| [4745] 28・8・18『恵味な日々』=国際教修会3(最終回)= やはり、どこまで行っても「左翼唯物現象論」発想の宗教貴族の「ママゴト」での『生長の家』完全解体と『御教え』抹殺の洗脳教修会だった! |
- 塚原卜伝 - 2016年08月24日 (水) 13時57分
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平成28年(2016年)8月18日 (木) =国際教修会3= (要旨) 生長の家は、「人類光明化運動」を1930年から行ってきました。・・・第二次世界大戦・・・終戦後の世界は、左右の超大国が対立する冷戦の時代・・・生長の家はアメリカ側に立ち、自由主義の世界を支持し共産主義勢力から日本を護るために、日本民族の意識の啓蒙に大いに努め・・・ベルリンの壁が崩壊、ソ連も崩壊・・・抑圧されていた民族主義が台頭し、世界各地で紛争が・・・冷戦時代の過当な競争の結果として、地球環境の悪化・・・科学技術の進歩は国際化を促進し、インターネットの普及・・・そんな地球社会の変化をうけて、生長の家の運動は新たな方向に進むことになりました。(前段)
1993年、谷口雅春先生生誕100年の年に、生長の家の運動は、時代に即応した運動に向かうために、「人類光明化運動」から、「国際平和信仰運動」となりました。この2つの運動は、目的と精神において、何ら変わるものではありませんが、もし違いがあるとすれば、3点だと示されています。1、生長の家が現代において目指すものは「世界平和」であることを明確にしたこと、 その理由として、人類光明化運動の「光明化」という言葉は一種文学的な表現で、「美しい」けれど、具体的にどういう状態かというとはっきりしない。しかし、「国際平和」という言葉は、明らかに国と国の間に紛争や戦争がない状態、さらにはお互いが協力し共存して繁栄する状態を意味することもあり、運動の目的が「国家間の平和」であることが明確になったと説明されてあります。 2、その「世界平和」とは、政治力、あるいは核の抑止力によってもたらされる平和ではなく、唯一絶対の神への「信仰」によってもたらされる平和であることを明示したこと・・・「被造物の中に敵と味方をつくって、敵をやっつける」というような中途半端な神様を私たちは信仰していない。このような神への信仰によって聖戦が行われます。私たちはお互いを神の子として認め合う信仰のもとに平和を実現するのが目的です。それが国際平和信仰運動の考え方です。3、「国際運動」として、各国の運動を統一的、組織的に立案し実行していくための各種の方策が講じられていること。簡単に言うと、そういう目的の運動を各国がバラバラに行うのではなく、世界の色々な人の知恵を借りながら協力し、組織的に行っていく枠組みが示されている。具体的には、運動方針徹底の場には、海外からも多くの代表が来られているので、意見交換や意識統一が行われるというわけです。「人類光明化運動」として出発した当初は、どのように平和を実現していくかははっきりしていなかったし、当時は戦争の時代でした。その時代よりは少しは具体的に、方法論その他種々の仕組みが出来上がりつつあるのが今の段階だということです。 そのようにして、国際平和信仰運動が1993年に始まり今年で23年になります。その間、様々なことがありましたが、国際運動として、今日のような国際教修会が2003年から始まりました。(中段)
そして、人類が直面する喫緊の課題である、地球環境問題を解決するために、2000年には生長の家の環境方針が発表されました。2013年には、東京原宿から、ここ山梨県の北杜市の森の中のオフィス≠ノ移転して、さらなる進展を期して、運動を進めています。オフィスが移転して新たに始められたことは、皆さんよく御存じであると思いますが、国際運動としては毎月一回、各国の指導者がテレビ会議を行い情報交換をし、重要な問題を話し合うことをしています。自然と共に伸びる運動≠私たちは今行っていますが、地球と世界の現状を見て、何をすればいいのかを真摯に問い、私たちは運動を進めています。今の世界は、物質主義、経済優先、効率優先で、物質的に豊かになった半面、世界は格差が生まれ、人と人とのつながりは希薄になり、社会は分断しています。物質偏重の偏った文明をバランスよくさせるためには、全ては一体であることを生活のあらゆる面で表現していかなくてはなりません。