。排他的でなければ宗教ではない。このことに異論をはさむ余地はありません。排他性こそが宗教の力なのです。すべての宗教はイデア論に帰一いたします。イデア論においては真理の自己所有化がおこります。真理はいつでも手元にあって自由に使えるものとみなされます。自分が「これが真理だ」とおもったもの、言葉として言い表したものはすべて真理となります。ところでわたしは「総裁でない」にもかかわらず総裁とみなされて反論がなされているようです。どうしてこのようなことがおこってしまうのでしょう。ゲシュタルト心理学はこのことを説明しているようです。似たようなものはすべておなじものとみなす。こうした判断が脳の中でおこっているようです。こうした判断をそのまま鵜呑みにして「総裁に似たものはすべて総裁である」とみなさまは思い込んでおられるのです。

● 4768 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 11:35:35 ID:DD4jWV6M
総裁でないものを総裁とみなして反論しても仕方がないでしょう。わたしが言っていることに反論してください。

● 4771 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 12:48:26 ID:JPiKJZkg
書かれている内容は何も解らないので返事ができないトンチンカン

● 4773 :ヘイトンチンカルト=マサノブ:2015/09/17(木) 13:06:58 ID:hGoQl/Kk
トンチンカン、一般論を語る(笑)。

● 4774 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 13:10:15 ID:JPiKJZkg
書かれている内容は何も解らないので≪返事ができない≫トンチンカン・・誰がみたって≪頭のなかは空っぽ≫・・??
全世界の『信徒』の皆さん・・ そうですよね・・・

● 4775 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 13:13:59 ID:DD4jWV6M
天地の創造において、外部は内部に侵入し内部を収縮させたのですよ。このときからすでに暴力性と排他性ははじまっております。言葉は天地創造のときからはじまった暴力性と排他性の写しでもあります。天地創造のときにおきた出来事とおなじ出来事が言葉のなかでもおきているということです。言葉がパルマコン(薬と毒の両面性をもつ)であるように、外部の介入もパルマコンです。言葉は薬にもなるが、同時に毒性を持つ。暴力性と排他性、これがその毒性です。みなさま方は教理が言葉で語られたものであるにもかかわらず、教理にはいっさいの毒性がふくまれていないと思い込んでおられる。教理がパルマコンである可能性は、みなさま方にとって思いもよらぬことなのです。いうまでもなく「外部の真理」もまた使い方をあやまれば毒にもなるパルマコンです。左脳自我というやっかいなものを人類は手に入れてしまったのですよ。人類の課題は左脳自我を使いつついかにしてほんらいの姿をとりもどすかということにある、とわたしは考えます。



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[4541] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (26)
遮那王 - 2016年08月11日 (木) 10時03分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (26)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4776 :ヘイトンチンカルト=マサノブ:2015/09/17(木) 13:23:30 ID:hGoQl/Kk
トンチンカン、再び品性を語る(笑)。

● 4778 :ヘイトンチンカルト=マサノブ:2015/09/17(木) 13:32:18 ID:hGoQl/Kk
トンチンカン、三たび品性を語る(笑)。

○ 4779 :トンチンカン:2015/09/17(木) 13:35:10 ID:z9V4A.MQ
「マサノブ爺さん」の <公式謝罪> を見るまで・・ これは続く・・・

● 4780 :ヘイトンチンカルト=マサノブ:2015/09/17(木) 13:36:43 ID:hGoQl/Kk
トンチンカン、居直る(笑)。

● 4781 :ヘイトンチンカルト=マサノブ:2015/09/17(木) 13:45:23 ID:hGoQl/Kk
トンチンカン、自ら≪信徒≫と名乗る。…………迷惑な話だ!

