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京都乃鬼新聞2924.12.9「池田先生の指導検索」 All ReLoad
1009 名前:京都乃鬼 2024年12月09日 (月) 14時13分
結論部分に追加させて頂きました。

京都乃鬼新聞
2024.12.9


🟰池田先生の著書・スピーチ検索サイトが閉鎖に!🟰

日蓮大聖人御書全集や池田大作先生の著書・スピーチなどの検索が簡単に出来、多くの人々の役に立ってきた有名サイト(gmate.org)が、創価学会から著作権侵害に当たると抗議され、閉鎖させられることになった。

一方で日本の多くの宗教団体では教祖の遺文などの検索は非営利目的であれば概ね無料で公開され、引用も可能である。しかも宗教団体自体が検索サイトを運営し積極的に公開してるところもある。

【インドはマハトマ・ガンジーの著作を、人類共通の資産であるとして公開】

インド政府がマハトマ・ガンジーの著作集『The Collected Works of Mahatma Gandhi』で資料を広く公開。これは思想の純度を守る姿勢であり、情報アクセスの民主化を重視している証拠でもある。

ガンジーはインド独立運動を率い、非暴力と不服従の哲学を世界に示した歴史的指導者である。その著作を包括的かつ正確に公開することは、インド国内外の市民や平和活動家、政治リーダーに、歴史的根拠をもとに議論を深める機会を提供し、また世界の民衆が世界的指導者の言葉で自らの人生を振り返り、思索することによって、今後より良い人生を歩めることにも貢献しているといえるだろう。

また、デジタルアーカイブ化やウェブポータルでの無料公開などの施策は、物理的・地理的な制約を取り払い、知的財産を広く共有するという点で非常に意義がある。これは過去の偉大な思想を現代に活かし、人類の知的遺産を健全に次世代へ伝える模範的なモデルである。

【創価学会が日蓮大聖人御書や池田先生の著作を非公開化する方針は、透明性や正統性を欠如させる蛮行】

一方で創価学会執行部が自分達に都合が良いように池田先生の著作やスピーチを改竄していることは明白な事実(1957年大阪大会時の発言で「大御本尊」を「御本尊」と改竄など多数ある)であるが、これで非公開となれば、いつ、こっそりと改竄されても分からなくなり、思想の歪曲と遺産の劣化を招くことになる。

原典には、池田先生が発した言葉や教義、社会的・歴史的背景が反映されている。それを原田執行部が政治的・組織的な利害や現代社会への迎合のために改変、改竄する行為は、信仰者や研究者だけでなく、思想の正統性や宗教的な信用をも損なう結果となるだろう。

さらに、情報を封じ込めることで権威を強化しようとする行為は、思想を時代や権力に応じて操作可能な「道具」へと変質させ、原初の精神性や倫理的価値が失われる危険性をはらんでいると言わざるをえない。

【思想遺産を「著作権」と言い換える創価学会の悪体質】

インド政府と創価学会の姿勢を比較すると、インド政府がガンジー全集を公開した方針は、「史実や思想の透明性」を重視し、思想遺産の正統性を守ろうとする誠実な態度が感じられる。

一方で、創価学会原田執行部が著作権侵害として自由に引用できないようにする行為は、「恣意的な情報操作」と言えるものであり、歴史的遺産を私物化するリスクがある。
結果として、未来世代に誤った記憶や不正確なテキストを残す恐れがあるといえるだろう。

最終的に、この対比が浮き彫りにするのは、人類の共有する思想的財産をどのように保存し、共有するべきかという根本的な問題である。
オープンで検証可能な形での公開は、歴史的真実や思想の純粋性を基盤に健全な議論や解釈を促する。

一方で、改竄や非公開は、共同体の精神的基盤を揺るがし、知的文化遺産の豊かさを損ねてしまう。インド政府の方針と創価学会執行部の方針は、そのまま思想遺産への向き合い方における倫理観と態度の違いを象徴している。

【なんのための著作権なのか】

言うまでもないが、真正な著作の維持のために、著作権の厳正な管理は大事である。

しかし、それ以前に、
釈尊が著作権を主張したか! 孔子が著作権を主張したか! イエスが著作権を主張したか! 
ルターが著作権を主張したか! 
法華経の著作権は誰にあるのか! 

みな、自らの思想が少しでも広まり、それによって人々が幸福になることを願ったのではないか?

その忠実な弟子たちも同様で
あろう。師匠の言葉を飯の種にして食いつないでいこうなんて、食法餓鬼のようなケチな魂胆はないはずだ。

創価学会が私的サイトでの公開を認めたくないのなら、創価学会本部として一字一句も訂正や改竄の必要のない真正な池田大作全集を公開すれば良いのだが、原田執行部の本音では、池田大作先生の過去の言葉が、今の自分たち執行部に、刃を向けられているようで怖いのだろう。

著作権の厳正な管理を創価学会本部が担えないのなら、我々民衆が担おうではないか。
「我かくのごとく聞きき(如是我聞)」と語り残すべき使命が、池田大作先生と共に生きた我々世代にはあるのだから。

提供は敵からは恐れられる
味方からは怖れられる
抜身の刀、京都乃鬼新聞社でした。


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1008 名前:京都乃鬼新聞2024.11.3 2024年11月03日 (日) 19時15分
【拡散希望】
京都乃鬼新聞
2024.11.3

🟰何故、須田晴夫元副教学部長が処分されたのか?🟰

10月18日、創価学会墨田総区の緊急支部長会で須田晴夫元副教学部長に対する「何してんねん!このスットコドッコイ!」と公の席で創価学会幹部が発言したことについて名誉棄損罪または侮辱罪に該当する可能性があるのだが(それは別途記事にする)、その後夫妻ともに処分された根源を理解する上で2014年7月17日付の遠藤元総合教学部長が出した諫言書(通称「遠藤文書」)が最適であるので時系列に並べてみる。

2013年8月20日
池田先生のご裁可を受けたと原田会長が説明しているが内実は不明

「大誓堂に安置される学会常住御本尊を化儀の広宣流布の象徴と位置づける。それを行うに際し、あたかも弘安2年の大御本尊が一切の御本尊の根本•根源であるかのように過度にその存在を意義づける言い方については、会員の信仰が混乱しないよう、見直しを図る」

9月19日に教学部に趣旨説明
原田会長の考え
「学会常住御本尊を、弘安2年の大御本尊に替わる新たな根本の大御本尊と意義づける。
弘安2年の大御本尊については、信仰上も教義上も、もはや学会には関係のないものとして完全に決別する」

しかし9月20日に教学部が
長谷川本部長・正木理事長・池田副理事長・大山第一庶務室長という執行部に尋ねると半分以上が一致して原田発言を完全否定。

長谷川本部長
「池田先生は大御本尊と決別するなどと言っていない」
「【原田会長は嘘を付いている】」
「御本尊では宗門と決別できない」
「急いでやる必要など全くない」と切って捨てる口調で原田会長を批判した。

大山第一庶務室長
「池田先生は全くそんなことを言われていない。原田会長もそんな指導受けていない」と証言。

また続けて「原田会長は池田先生の前で『いろんな意見がありますので、慎重の上に慎重に進めます』と、(原田会長は)そう言っていた。確かに『慎重に進めます』と、はっきり言っていた。あわてて事を進めるなんて、そんなこと言ってないよ。一切。言うわけない」
「こんなやり方をしてたら、学会の信心も崩れてしまう。教学も崩れてしまう」

池田副理事長
「せっかく、総本部ができて、お祝いなのに。お祝いの時にやる必要などない。何で、今やるなんてなったのか」と繰り返す。

9月某日
谷川副会長
「秋谷議長は、結構恐ろしけど、板御本尊に結びついていく論理とか感覚が染み込んでいるんだ。だから『やっぱり学会常住御本尊も広宣流布の大御本尊にした方がいいんじゃないか』となるんです。結局、抜け出よう抜け出ようと言っている人たちの命にすごく深く入っているわけですよ」
「やっぱり秋谷議長の中に弘安2年の大御本尊が、すごく深く入っているゆえに、抜かなきゃならないという意識がすごく強い。抜く方に関心が行って、今回何をしなければならないかということが、むしろ後になってしまう。それで議論の混乱を招いている。原田会長は説明したらかなり速く分かりました。秋谷議長は分からない。」

秋谷第5代会長が首謀者か?

10月29日
原田会長の報告に対して池田先生から伝言。

池田先生
「そこまでやる必要があるのか」
「今は事件を起こしていくというのは小さい考えだ。もう少し流れの様子を見ていきなさい」

しかし時が経ち
2014年6月4日
長谷川本部長は一転して
「頼むよ、あんたよ。学会教学部の二人が転んじゃったら、どうすんだよ。学会教学、原田会長のもとで、(原田会長が)右って言えば右という論文を書く。左って言えば左の論文を書く。創価学会教学っていうのは、そういうもんじゃないの?」

長谷川本部長の姿勢は池田先生否定(先師否定)であり、また原田会長に信伏随従する長谷川本部長のこの発言は「法主が白と言えば白。黒と言えば黒」の日顕宗の法主無謬説と同じ論である。

同日、谷川副会長が「池田先生は大御本尊との決別を大前提とされていた」「大御本尊との決別は池田先生の意志であった」との主張に長谷川本部長は賛同しただけでなく「【原田会長が嘘をついている】などということは私は絶対に言わない」と自ら昨年の発言を否定するが、その当時の正式記録を提示すると「『池田先生が決着を付けると御指導された』と原田会長が言うなら【原田会長は嘘をついている】ということだ」と長谷川本部長の発言は二転三転した。

2014年6月4日に池田先生が
「(大御本尊の)内容の問題が大事だ」とおっしゃったにもかかわらず、2014年7月10日、原田会長、長谷川本部長と遠藤教学部長が面談の中で遠藤教学部長が大御本尊問題の「内容」に触れようとすると「内容はともかく」と10回以上繰り返し「それに答える必要はない」と即座に遮る。

池田先生のご指導に反した面談となる。

以上が通称遠藤文書から時系列にまとめた内容である。

そしてまたまた時が経ち
2024年8月20日
須田晴夫元副教学部長が「『創価学会教学要綱』の考察:仏教史の視点から」小冊子発行

この小冊子で須田晴夫氏の主張から導き出される趣意とは
@池田先生が長年ご指導されてきた教学と2023年発行の創価学会教学要綱とでは 日寛上人に対する態度が正反対である。

A創価学会要綱を採用するなら、池田先生の今までのご指導が間違っていることになる。

B学会の御本尊授与も間違っていることになる。

2024年9月12日
須田晴夫元副教学部長が原田会長宛に小冊子と手紙を送付
(京都乃鬼新聞で手紙内容をスクープ)

2024年10月17日(24日号)週刊文春に「《創価学会に激震》元幹部職員が初めて語った『糾弾文書』の真意」という題名の記事掲載。

2024年10月18日
創価学会は須田晴夫氏を仏敵認定し糾弾する墨田総区緊急支部長会開催

創価学会幹部が「内容はともかく?ス栫vと、主張の是非には踏み込めない。行動の外形的な批判だけ。

「何してんねん!このスットコドッコイ!」
威勢よく感情に訴えるだけで理性は全くなし。

2024年10月29日
墨田総区緊急会合の音声がyoutubeにアップされる

この音声と上記の一連の流れを時系列で並べていけば実は10年前から学会幹部の劣化は始まっていたことがわかる。

そしてその後、創価学会は須田晴夫元副教学部長とその夫人の両人共に処分をした。

「若し善比丘あって法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せざれば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり 若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」