「大自然讃歌」の3ページから9ページ一行目までを読ませていただきます。・・・唯一絶対の神への信仰が強力なコトバの力となり、またコトバの力の表現として新しい文明の構築につながる生活の実践を以下のようにまとめました。1、 唯一絶対の神への信仰を深めるために三正行を実践する 2、 日時計主義で生活する 3、 『全ては神において一体』を生活に表現するために、むすびの働きを意識して生活する 4、 自他一体の愛の実践として、肉食を控える 5、 地産地消、家庭菜園、手作りなどを実践する。 6、 地球温暖化を促進しない生活を心がける。 このような生活をしつつ、一人でも多くの人に生長の家を伝えていくことにより、平和な世界の実現に、皆さまとともに歩んで参りたいと思います。これで、私の話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。(後段)
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<総括講評>
ジュンコ婆さんの講話は、細かく講評する価値の無いものである。聞き手から、運動内容に何の情熱をも曳き出せない上意下達の訓令の様な砂を噛むようなことばかりで、打ち続く「マサノブ&ジュンコ講習会」への参加者の減少は全国的にも止まらない。信徒の大量脱退現象をともなう教勢衰退現象にたいしても何の反省もなき、名前だけは立派なだけで、内容は宗教貴族の「ママゴト遊び」国際教修会であったことがよく分かったのである。細かく講評する価値もないので、ジュンコ婆さんの今回の指導講話とやらを前・中・後の三段に分けて総括的に講評をすることにする。
@ 前段の講評、―――
1、 ジュンコ婆は、前段の部分において、『生長の家』出現後から今日に至るまでの世界歴史の大雑把な概要をまず記している。此処で考えねばならぬ重要なことは、余り開祖・谷口雅春先生の時代の『生長の家』と言うものを知らない大勢の最近の本部講師や本部講師補を相手にした『生長の家教修会』だと言う認識がジュンコ婆には稀薄、否むしろ皆無だと云う事である。ジュンコ婆には、『生長の家』の運動が地上に出現したのは、単なる開祖・谷口雅春先生の個人的発想ではなく、“神界”から開祖・谷口雅春先生を通して天降って来た神様の人類救済運動だと云う認識がないと云うことである。
2、 神界からの人類救済運動であるから、学校の歴史の様な世界情勢の話よりも、神界からの運動を証明している立教当初の時代に起こった霊的神秘現象を重要視して話を進めなければならないのである。この霊的神秘現象は、先ず『生命の實相』第1巻の笠原正好氏からの霊視による「生長の家と私(注:雅春先生)」の手紙の内容が重要である。続いて、原宿本部会館・光明の塔玄関上の服部仁三郎先生の『御神像』の元になった輝子先生その他の霊眼に見えた神秘現象、それから『生長の家四十年史』にある「神秘面から見た生長の家」、『生命の實相』自伝篇の開祖・谷口雅春先生の“大悟徹底の瞬間の啓示”の内容、各種の『神示』のこと、更にデーヴィス氏の『日本の奇蹟の人』の中の“ブラックソン師”のことなどは本部講師・本部講師補の人たちにとっては、基礎的に絶対必要な事柄であるのに現実には知らない人が多いのではないか? なのに、ジュンコ婆は一言も触れてはいないのである。もう一度言う。神界からの宗教運動には、当初は奇跡的・神秘的現象が必ず伴うのであり、その宗教指導者たちにとっては必須知識である。さらに言えば、山脇女学校への本部移転時の“霊光”の神秘現象、宇治の地に別格本山を建設する時に“霊的火柱”が立った話、総本山の建立場所を雅春先生が決定された時、後で調べるとそこの地名は『大神平』(おおかみだいら)であったとか、又、総本山と伊勢神宮を直線で繋げばその延長線の先に皇居があったとか昔の神誌に書かれていた記憶があるのである。(間違っていれば指摘してください)。これ等のことは、本部講師や本部講師補にとっては必須的に知って居なければ信徒指導は出来ない事柄である。
