| [5116] 遥かなる追憶<第十一部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (5) |
- 遮那王 - 2016年09月18日 (日) 10時10分
遥かなる追憶<第十一部>、「変装マサノブ」の「生長の家」解体実行の証明語録 (5)
@ 「生長の家」信仰に於いては、“教義の研究・議論”は邪道である。必要ない。
A 真理は、肉体頭脳による理論・理屈・分析でわかるものではない。何時までたっても、堂々巡りで真理の奥堂へ達することは出来ない。
B 自己生命そのもので、真理の奥堂に達するには三正行(聖典読誦・神想観・愛行)の実践である。
◎ あらゆる宗教的経典は、それが真に生命のあるものである限り、必ず霊感によって書かれたものである。霊感によって書かれたものは、ただ、霊感のみこれをよく解釈し能うのである。いかなる博学者も、ただ語義のみを知って霊感なきものは、真に経典の生命を捉えない。生長の家は霊感によって、仏教といわず、キリスト教といわず、日本神典といわず、あらゆる尊き経典の神髄に透徹してこれを拝むのである。
「変装マサノブ(偽)総裁」は、いつまで経っても真理を生命的に直接把握は出来ない。
以下、その“屁理屈語録”の数々を一回に付き5個程度づつ掲示する事にする。いづれも開祖・谷口雅春先生の『御教え』批判の連続である。この様な理屈こきでは衆生救済は具体的には出来ない。頭デッカチ・マサノブ、何おか況や!!
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● 5808 :疑問=マサノブ:2015/09/29(火) 08:16:50 ID:NaAec0Zc >唯心所現の真理から考えれば病気は悪しき心(業・罪)の影であり、>唯神実相の真理から考えれば悪しき心(業・罪)などない、ということになります。>生長の家の縦横の真理は、どちらもとても大切な真理なんですね。ーーー人を非難する時は横の真理を使い、自己弁護する時は縦の真理を使うのでは?
● 5810 :疑問=マサノブ:2015/09/29(火) 08:45:27 ID:NaAec0Zc >「迷い」はどこから来たと言われる方が往々にありますが、どこから来たということが答えられるくらいならば、「迷い」はあることになる、「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、それが現実界の実際の状態であります。>こういう人たちはその反駁の根拠を現象界に置いて、いろいろのことを言ってくるのです。>「心が病気を作る」ということが分かれば、自分の心をコントロールすることがどれだけ重要かがわかります。ですが、谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました。−−−「唯神実相」の真理を悟るまえのa hopeさんが自分の心をコントロールできずに、反駁の根拠を現象界に置いて、総裁は現象相手の運動をしているといつも述べているから、総裁の今の現実があるということになります。しかし「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、と云われる。迷いの出所は自分の心であるからコントロールがどれほど重要か判る、といいそれは谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました、という。では自分の心のコントロールの出来ないあなたが現象の総裁の生き様を批判する根拠は何なのでしょうか?
● 5812 :疑問=マサノブ:2015/09/29(火) 09:07:31 ID:NaAec0Zc >その本来無い「現象世界」で、本来無い「肉体」を抱えて生きているわたしたちは、本来無い「迷い」に振り回せれて、憂苦懊悩している・・・。>うーん。やっぱり、一日も早く「生命の実相」を悟らねばいけませんね〜!ーーー 一生懸命努力して4,5年経ってもこの感想、実際のところ4,50年キャリアの方でも同じ心境ではないのでしょうか?迷いはないと悟った方が、迷いの産物の悪現象を相手にする訳が無いでしょうから。私の所へも現象を証拠に反論してくる人がいるけれど、と雅春先生が言われているのに、現象を根拠に非難しまくりなのが本流派と自認する人たちでしょう?