「内容にかかわらず」原田会長の意向に沿わない者は処分することは「原田会長無謬説」「原田会長独裁制」である。

要は池田先生のご指導通りの教義を実践するのか、原田会長の考えの教義を実践するのかという簡単な話である。

以前にも同じことがあったではないか。

法主無謬論の日蓮正宗に就くのか、池田先生に就くのか。

今は、会長無謬論の原田会長に就くのか、池田先生に就くのか、創価学会員はこの岐路に立たされているという自覚が必要なのである。


つづく

提供は敵からは恐れられる
味方からも怖れられる
抜き身の刀の京都乃鬼新聞社でした。


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京都乃鬼新聞(須田晴夫氏の叫び) All ReLoad
1004 名前:京都乃鬼 2024年09月30日 (月) 20時28分
【拡散希望】
京都乃鬼新聞
2024.9.30

★本紙スクープ★

🟰創価学会が日興門流から離れ身延派と同化していったならば、仏法消滅となる!
須田晴夫氏、炎の叫び!🟰

『法華経の智慧』で池田先生と対談者の一人である須田晴夫氏が創価学会原田会長に創価学会教学要綱について書簡を送っていたことがわかった。

注目すべきは昨年発行された『創価学会教学要綱』が「創価学会の教義書としては不適切である」と断じている点である。

須田氏が創価学会の教義として不適切だとしてるのは主に2点で

@日蓮を「釈迦仏の使い」としている点が日蓮宗身延派教義と同じである
A「一大秘法」と「法宝」の解釈が日蓮宗身延派教義と同じである

そして、池田先生が後世のために遺された『法華経の智慧』や、その対談者である斉藤克司・遠藤孝紀・須田晴夫の3氏が傾注した『教学の基礎』の教義に戻せとの主張である。

弊社で入手した全文を掲載する。
なお、創価学会原田会長は須田晴夫氏の渾身の諫言に黙殺の姿勢であるので、創価学会教学が正常化するのを願い拡散を希望するものである。

---

拝啓
 朝晩は秋の気配も感じられる昨今となりましたが、ご健勝でご活躍のことと存じます。
 さて、このたび、『創価学会教学要綱』について私なりに考えたことをまとめた小著をアマゾンのペーパーバックで出版しましたので、贈呈させていただきます。ご一読いただければ幸いです。

 端的に申し上げて『教学要綱』の内容にはさまざまな問題があり、創価学会の教義を将来にわたって規定する「教義書」としては適切でないと思われます。
 『教学要綱』を作成した中心は創価大学名誉教授の宮田・菅野両氏であると聞いておりますが、両氏は研究者としての立場から、日蓮学アカデミズムの主流である身延派日蓮宗から批判されることを恐れて、ひたすら身延派に忖度している態度が顕著です。そのために『教学要綱』全体が身延派の教義に同化していると判断されます。
 例えば『教学要綱』では日蓮大聖人について、最後まで「上行菩薩としての役割を果たす立場である」(同書四三頁)として「日蓮=上行菩薩」との認識を貫いていますが、大聖人を釈迦仏から末法弘通の役割を託された「釈迦仏の使い」であるとする認識は身延派の教義そのものです。これまで創価学会は、大聖人が上行菩薩であるというのはあくまでも外用の姿であり、大聖人の内証は久遠元初自受用報身如来であるとしてきましたが(二〇一五年創価学会教学部編『教学入門』一七一頁)、『教学要綱』は「久遠元初自受用身」の用語を一切用いず、従来の立場からすれば専ら外用の位置づけにとどまっております。
 もちろん『教学要綱』も大聖人について「末法の御本仏」としていますが、それはあくまでも「釈迦仏の使い」としての存在であって、従来のように久遠元初自受用身という根源仏としての意義づけにはなっておりません。
 大聖人を上行菩薩の再誕と位置づけ、「釈迦仏の使い」とすることはあくまでも法華経文上での話であり、曼荼羅本尊の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮(花押)」と大書し、釈迦仏と多宝如来を左右の脇士の位置に置かれた大聖人の内証の教示とはかけ離れております。
 また『教学要綱』は「一大秘法」と「法宝」についても従来の曼荼羅本尊から南無妙法蓮華経の題目に改めておりますが、拙著で詳しく述べました通り、これもまた身延派の教義そのものです。このように『教学要綱』では身延派と同化している内容が余りにも目立ちます。
 『教学要綱』が「本因妙抄」「百六箇抄」「御義口伝」の名前すら出していないことも、これらを偽書としている身延派から突っ込まれることを恐れる『教学要綱』執筆者の在り様を示していると思われます。
 日寛上人の教示に対しても『教学要綱』は多くの点で違背しており、「本因妙抄」などの相伝書を一切無視していることと合わせて、『教学要綱』が日興門流から離脱する志向性を持っていることは誰の目から見ても明らかです。
 日蓮正宗から離れて三十年以上経過した今日、『教学要綱』が日蓮正宗を否定して創価学会独自の教義を形成しようとする意図は理解できますが、日蓮正宗を拒絶するあまり日興門流の根本教義まで日蓮正宗と一緒くたに否定するのは誤りであると思われます。なぜならば、創価学会は創立以来、日蓮・日興という師弟不二の血脈に日蓮仏法の正統性があるということを大前提にして今日まで存在してきたからです。
 形式的には今でも日興門流の教義が日蓮正宗の教義になっておりますが、日蓮正宗が邪教化したからといって日興門流の教義自体までが初めから間違いであるということにはなりません。日興門流そのものが邪義であったというのであれば、創価学会そのものが当初から間違いだったということになるからです。
拙著でも述べましたように、日蓮正宗は創価学会の破門処分を強行したことによって日蓮大聖人と日興上人に違背し、日興門流としての正統性を喪失したのであり、日蓮正宗と日興門流の教義は立て分けて考えなければならないと思います。日蓮正宗が邪教となったとしても、日興門流の教義の正しさは揺らぐものではありません。日興上人が後世に正しく伝えられた日蓮仏法は日蓮正宗などという一宗派の占有物ではなく、人類全体のために遺されたものであるからです。
創価学会は日蓮正宗などに囚われず日蓮大聖人と日興上人の御教示通りに日蓮仏法を実践してきたが故に、その信心に偉大な功徳が現出したと確信しております。しかしながら今後、創価学会が日興門流の教義を捨てて身延派などと同調する事態が生じたならば、これまでの功徳と成仏の道を閉ざすことになりかねないと憂慮せざるを得ません。
 『教学要綱』は、日蓮大聖人について言葉だけ「末法の御本仏」と称しながら、あくまでも「釈迦仏の使い」と位置づけ、「一大秘法」「法宝」の内容を身延派と同一にし、「僧宝」から日興上人を排除しました。これほど重大な教義の改変を行いながら、師範会議や最高指導会議など、会内で十分な議論がなされた形跡が見られません。創価学会の根本教義を変える重要問題を一部の研究者ら一握りのメンバーによる議論だけで決定してよいのでしょうか。
 日蓮正宗が邪教と化した今日、正しい日蓮仏法は創価学会にしかありません。しかし、その創価学会が『教学要綱』の路線を突き進んで日興門流から離れ、身延派と同化していったならば、それこそ仏法消滅となってしまいます。本当にそれでよいのでしょうか。それとも、相伝書や「御義口伝」などを一切無視していても『教学要綱』は身延派と同化しておらず問題ないと確信しておられるのでしょうか。
 現在でも「創価新報」「聖教新聞」の教学解説記事、また「観心本尊抄」の解説書など、既に『教学要綱』の路線に沿って作成されているように見受けられますが、それは危うい事態と思っております。ここまで『教学要綱』の問題点が明らかになった以上、『教学要綱』を教学の基準にすることを一旦停止して、池田先生が後世のために遺された『法華経の智慧』やかつての『教学の基礎』の線に戻すべきであると考えます(「戒壇の本尊」の扱いなどは改めなければなりませんが)。
 『教学要綱』の問題は、創価学会の命運に関わる重大問題です。ひとたび出版した以上改められないとするのではなく、いちど撤回して、再度、会内全体で十分に熟慮・検討していくべきではないでしょうか。

 私は、十一歳の時に母に導かれて創価学会に入会して以来、今日で六十一年になります。その間、日蓮大聖人の大仏法の功徳に浴し、宿命転換と一生成仏の道を歩んでくることができました。正しい仏法を教えてくれた創価学会と三代会長に限りない大恩を感ぜずにはおれません。創価学会がこれからも仏法上の「正しさ」を堅持して発展していって欲しいとの心情から、拙著とこの書簡をしたためました。

 会長におかれましては、会の未来のため、なにとぞ賢明な御判断をくださいますよう、お願い申し上げます。             敬具
二〇二四年九月十二日
                            須田晴夫拝
原田稔様

---
以上引用

提供は
敵から恐れられる
味方からは怖れられる
あなたの京都乃鬼新聞社でした。


1005 名前:用朱 投稿日:2024年10月02日 (水) 03時48分
>「日蓮正宗は創価学会の破門処分を強行したことによって日蓮大聖人と日興上人に違背し、日興門流としての正統性を喪失した」
これがそもそもの大間違い。「師弟子を正す」のが日興上人の教え。弟子である創価学会員が謗法を犯したから師匠である日顕上人が池田大作などの創価学会員を破門しただけです。

1006 名前:用朱 投稿日:2024年10月02日 (水) 03時53分
いまや三大秘法の弘安二年の大御本尊を信仰の対象にせずと宣言し、大聖人様が久遠元初の御本仏であることも隠そうとする。
こうなった原因は池田大作の大謗法にあります。

1007 名前:用朱 投稿日:2024年10月02日 (水) 04時46分
結局、三大秘法の弘安二年の大御本尊を否定し、大聖人様が久遠元初の御本仏であることも否定。
日興上人を崇め、大石寺の御法主・日寛上人の御本尊をコピーして拝みながら御当代の日顕上人の悪口を言っていました。
これは破僧でしたが、いまや破法、破仏の三宝破壊です。破仏破法破僧は大謗法です。


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兵頭信ニさんを偲ぶ All ReLoad
1002 名前:京都乃鬼 2024年07月28日 (日) 00時48分

