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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

<新掲示板の概要について>

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[1812] インターネット道場―――体験実話特集・藤原敏之先生「全てを癒やす道」より(19)
信徒連合 - 2016年01月15日 (金) 09時14分




インターネット道場―――


体験実話特集・藤原敏之先生「全てを癒やす道」より(19)



▼病気になってから嫁に冷たくされる未亡人へ


《往信》71歳の老婆の方からのお便り──長男に嫁を貰って12年経ちました。家は商売をしておりますので私も一所懸命孫の守りや、お勝手仕事など働いて来ましたが、1年位前から神経痛と心臓病で思うように動けなくなり苦しんでおります。元々気の強い嫁は、事ごとに私を邪魔扱いして冷たく当り、悲しい毎日であります。私が元気で働いている時には、そんなでもなかったのに、今になったらこんな目にあわされ毎日が地獄の苦しみであります。夫は6年前に他界し残された私だけが何の因果でこんな悲しい思いをしなければならないのでしょう──と悲痛な内容の訴え。


《復信》合掌 有難うございます。御芳書有難く拝誦致しました。事情をつぶさに拝承致しお気の毒に堪えません。心から御同情申上げます。

 お手紙によりますと幸にも貴女は生長の家の御教えに御縁を戴かれ、神縁に恵まれておられるようで何よりであります。世の中には神縁に恵まれず真理を知らない人も沢山あります。そのような人達は、この世の地獄、未来世も地獄と永刧に迷い続けなければならない本当に気の毒な方々であります。

 貴女も知っておられる通り人生というところは色々なことのあるところであります。何事もなくボッとなったような状態にはなりません。丁度お芝居のようなものであります。神様が心に描かれた理想を形の世界に実現する場であり、お芝居で言うなら舞台のようなものであります。私達は今人生という舞台に登場してお芝居をしているのであります。そのことを使命というのです。私達は人間として、この世に生を受けたのは親の都合でも自分の都合でもなく全く神様の御都合によるのであります。

 招神歌にある通り、「吾が生くるは吾が力ならず、天地を貫きて生くる祖神の命。吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能」とある通り、おおよそ自分の力で出来ていることは何一つ無いのであります。

 丸々神様からの授かりものであり、使命によるのであります。一から千まで、すべて使命であると解れば善いも悪いもないのです。ただそのままで有難いのであります。お芝居も格好のいい役ばかりではありません。他と比べるから善いと悪いとが出来るのです。形や条件を比べる心が無くなれば、そのままで尊いのであります。お釈迦様が「天上天下唯我独尊」と宣言されたのは、この条件や比較の世界から超出せられ絶対の世界に生れ変られたからであります。

 今から貴女の都合を捨てて神様の御都合に素直に順(したが)うことが最も肝腎であります。苦しみや悲しみがあるのは、神様を離れて自分の都合中心に生きている何よりの証拠であります。神様の御都合によってのみある貴女であったと気付かれた時、息子さんもお嫁さんもなくなり、無条件に拝めるようになります。合掌を通して観た時、拝み切った時、お嫁さんが、ただの嫁でなくなり、拝まずにおられなくなります。今お嫁さんに現われている姿は貴女の心で観ている通りの姿であります。

 お手紙にもある通り、気の強い思いやりも親切心もない薄情な嫁だと嘆いておられる通りであります。お嫁さんを変えたいなら貴女の観方をお変えになる以外に方法はありません。又一つには人生は自分の魂を磨き向上するための修行の道場であり、学校のようなものでありますから、その人の魂が向上した程度に応じて問題が与えられるのであります。上級学年になれば成る程、教科書も難しくなり授業の内容も高尚になり、難しくなります。貴女が今そのような苦しい環境に置かれたということは、取りも直さず、貴女にそれだけの力がある何よりの証拠であります。幼稚な魂の持ち主には幼稚な問題が与えられるのです。貴女にはそれだけの難問題を処理し解決する力のあることを証明しているのです。

