[7058] 雅宣の無明 迷い |
- 不動明王 - 2017年06月11日 (日) 02時58分
平成十五年宗教法人「生長の家」から発刊された雅宣著「信仰による平和への道」がいかに迷い、無明から出た著作で有る事が発刊から十四年ほどで明かになっているのだ。
そのはしがきから「東西冷戦は終焉」と書き出して本文に至るまで冷戦は終ったの話で得意げに訳の分からぬ文章が続くのである。
だから吾が国も一国の利益ばかり考えずに「鎮護国家」などと言わずに、人類共通の救いの原理を認め合う運動に変化しなければならない。 などと幼稚で世界情勢を全く理解出来ていない発言をするのである。 そして現在は東西冷戦が無くなったどころか、特に亜細亜を中心とした冷戦が脈々として続いているではないか。 雅宣の読みは大きく外れているのである。外れていると言うよりも、何も解って居なかったと言って良いだろう。 龍宮住吉本宮から鎮護国家」の祈願をはずし、神想観の大日本神国観を禁じ、本山の神殿である舞台を土足履きにする等、数々の無法を働いて来たのである。最大の無法は生長の家の大神である「住吉大神」さまの隠蔽である。これは最早生長の家の否定であります。
それでもその事を指摘し雅宣に箴言する者が誰一人おらない現教団は救いようが無い状態である。 それなのに未だにその事を見ずにお仲間信仰を続ける会員達、そして白鳩の信徒達の無神経ぶりには驚くのである。 これが宗教に洗脳された者の姿であろうか。
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