| [6244] <再掲載> インターネット道場・「生長の家」信仰体験談の重要性と感激的体験談の数々 第194回 |
- 信徒連合 - 2016年12月26日 (月) 09時31分
谷口雅春先生の体験談に関する懇切なる説明――
@ 『 生長の家には体験談というものがありまして、誌友たちが御自分で、私の書いた『生命の實相』をお読みになりまして真諦を握られた結果、法爾自然(ほうにじねん)に実際生活に現われて来たところを御発表になるのでありまして、・・・『生命の實相』を読んでも必ずしも全部の人の病気が治っている訳ではありません。治らないような例外もあります。然し、それでも実際無数の多くの病人の治った体験談がある以上『生命の實相』を読んで病気が治ると云うことは、例外があって綿や埃が空中に舞い上がることが在っても『物体の落下』を原則として肯定しなければならないと同じように肯定しなければならないのです。読者のうちにはお蔭を受けて感謝の心は有(も)っているが、その体験談を発表することを何かつまらないことようにご遠慮なさる人があるかも知れませぬが、体験記録は人生という実験室に於いて真諦(しんたい)、即ち本当の真理を握ったら、世諦(せたい)がこんなに成就したと云う体験を蒐集し積上げて整理して行くことによって、こんな心を持てば斯うなると云う科学的に重大なる真理を立証する事実を寄与して下さるわけであります。酸素と水素を結合させたら水になったと云う体験記録の発表も尊いことでありますならば、人間というものに生命の實相の原理を加えたら斯う云う結果を得たと云う体験記録の発表は尚々重要なことであります。』
A 『 宗教が科学に近づく道は体験記録の蒐集であります。 心に神の無限供給をハッキリ自覚したら自然法爾に自分の行ないも整うてき、人からも好感を受けて、それが形の世界に無限供給として現われてくるということが皆さんの数々の体験によって実証せられまして、それが体系づけられましたなら、それは一つの科学だということになるのであります。科学というものは何も必ずしも目に見えるもの、物質だけの実験による体験記録でなければならぬということはないのであります。目に見えない材料、心の材料というものも、その体験をずっと重ねてゆきまして、それを一貫した法則があるということが発見されましたならば、それは精神科学の法則だということになります。この精神科学の法則というのを、生長の家では「心の法則」とこう言っているのであります。これを、宗教的用語で言いますならば「三界は唯心の所現」という釈迦の言葉や「汝の信仰なんじを癒やせり」というようなキリストの言葉となって表現されるのであります。キリストが「汝の信仰なんじを癒やせり」と言っておられるのは、キリストが縁となって病人の信仰が喚起されて、その信仰のカで病気が治ったとこう言っておられますのですが、「病気」というものは、必ずしも肉体だけの病気ではないのであります。』
★★ 信徒の信仰体験談を無視して取り上げないマサノブ君は「総裁」と言う名に値しない者であります。
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大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(35)
「この病気は、この心の迷いの影」などと 「迷い」をいちいち詮索すること勿れ。 「迷い」本来無ければ 「迷いの影も」本来無し。 「この病気は何の罪の結果ならんか」と 罪の種類をいちいち詮索すること勿れ。 罪本来無ければ、 罪の種類も本来存在せざるなり。 汝ら存在せざるものを追うこと勿れ。
慧可(えか)禅師が達磨大師に「私の心が迷ってどうにもやり切れません。この迷いを断ち切るにはどうしたら宜しゅうございますか?」とお尋ねしたとき、 「汝の迷いをわが前にもち来れ。われその迷いを断ち切らん」と達磨大師は仰せられた。
慧可はその迷いを持って来て達磨大師に見せようとして、迷いは何処にあるかと自分の全身を顧みて捜して見たが見つからないので、 「もとむれど遂に得ず」と答えた。
