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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[4857] <再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第165回
信徒連合 - 2016年09月01日 (木) 08時05分



<再掲示> インターネット道場―― 「正統・生長の家」と「マサノブ教」との比較(どこがどう違うか) 第165回

マサノブ君は、「生長の家ってどんな教え?」という本を書いています。これを読んでみますと、「マサノブ教ってどんな教え?」というタイトルが正確であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎して、マサノブ君の個人的思想、―――サヨク唯物現象論に基づく環境問題が中心のもの、―――が「生長の家」の教えとして書かれているのであります。 最も重要な開祖・谷口雅春先生の大悟徹底(お悟り)や「生命的国家論」や真理の証し「体験談」、霊と霊界に関する事柄については全く書かれてはいないのであります。

「生長の家」の本当の『御教え』を知りたい人や真剣な求道を志す人たちにはマサノブ君の「今の教え」や「生長の家ってどんな教え?」は誤ったメッセージを送ることになっています。

また、本部公式サイトのインターネット講師による「生長の家」の普及宣伝を目的とする「インターネット・ポーサルサイト」では、マサノブ君は、全インターネット講師に『このブログは「生長の家」の真理普及のために開設しましたが、内容や発言は、すべて私本人の責任において書いています。 従って、私は「生長の家」を代表する者でもありませんし、私の発言が「生長の家」の見解ではありませんので、ご了承ください。』という一文を必ず掲載させております。誠に“奇々怪々”な文章であります。その結果として、本部公式サイトでありながら、殆んどのインターネット講師の真理普及のためのインターネット講座が、個人的な“私生活日記”の報告となってしまっています。

インターネットは全世界に公開されているものです。だから、開祖・谷口雅春先生が説かれた「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えしなければならないのでありますが、マサノブ君はその責任を放下してしまっているのであります。

そこで、本当の霊的真理を求めておられる御縁ある未信徒の人たちに正しい「生長の家」の『御教え』を正しくお伝えする為に、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の根幹である部分を、何回でも何回でも繰り返して掲載して行く必要があります。この様な目的を以って、この「インタイーネット道場」を最初から再び<再掲示>させて頂きます。



******************


(「生長の家 今昔物語」の比較篇を転載)


(注)この比較篇が作られたのは、6年前の平成21年でした。当初の頃は「谷口雅宣先生」と敬称で書かれていました。しかし、平成28年の現在に於いては、“敬称”で呼ぶ値打ちのない人物と成り果てました。しかし、この転載文に於いては、原文どおりの「谷口雅宣先生」として転載いたします。





<生長の家地上出現の意義と目的について>



「今の教え」における意義と目的

(1)生命礼拝の日時計主義による明るい生活
(2)国家を超え、民族を超えた信仰による国際平和
(3)時代即応としての地球環境の保全と回復



「本来の生長の家の御教え」における意義と目的

(1) 生命礼拝による人類生活光明化
      すなわち「個人」の救済(成仏)・個々人の生命の実相の顕現

(2) 日本国実相顕現(真理国家・日本の建設)
      すなわち「国家」の救済(成仏)
           日本国家の生命の実相顕現と天皇陛下の生命の実相顕現

     一口でいえば「古事記」神話に示されたる桃の実三個の生命の実相顕現



このように、第三代目・谷口雅宣先生の目指すところは、開祖・谷口雅春先生の目指された方向とは表現のおよび内容ともに大きく変化したものとなっている事が判るのであります。


 谷口雅宣先生は、開祖・谷口雅春先生によって生長の家の御教えが地上に出現した昭和初期の昔と平成の今の時代とは時代背景が実に大きく異なっている。即ち、昭和時代は世界的に言っても国家主義・民族主義・植民地獲得競争・戦争の時代であった。しかし、平成の今日という時代の日本は、国内的には凶悪犯罪も毎年減少し続けている極めて平和な社会状態であり、国際的には国家を超え民族を超えた世界的グローバリズム多国籍企業・インターネット環境の時代であり、地球環境悪化による人類社会滅亡化が懸念される時代である。このような時代に即応して宗教自体も自己変革を遂げねば時代から取り残され衰亡していく。故に、生長の家自体の存在意義と目的も変化していかねばならない。普遍の真理は常恒不変なれども、その表現の方法は時代の変化に応じて変えて行かなければならないと常に説かれ、生長の家の目的もこの様な表現に替わったのだといわれるのである。



 では次に、「今の教え」と「本来の生長の家の御教え」それぞれの<意義と目的>をより詳しく「比較・解説」して参ります。

            
<比較・解説−1−> 「今の教え」における意義と目的

第三代目・谷口雅宣先生は、「信仰による平和の道」の中で大要次の様に説かれています。

・ 生長の家は「原理主義」ではない。即ち、時代の変化の事を考えずに、常に開祖・谷口雅春先生の書かれたこと・言われた事を、そのまま一言一句その通り繰り返して説きかつ実行するものではない。