● 5813 :疑問=マサノブ:2015/09/29(火) 09:42:57 ID:NaAec0Zc >たとえ、現象界に地上天国が出現したとしても、それはあくまでも実相世界の写真(うつし)に過ぎないのですね(;´∀`)「現象は無い」のですからそれはそれであたりまえのことなのですが・・・。ーーー 人間は何処で生きてるのでしょうか?この現象世界は単に映しの世界として存在するということですが、五官で自分が感じているという意味ですか?実相世界と云うところで、具体的に生きているのでしょうか?五官で諍いの生活をしているように見える時に、実相世界ではどんな生活をしているのでしょうか?普通は五官の認識を通して自分の行動はされますね。現象本来無しという言葉、は五官を使う実際の生活の上でどのような意味になるのでしょうか?非難されるような行動をしているとの判断は五官を通しての判断ですね、その五官は肉体についているものです、そのような判断の正しいかどうかの判断は何処でされるのでしょうか?よき現象と云っても自分にとってのものですが、それを映し出すのもこの肉体、五官を使って映し出すのですよね、そうしますと純粋に実相世界と云うところで具体的な生活を人間がしていて、それを単に五感で感じているというものではないようです?自然界の木々は心でもって現象の自然を映し出しているわけでもないでしょう?人間が何処でどのようにして生きているのか?これが気にかかります。
○ 5815 :トキ:2015/09/29(火) 10:21:31 ID:ksUeryWU 少し時間がないので、簡単に。 例えば、中華料理店に入って、餃子を注文したのにラーメンが出てきたら、「これは違うよ。」と普通は言います。そう指摘することは、別に、他人を 攻撃する事にはなりません。ましてや、人間の実相を見ない事でもありません。それに対して、中華料理店の店主が、それに応じないのなら、それを説明する義務が生じます。 社会通念という観点からは、説明をする義務の所在を考える事が大事だと思います。 現在の教団の方針は、伝統的な谷口雅春先生の解釈から違っています。当然、それに納得しない人は、「現在の教えは、過去の谷口雅春先生の教えとは違っている」と指摘します。これに対して、教団は、「いや、これは谷口雅春先生の教えを現代風にアレンジしたもので、基本的な部分は同じです。」と抗弁をします。この場合も、教団側は信徒や社会に対して、それを変更した理由をきちんと説明をし、納得してもらう義務が生じます。 教義の解釈の大幅な変更を含めて、現在の方針の変更の多くは、教区の人間の預かり知らないところで決まる事が多いです。これに納得しない人が疑問の声を上げる事は、別に普通の事で、悟りの云々とは関係はありません。 生長の家が、あくまでも谷口雅春先生の教えが基本である、というのなら、教団側はこの義務から解放される事はないと考えます。 疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと離れていないと説明することだと思います。
● 5816 :疑問=マサノブ:2015/09/29(火) 11:22:25 ID:4q2kCbp2 >>5815 私ははahopeさんの引用並びに感想への疑問を述べているのです。教団の解釈が伝統的解釈と違うということはどちらでもいいのです。真理は生きなくてはなりません、その生き方に於いての疑問を呈しているのです。どちらが正しいかということを論じているのでなく、伝統的解釈とあなたが云うその生き方そのものが、どのように生きれば矛盾が無いのかを、今の本流派を自認する人に問いただしているのです。教団内で10年、本流を造って10年、20年かかって統一した生き方が出来ない、それでいて真理を悟れば本来の良き世界が出て来る、という話に聞こえるのです。20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方を、相手方に答えを求めてどうするのですか?教団側は好きにすればの態度であるのでしょう、であれば本流を自認する側が真理を生きることにより不完全と見えることの解消をするしか仕方ないでしょう。そんな意味で真理を生きるという事がどんなことか聞いているのです。私はよき結果が出ていないことの原因は何処にあるのかを聞いているのであって、出てない以上本流を名乗っていても正しく真理の実践が出来ていないのではないか?との疑問から発議しているのです。真理の実践は誰かに求めるものでなく自らするのが当たり前の事ではないですか?
<特別コメント>
* 本当に、マサノブという人間は「理屈達者」であって、このような理屈好きの人間は、永遠に真理の奥堂へ直参する事は出来ない。ああ、哀れなる哉 その名は、「マサノブ」!
* マサノブという人間は、過去世からの因果で、今生では「理屈好き・反日の破壊思想」をもって生まれ、更に「類は友を呼ぶ」法則によって、強力な悪霊の闇黒の棲み家となってしまった。全面的な「神性隠蔽」から脱して「神の子の實相真理」に目覚めるまでには、幾多の輪廻転生過程を経なければならないだろう。ああ、哀れなる哉、その名は、「マサノブ」!!
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