すると達磨大師は、 「そら、お前の迷いを断ち切ってやったぞ」と仰言ったという話は前にも書いたことがあるが、迷いを肉眼で、自分の身体の何処かについているものかと思って慧可が捜して見たが見つからなかったなどというのは、これが実際なら、まことに“オトボケ話” であるけれども、結局これは象徴的神話としてみるとき、「迷い本来無」の真理を説いた深遠な物語だということが出来るのであります。
『法華経』の“安楽行品(ぎょうほん)”には、 一切の諸法は、空にして有る所無し。 常住(じょうじゅう)有ること無く、亦(また)起滅(きめつ)無し。 顚倒して、諸法は有なり、無なり、 是れ実なり、非実なり、 是れ生(しょう)なり、非生なりと分別す。 閑(しずか)なる処に在りて、其の心を修摂(しゅうしょう)し、 安住して動かざること須弥山(しゅみせん)の如くせよ 一切の法を観ずるに、皆所有無し 猶(なお)し虚空の如し、堅固なる事有ること無し。 不生なり不出なり、不動なり不退なり。 と示されているのであります。
この一切の諸法の“法”というものは、存在すると見える「一切のもの」の漠然たる総称であり、英語で謂えばthingに当るのであります。諸法というのはall thingというものに当ります。その「一切のもの」なる“法”を仏教では“色法(しきほう)”と“心法(しんぽう)”との2つに分けております。
“色法”というのは“物質として分類さるべきもの”であって、“心法”というのは“心として分類さるべきもの”を指します。「一切の諸法」とはこの色法も心法も、簡単に謂えば“物質”も“心”も一緒にくるめて、という意味であって、 「一切の諸法は、空にして有る所無し」といえば、色法も心法も即ち“物質”も“心”も空であり空しくして、あるかの如くあらわれて見えているけれども、本当はあるのではないと否定されているのであります。「心も無し」とわかれば自然に“迷い”も無いとわかる筈であります。
また法華の3部経の最後の経巻である『観普賢(かんふげん)菩薩行法経』には、 “心を観ずるに心無し、顚倒の想(そう)より起る。此の如き想の心は妄想より起る。空中の風の依止(えし)する処なきが如し……” とありまして、やはり“心”もない、それは“顚倒の想”から起る。“顚倒の想”というのはサカサマの想(おもい)、すなわち“無いもの”をあると逆に思い、“有るのも”をないと逆に想うから、そう見えるので、そう想っている間だけ、“迷い”もあるかのように見える。それは恰も、空中に風が吹くとき、吹いている間だけは風は「有る」かの如く見えているが、風があるかと思って、手にとって見ると、もうその風はない。“迷うの心”というものも、そんなものじゃというのであります。
次に掲げるのは昭和45年6月21日、山形県村上市の市民会館で生長の家の講習会が催された時に、米沢市窪田町の石川庄六氏(当時51歳)が壇上に立って話された、米の減反政策で迷っている農家の人の練成によって「迷い本来無し」の心境に到達して病気も消え、経済問題の悩みも解決した体験談であります。
皆様、有難うございます。 私は米沢市の石川と申します。素晴しい御教えを受けまして、日一日とその生き甲斐を感じ、私の価値観を覚えておる者の一人でございます。今回、先ほども、教化部長先生から御紹介、お話がありましたが、山形県において、素晴しい道場を建立して下さったのでございます。その第1回の練成会における体験談を発表させて頂きます。
皆様も御承知の通り、お米が余っているのでございます。その影響が、農家の経営の中に色々な問題として投げかかっているんでございます。私の近い親戚に吾妻啓君と申しまして今日この席に御夫婦で来ておいでになりますが、この方の家庭は、お父さんが10年来病床に伏し、それを看護するお母さん、そして、1町2反の耕作面積なるがゆえの異状量の労力に耐え、加えて家族の生計の資にするために近くの会社にも勤めておられる奥さん、それに4年生になる長女との5人家族でございますが、彼は将来の自分のあり方、自分の経営のあり方をとくと考えられて、この際、政府の施策の中にある生産調整などとからんで、転業しよう!職をかえようというような重大な問題を、私に相談して来られたのであります。