そのことを御自覚になり問題から逃れる方法や逃げて通ることを考えてはなりません。そんなことでは、有る力も発揮できず、やれば出来ることも出来なくなるばかりです。学生が期末試験や卒業試験が難しいからといって逃げ回って受験しなかったら落第坊主になり、何回でも同じ授業ばかり繰返すことになります。与えられた試験問題に喜んで取組み、見事合格すれば卒業出来るでしょう。貴女が、こんな嫁では叶わんなー、どうしたら貴女の都合のよい優しい嫁になってくれるかと相手の変るのを待望んでおられてもなかなか変わるものではありません。

真理を悟っておられる貴女でありますから、無限力を自覚して勇敢に取組み、お嫁さんの実相を直視し拝み切り感謝した時、本来のお嫁さんの実相が現れるのです。元々悪い人間や邪険なお嫁さんは無いのであります。善くない姿に現われているのは自分の心の影でありますか、ことらの観方や想いが変ればどんなに醜い姿に現われているように見えても本来完全円満な姿に変るのであります。

それは悪いものは元々無いからであります。貴女は一番肝腎の喜ぶことを忘れておられるのではありませんか。こんな目にあわされていてどうして喜ばれますかと言いたくなるでしょう。大事にしていてくれるのなら喜ぶことも出来ますと申されるでしょう。そんな、むごい仕打ちをせられることを喜んだり感謝することは無理かもしれませんが、物事は思いようであり、受け取り方で変るものです。

 貴女は身体が丈夫で家の為になっている間は粗末にしなかったが、身体が悪くなり間に合わなくなったら、邪魔者扱いすると悔んでおられますが、それは逆に貴女の方が恩に着せておられたのではありませんか。こんなにしてやっているのにという心があったのでしょう。お嫁さんには、その、恩着せがましくせられるのが嫌でたまらなかったのです。

今でも貴女の心の底には、今はこんなになっているが去年までは、あんなに役に立っていたではないか、あんなにもしてやったのを忘れたのかという気持があるのです。それがお嫁さんには嫌でたまらないのです。又その貴女の「してやったのに」が貴女を苦しめていることにお気付き下さい。感謝や喜びの反対に不平や不満の心となっているのであります。これがますますお嫁さんを冷たく、そっけないものにしているのであります。

今からでも思い切って変えましょう。こんなになって何の役にも立っていないで世話ばかりかけているのに、こんなにお世話してもらい、面倒をみてくれて有難いなと貴女の思いを変えてごらんなさい。お嫁さんが貴女に期待し求めておられるのは身体が丈夫で家の役に立って貰うことではなくて喜んで貰いたいのであります。

病気になり動けなくなっても、まだあんなにしてやったのだから大事にしてくれても、良さそうなものだと要求する(奪う)心でおられるから、奪うものは奪われるという心の法則によって粗末にせられ邪魔扱いせられるのです。感謝しお礼を言う心はお返しする心であり与える心でありますから、与えるものは与えられるの心の法則で、嫁や息子達も喜んで「お婆ちゃん元気を出して長生きしてや」ということになるのであります。

貴女の心の持ち方次第で地獄でも極楽でも自由自在になるのです。年寄って働けなくなってからは身体で奉仕したり与えることは出来なくなりますが、どんなに動けなくなっても出来る愛行や奉仕は喜ぶことであります。これだけはどんなになっても出来る至高の宝玉であります。幸福に導く最上の道であり功徳であります。

 感謝のし過ぎ、喜び過ぎということは絶対にありません。無限であります。またそれが無限の幸福に繋がる道であります。苦しい時ほど、辛い時ほどこの我が身に持てる無限の宝である喜びの徳を縦横に駆使して、又と得難い尊い人生を最高のものとし、この世もあの世も三世を通しての極楽に致しましょう。

 一日も早く健康になられ、一日でも長生きして幸福になられることを心からお祈りしつつ筆を止めます。                              再拝




▼相思相愛の結婚を許してもらえぬ若い女性へ


《往信》相思相愛の二人で、お互いは婚約もしているが、両親をはじめ周囲の皆の反対にあって迷い苦しんでいる若い娘さんからの手紙。


《復信》合掌 お手紙拝見しました。ご心痛のほど、重々お察し出来、御同情申上げます。

 人生は実相に於いては、完全円満大調和であり、悪や不完全なものなど断じて無いのでありますが、普通一般には実相をそのままに現象界に表現することは、極めて至難なことです。