京都乃鬼新聞
2024.7.28
特別編
🟰兵頭信ニさんを偲ぶ🟰

本日7月28日は兵頭さんの一周忌です。
「西の友岡、東の兵頭」と言われ「創価学会の良心」であられたご両人が共にお亡くなりになられたことは大きな損失です。

生前の友岡さんについては弊社「妙法の万葉集」に詳しく紹介していますのでそちらを参考にしてください。

http://oniyuri.fc2web.com/syominretuden08.html


一方、兵頭信ニさんは池田先生の随行記者として有名ですが、池田先生から信頼厚き方でスピーチでもたびたび紹介されています。
1989.2.14 第12回全国青年部幹部会

https://gmate.org/gs/lib/gs041ex.cgi?sno=S72100000&dan=1&ori=&K=

ここではソクラテスとプラトンを通じて、賢人が陥れられたり社会が滅ぶ原因は衆愚政治であり市民の「嫉妬」であると喝破され
「アテネ市民は自分たちの卑いやしい″気休め″にすぎない中傷を、『民主主義を守る』という
″体裁のよい″言葉で、カムフラージュした。
プルタークの眼にアテネの風景は、恐るべき退廃と欺瞞ぎまんの社会、正邪が逆立ちした転倒社会の暗黒として、映ったにちがいない。
 一流の人物、第一人者の存在を認めない社会。それが、次第に低俗化し、二流、三流の人物によって動されていくことは、必然である。」

という本質を突いたスピーチをされていますが、殆どが兵頭さんによるものと思われます。
今現在の日本や世界で起こっているさまざまな事象にも通じていますので、ご一読されることをお勧めします。

またここでは「ある青年」として紹介されていますが、兵頭さんのことです。
1988.10.12 墨田、荒川区記念支部長会

https://gmate.org/gs/lib/gs041ex.cgi?sno=S71210000&dan=1&ori=&K=

池田先生は、「英雄には悲劇がつきものである」との戸田先生の言葉を紹介されながら、この書も「歴史に埋もれた悲劇の英雄を描いたものです」と兵頭さんから届けられた子母沢寛『大道』について語られています。悪人として歴史の闇に葬られた土佐藩の野中兼山の真実を描いた小説です。

「彼らには、『藩のため』『領民のため』という透徹した一念がなかった。その無私の一念さえあれば、何も怖いものはない。それがないゆえに彼らは、ひたすら時流におもねった。
兼山に信任厚い藩主の時は、保身のため、それにへつらい、流れが変わると、本性をムキ出しにしてきたのである。
旧藩主に追従したのも、ずる賢い『憶病』。
新藩主にとりいり、幕府の権力を利用したのも、ウソつきの天才の『憶病』。
そういう自らの醜みにくさを見つめることができない弱さも身勝手な『憶病』。
表面は変われども、その本質は一貫していた。終始、彼らは『状況の奴隷』であり、自身を律しきれぬ『エゴの奴隷』であった。」

「のちに彼らは、ごていねいにも、町人・農民・漁民の代表を呼び、政治への苦情を上申させた。封建制度にあって、藩政を公然と批判させること自体、特例中の特例である。ふだんは、民衆のことなど考えもしない彼らが、この時ばかりは″民衆の声″を持ち出してきた。
ここにも彼らの狡猾さと、いかに追放の口実を欲していたかを見ることができよう。
事実、土佐藩において、このように民衆の意見に耳を傾けることなど、このあと、ただの一度もなかった(横川末吉著『野中兼山』吉川弘文館)
『民衆のために』──
口では何とでも言うことができる。しかし、現実に彼らは何を行ったのか。ただ、自分の利益を守り、拡大することにのみ動いたのではないか。それこそ、権力にすりより、民衆と権力を利用する者の正体である。」

「″傲りの力″に『正義』が負ける時、敗者に声なく、″ウソ″に″真実″の装いを着せて歴史はつづられていく。その意味で『正義』であるがゆえにこそ、断じて最後には勝たねばならない。負ければ、その『正義』もゆがめられてしまう」

改めてこのスピーチを読むと、池田先生も兵頭さんも今のように、いち会員が自分の考えや建設的意見を言うと「査問だ!処分だ、除名だ!」という傲りの幹部が出現することをありありと見通しておられたのだと感じます。

兵頭さんの最期も、表面だけを見れば、野中兼山のようにまことに寂しいものでした。生前に兵頭さんにさんざん世話になった人々たちでさえ執行部の目を恐れてか、弔問すら訪れなかったのです。



さて先生の広宣流布のリズムに不協和音が混ざりだすのは、ちょうど兵頭さんが学会職員を辞めさせられた2000年からです。
その後兵頭さんは東哲に在籍されますが、表の舞台からは完全に排斥されました。

そしてこれ以降の四半世紀、特に先生が表に出られなくなった2010年以降は心ある弟子には納得できないこと、腹の立つこと、情けないことが連続に起こってきたのはみなさんがご承知の通りです。

また兵頭さんは中島みゆきさんの曲がお好きだったようで、その中でも「小さき負傷者達のために」という曲は近しい方々に聴くようにとおっしゃっていたとか。

この曲が納められているLPのタイトルが「真夜中の動物園」なので動物虐待をテーマにした曲だとは思いますが、少し目線を変えると人間社会にも通じている曲です。

例えばネグレクトや子供虐待、或いはパワハラ等の社会問題にも当てはまるのではないでしょうか。

また私たちのような立場の者が聴くと原田学会の幹部達が、
健気に現場で頑張っている創価学会員に宗教的権威を押しつけ活動を強要していることは「負傷者」を作っているのではないか!という怒りが込み上げくるのではないでしょうか?

そこで端的に分かりやすく替え歌にしてみました。


中島みゆき
「小さき負傷者たちの為に」
カバー
https://m.youtube.com/watch?v=nntEQAo4eMM

替え歌
「健気な負傷者たちの為に」

---

♪声出さない 信ずる者たちは
見開いた瞳は曇って
力なき 信ずる者たちは
ひれ伏して 心まで縮めて
信心ある幹部と信心ない幹部の
微笑みの違いなど
読みわけるすべもなく
疑わず まっすぐに付いてゆく

役職持たない弟子よりも
役職しかない幹部どもが
そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか
卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に

仕方なく 信ずる者たちは
己(おの)が身を 組織に委ねる
傷ついた 信ずる者たちは
己(おの)が身の 落度かと詫びる
心ある幹部と 心ない幹部の
さしのべるその腕を 選びとるすべもなく
助け無く 宿命に耳を澄ます

役職持たない弟子よりも
役職しかない幹部どもが
そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか
卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に

役職持たない弟子よりも
役職しかない幹部どもが
そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか

卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に
卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に

---
提供は敵からは恐れられる
味方からは怖れられる京都乃鬼新聞社でした。


1003 名前:おにゆり 投稿日:2024年07月28日 (日) 09時04分
[62] 題名: 名前:京都乃鬼 投稿日:2008年08月03日 (日) 21時22分

おにゆりさま!
ありがとうございます!

こんな駄文をこのような素晴らしいHPに掲載していただき、
大変に喜んでおります。

今後とも、宜しくお願いいたします。


[63] 題名: 名前:愚壮 投稿日:2008年08月03日 (日) 22時04分

夢とちゃうやろか…

「鬼とおに」との 『心の砦』
ワシも負けんと、前進や!

おおきに!   おおきに!  おおきに!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

鬼さま おはようございます。初めてお越しいただいてから随分月日も経ちました。
私ね愚壮さま、友岡さまの足音を頼りに一人静かに生息していたのですよ。

「友も歩いているのです。私のように歩いているのです。その存在を想うだけで、その足音だけで、私は一人で歩けるのです。姿が見えなくてもよいのです。離れていてもよいのです」(友岡雅弥 ブッダは歩む ブッダは語る P5)

鬼さまがそっと響かせて下さった足音に、どれほど心が震えたことでせぅ。
拙サイトは鬼さまのご厳命によりネットの大海原に泳がせてあるサイトです。
「忘れ得ぬ風景掲示板」は鬼さまのお心のままにお使いくださいませ。

>卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に
卑怯と闘う同志でありたい
健気な健気な負傷者たちの為に

共に!
おにゆり拝


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勝利宣言🟰ハ重の相対を破す🟰 All ReLoad
991 名前:京都乃鬼 2024年07月26日 (金) 12時06分
これを公開してから4年以上経過するが
波田地氏から反論がないので京都乃鬼の勝利記念としてここに残す

🟰八重相対を破す🟰

五重の相対とは、日蓮大聖人が開目抄で示された教判(教えの比較判定)を整理したもの。

簡単に言うと、数多ある思想や宗教を、日蓮大聖人が独自の判断で高低浅深を付けたもの。

特に第五番目の種脱相対で、法華経寿量品の「文上」と「文底」の比較などは、これこそ、日蓮大聖人が示された「化法」なのである。

この下種仏法で究極の法体が顕されたのである。
究極であるので、これが結論であり、それ以外は無い。

その末法の御本仏が示された化法を、凡夫がそれ以上に垂直に降ろして「相対」する事は、
あたかも創価学会の原田会長が、化法中の化法とも言うべき
日蓮大聖人の直筆ご本尊であっても、信仰の対象として良いか悪いかの認定力があると言っているのと同じく可笑しな事である。

では、波田地氏が唱えているところの八重相対の後半部、

第六番目の「宗創相対」
第七番目の「池創相対」
第八番目の「師弟の道•師弟不ニの道相対」は、どう捉えるべきなのか?

与えて言うならば、開目抄で説かれる五重の相対を、
宗教の権威化に対する精神闘争史と読むこともできる。

その意味では、八重の相対も正しい解釈を前提にした、一つの展開と位置づけることもできるだろう。

しかしこの場合、第六番目以降は、思想や宗教同様に教判するものではなく、結論として種脱相対で教判された
「寿量品の文の底に秘し沈めたり」を信じる者達(日蓮大聖人を末法の本仏と信じ、題目を唱える者達)が、それを流布するにあたって気を付けなければならない「戒め」と考えるべきである。

何故「戒め」なのかと言えば、
波田地氏が唱える第六番以降に共通する点は、結局のところ
立場が違えど、下種仏法を信じながらも、池田先生が掲げる「寛容•慈悲•対話」を主柱とする「人間主義」とは真逆の「宗教権威に基づく特権意識」が招く「反人間主義」に起因するからだ。

反人間主義は、下種仏法を信じる者が魔に侵された姿そのものであり、その顕れる形は、それぞれの立場での違いでしかない。
謂わば宗門の信徒であろうが、僧侶であろうが、創価学会員であろうが、はたまた、創価学会大幹部であろうが、知らず知らずに魔に侵される点では同列に見るべきであり、「教判相対」すべきものではないと考えるからである。

例えば、第六番目の「宗創相対」で言えば、日蓮正宗では、
僧侶が執り行わない葬式では故人は成仏しないなどとして僧侶という特権階級が上で、信者は下としている「人間軽視、差別意識」が根底にあり「反人間主義」である。

第七番目の「池創相対」では、
創価学会では、池田先生への批判を一度もして無くても、職業幹部への悪い行状の指摘や原田会長が行なった教義解釈変更などに対し、教学的観点から自分の意見をネットに流しただけで、その創価学会員を除名処分や活動禁止などの処分をする事も、特権階級意識が成せる「反寛容•反慈悲•対話拒否」であり、これらは、池田先生が常々指導されていたことに反する行為である。

「釈尊は、すべての人を平等に敬った。相手の地位や階級で、態度を変えることなどなかった。
新しく教団に入ろうとする人に対しても『おいでくだい』という最も丁重な言葉遣いで応じたのである。
創価学会も平等である。
日本の旧弊では、上の人にお世辞を使い、下の人には、いばる。創価学会の精神は、その反対である。
役職が下の人にこそ最大の礼を尽くすべきである。」
(池田大作全集スピーチ86巻
第八十九回本部幹部会
全国婦人部幹部会
1995年6月2日)引用

しかし一方では、第八番目の
「師弟の道•師弟不ニの道」で「相対」が完結しているが、
これではまるで「師弟不ニの道」の人には全く魔が入らない事になってしまうではないか?