しかし御両親は、永代の、長年の農家のあり方、それに執し、愛し、なかなかそれを踏み切ることが出来ぬ、それと共に御本人も、やっぱり自分の将来の問題、それから自分の職業を選ぶ問題などにおいて、なかなかその決着に苦しんでおりました。私も当然その通りでございました。
私は、祈りました。ふと4月15日から練成会だ!と思ったのでございます。そいで早速、御本人を私の家に呼び、また私も彼の家に出向いて、諄々(じゅんじゅん)と話をしたのでございます。しかし、春はどんどんと日が早く、農家の庭先に、もういろんな仕事が待っているんでございます。
そしてまた、彼も1町2反を作っておりますが、今回転業してもいくらかの田を残してやらなければ、両親も納得ゆかない。そしてまた、自分の転職した後の不安もありますので、その仕事にも決着をつけんならんというようなことで、いよいよその土壇場に来たのでございます。
私はこれだ!この練成会にどうあっても連れて行くんだ!というふうな決意をしたのでございます。そしてかりに、「どうしてもこの練成会に行かなければ、私はその責任をもてない……」と強い断(だん)を迫ったのでございます。彼は考えたすえに、快諾して下さいました。
そして、忙しい仕事を別にして、その練成会に参加することになったのでございます。4月14日、私が退庁する午後5時半の下りで、道場に行く約束をして帰って来ました。私が、みんなが退庁された後に、彼を待っていましたが、なかなか来ません。私も早速、誰もいない事務室に正坐しまして、彼の上に神の光あり、そして私が彼について随いて行くために、役所の上司に、「私が曾て怪我をした時の湯治に行って来る……」というふうな偽りを申したことを謝しながら、一心に『甘露の法雨』を読誦させて頂きました。そして読誦が終ってふと駅に行きましたら、彼がそこに立っておりました。
それで、「どうして貴方は、私の事務所に来なかった?」と申しましたところが、「明日から5日間も家を空けるので、どうしても時間がいっぱいで駅に真直ぐに来た」ところが私が来ないので帰ろうと思ったそうで、危機一髪でございました。2人が神の力によって素晴らしい道場の門を入らせて頂きまして、一夜過ぎて次の日から、本格的な練成になりました。そして、自己紹介となりまして、彼は、どうしても体が震えて汗が出て、「迚(とて)も出来ない……」というので便所に行ったのでございます。まあそういうふうなことで、その晩も私は考えました。
ここで彼を置いて行けば、せっかくここまで来たこの神の導きを、完全に消化することは出来ない!如何に私が勤める身であってももう一晩というふうなことで、早速事務室に行ってその手続きをなし、役所の上司に電話してもう一晩と申し、また家へもそのことを申して、第2日目になったのでございます。あの第2日目の素晴らしい感謝行の中で、心のごもくをけずるあの修行を目の前にして私は、ふと彼をみつめてみましたところが、なかなか一所懸命ではないのでございます。
その時、私は意を決しました。やっぱり彼のために来たのではなく、私が研かれるためにこの道場へ来たのだ!彼をなおしてやろうとか、どうのこうのというような人のことを言っておったのでは、とうてい駄目だ!私が一所懸命やらなければ!!というふうなことで、最後の日まで、この道場にいることを決したのでありました。
そして第1日目と同じ道場の事務室に参りまして、その手続きをし、また上司に対して家族に対して電話でそのお願いをして2日目の朝から、もう清々しい気持で練成を受けたのでございます。 ところが朝から彼が、私の傍で、「鼻が垂れて困る、鼻汁が垂れて困る。どんどん垂れる。もう御講演を聞いておっても、神想観しておっても垂れる」。私は、“今度はなおった、今度は素晴しい”と内心思いました。
彼が今まで何十年か頭が痛くで、人に会うのがいやで、私の家に来るにも、隣の家へ行くにも、少し酒でも飲まなければ迚(とて)も喋(しゃべ)られないというような状態でございました。そしてそれが、早く治りたいために、米沢市立病院に行き、精密検査を受け、そして、脳波の検査を受けたのみならず、薬局へ行って高い薬を使い、米沢の有名な漢方から素晴らしい高い薬を買って、年間十万からの薬代を払って来たそうです。にも拘らず、「ちっとも良くならないのが、あの3日間の練成において、鼻汁が垂れてたれて頭が軽くなって来た……」と申しました。
