| [829] インターネット道場――辨道聴き書(べんどうききがき) (16)『生命の實相』第34巻より |
- 信徒連合 - 2015年10月14日 (水) 07時00分
インターネット道場――
辨道聴き書(べんどうききがき) (16)
『生命の實相』第34巻より
<生長の家に年齢はない>
「『環境は心の内にあり』ということについて」―――という切り出しで、大橋さんはこんな微笑ましい話しをされた。だいたいを記(しる)すと―――
大橋さんにはお子さんがないので、子供が電車の中なんかで泥靴をビシャビシャさせているのを見ると、しみじみと子供は暴君だと思われるのであった。そして大橋さんが、心に子供を憎悪する念、排斥する念を持っていられる間は、子供の方でも大橋さんに近づき、懐(なつ)いて来ようともしなかった。
ところが、ある日、月光殿の誌友会に出席された時、谷口先生のお話の後で野村義隆講師が「生長の家には歳(とし)はありませんよう!わたしは赤ん坊なんですよう!」と叫ばれた瞬間、大橋さんの冷たく閉ざされていた魂の扉は静かにひらかれて、長い間忘れていた感激が滾々(こんこん)として溢れ出て来るのだった。
「自分は今まで子供と大人を区別して、子供をいやな存在だと思っていたけれど、実は自分も赤ん坊なんだ。子供なんだ。そして皆一体の神の子なんだ。天地一切のものと仲良く手をつないで朗らかに楽しく歌う姿――これこそ、本当の人生なんだ。」
魂の底からすっかり甦(よみがえ)られた大橋さんが、非常に愉快な気分でお宅に帰られると、いつもは来たことのない近所の子供が遊びに来てお菓子を食べたりして遊んで行った。その翌日は今度は大勢の仲間を引っ張ってきて、またお菓子を食べたり本を読んだりして遊んで帰った。
「それからというものは、『オジサン!オジサン』と、すっかり子供らの良い遊び相手になっていまいましたよ」と、「環境は心の内にある」という尊い体験を語り終えられた大橋さんは、まるで子供のように朗らかに笑われるのであった。
<病気は認めては治らぬ>
松本太郎さんという人がある。お子さんが扁桃腺を腫らして、そのためか学校の成績があまり良くないので、親として不憫でならない。なんとかしてなおしてやりたいと思っているが、こんな幼さな子供に手術をするのは可哀相であると思って躊躇しておられた。
こうしている内に、奥さんが五月号の『主婦の友』で生長の家の記事をご覧になり、心ひかれてご主人に話されたので、松本さんも共鳴されてさっそく生長の家の誌友となられた。
松本さんは機械設計家でほとんどお暇がないので、朝晩わずか二、三ページくらいしか読みきかすことができないが、それでも熱心にわが子の病気が治るようにと思念されつつ読み続けておられた。そのうちに夏休みが来たのだった。
「子供も今は夏休みですので、この機会にすっかり扁桃腺を治してやりたいのですが、本を読んでさえおれば治りますでしょうか?」 松本さんは最後にこう谷口先生にお訊ききになった。先生はこうおっしゃった。
「あなたが本を読んでもお子さんの扁桃腺が小さくならないのは、あなたが扁桃腺で苦しんでいるお子さんの姿をほんとの姿だと認めて、それを、治そう治そうとあせっていられるからですよ。治すも治さぬもないではありまえんか。病気は本来ないのですから、本来ない扁桃腺炎をあなたが勝手にあると設計して、へんとうせん、へんとうせん!と扁桃腺炎ばかりに捉われているから、その心が反映していつまでもお子さんの扁桃腺が腫れているのです。
腫れていてもいいではありませんか。だいたい医学的にいっても、扁桃腺は外菌の侵入を防ぐ第一の関門なのですから、もし菌が入り込もうとすれば、それを撃滅するために白血球や赤血球が動因されてきて、そのために扁桃腺が腫れるのです。だからそれが腫れることによって、われわれは『生命』という内からの力が外菌と闘いつつあることを知らなければならないのです。それを切ったりする必要はないのです。放っておいてもやがては勝つことにきまっているのですから。
あなたも今日から家の子は扁桃腺炎だなんて考えを捨てなさい。そして完全円満なる神の子の実相を観るようにすれば、そんな不完全な姿なんていつの間にか消えてしまいますよ。」
|
|