戸田先生の指導に基づくと、いずれの立場の人にも魔が入り込む可能性があるのではないか?
そこの観点が欠落している。

例えば、ご自身が個人でどう思おうが自由だが、自称、師弟不ニの道を実践していると言う方が
「脱講を何百した」とか「五重の相対は間違いだから使わない方が良い」とか「自分は池田先生の一番弟子だ」と公言したりするのも八風に侵されていないかと心配するところである(鬼笑)

脱講を何百、何千しても、仕事をせずに活動するのだから「それでどうした?」と思ってしまう。

学校もろくに出ていない一会員が、仕事を遣り繰りしてやっとの思いでひとつする脱講や本流と、どう違うのか?
もはや、魔は容赦無いのである。

話を戻し、
「教判」は高低浅深があるので、御本仏が悟りの境地の中で独自に示された化法である五重の相対のみ。

波田地氏が唱えるところの第六番目以降の考え方は、
我々転輪王の弟子たちが、法華経の行者として闘う上で、
魔に入り込まれない様に気を付けるべき「弟子の戒め三箇条」とでも一般化し「化儀」とすれば良いので、波田地氏の考え方自体を否定するものでは無いが
「化法」である五重の相対とは別にすべきであると主張するものである。

京都乃鬼

2018年5月

994 名前:京都乃鬼 投稿日:2024年07月27日 (土) 13時45分
京都乃鬼新聞
2018.5.18

=弟子戒め三箇条3=
(弟子の三つの咎)


それ故、昭和54年嵐の4.24では、弟子(特に当時の執行部)は、宗教権威に負けた。

何故ならば
宗門や法主といった宗教権威でもって成仏させて貰えると思っていたからだ。
池田先生に付いて行っても成仏出来ないと思っていた。

だから簡単に裏切る。
いや、彼らは裏切った気持ちさえ、サラサラ無かったのだろう。

宗門から破門されないで済むならば、会員のために良い事をしたと思っていたのかも知れない。

「時流には逆らえません」は弟子の敗北の言葉。

当時の執行部達は、三代目の会長から四代目に変わっただけの認識。

池田先生辞任後、四代目新会長の就任式では、北条会長と新執行部幹部は、お互い満面の笑顔で握手している写真が聖教新聞に掲載されたが、それを見た当時の同志の嘆きは、本当に大きかったと聞き伝えられている。

その中で、池田先生に直接指導された事がある関西などの一部の弟子は、宗門と対峙する場面もあったが、全国的な広がりにはならなかった。

一方「平成の嵐」とも呼ばれている現在。

除名や役職剥奪、活動停止、会館出入り禁止、学会員との接触禁止など、多くの方が謂れなき理由で処分された。

これからも先、同じようになんの罪も無く創価学会から処分を受ける方もいるだろう。
そのような皆さん言いたい。


昭和54年「嵐の4.24 」
この当時、
池田先生は辞任の際、こうおしゃったのだ。

『創価学会は私を裏切った。
しかし、私は創価学会を裏切らない』と。

あなた方も私達も、師弟不二を貫くのならば、その勇気があるのならば、何があっても忍辱の鎧を着て「創価学会を恨まない」「創価学会を裏切らない」ことが大事ではないだろうか?



更に昭和54年問題に関連して述べると、今回の改正された会則、会憲について創価学会執行部はこの様に説明している。

「まず今回の改正では、前文に、世界広宜流布を実現しゆく『仏意仏勅』の正統な教団は創価学会しかないことから、未来の経典に『創価学会仏』と記されるとの第2代会長・戸田城聖先生のご指導を加えた。」とある。

しかし、この会憲、会則の前文は、大変に重大な矛盾が生じている事に執行部は気づいているのだろうか?

それは、、、、

会憲、会則で『永遠の指導者』と規定した池田先生を裏切ったのだ!

『創価学会“仏”』が!


このことは、4代、5代、6代の歴代会長が積極的に昭和54年問題を総括、反省する姿勢がなかったから出てくる大矛盾なのだと、多くの同志が見ている。

つづく


1001 名前:京都乃鬼 投稿日:2024年07月27日 (土) 14時00分

京都乃鬼新聞
2018.5.17

=弟子戒め三箇条=2
(弟子の三つの咎)



日蓮大聖人から
五重の相対で正しい法を教えて頂く。

その上で、
観心本尊抄
「折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」

化儀の折伏
(現実的実践)
賢王とは在家の事。
転輪王、池田先生

「摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」

法体の折伏
(正しい法を顕し正邪明らかにする)
僧とは日蓮大聖人の事。

これを踏まえた上で


★第一次宗門問題の時


第一の咎
【有法無師】(うほう むし)
(法あって師なし)
注)京都乃鬼新聞社編集部で命名

◆弟子には信仰する法はあるが、法を身口意の三業で実践している師が見えない、分からない咎


歴史的背景

昭和35年に32歳の若さで創価学会三代会長になるも、牧口門下生や戸田門下生の古参幹部達が多勢いた為、彼らは池田先生の事を「池田君」と呼んでいた者もいた。

また一方で、人格者である池田先生は、これら古参の幹部達を、例えば「和泉先生」などと尊称されて呼ばれたり、敬語を使用されていた。


また当時は大きな会館も無く、当然同時中継もない時代、
一部幹部しか(県幹部レベル)池田先生に直接指導を受ける事が出来なかった。

書物も少なく、経済的に購入出来る人も限られていた。

幹部から伝え聞く師匠像しか無かった時代。

池田先生の参加された会合参加者(県長レベル)は、皆メモを取りながら聞く。

それを県長が自分のメモに基づいて、俺は直接聞けた人間だ!との大いなる優越感に浸りながらゾーン長会で話し伝える。

ゾーン長は、恭しく県長が話す池田先生の指導をメモしながら聞くが、本部長会では、
ゾーン長もゾーン長で、優越感に浸りながら(直接指導を聞いた訳でも無いのだが)、県長から伝え聞いて書いたメモで本部長に話伝える、、、

以下、支部長会、大B長会、座談会と伝言ゲームの様に続く。


いくら幹部が池田先生の指導を伝え叫んでもみても、最高幹部が池田先生の事を師匠と見ていないのだから、末端会員も含めて池田先生を単なる3代目の会長としか見ていなかった。

一方、その伝言ゲームの中で、中間幹部により勝手にデフォルメされ続け、ある者は池田先生は本仏だと言うような極端に履き違えた師弟観を持つものまで現れる始末であった。


何れにせよ、戦後の創価学会が折伏大行進の時代、弟子に信仰する法はあったが、正しい師弟観が無かった咎。
(第一の咎)


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京都乃鬼新聞(弟子戒め三箇条) All ReLoad
992 名前:京都乃鬼 2024年07月27日 (土) 13時39分

京都乃鬼新聞
2018.5.16


=弟子戒め三箇条=
(弟子の三つの咎)


五重の相対は、思想、宗教など、教えの比較判断です。

一方、波田地氏の八重の相対論の中で、最後の3つの相対論は、下種仏法を信じている人間の行動原理比較と考えると意味深いものとなります。


ですが、八重の相対は教学的に疑義(参照:京都乃鬼新聞掲載 「八重の相対を破す」)があるので、新しいアプローチで問題提起します。


日蓮大聖人の正しい仏法(下種仏法)を信じている人間達は、全ての人が宗教的に正しい行動をしているのか?

本来ならば、正しい教えに基づいて行動しているのだから、
正しい行動になるハズ、、、なのですが、
残念ながら、そうでない人間も事実いるのです。


池田先生のスピーチ
「『教える人』(師)に従わなければ『道』を迷ってしまう。それは、根本的には『教えられる人』(弟子)の責任なのである。

日蓮大聖人も『撰時抄』で仰せである。
『人路をつくる路に迷う者あり作る者の罪となるべしや』(御書二五七n)――ある人が道を作る。その道に迷う者がいる。それは道を作った人の罪となるであろうか(否、それは迷う者の罪である)と――。

大切なのは「幸福」という目的地に到達することである。園林につつまれた『幸福の都』に着くことである。そのためには、師が教えたとおりに『道』を歩みとおすことである」と。



では、具体的に過去にどんなシチュエーションで、どんな間違った行動を取ったのか、その行動原理を師匠と弟子の関係で考えます。



996 名前:京都乃鬼 投稿日:2024年07月27日 (土) 13時49分

京都乃鬼新聞
2018.5.19

=弟子戒め三箇条4=
(弟子の三つの咎)


★第二次宗門問題


第ニの咎
【同多違一】(どうた いいつ)
(多に同じ、一に違う)
注)京都乃鬼新聞社編集部で命名

弟子は多くの人々の邪見に同じ、一人の師匠の正義とは違う判断や行動をする咎


(通解)
弟子には師匠はいたが、
組織の中の師匠しか見えていなかった。

同時中継が始まり、幹部を通じての師匠でなく、ありのままの師匠を見聴きする事が出来た。

そして、師匠の偉大さを初めて分かる。
大部分の人が、悩まずに迷う事なく宗門に付かず創価ルネッサンス運動に参加出来た。

池田先生の人格や思想に共感。
池田先生は傲慢な坊主だけでなく、悪い創価学会幹部をも叱ってくださっていた。

一方、あまりにも偉大過ぎる師匠(例えば世界各国の大学から名誉博士号300以上や多数国の名誉市民賞などを受賞)を目の当たりにして、最早、自分とはかけ離れた師匠観しか持てないでいる弟子達。

「未だ得ざるを為れ得たり」と傲り、「我賢し」と高ぶった連中は、この偉大な師匠を利用して「幹部の悪事をバラすなんてとんでもない!池田先生の作った組織を壊す気か!」
「池田先生の顔にドロを塗るつもりか!」
「池田先生が哀しむじゃないか!」など数々、
彼らにとって都合が良いような、不可思議な師弟不二論ばかりを純粋な会員に教え込む。

会員は会員で、偉大な師匠池田先生がいてくださる創価学会組織に対する安心感、甘えが池田先生の思想にでは無く、創価学会組織に対して無疑曰信してしまった咎。
(第二の咎)


997 名前:京都乃鬼 投稿日:2024年07月27日 (土) 13時51分

京都乃鬼新聞
2018.5.20


=弟子戒め三箇条5=
(弟子の三つの咎)

★2010年以降

第三の咎
【執形失実】(しっけい しつじつ)
(形に執し、実を失う)
注)京都乃鬼新聞社編集部で命名

 師弟の表面的な形に執着して、
師匠を祭り上げ、あるいは貶め、
あるいは師匠を形骸に過ぎない規則に
定めるだけで、戦い続けた人間としての
師匠の真の実像を見失う咎。