・ 真理は、普遍的な変わらないものではあるが、具体的な運動の展開の方法は、時代の変化に応じた内容のものへと変わって行くものである。

・ 現代はナショナリズム(国家主義・民族主義)の時代ではない。愛国心は大切である が今はそれを強調する時代ではない。今や一国のみの繁栄を目指す時代ではなく、地球上の生命体全体の繁栄を目指す時代へと大きく変わった。地球上の人類をはじめ生命体全体にとっての喫緊の課題は地球環境の保全と回復である。これが神の国の構図を現象世界にあらわす時代即応の運動である。

・これまでの時代は、今の世代の人間の幸福を第一とする哲学や価値観の時代であった。これからは、今世代の人々は次世代の人々に責任を持つ「世代間倫理」を包含した宗教的信念に基づく新しい価値観の確立が必要とされる時代である事を認識しなければならない。

・ 「世代間倫理」を含めた「新しい価値観の確立」は、谷口雅春先生が説かれた「人間・神の子」「実相独在」の教えと同じものであって御教えの原点である所の「まず神の国があって神の子がいる」という真理を時代の要請たる世界平和の実現と地球環境保全回復運動を通して伝え広めて行く、これが現代生長の家の目的とするところである。

・なお、誤解のないように気をつけて頂かねばならぬ事柄がある。それは――

(イ)国家を超え・民族を超えた「国際平和信仰運動」といっても、無国籍の国際主義ではなく、国家間の世界平和ということ。

(ロ)今までの「人類光明化」とは、人類全体を悟らしめること・人類全体を教化するというものであったが抽象的で具体的ではない。そこで具体的な分かり易い「世界平和」と「地球環境」という時代即応の表現に変えただけである。本質においては、谷口雅春先生の目指された内容と少しも変わるものではないのであります。



<比較・解説−2−> 「本来の生長の家の御教え」における意義と目的

(1) 「生長の家」出現の精神(昭和5年・「生長の家」・創刊号)

「人類は今、危機に瀕している。生活苦が色々な形で押し寄せて人類は将に波にさらわれて覆没しようとしている小舟の如き観はないか・・・自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照らさずには置かない。此の火は天上から天降った生長の火である。自分の身体が燃え尽くすまでローソクのように自らを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。」

(2) 立教の使命とする人類光明化運動(人類光明化指針第3-4条)

「神の子としての人間なるものの本当の相」を凡ての人々のうちに開顕し確立することによって光明化する運動である。自由・平等・人権・民主主義・世界平和・政治・社会・労働・教育すべてみな人間なるものの実体の確立なしにはあり得ない。生命の尊重が今日ほど激しく叫ばれたことは無いに拘らず、今日ほど生命が無視されている時代はない。此の矛盾混乱は、人間なるものの本当の相を見失っている所から発する。機縁は生老病死のいずれであろうと必ず人間・神の子の自覚の確立に導入することが、光明化運動の本旨である。

(3) 立教の使命は日本建国の理念の現成にあり(人類光明化指針第5条)

開祖・谷口雅春先生は、昭和42年度青年会全国大会の御講話で、・・・

「従来の宗教というものは、単に個人が悟りを開く、そして自分の生活が良くなるとかという問題も無論、人間を救う上では必要ではあるけれども、さらに国家の成仏ということが出来る宗教でなければならない。国家の成仏とは、お釈迦様が示された金波羅華の世界のその秩序整然たる相にこの世界を成らしめるという事です。この世界が金波羅華の世界・蓮華蔵世界・蓮華の荘厳なる相であることを地上に完成する。そうすると地上の国家が成仏して、言い換えると実相の世界そのままに成ると言うわけです。これが、新しい宗教の使命でなければならないのであります。」(この御講話と併せて「人類光明化指針・第5条の内容をじっくりとお読みください。」




<注釈コメント> 



「今の教え」の中にある唯物的世界観


(1)果たして、時代は変化したのか?

第三代目・谷口雅宣先生は次の様に説かれる。(大意)

「 生長の家発祥から次第に信徒が増えていった時代は、日本が戦争をしていた時代で国家主義・民族主義・植民地獲得競争の時代・ブロック経済の時代であった。この様な世界情勢を背景にして生長の家の御教えが生まれ出た。しかし、現代世界はグローバリズムという世界観の時代であり、日本も今は戦争をしていない長い平和の続く時代であります。物質科学・再生医学も進歩しつつあり、日本社会も極めて安全な社会となっている。かくのごとく時代は根本的に変わったのである。」

