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生長の家・開祖の『御教え』全相復活
を目指す掲示板

「生命の實相」第14巻 <和解の倫理>

われわれは天地一切のもの(実在)と和解しなければなりませんけれども、
虚説に対して和解してはならないのであります。
虚説に和解したら実相をくらますことになります。
虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。
虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、
それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。

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[2068] インターネット道場―――体験実話特集 大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(3)
信徒連合 - 2016年02月06日 (土) 13時35分



インターネット道場―――


体験実話特集 


大聖師御講義『続々甘露の法雨』より(3)





感謝によって病気が治った実例を次にひとつ申し上げましょう。

 昭和42年12月10日、熊本市の尚絅(しょうけい)高校の体育館で生長の家の講習会がありました時のことです。菊池市神来(おとど)という所に住んでいられる中村忠次さんという方が次のように感謝によって難病の痔が治った体験を話されたのであります。

 ありがとうございます。私は菊池市相愛会、什一会員の中村と申す者でございます。本日ここに谷口雅春先生をお迎えして、健康で豊かな、そして幸福に満たされた喜びの仲間として入らして頂きました事を、神と偕に御礼申し上げます。

私は泗水(しすい)町住吉より菊池のおとどと云う所に、養子としてきた者でございます。素晴しい若者でございます。こちらへ来て1年と云うものはとても素晴しい、世の噂では「天秤棒1本持っとったなら、養子に行くな」などと、こう云う諺に反して、名前の如く“吉々(よしよし)(養子、養子)、ヨカバカリデサノヨイヨイ──と云うことで、養子にまいりまして、大変よかったのであります。ところが、1年も過ぎて、そのヨサはどこへ吹く風かいよいよ“良し養子”に反して、“悪し”と云う状態がまいったのであります。

 元来私は我の強い者でございまして、中々自分の思い通りにしないと、気のすまない男でございました。そうだもんですから、ついつい家の人達と意見の衝突することが、数多く重なってきたのでございます。そうなってきますと、“嫌だなー、毎日こんな嫌な思いをして”と思いまして、“俺も男だ、男一匹こんな所におらんでも”とそんな考えが再々浮ぶようになってきたのであります。そういう日々が続いておりますとき、急に痔(じ)が悪くなりまして、いてもたってもおれんようになったのであります。(爆笑)

“こりゃいかんわい”と思いまして、先ず里の方に入院の相談に行ったのであります。里では丁度その時、県白鳩会連合会長の佐藤先生の、生長の家の講演をやっていたのであります。私は、それどころではありません。もうなにもかもないのでありますから、直ぐさま母の許に行って、そのことを伝えようと思いました。

 すると母が「まあこの話を聴きなさい、坐りなさい」と言われまして、まあ話を聴いたのでございます。中々いい話をするわい!(爆笑)と思った。ただそのくらいの程度でございました。話がすんで母が私を先生に紹介してくれました。先生は私を見るなり“ははあっ”とにっこりされまして「あんた痔が悪かござってですな」と仰言(おつしゃ)った。

私は全くびっくりしました。“その通りでございます”もう私の心を見抜いたようにおっしゃいます。私はもうただ呆然と“なんでそんなことわかるんじゃろう”と思いまして「ハイそうでございます」と答えたのでございます。「明日にでも入院しようかと思って、その相談にまいったのでございます」と言いますと、先生は「入院もよかばってん。まず私の言うようにしてみなさい」とおっしゃってから、こう言われたのでございます。

 「あなたは誰かを憎んでおられるようですな。その憎んでおられると云うのは、あなたを愛すればこそですよ。あなたがどうなってもかまうものかと云う様な心があるならば、あなたにそんな刺々しい言葉も言われないでしょう」と言われました。「ハイそうですね、それじゃ先生の言われるようにやってみます」と私は言いますと、先生は「“すみませんでした、私の心の思い違いをしておりました。すみませんでした”と謝れ」とおっしゃるのです。そのくらいのことでまあ治るならと思いまして、まさか、そんなこと位で治るまいと思いましたが、まああやることに決めました。(爆笑)

 それで直ぐさま帰って坐ったのでございますが、あやまる言葉を言おうと思っても中々言葉が出ないのであります。一回、二回、三回と、もうこの時ばかりと坐って、涙うるむ声でおわびを申し上げ、今迄の御恩を感謝申し上げたのでございます。そしたら「いやいや、お前ばかりが悪いんじゃないんだよ、わしも悪かったよ」とおっしゃったと同時に、何かこう背筋がすーっとしたような気がしまして、それっ限(き)り痔が消えてしまったのでございます。

これは面白いと思いまして、(爆笑)それから先生の言われる如く先生の来られる毎にお話を聞き、什一会員とならして頂きました。そして什一会員とならして頂きましたところ、今迄貯金どころじゃなかったのが、貯金はできるわできるわ!(爆笑)2年間の内に私の待望の納屋、36坪の新築ができたのでございます。

“神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ”という神示を肝(きも)に銘じて「幸福行進曲」などと云う題を自分勝手につけて、こんな歌が出来たのでございます。(歌謡調で歌う)
  うちの父さんよか父さん
  うちの父さん福の神、福の神
  世界の父さんの福の神、福の神
  姿やさしく美しく
  情け深くて深切でやさしくて
  誰れにもよくする福の神、福の神。
 なんて謳って日々を送らして頂いている次第でございます。これ偏(ひと)えに生長の家のみ教えの賜物と深く感謝している次第でございます。ありがとうございます。