(通解)
弟子は組織幹部の言葉を師匠の指導と
信じてしまい、結果として
師匠の思想を棄て去ってしまう。


池田先生ご健在時の創価学会幹部には、
どんな意見も取り入れようとする度量と
勇気が確かにあった。

2010年6月以降、池田先生が公の席に
お出にならなくなった。
リアルタイムで池田先生の生の声が
聞けない状態が続く。

聖教新聞に随筆や新人間革命は載るが、
同時中継では、過去の指導映像のみ。

ある意味で
第一次宗門問題の時と同じ状況。

本来は、池田先生がいないからこそ
過去の指導を通し、弟子自らが考え行動
すべき状態であるのにも関わらず、
弟子自身が池田思想に基づいて考える事をやめた。
いつ迄も師匠の指導待ち状態。

組織の現実と池田先生の思想が違ってい
ても声を上げない、見ない振りをする。

ずっとお元気な池田先生しか想像出来ず、
毎日を学会活動に没頭する事で現実逃避をし、
師匠の代わりに幹部の指導に従う事で安心し満足する。


池田先生の指導

「『あの人を何とか励ましたい』
『幸せにしたい』という思いから、
自然のうちに学会の組織ができたのです。

組織が最初にあって、
その中に人間がいるのではない。

人間と人間の絆が最初にあって、
それを広げていって自然発生的に
できたのが学会の組織です。

だから、どこまでも、どこまでも
『人間のために組織がある』
『組織のために人間がある』のではない。

この一点を諸君は永久に忘れてはならない。
これは私の遺言です。」とある。
(青春対話)




つづく


998 名前:京都乃鬼 投稿日:2024年07月27日 (土) 13時52分

京都乃鬼新聞
2018.5.21

=弟子戒め三箇条6=
(弟子の三つの咎)


突然に会則が変更になり、会憲が最高規則になったり、御祈念文が変更になっても、言われるまま祈る。
何も考えない。疑問にさえ思わない。都合の良い信者さん状態。

これから訪れる師匠滅後に置いての師弟不二継承を真剣に考えることを放棄した。

創価学会組織にのみ依存した信心なので、弟子自身が師匠の普遍的指導を深く理解出来ないでいる。
だから幹部指導に頼り切ってしまう悪循環の繰り返し。

「池田先生のいる組織」といった絶対的な安全地帯に逃避した弟子達。

一方、組織信仰に盲従した幹部達は、自分と違う意見に対してひどく『不寛容』になってくる。

そして、「傲慢だ」「訓練が足りない」などといった言葉を使って相手の意見を聞こうともしない。

結論だけ先にあり『対話が無い』
納得性が無い一方的幹部指導。

そして最後は、手に余る弟子を組織から追い出す。
先ずは、活動停止、会館出入り禁止、創価学会員との接触禁止

そして除名処分。

なぜ相手を納得させるまで対話できないのか?
そこに慈折の学会精神があるのではないか?
何と『無慈悲』な行動かと、多くの同志が驚き嘆いている。

そして、これは明らかに池田先生の人間主義に反するのではないかと、
そのように多くの同志が憤っている。

池田先生の思想である人間主義とは「寛容、慈悲、対話」であるが、
これとは真逆である。

池田先生の指導
「どこまでもメンバーの幸福こそが目的であり、組織は手段であることを銘記していただきたい。その意味からも、信心の姿勢について厳格であることはよいが、組織の運営等については皆の意見をよく聴き、各人の主体性を尊重し、人間共和の組織をめざしていくことが肝要です」
(新人間革命 大山の章)

つづく



999 名前:京都乃鬼 投稿日:2024年07月27日 (土) 13時54分

京都乃鬼新聞
2018.5.22

=弟子戒め三箇条7=
(弟子の三つの咎)

原田会長は、会則変更や教義解釈変更の時に、池田先生のご了承があったと言うが、それが本当かどうかも分からない。

原田会長の言葉を信じるしか無いのか? そう多くの同志が嘆いている。


何十年も学会に尽くしぬいてきた同志を、
十分な対話を尽くさないまま会員を処分し続ける原田会長の振る舞いが正しいのかどうか、
同じ弟子として考えなければいけない。

池田思想との整合性はあるのかどうか?



本来、弟子は師匠が居なくなれば、
池田先生の思想=人間主義に基づいて考え行動しなければならないのだが、
組織幹部の言葉をあたかも師匠の指導であるかのように信用してしまい、
結果的に本来の池田思想である人間主義を棄て去っていることに気づかない。


師匠を形骸化させた創価学会の組織幹部に無疑曰信の人は、
池田先生を幾ら師匠と仰いでも、池田先生に背いた反人間主義行動を取ってしまう咎。

池田先生から直接指導受けたからと言って、信心があるその人にある訳ではない。

況や、池田先生から直筆のお手紙や色紙を戴き激励されたからと言って「我尊し」と思い上がっている慢心者に、信心がある訳がない。

池田先生から、直接的にも間接的にも何も激励が無くとも、
そして、その存在すら全く認知もされ無くとも、
池田思想に無疑曰信の人は人間主義者となれる。
即ち師弟不二の継承者である。


1000 名前:京都乃鬼 投稿日:2024年07月27日 (土) 13時56分

京都乃鬼新聞
2018.5.23

「師弟不二の戦い」と言っても、何も肩肘を張らなくても良いのだ。

池田先生にお会いした事が無いから理解出来ないような、そんな偏狭な、普遍性の無い哲学であって良いはずがない。

池田先生の指導に
「困った人を見たら放っておけない。
心配な人を見たら励まさずにはいられない。
苦しんでいる人を見たら抱きかかえずにはおられない。

相手の可能性を信じ、善の関わりを深めていく。

『人を敬う振る舞い』において、わが学会員こそ、その体現者、体得者です」とある。

また、この様にも指導されている。

「人を敬う振る舞いに徹していくことこそ、宿命転換、六根清浄という生命変革をもたらす力です。

この法華弘通の振る舞いを生涯貫く事によって、成仏という根本の勝利を成就できるのです。

それは万人に仏性ありとの、哲学を信解し抜く、信念の実践です。

そして難を越えて、信念を貫く事により、
我が身に、その哲学を体現し、
成仏を勝ち取る、成仏の修行でもあります。」ともある。

(両方とも、崇峻天皇御書【三種財宝御書】講義より引用)


「万人に仏性ありとの哲学」
「人を敬う振る舞い」を心に抱き、
現状を憂いて原田会長に対し建設的意見を行う会員に対して、
「究極的には池田先生に疑義を生じさせた」とに筋違いの言い掛かりで難癖を付け、
結論が決まっている査問会に呼び出しこれを対話と称し、
一方的に処分する組織幹部連中は、池田先生のこの指導をどう読むのだろうか?


「狂信者は、本当の議論から身を隠そうとする。
なぜなら、対話の概念が、彼には相いれない異質のものだからである。
狂信者は、多元論や多様性を恐れる。
また学問をひどく嫌う。
彼はモノローグ(独白)によってのみ、いかに話すかを知っている。
狂信者にとって、対話は無用なものなのである」

「対話拒否――これが狂信者の証であると。
人間らしい話しあいを拒み、
自分勝手な理屈や権威で相手を従わせようとする。

独りよがりで、一方通行の話しかできない。
人の意見は耳に入らない。
また、学問を愛する『学びの心』『開かれた心』がない。

豊かな多様性をもつ『世界』や『文化』に対して、
自分を閉ざしてしまっている。

他を理解しようという気持ちが少しもない。
『民主』でも『人間性』でもない。

要するに、『無知』と『臆病』。
これが狂信者の正体といってよい。」
(1992.5.5創価同窓の集い)

この池田先生の指導は、本来、日顕宗を想定されて、会員に対する指導であったが、もし、その後の何れの世なのか、創価学会会長及び執行部幹部にも当てるものだとしたら、池田先生の慧眼に驚くばかりであるが、そうならない事を祈るばかりである。

「弟子戒め三箇条」の結びに当たり、池田先生の叫びの様な指導を引用する。



「信仰とは、仏と魔との戦いである。

善と悪との争いである。

ゆえに、ちょっとでも油断すれば、すぐに魔に付け入られる。

邪悪な考えに毒されてしまう。

だからこそ、戸田先生はつねに幹部に

「断じて魔を寄せ付けるな、信心の利剣で断ち切っていけ」と強く強く訴えられた。

 大聖人は、「敵を知らなければ、敵にだまされてしまう」と仰せだ。

 大事なのは、魔を魔と見破る眼を持つことである。

そのために、教学があり、信心があるのだ。

 大聖人の時代も、門下の人たちから尊敬されていた高弟たちが、

仏法破壊の敵となり、同志を苦しめた。

現代も、方程式は同じである。戸田先生は、遺言のごとく言われた。

 「敵は内部だぞ!」「『師子身中の虫』が仏法を破るのだ!」

(2004 .8.8全国最高協議会)



「妙法に説く不老不死のままに、永遠に広宣流布の指揮をとる」との師匠の叫びに我々はどう立ち向かって行けるのか?と全ての弟子に語りかけたい。


本稿終了

京都乃鬼新聞編集長

提供は
敵からは恐れられる、味方からも畏れられる京都乃鬼新聞社でした。




(PS)
私事ですが、
京都乃鬼新聞にて、会則変更や教義解釈変更に対して意見記事を書いたが、これをネットに載せたとの咎で、創価学会から活動禁止、会館出入り禁止、創価学会員との接触禁止を言い渡されて、3年を過ぎようとしている。

今回の発表で、創価学会から、どんな処分があるのか楽しみである。(鬼笑)

京都乃鬼


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「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編) All ReLoad
970 名前:おにゆり 2019年04月05日 (金) 10時14分
京都乃鬼さまは、友岡さんを利用し。自分の憂さ晴らしのために、学会を謗る人たちの多い中で、池田先生への友岡さまの想い、友岡さまの言い残したかった事を、ほんまもんの「庶民列伝」として遺して下さっているのです。友岡さまから風景の一端を直にお聞きし、怒りに震えた私には、力なく書けなかった『事実』が書いてある「京都乃鬼新聞」です。鬼さまの(鬼笑)を久々に聞きました。たかがネットされどネットでございます。

「もう閉じてもいいんぢゃないか」と迷いの中にいた忘れ得ぬ風景掲示板ですが、日々届けて下さる「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)を転載しゆくこと、完結したら「忘れ得ぬ風景完結に燃ゆ!」の【友情寄稿「庶民列伝」「京都乃鬼さま」】に愚壮さま、鬼さま、友岡さまの足音に耳を傾けてきた編者として「忘れ得ぬ風景完璧に燃ゆ!」の総仕上げとしたいと思いでの作業でした。本日2019年4月24日、「庶民列伝」に『「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編』を完成いたしました。京都乃鬼さまの厳命により、本サイト及び掲示板はネットの海に泳がせておきませぅ。
(ほんとうのこと書き遺しておくこと大事)
http://oniyuri.fc2web.com/syominretuden08.html

愚壮さまの喜ぶ声が聞こえてきます。
愚壮 :2008年08月03日 (日) 22時04分
>夢とちゃうやろか…
>「鬼とおに」との『心の砦』ワシも負けんと、前進や!おおきに!おおきに!おおきに!