しかし、この見方は全くの唯物論的評論家の鑑識眼と同じなのであります。しかし宗教の世界における最重要問題は、人々の病・脳・苦を救うことなのであり、この立場で日本を・世界を眺めますと、立教当初も現代も人々の病・脳・苦は決して軽減されているとは言えず、逆に世界同時の急激な景気後退下の日本の昨今は、人々の先行き生活不安は募りストレスは増幅し心身症患者・自殺者の増加や経済的社会格差が拡大を続けている。・・・この様に宗教の対象とすべき人間の心を中心に観る限り、時代は何も変化していないのであります。

この様に考えますと「今の教え」は正に唯物思考中心に近いものと言えるのであります。


(2)「今の教え」は<心の世界における運命の形成>を重視していない。

開祖・谷口雅春先生の御教えは、「自己を一切者とする自覚の教え」換言すればすべては自分の心の影とする徹底的自己責任の教えであります。人間・神の子、人間は神の最高の自己実現であるという自覚は、「一切は自分の責任、自分以外の何者の責任でもない」という自覚であります。

諸悪・不幸のすべては、責任を他に転嫁するところから始まる。家庭も環境も運命も社会も政治も国家も世界もすべてみな自分以外の他の何人の責任でもなく自分自身の日々の念々の想いと祈り(心の奥底深く想うこと)と行動の内にある。

「生命の実相」第1巻第4章<心の世界における運命の形成>に於いては、大要次のごとく説かれています。

<<小さきは個人の災難や病気や不幸な出来事、大きくは災害・戦争などは、最初は「念の世界に造くられる個人の念や想いが物質世界へ映って現実化するのである。この法則を三界唯心所現の大原理という。従って現実の不幸な出来事を回避する道は、「念の世界」にまだ事件があるうちに、それに修正を加えておくことが最良の根本的解決法であり、これこそ「悪運を避ける唯一の根本的解決法」なのであります。かくする事により我々は自己の運命を支配することが出来るのであります。>>

しかしながら、「今の教え」においては、この様な「心の世界における運命の形成」には具体的・重点的には説かれてはおられず現象・物質・肉体中心の感を持ちます。


(3)谷口雅春先生の御教えは「中道実相」の教えであります。これが正しい把握です。

しかしながら谷口雅宣先生は、開祖・谷口雅春先生の御教えは国家主義・民族主義・国粋主義だと考えておられます。このことは、谷口雅宣先生の指導の下に作られた「日本教文社の新出版方針」を見ると明確に判るのであります。

私たち信徒が決して忘れてはならない事は、谷口雅春先生の御教えは「無の関門」を超えて<久遠を流るる生命>の世界に自己生命で以って直接に触れられた霊的実体験、哲学的表現をすれば「絶対実在の絶対認識」によって実在の実相を直接把握して最高のお悟りを得られたということであります。

従って、物質・肉体が実在すると考えている唯物論思考の世間常識で使われている国家主義・民族主義・国粋主義とは完全に無関係であり、全く思考の次元が異なるものであることが理解されなければならないのであります。


「実相金剛身の神示」にある<<実相世界には只一つの国があるだけである。その国は日の本と名ずけられている。ただ一人の君がいまして高天原を治しめている。>>この表現の御文章は、現象世界の日本が全世界の国々を武力侵略し併呑・占領して全世界を日本一国が統治するという唯物論的なことを言っているのではないことは、谷口雅春先生の御教えを全相にわたって理解すれば容易に判ることでありますから、その表現の言葉が誤解されないように説明することは法灯継承者としての役割・使命であると考えられるのであります。


 第三代目・谷口雅宣先生は、<<「民族を超え・国家を超えて」と言う考え方は、無国籍の国際主義ではない。即ち、世界統一政府や世界市民思想ではない。日本を含めた世界各国の実相が顕現することは、世界平和のために必要である。(大意)>>と、「信仰による平和の道」の御著書の中で説かれています。

とするならば、日本国実相顕現は必要な事柄でもあり、それがまた世界平和へとつながって行くのでは?となりませんでしょうか?

であるに拘わらず「日本国実相顕現」と言う事を最近では全然説かれず、専ら地球環境と日時計主義の二つを重点的に説き進められている事に疑問と違和感が生じてくるのであります。

やはり、谷口雅宣先生の本音の目標は、世界統一政府の樹立と世界市民意識による国家と民族意識の抹消にあり、本当の究極の世界平和は、国家意識と民族意識のあるうちは達成できない。従って、愛国心は醸成する事も好ましくなく、反対に、世界市民意識の涵養こそ大切なりと考えておられると推測せざるを得ないのであります。


以上、一口に纏めますと

開祖・谷口雅春先生の自覚された生長の家出現の使命と意義と目的は雅春先生が「無の関門」を超えられて<久遠を流るる生命>に直接触れて悟られた実相宇宙の根本構図を基礎にして説かれたものであります。

これに反して、第三代目・谷口雅宣先生の説かれる21世紀という現代における生長の家の使命と目的と言うものは「無の関門」以前の唯物論世界の肉体頭脳知による唯物思考から出て来ているものであって、全くの対極にあるものと言えるのであります。



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