 体験はこのように簡単なものでありますが、肉体は“心の影”と申しまして、この中村忠次さんが「男一匹、こんな所におらんでも」と自分の居る処を“居辛(いずら)い思い”をなさった時に、急に痔が悪くなって、居ても立ってもいられなくなったと被仰(おっしゃ)ています。つまり、自分の「臀(い)づらい」思いが具象化したのであります。それが心境がかわってお詫びをし、感謝したときに居づらい思いが消えたので、痔が治った訳であります。




 汝ら恐怖心を去れ。
  その時こそ汝の病気は癒えはじむるなり。
  迷いなければ、内臓の炎症もなく、糜爛(びらん)無く、腫脹(しゅちょう)なし。
  無機物が硫酸の劇作用に触れたるときの破壊と、
  肉体に起る炎症又は糜爛とは別物なり。
  たとい硫酸が胃の粘膜の内面を破壊するとも
  その次の瞬間より瘡面(そうめん)に腐爛(ふらん)なき新肉芽(にくが)を発生し
  回復を続けるもの、
  これ生ける生命体なり。
  物質療法はただ結果を見て、
  結果を緩和する処置をするに過ぎず。
  病の原因は「心」にあり。
  しかも「迷いの心」にあり。
  汝ら「迷い」に捉(とら)わるることなかれ。
  「迷い」を去り、汝の生命(せいめい)が「神の生命」なる実相を諦(たい)観せよ。

 心によって硫酸による被害でも治った一例を挙げますと、濃硫酸をかけると机は黒焦(こ)げになるのでありますが、人間に硫酸をかけたら大変な火傷をするのであります。

 嘗て、新宿の或る料理屋の女将さんが、或る親分に惚れられまして、そして「私の言う事を諾(き)け」とその親分が言うんだそうですね。だけどどうしてもその男が嫌いで言う事を諾かなかった。そしたら其の親分が非常に嫉妬心を起しまして、あいつが自分に身をまかさないのはきっと他に好きな男があるから儂(わし)の言うことを諾かんに違いないというので、恨みに思って、あの美しい顔をしているから他の男に好かれるんだから、あの顔を潰してやろうと思いまして、ある日の夕方に、四つ角の所に其の親分が隠れておりまして、瓶に入った硫酸を、その女将がそこを歩いて来たところへ頭からバーッとブチかけたんですね。

 頭から硫酸をブッかけると、顔の辺りいっぱい硫酸で焼け爛れたんであります。むろんその後直ぐ水で洗ったんですけれども、兎も角もう洗いに行くまでがもう大変な火傷です。




相手の罪を赦(ゆる)すとき、被害が消える

こうして顔に火傷のひどいのが出来たんでありますけれども、その女将さんは生長の家の誌友でありましたから相手を恨むようなことをしなかった。相手がこういう私に危害を加えて傷害罪を犯すようなことをするに到ったのは、相手の姿は私の心の姿の影なんだから私が悪いんだと、こう考えたんです。

 “相手が悪い、横恋慕して”と思わないで、“私が悪いんだ、済まなかった、決してあの男を恨みますまい、また訴えますまい”というので、完全にその相手を許して、そして“どうぞあの人が神様の道によって正しい人間になってくれますように”と、その人の幸福のために祈ったと云うのであります。

 そうすると、その顔の焼け爛れたのがすっかりキレイに治りまして、その体験談を、当時、赤坂に道場があって、そこで花嫁学校の講義を私がしておった時分に、その女将さんがやって来て、私の前に進んで出て、その体験談を話されたことがあるのであります。そのとき、女将さんの顔を見ると、親分に惚れられるだけ中々美しい顔をしていらっしゃったが、キメ細かくて何処にもこの火傷の跡も傷のあともない。 キレイな皮膚になって、治っておられたのであります。




  肉体は“心の影”である

そういう風に、──他人(ひと)から害を加えられて、相手を憎んだり恨んだり腹を立てたりすると、憎んだり恨んだりしたところの精神の波動と云うものは、平らかな波ではないから、凸凹(でこぼこ)の引きつった禿やケロイドとなる訳なんですね──それが“そのままの心”“平かな心”になりますと、その通りに平かな凸凹のないスベスベの皮膚になる。


何しろ、顔の皮膚もなんにも無い卵から“美しい皮膚”を拵えた神の生命力が人間の内には宿っておるんです。その同じ神様の生命力が又同じように皮膚を美しく修繕することができることは、道理の上から言えば、何も難しいことはない筈です。何にもないところからでも美しい皮膚を拵えた力なんですから、硫酸で焼け爛れたにせよ、まあ皮膚の土台はあるんですから、その土台の上に美しい肌をつくることは、きわめて易しいことなのであります。

 だけど、吾々の心の波動が恐怖心を起したり恨んだり憎んだり腹立てたりしますと、その腹立てた恨みの波動で変に生命力の波動がゆがんで、自然良能が修繕しつつある状態が歪(ゆが)んで、変な顔になると云う訳なんですけれども、この女将さんは恨む心や憎む心を起さなかったので爛れた皮膚がキレイになってしまったのであります。




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