表に出ることはない「ほんまもんの庶民列伝」を鬼さまは見事に書き顕して下さいました。
これにて私もネットから離れて「真っ暗な道を独り歩みぬく」本来の道に戻ります。
『もう一度 自身に問いなおして、わたしは歩みを進める』
Once again I take my life into account for moving forward.
鬼さま、ありがとうございます<(_ _)>
友岡雅弥さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
   ※スレの全ポストを読む場合は右上の「All」クリックです。

゜★。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜ 。☆...:*:・゜’☆,。・:*:・゜’☆...:*:・゜’☆,。・:*:・゜

京都乃鬼新聞(特別企画)@ 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2019年 4月 4日(木)07時30分47秒
京都乃鬼新聞
2019-4-3

=弟子の万葉を紡ぐ=

友岡雅弥氏が、期せずして創価学会第2代会長戸田先生の祥月命日である4月2日にお亡くなりになられました。

3月下旬よりボランティア活動の為に岩手県宮古市に着かれましたが、肺炎の為に入院されて、田老のワカメ漁の手伝いにはいかれない日々が続きました。

一方で肺炎自体は治まり、1日(月曜日)の退院を希望されて
いました。

しかし、その日に再度体調を崩されましたが、2日(火曜日)の再検査の結果が良好ならば3日(水曜日)に退院、帰阪予定でした。

2日は意識もあり、亡くなられる数時間前までネットを見ていた様で「良いね」ボタンを押されてたとのこと。
しかしその後、急に心肺停止状態となり、残念ながら15:00にそのままお亡くなりになられました。

享年64才でした。

謹んでお悔やみ申し上げます。

つきましては、生前の友岡氏を偲び、昨年4月、友岡氏に対して弊社青鬼記者がインタビューしていましたので、
その内容に一部解説を入れながら京都乃鬼新聞特別企画
「妙法の万葉集(友岡雅弥氏編)」として発表させて頂くことになりました。

作中におきましては、実名を出されては不都合な方々もいらっしゃるとは思いますが、オリジナリティを尊重して、故・友岡雅弥氏の表現をそのまま引用させて頂きます。

「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)

第一回(※印は弊社記入)

本隊(※池田名誉会長の一団)随行記者チーム(※通称マーク記者)は兵頭信二さんがトップで常に随行したが、その他の記者はローテーションで替わって随行していた。
私(※友岡雅弥)もその中の一人だった。

いわゆる「先生付きの記者」であり、池田先生の指導を記事にする仕事が主だったが、先生の目の前でメモを取ることができなかった。

出来なかったのでは無く、池田先生が思い切った指導、所謂、本音の指導や秋谷会長など幹部を叱っている様な場面でメモする事は、憚られるという雰囲気だった。

例えばこんな指導が目の前でなされたことがあった。

ある時、先生が西口総関西長(※西口良三1938〜2015.3.15 没)に向かって、

「兵庫は絶対に参議院出すな!出したらいけないよ!
東京(※創価学会の執行部)がいくら言ってきても絶対に出したらいけないよ!

なぜなら、兵庫は世帯数が少ないから、もし出せば、自民党と本部(※創価学会)との付き合い方を変えなければならなくなる。

そうなれば、関西が本部(※創価学会執行部)の下になるよ。
そして学会が自民党の下になるよ。」と言われた事があった。

これを聞いた西口さんは悩んだ。実は尼崎市等の婦人部幹部が兵庫県から参議院議員を「出したい、出したい」と言っていたからだ。

でも、先生がああ仰っているんだからと、西口さんが生きているときは、兵庫県から参議院候補を出さなかった。

でも今回(※2016年)は出してしまった。
案の定、それ以降の関西は、自民党と創価学会本部(※執行部)の
下の立場になった。池田先生の言った通りになった。

(※過去に兵庫県で改選議席定数が3の時は、渡部通子氏や片上公人氏ら公明党の参議院議員はいたが、1995年に定数減になり改選議席が2となっていた間は、公明党からは候補を出していないので、池田先生のこの発言は1995年前後の指導である事が分かる。)

(※当時の背景として
関西創価学会は昭和33年の大阪の戦い以降、「池田先生の手作
りの常勝関西」だったので、関西独自で活動決定が出来た時代であった。)

つづく

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985 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月16日 (火) 09時50分
京都乃鬼新聞
2019-4-15

特別企画
=妙法の万葉を紡ぐ=

「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)

第13回(※印は弊社解説)

ま、そういことで、丹治という男は、宗門座談会を利用して先生を動かしたと言えるでしょうね。

先生は、本当に人が良すぎるぐらいに良い方なんですよ。

だからこう言うと誤解を招くかも知れませんが、先生はある意味では、側近幹部の育成に失敗したのかも知れませんね。

原島や山友なんかもそうですが、彼らは上手に先生の庶民感情や正義感につけ込んで、先生の全面的な信頼を勝ち取ったんです。

そして先生を騙し陥れた。当然ですが、先生は全く悪くない。
先生は真っ白な心なんです。だから直ぐに相手を信頼しちゃうんですよ。

ま、話を戻して、先程も言いましたが、先生が
「宗門はこんなこともしていたのか!この記事を皆に見せなさい!」と言うと、

それを長谷川さんがこれを持ってきて、いろんな幹部に対して
「丹治君の言うことを全部きくんだ!」とやるんです。

結局、丹治は単なる編集局長だけではなく、信濃町(※創価学会本部)の上の方にも君臨していましたね。佐藤浩とともにね。


例えば社説なんかに“平和”とか”人権“とか、誰か記者が書くと、何故か丹治に査問されるんです。

「それは、先生が宣伝のために使う言葉だ!池田先生は、平和とか人権とか大っ嫌いなんだ。
先生は弱い人間なんか大っ嫌いだよ!」というのが丹治の口癖であり信条だったからなんです。

なぜかといえば、先生は丹治個人に対して「負けてはいけない!もっと強く行くんだ!」と指導されていたんですね。

丹治への個人指導なのに、それを彼は曲解したのか、敢えて彼がそうしたのかは分かりませんがね(笑)

実はこのように先生の指導が曲解された例は頻繁にあるんです。

面白い話があります。

かつて池田先生から「百六箇抄」講義を受けて副会長になった一人に滝本さんと言う方がおられたんです。

京大を出て建築関係の仕事をして、統監も担当された事もあったんですが、

その滝本さんが定年になって、ご家族の一人の方がフィリピンに行くことになり、一緒に行く事の報告を先生と会食した席でされたんです。

そこには滝本さんの他に、西口さんたち方面幹部も同席していたんですが、滝本さんが「これからフィリピンに行って、無役職で、一会員としてやっていきます」と報告した。

すると先生は「滝本、えらいなー」と言ったあと、「フィリピンはいいなー、選挙がなくて。選挙は福運を消すんだよ」と仰った。

で、パッと西口さんの方を向かれて、当時少し心臓を病んでいた西口さんに、「お前は選挙を戦っていないから病気になるんだ」と言われた。

一見180度反対のことを言われた。これが先生なんです。

つまり、西口さんがやっていたのは、会員を集めて、号令かけて、票読みをして、分析するだけ。

しかし、先生が言われる西口さんがするべき選挙活動というのは、先生が昭和31年、32年にやった、自転車に乗って、バイクの後ろに乗って、一軒一軒、激励に回る。
それをやれということだったんですね。

 西口さんという人は選挙が大好きで、今までやりすぎるほど選挙をやり、選挙と財務でのし上がった人です。

その西口さんに「選挙をやれ!選挙を戦わなかったら病気になるよ」と言われたのは、
一人一人の所に行きなさいという意味だったんですね。

それを西口さんは関西へ戻って、県長会議で「選挙を戦わないと病気になる」と指導してしまった(笑)

それをまた婦人部幹部が広める。
全く違った意味で先生の言葉が利用されちゃう。
こういうことが頻繁にあったんですよ。

つづく

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986 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月17日 (水) 15時12分
京都乃鬼新聞
2019-4-16

特別企画
=妙法の万葉を紡ぐ=

「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)

第14回(※印は弊社解説)

話を元に戻して、時代が進み
2009年、衆議院議員選挙で公明党は大敗しました。(※31議席から21議席)

民主党政権になり、自公連立は解消かと思われました。
と同時に、飛ぶ鳥も落とす様な勢いがあった丹治一派はカットされました。

これで私には一瞬希望が見えたんです。

丹治とその一派によって「学会指導」という名の下でおこなわれるパワハラは、それはそれはひどいものでした。

飲み会の席でも、仲間の盗聴をしたりして、丹治一派に連なる幹部へのグチや批判めいた事でも言おうものなら徹底的に査問されていました。

精神を病む者や自殺未遂者が出たほどだった。

(※本部そばの精神科医院には、パワハラを受けた若手職員が沢山罹っていたのは事実)

丹治一派における金の着服問題もありました。

まあ、金の問題だけなら、潮出版社から分かっているだけで500万円で、第三文明社も合わせると噂では6000万くらいでしたかね?

そんな金額はかわいいもので(笑)、関西の大幹部に比べたら2桁くらい小さい話だけど。(笑)

また、関西と言えば男子部幹部に火のついたタバコを手に押し付けたり、靴を投げつけたりする元関西青年部長もいましたが、それが今や弓谷(元全国男子部部長、女性問題で解任される)とともに査問の中心者ですから。(笑)

(※丹治チームが切られたのは、選挙敗北によって佐藤浩氏をはじめとして、自民党の後ろ盾を失ったのが一番の原因だったと言う人達もいるが、これは正確ではない。)

(弊社では、長年の独自情報により、丹治一派が切られたのは、彼らの存在自体が原田、正木、谷川、佐藤ら先輩大幹部達の立場を脅かすまで強大な勢力になったからだと分析する。)

(※2009年迄の丹治氏は、創価学会本部、聖教新聞社、外郭団体や公明党及び地方の創価学会組織に至るまで、月刊誌 潮「池田大作の軌跡」の取材活動を通じて全国に闇のネットワークを作っていたのだ。)

(※一部の幹部は「丹治は山友以上」と言っていた。)

(※今では考えられないが、当時は「丹治第7代会長誕生」もあり得た勢いだった事は、丹治氏とその取り巻きならば、知っているはずである)(鬼笑)

(※このことに危機感を抱いた人々が、丹治氏とその周辺の不透明な金の流れをリークして処分したのが実態に近いだろう)

(※当時、パワハラ問題だけならば乗り切れると高をくくっていた丹治一派だったが、
さすがの長谷川氏、八尋氏、中野氏などでも、丹治氏の金銭問題は根が深く、守り切れなかったようだ。)

(※しかし、まだ彼らのうち何人かは、丹治氏が復権する事を狙っている者もいる)


また話を戻しますが、当初は公明党は衆議院小選挙区は撤退、黄金の三年で行こうとなっていたんです。

(※原田会長の下で初めて行われた2007年参議院議員選挙では選挙区で3人落とす。【これが原因で佐藤浩副会長は政治担当から外された】)

(※また2009年衆院選では8小選挙区で全敗するなど大惨敗、
原田執行部は参議院議員選挙に続く2回連続の大惨敗となった。)

(2010年参議院議員選挙(7月)でも比例区得票で伸び悩み、改選議席を2つ落とし事実上の3連敗。
原田会長は就任から4年間で、選挙戦において合計15議席を落としたことになる。)

(※これらは「秋谷元会長がある意味、仕込んだ事」とは、ある情報筋より。)

