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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[6321] もはや青年会は「総裁個人崇拝」の牙城と化している!
愚連隊上人 - 2016年12月31日 (土) 09時13分

本人は「個人崇拝ではない」と言っているが、これが個人崇拝でなくしてなんであるか!

「人事を尽くして天命に遊ぶ!日野智貴の主張」より

「生長の家総裁の法灯」とは住吉大神の御教えの具現である
http://nipponkakuryoukai.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-ac91.html

(一部引用)
=================================
(前略)

従って、人類光明化運動の「不動の中心」として

「生長の家の大神――総裁・副総裁――御教え」

が存在する、ということは、

住吉大神の御教え=「総裁・副総裁」の法灯

である、ということを示している。

生長の家の副総裁は、総裁より「大法」を面授された者が就任する。

では、「大法」とは何ぞや?という疑問を持たれる方もあるかも、知れない。

生長の家の総裁の法灯とは、皇位の継承における「天皇霊」にも匹敵する存在であり、「大法の面授」とは天皇を天皇霊と一体化させる「大嘗会」にも比すべき重要性を持っている。

ここで重要なことは、大法とは個人の悟りによって得られる真理ではなく、「人類光明化運動の不動の中心」に処を得たものが享ける境地である。「人類光明化運動の不動の中心」たりえないものが、この「大法」を得ることは「処を得ていない」のである。

「大法」を授かった者のみが、「人類光明化運動の不動の中心」になり得るし、ならなければならない。何故ならば、彼以外に住吉大神の御教えを「処を得た」形で、地上に表現できるものはいないからである。

神想観によっていくら悟りを深めても、それで「人類光明化運動の不動の中心」になることは、できない。人間はそれぞれ別々の使命があるのであり、生長の家の総裁のみが「人類光明化運動の不動の中心」としての使命を有している。

人間は、悟りが深まると、自ずから「処を得た」動きをするようになる。

「私の方が、総裁よりも悟りは深いはずなのに、どうして私が総裁にはなれないのだ?」と思う者は、まだまだ悟りの浅い人間である。それは、いくら優秀な検察官であっても裁判官を兼務はできないし、兼務してはならないのと一緒である。

もしも、「私はあの裁判官よりも優秀なのだから、私が検察官の仕事も裁判官の仕事も兼務すべきだ!」等という検察官がいたら、彼は真に優秀な検察官ではない。それは、権力分立の観点から「処を得ていない」から問題なのである。

神想観によって悟りを深めても生長の家の総裁になれないのは、如何に神道を極めても臣民が天皇になることはできないのと同様の厳然とした論理なのだ。

(後略)
=================================

<全文>
http://nipponkakuryoukai.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-ac91.html

総裁に中心帰一している青年会員は、このようなロジックを掲げているとは、驚くばかりである。

(12)
Pass

[6324] 後半がぬけていますよ
頑張れ青年隊(笑) - 2016年12月31日 (土) 10時47分

生長の家の運動とは、個人崇拝の運動ではない。

誤解のないように言うと、我々の運動は、決して「谷口雅春先生・谷口清超先生・谷口雅宣先生」の歴代総裁を「崇拝」する運動では、ないのである。

また、「総裁先生に中心帰一せよ」とは、総裁先生の悟りが最も素晴らしいからそれに従う、という意味では無いのだ。

ただ、谷口雅宣先生が人類光明化運動の中心にいるということが、最も処を得ている状態なのである。

それ以外に人類光明化運動の中心は、存在しえないのだ。

無論、これは現象だから、総裁先生のいうことを我々が理解できないことも、あるだろう。

それは、我々信徒の悟りのレベルが浅いからかもしれないし、もしかすると、総裁先生が肉体においては判断ミスをされるかもしれない。(総裁は超能力者ではないのだから、肉体智以上の能力を持っていないとしても驚くべきことではない。)

だが、一つだけ確実に言えることは、だからと言って、別の人間が総裁にとって代わろうとすると、それは我の心によって引き起こされる迷いの働きである、ということである。

総裁先生の言葉を理解できない場合、或いは、総裁先生を中心としているのに運動が失敗しているかのような現象が顕われている場合には、ただ、実相世界を見ればよい。

現象に不完全な姿が顕われているのは、当然である。現象を見るからこそ、迷うのである。実相世界を見ずして、実相顕現ができると思ってはならない。

谷口雅宣先生は、谷口雅春先生や谷口清超先生と同じ働きをされている。

我々は、それに感謝し、中心帰一して人類光明化運動に励めばよいのである。

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