本当にその結果、4日目には素晴らしい自発的な体験をされまして、完全に良くなり、そしてまた、家に帰っても道場の行事を続けられ、素晴しい職を与えられ、家族全部聖使命会員とされて、今、素晴しい転業をなさって、素晴しい給料で勤めておられるのでございます。
私もお蔭様で神の導きによりまして、当事務所において、同じ事務所の中で役職につく場合に、同じ職場からは出来ないことになっているのでございますが、はからずも神のお力によりまして、この異動によりまして、係長の昇格を神から頂いたのでございます。本当に有難うございました。(拍手)
──以上の体験談の中で、「心のごもくを削るあの修行」とあるのが、“迷いの心“本来無しと、その迷いの心を削り去る感謝行のことであります。
「迷い」をあるとして、その「迷い」をどうして取り去ろうかと苦心惨憺(さんたん)するより、「迷い本来無し、ただ神の恵みのみある」と心の向け方を1転回して、既にある神の恵みに感謝する実践をすれば、“本来無い”ところの“迷い”は消えてしまうのであります。“迷い”が消えると“迷い”の産物である病気も消えてしまうのであります。米作減反のことで頭を悩ましていられた石川庄六さんの親戚の吾妻さんが、石川さんに連れられて練成会に来て、その“迷い”の心が消えて行くに従って、米沢市立病院の治療や色々の漢方薬でも治らなかった慢性の蓄膿症と思われる頭の重圧感が、練成を重ねるに従って洟汁(はなじる)が無暗に流れ出て、また流れ出て、その結果、自然に、たった4日間でこの慢性の蓄膿症的病気が完全に治ったというような体験が出ているのであります。
“迷い”が消えるに従って、今まで慢性的に持続していた症状が急性的に一変して、このように治るのを「迷いの自壊作用」と吾々は名付けているのであります。「迷い」の深さにしたがって、その急性的症状がひどい場合もありますが、「迷い」の浅い場合には、自壊作用的症状があらわれずに、病気が消えてしまう場合もあります。
次に、この経には、「罪本来無し」という真理がつづいて説かれているのであります。キリスト教会では往々、人間を“罪の子”だといい、イエス・キリストだけが罪なき“神の子”だと説くのでありますがイエス・キリスト自身は決してそのようなことを説いているのではありません。
イエスが生れつきの盲目の少年の眼をひらかしたとき、ユダヤ人がその奇蹟に驚いて、その少年に「お前の眼は誰が治したか」と問いますと、イエスを指さして「あの人が私の眼を見えるようにして下さったのです。あの人は“神の子”です」と証言します。
ユダヤ人はイエスを見て「あれは大工ヨセフの子ではないか。“罪の子”ではないか、“罪の子”を“神の子”と詐称(さしょう)する者は、神を瀆(けが)す者である。石で打ち殺すべし」といってイエスに迫って来たときに、イエスは「聖書には、“汝らは皆至上者(いとたかきもの)の子なり”と書いてあるではないか。聖書の言葉は廃(すた)るべきものではない。永遠に真理であるのだ」と答えているのであります。
当時の聖書というものは、まだ『新約聖書』ではありませんから『旧約聖書』のことであって、その「詩篇」第82篇6節には「我いえらく、なんじらは神なり、なんじらはみな至上者(いとたかきもの)の子なり」とこう書かれているのであります。カソリック教をはじめとして世の中の宗教宗派のうちには、人間を“罪の子“であり、先天的に罪業(ざいごう)深き者というように説いたり、「“謗法(ぼうほう)”の罪“を犯したから罪が当る」といって威(おど)したりする宗教もありますけれども、自己に罪ありと信じますと“罪ある者は苦しみによって贖(あがな)わなければならない”という人類の通念に触れて自己処罰して、自己を戦争に駆り立てて多くの戦死者を出したり、「罪の報いは死なり」聖書にありますから、自己を“死”を招くような遭難の場所に連れ込んだりするのであります。
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