3、宗教としての『生長の家』は科学的宗教とも言われる。それは、実に多くの真理の体験的証明があるのである。この体験記録は物質科学の実験証明に匹敵するものである。この膨大な数の真理の体験証明の基盤は「唯神實相哲学・生命の實相哲学」にあるのであるから、インテリ宗教とも一時は称されて知識階級にも大きく広がり、各界の錚々たる人たちも信徒となっていたのである。こういうことも、本部講師や本部講師補にとっての必須知識であり、個人指導の要諦についてもシッカリと学ばなければならない。しかし、マサノブ爺もジュンコ婆もこの点を完全無視して、物質現象世界を対象としての物質的手段による環境問題を説き、自然との共生運動も専ら物的方面からの接近だけを政策として取り上げ、それで満足しているに過ぎない。従ってこのような内容の「教修会」は一般社会の教養的講習会であって、宗教としての「生長の家教修会」ではないのである。往時の開祖・谷口雅春先生時代の『詳密講習会』(連続4日間)を見習わなければならない。だから、マサノブ爺もジュンコ婆も本部講師・本部講師補を対象とする『生長の家教修会』の講師としては力不足であり、ハッキリ言えば落第指導者である。尤も、『マサノブ教・教修会』としては話は別であるが・・・
A 中段の講評、―――
1、 『人類光明化運動の「光明化」という言葉は一種文学的な表現で、「美しい」けれど、具体的にどういう状態かというとはっきりしない。「国際平和」で運動の目的が「国家間の平和」であることが明確になった』と、ジュンコ婆は話している。ジュンコ婆は「人類光明化運動」という言葉には具体性を伴っていないと云う。ジュンコ婆は間違っている。『生長の家』創刊号(昭和5年)には、先ず最初に、その行う“事業”として10項目に亘る具体的項目を開祖・谷口雅春先生は列挙されている。さらに、『生長の家』七つの光明宣言に於いても七つの具体的項目が列挙されているのである。『生長の家の信条』(『菩薩は何を為すべきか』)にも七項目に亘って具体的に書かれているのである。どこを取ってジュンコ婆は“文学的表現だけで具体性なし”と断定するのか?
2、それよりも注目すべきは『国際平和運動』と言う言葉の隠された意味である。「国家間の平和」と言えば聞えはいいが、“国際”とは、国家の際(きわ)即ち国境線を意味すると云う事であり、その国境線を紛争無く平和に保つ最高の手段は国境線をなくして世界を一国家に統合すること。「世界統一国家」思想のことである。つまり、「国際平和」=「国家意識・民族意識の否定」=「世界統一国家」=「世界政府の樹立・世界市民意識」という事であり、これは欧米エシュタブリッシュメントの「ユダヤ・タルム=ド思想」に繋がって行く。この「ユダヤ・タルムード思想」は、わが日本哲学である「神武天皇の建国の大詔」にある“八紘為宇=世界連邦”思想とは対極にある危険な思想である。なぜならば、「世界統一国家思想」は独立国家と民族の存在を認めず、それらを全否定する思想であり、一握りの支配階級(選民)と絶対大多数の被支配階級(ゴイム=獣)に二分して専制独裁政治体制を採るものであるからである。今の『マサノブ教団』は既にこれを完成させつつある。マサノブ爺は「全国代表者会議は自由活発に意見を述べ結論して行く会議ではなく、最高首脳者会議で決定された内容を上意下達式に伝達する場である。総裁は“仰ぎ見られる立場”であり、全国の代表者たちは“それを奉戴(押し戴く)する立場”であると宣言しているのである。民主主義の否定と独裁主義の肯定である。このことは、嘗て民主党政権が口にした『民主主義とは期間限定の独裁主義』と同じで、『マサノブ教』ではこれが確立されているのである。この辺を正しく理解していないと、マサノブ爺とジュンコ婆の尤もらしい言葉に魅せられて次第々々に洗脳されていく。昨今の白鳩たちは、殆んどジュンコ婆の洗脳術に嵌ってしまっているのである。
3、 「国際平和信仰運動」の方こそ、学者的な机上の戯言を並べ立て、為していることといえば、信徒の浄財の上にアグラを掻いてママゴト遊びの宗教貴族遊びに過ぎないのだ。騙されてはいけないのである。<詭弁・屁理屈・嘘ッパチ!!>であるのである。『国際運動としては毎月一回、各国の指導者がテレビ会議を行い情報交換をし、重要な問題を話し合うことをしています』と、いかにも殊勝な表現を並べ立ててはいるが、マサノブ・ジュンコ爺婆のこれまでの“言行不一致”な性格から考えるならば決して民主主義的な会議決定方式は採られてはいないのである。
B 後段の講評、―――