○ 4782 :トンチンカン:2015/09/17(木) 13:52:48 ID:z9V4A.MQ
トンチンカンが、自ら≪信徒≫と名乗って 「迷惑」 するのは誰ですか・・? 『マサノブ爺さん』ですか・・・

● 4784 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 14:09:46 ID:JPiKJZkg
『信徒』は迷惑この上ないのです!! トンチンカン、自ら≪信徒≫と名乗る。…………迷惑な話だ! 将来の給料の為に  ≪信徒≫  を名乗る   …………迷惑な話だ!  ≪頭空っぽ≫  と云われても事実には反応しない  ≪迷惑な信徒≫だ

● 4786 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 14:33:11 ID:JPiKJZkg
トンチンカンは、未だ「マサノブ爺さん」から≪給料≫を貰ったことはありません!!ーーー 平気で嘘をつくトンチンカン  こんなのが≪信徒≫の訳ない

● 4788 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 14:43:52 ID:JPiKJZkg
平気で嘘をつくトンチンカン  こんなのが≪生長の家信徒≫の訳ない

● 4790 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 14:56:41 ID:JPiKJZkg
平気で嘘をつくトンチンカン  こんなのが≪生長の家信徒≫の訳ない  ・・ この ≪根拠≫ はあるのですか?
ーーー≪根拠≫しらじらしい  いつも総裁総裁と根拠なく言うだろ、生長の家をつぶすためのスパイだろ おまえさんは

● 4791 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 15:07:06 ID:JPiKJZkg
生長の家をつぶすためのスパイだろ おまえさんは、だから本流の貼り付けだけで生長の家の真理は何も知らない。門関解釈なんて読んだこともないし、読んでも解らないから、質問に答えられない ≪偽信徒≫

● 4792 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 15:19:07 ID:JPiKJZkg
無門関解釈なんて読んだこともないし、読んでも解らないから、質問に答えられない ≪偽信徒≫。だから禅の事を言われるとネット上のものを貼り付けるしかできない。質問に答えられない ≪偽信徒≫ トンチンカン

● 4793 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 16:03:32 ID:JPiKJZkg
質問に答えられない ≪偽信徒≫ トンチンカン。教義の話には絶対乗らない・・・ヘイトスピーチ  のみ

● 4795 :再掲=マサノブ:2015/09/17(木) 16:52:29 ID:JPiKJZkg
平気で嘘をつくトンチンカン  こんなのが≪生長の家信徒≫の訳ない  ・・ この ≪根拠≫ はあるのですか?ーーー≪根拠≫しらじらしい  いつも総裁総裁と根拠なく言うだろ、生長の家をつぶすためのスパイだろ おまえさんは

● 4797 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 16:59:47 ID:JPiKJZkg
黙っていても、他人から「仰がれる」 ≪品位≫ が大切ーーー
人に求める前に自分がなってくれ  あんたに ≪品位≫ があるって WWW ≪信徒≫を装いヘイトスピーチに励む  質問に答えられない ≪偽信徒≫ トンチンカン のどこに ≪品位≫ が在る?

● 4799 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 17:05:19 ID:JPiKJZkg
『本流の貼り付けだけ』で ≪ヘイトスピーチ≫だけするなんて・・  誰がみたって≪品性≫は・・・?? いやいや、「偽信者のトンチンカン」は素晴らしい ≪品位ある行為≫ だと思っている??

● 4800 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 17:08:53 ID:JPiKJZkg
『生長の家をつぶすためのスパイだろ トンチンカン』 『生長の家を潰そう』としているのは、≪偽信者のトンチンカン≫その人ですよ!! 『谷口雅春先生の≪御教え≫』を、根幹から まったく知らないのでスルー しているのは・・・≪偽信者のトンチンカン≫

● 4802 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 17:21:07 ID:JPiKJZkg
あれあれ、≪投稿パターン≫まで ソックリ にまねるーーー
≪品位≫ 有る ≪偽信者≫ トンチンカに学んで ≪品性≫ の良い人間になりましょう 全生長の家信徒の皆さん

● 4804 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 17:23:18 ID:JPiKJZkg
これだけ ≪偽信者≫ と云われても否定しない。スパイ確定の トンチンカン

● 4805 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 17:27:34 ID:JPiKJZkg
まったく同じ文の投稿する、これって街頭アジでよくされる 手法でしょう 。やはり≪偽信者≫のアジ演説でしょう

● 4806 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 17:42:00 ID:JPiKJZkg
偽信者のトンチンカン この質問に答えてみて 生長の家の信者なら簡単でしょ?



<特別コメント>

* 何の品性も感じられない、狂乱憑依総裁のマサノブ!