それは実相一元、神一元の世界に没入することが出来にくいからであります。本当に私が私でなくなり、一切を神に返し切った状態においては、都合というものが一切無くなり、神様のご都合(神意)に合わせ切った生活になります。そのとき、悪も不完全もない、絶対善の世界に生活出来るから、形や条件は一切問題でなくなり、どんなになっても有難い、今死んでも有難いという安楽郷が今此処に顕現するわけであります。そこに至るまでは、種々な事件に出会って一つ一つ経験して、向上して行くのであります。

 生命が結ばれた結魂ではなく身体が結ばれるだけの結婚を望み願っているものには、外部から思いがけない障害が起り、困難が生じたら、たちまち苦しむことになるのであります。そのような場合の愛はほんものではなく、生命的な繋がりではなく、肉体的な繋がりであり、無条件(絶対)ではなく、条件による結ばれである場合が多いのであります。

それは一見愛のように感じられますが、本当の愛ではなく、“好き”というだけのものであります。つまり都合が働いていますから苦痛を伴うことになります。本物の愛には苦痛は伴わないのであります。愛は条件を超えますから、苦痛など無いはずです。苦痛を伴うのは我があり、都合や条件がある証拠であります。都合から出発した愛は本物ではないから又別の条件が起り、不都合なことが起ればたちまち壊れてしまいます。永遠性のものではないということです。好いて好かれて一緒になり、結ばれた夫婦が、半年や1年で離婚したり、不平不満を抱きながら世間体だけを気にして形だけの夫婦として一生を過しておられる方々が多いのはそのためです。

 本当の愛か、それとも一時的なものかを真剣に確認することはとても大切なことです。好きな人が出来て結婚する場合に、親の意見に従うべきか、背いても自分の願いを通すべきかという点で迷う前に大切なのは前記の確認であります。

 神が現わるれば善となり、義となり調和おのずから現れて最善となるのであります。本当の善悪は形や条件ではなく、又欲望や要求でもなく、「真の願い」を生きることであります。「真の願い」こそは絶対であり、神意に叶いますから必ず成就するのであります。

 神意であるか自我であるか、「真の願い」であるかただの要求であるかを判断する基準は大きく分けて2つあります。1つは苦痛が伴うか、伴わないかであり、今1つは後悔があるか、ないかということであります。

苦痛や後悔が伴うのは、神意ではなく、我意であり、都合と妥協し、都合が基になっているからであります。願いに生きるものには都合はありません。都合がなければ、苦痛のあるはずがなく、たとえどんな結果になっても、後悔がないから、苦しむことも困ることもなく、神が顕われ、神の導きに従いますから、どんな難関でも突破出来ることになります。願いに対しては勇敢であり、願いは生命を超え、絶対となりますから、どんな障害でも突破出来、大調和の中に周囲の祝福の中に成就するのであります。

ひとたび決意し、正しい願いと解ったら、苦痛も焦りもなくなり、願いは絶対であり、永遠でありますから、迷う心なぞ起りません。あくまでも神を信じ、明るく楽しく祈り続け、ことの成就するまで願い続けるのです。この世で駄目なら、未来世までも続くのであります。

 貴女が今苦しんでおられるのは、未だ要求の段階であり、神の願いにまで浄化せられていないからです。

 ともかく、神意に従うことこそが、最も善であります。道義を無視することは、いけないことでありますが、真実の願いを捨てて、周囲の意見に同調してごまかすことは感心したことではありません。だからといって、自我を通して好きなことをして、後で不幸になって後悔するようなことは断じて、してはなりません。

このことを正しく判断し、決定権を持っているものは貴方達であります。幸福も不幸も他人が決めるのではなく、自己の判断と信仰によって決るのです。

 私達の一生はすべて、神意によって始まり、神意によって終るのであります。生れることが神意なら、入学も神意であり、就職も神意であり、結婚も神意による第二の人生の出発です。神を信じ、神に委ねなさ。一番善きようになることだけを信じて、すべてに感謝し、迷うことなく心配することなく、明るい心で今、今を生き抜きましょう。先ず両親に感謝し、妹様に感謝し、先方の御両親や妹様に感謝し、拝み切りましょう。

 貴女の魂が向上し、飛躍した程度に応じて、運命も好転します。ご精進を切にお祈り申し上げます。                               再拝



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