(※秋谷氏は選挙情勢や分析、対策をする上で非常に重要な要素を占める彼独自の情報網や人脈をあえて原田会長に禅譲しなかった。)

(※選挙情勢が厳しくなっても、黙っていた。何故ならば、負けさせる事で原田体制の失脚か弱体化を狙えるからだ。)

(※それであわよくば彼が自らの復権を勝ち取ることが出来るか、または原田会長体制を傀儡化させて、裏で操作する事が出来ると思っていたからだとその情報筋は教えてくれた。)

(※案の定、池田先生から「やはり選挙は秋谷の力が必要だな」となり、秋谷氏が再度、選挙全般に絡むようになっていったのである)


そして追い討ちをかけるように、ここで山下以知子さん(※当時関西婦人部部長)が要らぬ活躍をしてしまったんです。

どうしても選挙でリベンジをしたいと強く主張して、小選挙区撤退の流れを止めてしまったんですよ。

それで死んだはずの佐藤浩副会長が復権する因ができてしまったんです。

(※この事で秋谷氏は佐藤浩副会長を政治担当に戻しやすくなり、引退していた市川雄一氏も党務に戻した)

(※一旦は息の根を絶たれた反池田勢力が蘇生した瞬間である。)

(※ある時期、会内で権威を失墜して孤立し、宗門行きまで企てていた秋谷氏は、自分を追い越す勢力だった丹治一派の排除にも成功したので、池田先生に対する反撃の画策を始める)


(※秋谷氏達は2010年5月に池田先生が脳梗塞で再度倒た事で、【選挙戦に弱い原田会長を一気に取り込み、池田包囲網を作りあげた】とは、ある内部情勢筋。)

(※2010年、参議院選挙後、夏の最高会議は、池田先生不在の中で正木一派らが小選挙区撤退を主張する。)

(※しかし、他の幹部達は、関西婦人部長が「リベンジしたい、リベンジしたい」と鼻息が荒い事に目をつけ、それを上手く利用し、小選挙区に候補擁立する事が決まり、これで創価学会執行部は、自民党と離れられなくなってしまったのだ。)

※【参考】(公明党の議席数、得票数の推移)
(参議院のカッコ内は【選挙当時の改選議席】の増減を表す。
なおその後の繰上当選や辞職などで前回の当選者数と数字が違うがその比較ではない)

(※2012年以降の【原秋】とは秋谷前会長が本格的に選挙に携わった時代の意味。市川雄一氏が2010年1月に党顧問に復帰する事から、この時期より原秋体制という人達もいるが、弊社では、2012年の選挙で本格稼働としたと【認定】する)(鬼笑)


議席数 得票数(万)
衆2003年 34 873 秋谷
参2004年 24(+1) 862 秋谷
衆2005年 31 898 秋谷
参2007年 20(-3) 776 原田
衆2009年 21 805 原田
参2010年 19(-2) 763 原田
衆2012年 31 711 (原秋)
参2013年 20(+1) 756 (原秋)
衆2014年 35 735 (原秋)
参2016年 25(+5) 756 (原秋)
衆2017年 29 697 (原秋)

※(講評)
原田体制から三連敗後、得票数自体は伸びていないが、原秋体制になり、議席数は増加している。

これは秋谷前会長の手腕によるものが大きいと考えられる。「選挙上手」であることの現れである。

但し、前回衆議員選挙は自民党の一人勝ち、同じ与党の公明党は敗北した。
秋谷マジックもそろそろ限界か?(鬼笑)







つづく



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987 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月18日 (木) 08時02分
京都乃鬼新聞
2019-4-17

特別企画
=妙法の万葉を紡ぐ=

「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)

第15回(※印は弊社解説)


池田先生は、2000年以降、夏の軽井沢、冬の沖縄以外は地方指導に行かれなくなりましたね。

2007年、久しぶりに関西へ来られた。
その時一番私が驚いたのは、全てが会長決済、原田会長を通さないと先生に伝わらなかった事でした。

年に2回も3回も関西に来られていた時なんかは、関西は先生直結だったので、先生は皆の顔も覚えておられるし、特別な警備もなくノーチェックで部屋にも入れて、なんでも率直に池田先生に言えたんですよ。

先生の方から「おー、よく来たな!」とか言われてご挨拶ができた。

ところがこの2007年の時は、先生の周りの警備は関西の金城会や関西の日光警備ではなく、東京の長谷川さんの管轄だった長城会(創価大出身者のみによる警護係の立石氏、木村氏ら)が就いていたんです。


だから誰が先生を訪ねに行っても「接遇へ行ってください」と冷たく言われて接遇に回されたんです。

私はそれを見て「あー、全部信濃町本部(※執行部)のコントロール下に置かれてしまったな」と思いました。
7年間で全く変わってしまったとも思いました。

ちょうどその頃から、先生が衛星放送で、「歯が悪いから、しゃべりずらいんだよ」ということをおっしゃるようになりましたね。

皆も憶えていると思いますが、あれはそうではなくて、実は、本番当日に、原稿が先生に出されるようになったからなんです。

先生は本番その場で、初見でスピーチを読まなければならなくなったんです。

(※2003年5月、軽度の脳梗塞を発症され、後遺症として口の周りが動きずらくなったのも原因)

2000年までの地方指導の時では、マーク記者が必死で翌日の紙面の面建てを先生の所に持っていき、先生とともに打ち合わせをし、見出しや、フリガナや、写真の扱いまで先生から細かい指示が出されていました。

スピーチの原稿は、先生と何度もやり取りをして、なおかつ前日には、先生はスピーチの練習までされていたんです。

それがある時から、本番原稿をドンと机の上に置かれているだけです。

どこに力をいれて話すか、どこを省くか、全く先生にも判断ができない。酷いもんですよ。

だから、先生はアドリブを多く入れたんでしょうね。

ですが、その先生のアドリブは執行部に全部カットされちゃった。
執行部にとってよほど都合が悪かったのでしょうね。



つづく


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989 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月19日 (金) 09時48分

京都乃鬼新聞
2019-4-18

特別企画
=妙法の万葉を紡ぐ=

「妙法の万葉集」(友岡雅弥氏の証言編)

第16回最終回(※印は弊社解説)

 僕が学会に入ったきっかけは、学会がすごいボランティア活動をしていたからなんです。

僕は高校二年生からハンセン病のボランティアをしているけど、長島愛生園(※岡山県瀬戸内市)へ行ったら、長島大ブロックと愛生大ブロックという二つの学会の大ブロックがありましたよ。

また、大島青松園(※香川県高松市)へ行くとハンセン病の会員さんが、自分たちで建てた会館があるんです。

すごいなと思った。
学会に入りたいと思った。

でも学会へ入ってがっかりしたんです。
なぜか。学会はそんなすごいことをやっているのに、学会内では凄い事として讃えられていなかったんです。

本当の学会の凄さというのはこういうところにあるはずと私は思うんですけど、どの宗教団体も誰も行かなかったハンセン病の島に、誰か分からないけども、確かに創価学会のひとが折伏に行ったわけですよ。

これはどこに出しても恥ずかしくないことです。
最高の宗教団体ですよ。
なんでそれを自分たちの誇りとして語れないのでしょうか?

まあ、あんまりこの話をするとアクセンチュアと電通がSTB用の宣伝番組を作るかもしれないからね。(笑)

番組を作って宣伝をしろというんじゃないんです。
一人一人が自分の中の蓄積した資質として持ち、それを語る。
学会ってこんなところなんですと。

僕自身は、一年間の殆どを半身不随の会員さんの所におむつを替えに行っていた事もありました。

これは最高のボランティア活動と思ってます。
誰も見ていない。でも、そんなボランティア活動が、今の学会の組織にありますか?

本来、学会活動は最高のボランティア活動であるべきだと私は思うんですが、そうではないですかね。

(※学会活動とボランティア活動をどう捉えて行くかは、読者の皆さまのご判断に任せたい)

(※しかし、仏滅後の時代に菩薩行を貫いた不軽菩薩が死に際して、仏の声を聴くのは示唆的である。)

(※菩薩の行は忍耐を本となす。忍耐に四種あり。

一には罵り(ののしり)を受けても黙して報いず。
二には打たれても恨まず。
三には怒るものあれば情けを持って迎え、
四には侮(あなど)るものあれば、その悪を思わず。)

(※今わの際に、「そうだ。その通りだ。それでいいんだ」と師匠の懐かしい声が耳に響くような人生にしたいものだ)


私は思うんですが、今の創価学会との本当の勝負は、きっと20年後ですよ。
20年後に勝負してください。おそらく今から5年後くらいには大きな衰退を始めるでしょう。
今は急いだらいけませんよ。





※「関西創価学会の良心」と呼ばれた友岡さんの精神を後世に遺す為に、2018年4月に録音されたお話し内容を基に、各方面の方々の情報なども参考にしながら弊社で編集しました。



4月24日を目前にして、京都乃鬼が此処に記す。


友岡雅弥さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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990 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月24日 (水) 10時35分
京都乃鬼新聞【嵐の4.24 】に寄せて


京都乃鬼新聞
2019-4-24

=友岡雅弥氏の絶筆か!?=

弊社で調べたところ、現時点で確認が出来る限り、友岡さんの心情が詰まった文章として生前最後のものと思われます。

今年2019年3月中旬に書かれたものです。

意義深い「嵐の4.24 」から40周年、その日に当たり、送り宛て先様のご了解があり、また友岡さんの人となりもよく分かる内容ですので、弊紙に掲載の上、皆様に公開させて頂くことになりました。

なお、私的な御礼文ですので、プライバシーに配慮し、一部を削除、編集させて頂いております。

また、この御礼文の背景としては、友岡さん自身がご自分の健康が優れない事がわかっていて、またご家族の反対も押し切って敢えて東北のボランティア活動に向かわれたのですが、、

それは何よりも、友岡さんが育てたボランティア活動の真の意味を知る学生さん達との約束があったからでした。

後継の為に命を捧げられたのかも知れません。




「寄付の御礼」

今回は、温かく、そして貴重なお心よせ、こころの底から感謝しています。
ありがとうございました。

学会に入会する前から、社会的弱者と呼ばれるかたがたの支援をしていました。

それは母親が、知的障がいをおもちのお子さんの学級を、
結婚前、戦後すぐから始めたのと関係するのかもしれません。

母は結婚し、僕が生まれましたが、母親の学級の生徒さんが、僕の人生の最初の友だちだったからです。

ハンセン病隔離療養所の訪問や、ホームレスの支援活動をし、また東日本大震災以降は、聖教新聞の記者の仕事とは別に、自費で被災地に通い続けていました。

しかし、記者として、ライフワークにしていた、そういう社会的弱者へのまなざしを持った記事が、「聖教にはふさわしくない」と、批判され、会員に間違った意識を植え付けるものと、処断されて、あとは、査問の連続。

揚げ句は、ちゃんと決裁を受けて行った東北の取材ですらも、「電話でいい。行く必要はなかった」ということで、出張費536万円を全額返金ということになりました。

相談した弁護士さんたちは「訴えたら100%勝つ」とおっしゃいましたが、時間がもったいないのと、価値がまったく違う、今の創価学会に、どのような形でも(裁判という形でも)触れるのは、とてもイヤだったので、自由を勝ち得たと思って、聖教を退職。