* よくも此処まで、喧嘩した幼稚園児の捨てセリフのような乱雑なコトバの数々・・・

* 人間知にいかに優れていようとも、いかに狂乱して捨てセリフで言い負かそうとしても、とても、とても異才・トンチンカン氏には歯が立たぬ。

* 悔しくて、クヤシクテたまらぬ狂乱マサノブ、いい加減に尻尾を巻いて出て行かざるを得ず・・・






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[4559] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (27)
遮那王 - 2016年08月12日 (金) 08時55分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (27)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4761 :どちらが正しい?=マサノブ:2015/09/17(木) 07:43:25 ID:DRZ7EDG2
ある禅者の公案の通り方 雅春先生の無門関の日本的解釈とは随分違う どちらが本当か?
香巌智閑(百丈下い山霊祐の嗣)、高い木の上にのぼって、足をはなせ、手をはなせという、口にくわえてぶら下がっているところへ、人が通って祖師西来意を問う、達磨さんの伝えたもの仏教です、仏とは何かと問う。さあどうするかというんです。答えは一つ、口を開いて墜落して死ぬってのです。他にはないです。
高い木を仏教といい、道という、いかにもらしく行ない清まして、光明を放ち智恵を得、立派なことはこの上なし、人みな跪拝する、インドの聖者、まるでオペラ歌手みたいにいかにもらしい。たしかに木には拠らないという一項があるはず、菩提もと樹にあらず、よって手を離し足を外しする、だがどっかでしがみついているんです。ほんとうに放すことを知らない。それじゃしょうがない、これを有心という、クリシュナムルティだろうがラディニーシもみんな同じです。仏教のデカタンスともいうべき、格好だけはあって心なし。つまり心というものを見ている心がある=利己主義なんですよ、これが見えるか見えないか。仏かただの食わせ者かです。残念ながら百人に一人見えるか、自らに気がつくんです。  仏は捨身施虎です、途中受用底です。お釈迦さまが前世において修行中に、飢えた虎が現れた。身をなげうって虎に与える、この因縁によって弥勒さんより何劫年先に、この世に現れたという。荒唐無稽な説話に見えて、これが仏教です、他にはないんです。自己を完成させる、立派な聖者になる、光明という、これ、 「なんという醜悪。」と知る本来心です。なりふりかまわず他がために、あの人は救う価値がある、だから身をなげうってじゃないです。虎というもっとも害敵ですか、そんなもんのために尊い命をという。まさにこれ。シルクロードを伝わって、繰り返し捨身施虎は(何種かの同様なたとえがあるそうです。)ついに日本の玉虫の龕の絵柄になったです。いいですか、自分という架空従前の自己は、死なんきゃどうもならん、「答えろ。」
 叱咤されて口を開く、死のうとした時に既に死んでいます、なあになんとかなろう、命あってのと云ってたらなんにもならん。
 ましてや弁舌さわやかも一大蔵経もただの駄目。問答公案百出もってするなと、まったくこりゃ持ってのほか。 従前の死路頭を活却し、従前の活路頭を死却すと、にもって思い当たって下さい、議論しひけらかす、見れば死人、脳味噌まっ平らです。おれはという思い込みを、おれはと云わぬさえ思い込みを、どかん墜落してめったらになりゃすべておれ。 弥勒さんなんか待ったって来るわけない。たった今、手つかずのおれ。 頌に日く、香は真の杜撰、悪毒尽限無し。衲僧の口を唖却して、通身に鬼眼を迸しらしむ。  杜撰という正当でないもの、いいかげんを云う、禅門ではしばしば使われる、そりゃ常識通念では届かない、持ち上げといてさっと引く、転ばぬ先の杖を奪うことあって、はじめて独立独歩ですか、衲は衣のこと衲僧学人、雲水です、仏教という大樹をよじてと、四の五の云ってるやつの口を抑える。ばかもんといって張り倒せば、とやこうじゃない通身のこったとちったあ気がつくんです。

● 4807 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 18:51:12 ID:JPiKJZkg
偽信者のトンチンカン この質問に答えてみて 生長の家の信者なら簡単でしょ?