1、 『森の中のオフィス≠ノ移転』これはマサノブ爺の独断決定による近代建築方式による大規模贅沢ログハウスの別荘生活の始まりだと云う事である。自然を切り崩して造られ、全信徒から見れば一握りの教団内特権階級であるマサノブ爺・ジュンコ婆の総裁邸を浄財で造り・イソベ・ユキシマ・オオツカの首脳陣の一戸建て家屋を造り与え、本部職員にも豪華住宅街(職員寮と称してはいるが)をJR長坂駅前に建設し、太陽光発電設備、冬季用豪華薪ストーブなど近代科学製造工場製品を充実させ、職員全体の給料を特別昇給(偏狭勤務地手当?)させて、春の花見、夏の避暑、秋のキノコと紅葉狩りと謂わば宗教貴族生活を楽しんでいるのが実態である。設備の整ったスポーツジムをオフィス内に造り、自転車競走をして、フェスタ遊びに興じる。こんなことのために信徒は浄財を奉納しているのではない。明らかに浄財の使い方が間違っている。証券と株式投資の専門家・ユキシマ金庫番をして、信徒の莫大な浄財で教団赤字埋めのために株の利ザヤ稼ぎをしているが、果たして予定通りの売買差益を出しているかは一切秘密である。
2、『唯一絶対の神への信仰が強力なコトバの力となり、またコトバの力の表現として新しい文明の構築につながる生活の実践を以下のようにまとめました。1、 唯一絶対の神への信仰を深めるために三正行を実践する 2、 日時計主義で生活する 3、 『全ては神において一体』を生活に表現するために、むすびの働きを意識して生活する 』と、これまた美辞麗句を並べているが、全部“言行不一致”―――「谷口雅春原理主義者」として兄弟を追放し、母親を軟禁し、「スリーパーセル」狩りに精を出し、マサノブ絶対王朝を作り上げている。『マサノブ教』には奇蹟を伴う喜びの体験談はなくなった。嘗ての『生長の家教団』の如き使命感による情熱は完全に失せてしまっている。全本部職員は生活のための茶坊主と成り下がってしまった。信仰団体ではなく、普通の生活費を稼ぐ場としての民間会社同然である。だから、信徒の大量脱退が始まり今日に至るも後を立たないどころかマサノブ爺とジュンコ婆の「隠れ共産党員」・「隠れ統一教会員」の正体が判明し、信徒脱退は更に加速されてしまった。しかし、マサノブ爺とジュンコ婆は“教勢衰退”と“教団赤字”の責任は何も感じてはいないのである。むしろ信徒の大量脱退を喜び、信徒数を500人程度へ縮小しようとしているのである。マサノブ爺とジュンコ婆の存命中は絶対倒産しない信徒数500人くらいであるが、その資産は1000億を越す財政的超優良宗教団体 を目指している、このような実態を信徒たちは見抜かなければならないのである。
3、 キレイゴトの美辞麗句は更に続く、――世界平和の実現のために『自他一体の愛の実践として、肉食を控える 5、 地産地消、家庭菜園、手作りなどを実践する。 6、 地球温暖化を促進しない生活を心がける。』のだと。実態は、マサノブ爺とジュンコ婆の個人的ママゴトという優雅な趣味の宗教貴族生活を満喫するだけである。この環境運動の性格は「現象世界の物的破壊行為に対するに、これまた物的手段で相対する」と言う唯物論者の考え方である。宗教団体ならば、現象世界の状態を改善するには、その根本的原因の除去から始めなければならない。唯物論的生活価値観(物主心従・肉主霊従)から生命的生活価値観(心主物従・霊主肉従)への根本的転換を図る人類社会の思想転換である。この一点に集中しなければならない。これを為してきたのが開祖・谷口雅春先生時代の『ホンモノの生長の家』の運動で、実際の大きな成果を上げ教勢は大発展を遂げたのである。真理の大道を進んできたからで、現今のごとき“信徒の大量脱退”などは絶対的に起きない宗教体質が保たれていたのである。
<結論>
1、狂乱総裁マサノブは「法燈継承」をでっち上げ、時代が変わったのであるから「教え」の内容も変える、という美辞麗句(環境保護、新ライフスタイル、世界平和への貢献)で誘導的に信徒を洗脳していった。そして最後は「生長の家」とその『御教え』を完全解体する「共産党工作員」の正体を現した。「狂乱総裁マサノブの追放」こそが、現下の急務である。
2、 信徒の堪忍袋の緒は切れた!こんな開祖に対する恩知らずの総裁・超高給を蝕む理事参議はもう要らぬ! マサノブ総裁および最高幹部の追放を信徒の力で! 聖使命会費の一時休止と 講習会受講券購入拒否と マサノブ講習会参加拒否を、そして更に「誌友会」の一時休会を!
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