● 4761 :どちらが正しい?=マサノブ:2015/09/17(木) 07:43:25 ID:DRZ7EDG2
ある禅者の公案の通り方 雅春先生の無門関の日本的解釈とは随分違う どちらが本当か?  香巌智閑(百丈下い山霊祐の嗣)、高い木の上にのぼって、足をはなせ、手をはなせという、口にくわえてぶら下がっているところへ、人が通って祖師西来意を問う、達磨さんの伝えたもの仏教です、仏とは何かと問う。さあどうするかというんです。答えは一つ、口を開いて墜落して死ぬってのです。他にはないです。 高い木を仏教といい、道という、いかにもらしく行ない清まして、光明を放ち智恵を得、立派なことはこの上なし、人みな跪拝する、インドの聖者、まるでオペラ歌手みたいにいかにもらしい。たしかに木には拠らないという一項があるはず、菩提もと樹にあらず、よって手を離し足を外しする、だがどっかでしがみついているんです。 ほんとうに放すことを知らない。それじゃしょうがない、これを有心という、クリシュナムルティだろうがラディニーシもみんな同じです。仏教のデカタンスともいうべき、格好だけはあって心なし。つまり心というものを見ている心がある=利己主義なんですよ、これが見えるか見えないか。仏かただの食わせ者かです。残念ながら百人に一人見えるか、自らに気がつくんです。仏は捨身施虎です、途中受用底です。お釈迦さまが前世において修行中に、飢えた虎が現れた。身をなげうって虎に与える、この因縁によって弥勒さんより何劫年先に、この世に現れたという。荒唐無稽な説話に見えて、これが仏教です、他にはないんです。自己を完成させる、立派な聖者になる、光明という、これ、「なんという醜悪。」と知る本来心です。なりふりかまわず他がために、あの人は救う価値がある、だから身をなげうってじゃないです。虎というもっとも害敵ですか、そんなもんのために尊い命をという。まさにこれ。
 シルクロードを伝わって、繰り返し捨身施虎は(何種かの同様なたとえがあるそうです。)ついに日本の玉虫の龕の絵柄になったです。 いいですか、自分という架空従前の自己は、死なんきゃどうもならん、「答えろ。」叱咤されて口を開く、死のうとした時に既に死んでいます、なあになんとかなろう、命あってのと云ってたらなんにもならん。 ましてや弁舌さわやかも一大蔵経もただの駄目。問答公案百出もってするなと、まったくこりゃ持ってのほか。 従前の死路頭を活却し、従前の活路頭を死却すと、にもって思い当たって下さい、議論しひけらかす、見れば死人、脳味噌まっ平らです。おれはという思い込みを、おれはと云わぬさえ思い込みを、どかん墜落してめったらになりゃすべておれ。弥勒さんなんか待ったって来るわけない。たった今、手つかずのおれ。 頌に日く、香は真の杜撰、悪毒尽限無し。 衲僧の口を唖却して、通身に鬼眼を迸しらしむ。杜撰という正当でないもの、いいかげんを云う、禅門ではしばしば使われる、そりゃ常識通念では届かない、持ち上げといてさっと引く、転ばぬ先の杖を奪うことあって、はじめて独立独歩ですか、衲は衣のこと衲僧学人、雲水です、仏教という大樹をよじてと、四の五の云ってるやつの口を抑える。ばかもんといって張り倒せば、とやこうじゃない通身のこったとちったあ気がつくんです。

● 4808 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 18:56:56 ID:JPiKJZkg
純粋教理批判さんの主張に関係していると私は思います。生長の家の信徒と云うなら、無門関第五 香巌上樹の公案です。上の解釈のどこが間違いか言ってみて、出来て当たり前、できなければ生長の家の信徒ではない。生長の家を貶める ≪偽信徒≫ トンチンカン

○ 4809 :志恩:2015/09/17(木) 19:55:09 ID:6hRUvSRg
純粋教理批判さんか、代理の人かしれませんけれど、話をそらしてばかりで、とんちんかんさんの質問に答えず、困ったら、生長の家の教えとは、関係ない、1000人のうち5人もわからないような公案を持ち出して、答えよとは...ほんとうに、強情な男ですね。雅春先生の公案の解答とどう違うのかと、問われるのでしたら、雅春先生のご文章を、まず、先に示されるのがしんせつな質問の仕方というものだと思います。あなたのやり方は、生長の家らしからぬ、小意地のわるいやり方だと想います。私は、雅春先生の「無門関解釈」を持っておりますから、雅春先生のを、書きましょう。私は、あなたが例で書かれた、禅者のお方の公案の解答とは、別の解答を書いている。安谷白雲禅師という仏教界では著名なお方が書かれた著書「無門関」も持っております。公案の解答は、人それぞれのようです。どれが、正しいとか、間違っているとか、そういうものでは、ないです。

<香厳上樹の公案>
 口で木の枝を咥(くわ)えてぶら下がっている人に、ある人が質問します。答えたいけれども、答えるために口を開いたら千仭の谷底に落ちてしまう。さて、あなたならどうしますか?
 これが、香厳禅師が出した宗教上の質問、即ち公案。
 そして、これが、谷口雅春先生 のご回答は、
『枝を握って口を離して、さてそれから祖師西来意に就て応答すれば好い。何処にも事実上進退両難はないのである。進退両難の原因は「手は枝を攀じず」と自分自身本有の自由自在の力を限ってしまったところにある。それは白墨の線を自分を縛る綱だと思って身動きの出来ないような自己暗示に陥った鶏の不動金縛と同じことである。不動金縛は自分の心の中に在る。心から不動金縛を取去ったとき、吾々はいつでも進退両難の窮境から脱却することが出来るのだ。何故なら、進退両難の窮境は実相に於ては無いものであって、唯空想の中にのみ存するものに過ぎないからである。』(谷口雅春著『無門関解釈』日本教文社刊64頁)
即座に手で枝を掴み、そして自由になった口で回答すれば良い、ただそれだけの事。どこにも、難しい問題はない、という訳です。


(コメント: やはり、マサノブは屁理屈屋、人間知だけが発達して實相智に達し得ず! 「生長の家」の完全落第生!! トットと立ち去りなさい! くやしかったら、下足番から修行をやり直しせよ!!)







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[4570] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (28)
遮那王 - 2016年08月13日 (土) 08時47分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (28)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4810 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 20:43:07 ID:DD4jWV6M
わたしが頓珍漢君の質問に答えない? 頓珍漢君がわたしの質問にまったく答えようとしないのですよ。質問に答えないのは頓珍漢君です。ここで書いていることかんすることであれば、珍漢君の質問にはすべて答えたつもりです。総裁にたいする質問に答える理由はありません。わたしにいうのではなく頓珍漢に答えるようにいってください。

● 4811 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 20:45:47 ID:DD4jWV6M
イデア論が陥りやすい思考パターンに「すべてを自分とみる」や「すべてを自分と等価のものとみる」というのがあります。「世界のすべては自分なんだ」といえば、これはイデア論の可能性があります。どうしてそうなってしまうのかといえば、ヨーロッパ人に特有の思考パターンに原因がありそうです。よくいわれることですが、ヨーロッパ人には空間恐怖症というのがあって、絵画でも隅々まで塗りつぶさないと気がすまないのだそうです。
イデア論はヨーロッパ人のこうした特性を反映しているにちがいありません。未知なるものの存在は耐えられない。理解不能のまったき他者が存在するのは耐えられない。すべては自分が理解できるものでなければならない。こういった欲動が反映されて、イデア論は外部の存在を許さない内部の思想、「すべては自分である」というように内部を特権化する思想になったと考えられます。

● 4812 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 20:48:57 ID:DD4jWV6M
雅春先生の解釈はとにかく何かをつかむ。つかむことで身の安全をはかったうえで答える。こういうことなのですね。

● 4813 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 20:57:25 ID:DD4jWV6M
ソシュールの言語学について、人間は川をみて「カワ」と名づけたのではない。「カワ」と名づけたことで川があらわれた。これがソシュールの言語学です。世界は言葉でつくられている。こういうことです。真説も虚説もすべて言葉がつくりだしたものです。実相も現象もおなじです。言葉がつくりだしたものです。実相と現象の区別。これも言葉がつくりだしたものです。すべての二項対立は言葉がつくりだしたものです。雅春先生は人間が川をみて「カワ」と名づけたと考えておられたとおもいますがいかがでしよう。

● 4814 :神の子さん=マサノブ:2015/09/17(木) 21:00:47 ID:???
ずっと前に志恩のおばさんが「私、初心者さんに殺されかかったのよっ!!」て書いててお腹よじれるほど笑った思い出

● 4816 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 21:10:02 ID:DD4jWV6M
人間が名づけることで世界はあらわれた。名づけるまえには何があったのでしよう。カントのいう物自体でしょうか。フランスの精神分析医ジャック・ラカンは「物自体がなければそこにはまなざしがある」といいました。誰のまなざしなのでしょう。

○ 4817 :志恩:2015/09/17(木) 21:23:48 ID:6hRUvSRg
2011年のころが懐かしいです。 おんなじですね、だれかさんと。ソシュール言語学の語り口。私は、あのころ、初心者さんに殺されかかったというのは、ほんとうに話なんです。今、いきているのがふしぎなほどなんです。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/?q=%A5%BD%A5%B7%A5%E5%A1%BC%A5%EB



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[4581] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (29)
遮那王 - 2016年08月14日 (日) 08時32分




遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (29)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4820 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/17(木) 22:13:30 ID:DD4jWV6M
ある奥深い山で乳飲み子を抱えて身動きできなくなっている虎をみつけました。見捨てて去りますか、それともエサをとってきてあたえますか。でもそのエサとはなんなのでしょう。進退両難がないのであればどうすればよいのでしょう。人間はほんらい自由なのだからこのような選択にしばられることなく見捨ててこの場を去るということなのでしょうか。「進退両難がない」とはいかなる場合にあっても判断はつねに可能であるということでしょう。たしかにそうかもしれませんけども、ではこのたとえは何を示しているのでしょう。いかなる判断であってもそれには排他性や暴力性がともなうものだ、ということをこのたとえは示しているようにわたしにはおもわれます。

● 4826 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/18(金) 07:26:00 ID:DD4jWV6M
進退両難はない。雅春先生はこのようにいわれるのであるが、それは「獲得」を考えた場合です。手でつかめばうしなわれるはずの命が得られる。これは獲得です。たしかに雅春先生がいわれるように、獲得したいのであれば進退両難は生じえないのかもしれない。では贈与ならどうでしょう。手でつかめばそれはもはや獲得であって贈与ではない。さあどうしますか。贈与などにしばられるから進退両難が生じるのだと雅春先生はお答えになられるかもしれません。贈与など考えずに獲得だけを考えればよい。そうすれば進退両難は生じえない。おそらくはこういう答えになるでしょう。哲学が贈与をなぜ問題にするのかというと、それは「自己中心」を問題にするからです。イデア論は徹底的に自己中心的です。真理をおのれのものとし、おのれのために利用する。獲得だけを問題にする。これがイデア論です。こうした自己中心性を逃れるにはどうすればよいか。そのためには純粋なる贈与しかない。哲学はおそらくこのように考えるのでしょう。自己中心的であってもよい。これが雅春先生の答えであるような気がしてなりません。自分中心であってよいのであれば、たしかに手でつかめばよいのです。

● 4827 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/18(金) 07:44:44 ID:DD4jWV6M
>〈公案の解答は、人それぞれのようです。どれが、正しいとか、間違っているとか、そういうものでは、ないです。〉と云いますと公案はそもそも何の為にあると思いますか? 公案は編み出したのは臨済禅師ではなかったでしょうか。臨済は言葉を問題にいたしました。言語化されたものは相手にするな。心にしたところでそれはすでに言語化されたものだ。このようなものを相手にする必要はない。これが臨済の考えであったようです。公案とは何か。それは言葉というものをつねに主題化しようする左脳自我を抑制するためのものです。進退両難はないということを教えるためのものではありません。雅春先生の答えは左脳自我の働きによるものです。左脳自我の抑制につながらないものです。

● 4829 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/18(金) 08:06:17 ID:DD4jWV6M
公案の答えは肯定判断でも否定判断でもあってはなりません。無限判断がなされていなければなりません。その人のなかで無限判断が成り立っているかどうか、このことだけが問題になります。
何を答えるかは問題ではありません。雅春先生のなかで無限判断が成り立っていればよいのですが、成り立っていなければそれは左脳自我による判断でしかありません。香厳上樹の公案は設定があまりにも作為的で無限判断の成り立ちにくい公案のような気がいたします。

● 4831 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/18(金) 08:11:46 ID:DD4jWV6M
内部の真理(イデア論)を支持する人であれば左脳自我の働きだけで十分なのでしょう。左脳自我は外部の真理には不向きのようにおもわれます。

● 4833 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/18(金) 08:39:37 ID:DD4jWV6M
>>4330
わたしは「いかなる判断であってもそれには暴力性や排他性がともなうものだ」ということをこのたとえは示しているといっているのですよ。立ち去るとすればそれは排他的であり、エサをあたえればそれは暴力的だといっているのです。





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[4595] 遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (30)
遮那王 - 2016年08月15日 (月) 08時40分



遥かなる追憶<第九部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (30)


@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。

A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。

B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。

◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。


「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。

以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!

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● 4837 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/18(金) 08:52:50 ID:DD4jWV6M
わたしがこのたとえで言いたのは、教理といえども多くの判断が含まれている。多くの判断が含まれていながら排他的でもない、暴力的でもないということはありえない。こういうことです。

● 4839 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/18(金) 09:01:11 ID:DD4jWV6M
>どっちに転んでも、悪の行為ってこと?ーーー なんか、あなた、心が病んでません?わたしが言っているのは言葉についての話なのです。言葉は排他的であり、どっちに転んだところでかならず他のなにかを暴力的に排除するということです。言葉は他の言葉との排他的な関係に入らないかぎり意味をもつことはない。言葉が意味をもつとすれば、それはかならず他の言葉を排除しているということです。

● 4840 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/18(金) 09:06:09 ID:DD4jWV6M
>自分に対して 教理を 使えば、⚪️、
教理を使って、他人を裁くのは、✖️、と言いたい?
こういう単純なことをいうために書いているのではありません。教理にひそむ排他性を問題にしているのですよ。

● 4843 :純粋教理批判==マサノブ:2015/09/18(金) 10:03:01 ID:DD4jWV6M
>教理にでも なんにでも、潜んでるんじゃないの?
だから言っているではないですか、言語化されたものにはすべて排他性があると。教理にひそむ排他性に気づかないかぎり今おきている問題の解決はない。これをいっているのですよ。二項対立で組み立てられた言説には他者排除の欲望がひそんでいる。これをいいたいのですよ。

● 4844 :志恩さん=マサノブ:2015/09/18(金) 10:44:51 ID:JPiKJZkg
【純粋教理批判さん】と呼びかけて
谷口雅春先生著「無門関解釈」における香厳禅師が出した宗教上の質問、即ち公案の解答については、たしかに、【あなたが】おっしゃるように、彼の著書「禅の心髄 無門関」香厳上樹の項、61頁に、4825で、【あなたが】ご指摘のような感想を書かれています。と書く、認知症思い込み症候群の志恩さん、偽信徒トンチンカンと同じことしか考えられないの。質問には何も答えていない、云いたいことを他人の言葉で述べる、つまり言葉の意味を限定して理解する、原理主義者ですね。わたしは純粋教理批判さんでもないし総裁でもない、堤防決壊の思い込みと同じ、常に≪自分≫で判断する。その判断する≪自分≫を殺すため公案はあるのです。

● 4847 :神の子さん=マサノブ:2015/09/18(金) 11:37:40 ID:DRZ7EDG2
減らず口ばかりいうガキみたいな人ですね。閲覧者に笑われますよ。とんちんかんさんや私でなく、あなたのほうがね。釈迦の悟りの時を「一見明星」の時とする禅に対し、乙女の差し出す一杯の飲み物に愛の世界、生かし合いの世界を見た時とする、このまるで違う見解を鵜呑みにしている人間は、カルト以外の何物でもない。

● 4848 :純粋教理批判=マサノブ:2015/09/18(金) 12:55:29 ID:DD4jWV6M
>減らず口ばかりいうガキみたいな人ですね。閲覧者に笑われますよ。ーーー 減らず口とはいわずに、せめてフレンチナンセンスといってください。わたしのいっていることが理解されて笑われるのであれば大いにけっこう。その人はそうとうな力量の持ち主です。わたしはあなた様のすべての質問に答えたわけですが、それにたいして「減らず口をたたくガキ、みんなから笑われる」との対応。礼儀を知らぬようですね。



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