収入はなくなり、退職金の取り崩しとかでつないでいます。
(今年の11月からは、年金が入りますが)

連れ合いも、カウンセラーとして働いているので、生活に困窮するということはありません。

しかし、ずっとかかわり続けてきた、東北被災地の現場があり、毎年、1、2回は、大学生さん達を、東北被災地にお連れしています。

その大学生さん達の中から、すでに二人が、被災地の自治体の職員や、被災地の400年の老舗の職員となって、現地で活躍しています。

また、昨年から、いろんな国々の留学生さんたちともつながりが出来て、彼ら・彼女らを、釜ヶ崎の支援活動にお連れしています。

そして、彼ら・彼女らから、東北に行きたいという希望が強くでてきたので、今年以降は、日本の学生さん達を1、2回、各国の留学生さん達も、そのぐらい、東北にお連れしようと思っております。

漁業・農業のお手伝い、また、知りあいになった、在宅ホスピス医院でのお手伝いなどを行います。

おかげさまで、日本の学生さん達、各国の留学生さん達を、東北へお連れする交通費は、支援してくださるかたは、なんとか今のところいらっしゃいます。

また、宿泊費も、僕が今まで、通ってたことで、「あんたの連れて来る人だったら、漁師小屋ただで使ってもいい」とか「地域交流センターで、布団代だけでいい」とか、ありがたい申し出があります。

しかし、実際の現地の交通手段は、レンタカーとなり、たとえば、この3月25日から、31日までの、日本の学生さん達の「福島・宮城・岩手」の1週間のボランティア・ツアーは、レンタカーとガソリン代、高速代で、20万円近くになります(大型のバンを借りるので)。

それで、今後のことも考えて、「うーん、どうしよう」と思ってたところ、今回の、温かいお心よせで、かなり、これからに希望がでてきたところです。

ほんとうに、助かりました。
ありがとうございました。

友岡雅弥






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四季を詠む All ReLoad
267 名前:おにゆり 2008年10月20日 (月) 22時39分
楡の木が葉を落とす

ハラハラと ひらひらと

朝のバス停に 風が運ぶ

ハラハラと ひらひらと

天から 降ってくるような

葉のざわめきに

突如として秋≠ 知る



楡の木が 葉を落とす

ハラハラと ひらひらと

回り舞台の 緞帳が

前触れもなく あいたような

ハラハラと ひらひらと

空を かけぬける

葉の ざわめきに

突如として秋≠ 知る


いつもの 季節の

主体者は 己ではなかったのかと

突然の 楡の葉舞う姿に

吾 呆然と立ち尽くす

ハラハラと ひらひらと

楡の葉舞う 朝のバス停に

吾 この秋≠ゥく 舞わんと決意す


楡の木が 葉を落とす

風に乗り 舞う落葉の花吹雪

君が 使命は 彩とりどりに

舞に舞い行け 黄金なす

勝利輝く秋≠ネれば

吾は 負けじと 胸をはる

 (11.18まで あと29日です)


967 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月04日 (木) 09時29分
最後まで若い友の中にいた
あなたのいない食事風景に
それは「希望」なのだと
雪が降り積もる

たろう庵に 田老のワカメに
とんでもない働き者の力持ち
そんなあなたと旅した想い出が
きょうも降り積もる

#友の足音
#つなぐ人
#東北でよかった
#あなたに出逢えて感謝
https://www.facebook.com/155195987923935/posts/1969025826540933?sfns=mo


969 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月04日 (木) 19時07分
著者友岡雅弥 逝去についてお知らせいたします
以下、ご遺族の意向を鑑み、すたぽ運営事務局よりご通知させていただきます

故 友岡雅弥 遺族からの挨拶
故人生前中は一方ならぬ御厚誼にあずかりましたことを厚く御礼申し上げます

故人は 3月下旬より未来のある有志の方たちを東北へアテンドしており わかめ漁ボランティアをしているときに寒暖差が激しく体調を悪化させ肺炎になりました

以前より体調が芳しくない状況も長く続き体力も低下していることもあり 病状回復には至らず4月2日15:00に心肺停止となり 永眠いたしました

本日 岩手県宮古の地にて葬儀を執り行わせていただきましたことをお知らせいたします

交友関係が広く 多くの方のご意向をいただいておりましたが 以前より故人と申し合わせておりましたように近親者のみでの葬儀とさせていただきました
何卒ご理解の程 宜しくお願い申し上げます

御香典の儀は生前より故人の意思もあり固く御辞退申し上げさせていただきますことをあわせてお願い申し上げます
志は有り難く頂戴させていただくとともに皆様が関わっている様々な支援などに使っていただくことで故人も喜ぶかと存じます

以上をもちましてお知らせ ならびに遺族としてのご挨拶とさせていただきます

すたぽ事務局より
著者友岡雅弥生前におきましては、連載記事をご購読いただきありがとうございます。

突然すぎる訃報に思いを消化できていない方も多くいらっしゃるかと存じます。
すたぽ運営事務局としましては、著者友岡雅弥の意思を受け止める機会を作りたいと考えております。

関係者と相談のうえ改めて周知させていただきます。

皆様へのお願い
交友関係も広く、著者を敬愛する方々も多い状況ではございますが、ご遺族への直接のご連絡等は当面の間はお控えいただけますでしょうか。

ご遺族の心労もございますのでご理解の程宜しくお願い申し上げます。



2019年4月4日
すたぽ運営事務局
https://stapo.info/info/20190404/

979 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月12日 (金) 13時08分
友岡さまの著書を携えて南淡路へ湯旅に行ってきました。
夜の露天風呂での風景です。

ー夜の海ー

真っ暗い海の向こうに
橋桁の灯りチカチカと
夜の海はお久しぶりだ

湯船に身を浸し
真っ暗い海に同化する
突如風が吹き上がって
背後から湯気流れ出でて

眼前の湯気吹き上げられ
それは交差し
空へ空へと巻き上がる
龍が天に舞い上がる如く

霧の中に立ちすくむように
私は風に巻き上げられた
湯気の遊びゆくさまに
友の舞いゆく姿をみた

湯船の湯気を左から右へ
掬い上げ巻き込みながら
天空へと舞い躍り舞い上がる

それは
最高のワンマンショーだ

君は自由だ!
いざや、舞い上がれ
 4月10日

982 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月14日 (日) 08時48分
昨日は幸なる人と半日過ごしました。
「妙法の万葉集」を、涙をため唇を噛みしめながら、第10回まで読んだ彼女は
「あの日、あたしも聞いた、あたしも証人だ、すごいね京都乃鬼新聞」
私が幼き君を同中に連れて行きつづけた意味が解るかな?
池田先生と自分の間には誰も入れちゃいけない、君と先生です。
友岡さんのつぶやきは深いんだよ、落ち込んだ時に思い出せばいい。

「隙間」があれば、生命は自ずと育つ 、
If there is a crack, life will naturally grow up by itself.

>「レット・イット・ゴー」を原文から訳してみました(友岡雅弥)
Idina Menzel 'Let It Go'
山に雪が降り積もり
足跡を消していく
ここは、孤独が支配する国
まるで女王の私のよう
戸外も、心の中も嵐が吹きすさぶ
どうしても、おとなしくさせることはできない
何度もやってきたけど。
嵐よ暴れないで
見たくはないわ
いい子でいたわ、いつも嵐を隠しながら
気づかれてはいけないと思っていた
でも、気づかれてしまった
解き放つの 解き放つの
もう、後には戻れない
解き放つの 解き放つの
向こうにいけ!ドアを閉めろ!
もう、いいの
みんなからなんといわれても
嵐よ、吹き荒れろ
寒さには、もう邪魔はさせない
ちょっとした距離で、
すべてが小さく見える
私を支配していた「恐れ」は
もう私に近づくことすらできない
何ができるのかを知り
壁はどこにあるのかを知り、そして突き破る時がきたの
いいこと、わるいこと、そんなのはどうでもいい
自由よ
解き放つの 解き放つの
この風のように、この空のように
解き放つの 解き放つの
もう泣くことはない
二つの足で立って
揺るがない
嵐がどんなに吹き荒れても
私の力は、空にも、そして大地にも
私の心は、雪の結晶のように大きくなる
私の思いは、吹雪のように形をなす
もう後には戻らない、過去は過ぎ去っていく
解き放つの 解き放つの
夜明けのように、体をおこし
解き放つの 解き放つの
「完全な少女」なんか、どこかに行ってしまえ!
私は二本の足で立つ
日の光のなか
嵐よ、吹き荒れろ
もう、邪魔はさせない
The snow glows white on the mountain tonight
Not a footprint to be seen.
A kingdom of isolation,
and it looks like I'm the Queen
The wind is howling like this swirling storm inside
Couldn't keep it in;
Heaven knows I've tried
Don't let them in,
don't let them see
Be the good girl you always have to be
Conceal, don't feel,
don't let them know
Well now they know
Let it go, let it go
Can't hold it back anymore
Let it go, let it go
Turn away and slam the door
I don't care
what they're going to say
Let the storm rage on.
The cold never bothered me anyway
It's funny how some distance
Makes everything seem small
And the fears that once controlled me
Can't get to me at all
It's time to see what I can do
To test the limits and break through
No right, no wrong, no rules for me,
I'm free!
Let it go, let it go
I am one with the wind and sky
Let it go, let it go
You'll never see me cry
Here I stand
And here I'll stay
Let the storm rage on
My power flurries through the air into the ground
My soul is spiraling in frozen fractals all around
And one thought crystallizes like an icy blast
I'm never going back, the past is in the past
Let it go, let it go
And I'll rise like the break of dawn
Let it go, let it go
That perfect girl is gone
Here I stand
In the light of day
Let the storm rage on
The cold never bothered me anyway!

988 名前:おにゆり 投稿日:2019年04月19日 (金) 09時45分
「火を掘る日日」読了。
涙流るる 止まるを知らず
ただ 涙流るる ポツポツと落つ
おぞましき差別の歴史に
なおも生きし人々尊き生命よ
涙流るる ポツポツと落つ…

この本に巡り合わせてくれた友に感謝する。
2014年 大晦日の夜。

2017年、私は火を掘る日日のことを書いた
「貧乏人と病人の創価学会」が私の誇りだと

精神を病んだ母とアル中の父、酒瓶が転がるなかに聖教新聞が散乱する光景の中で育つ少年…
K炭鉱の風景である。

>Aさんの去って言った後家には、熱心な創価学会の会員が入ってきた。信者はふえるいっぽうだ。三年前、私がここに移ってきた当時は、焼く五〇%が学会員だときいてびっくりしたものだが、いあまでは生活保護世帯の割合と同様、九〇%におよんでいるという。信じられるものは、もっとも信じがたいものだけということになるかもしれない(火を掘る日日 上の英信著 P189)


友岡さんは「いま無性に読みたい。多くの書籍とともに退職時に置いてきてしまったんです」

数日後、「もうひとつの学会の原点です」
そう紹介されていた。

あたしに教えてくれて あたしから受け取って
みなに再び紹介していった

友岡さんは「つなぐ人」でした
これからもずっと・・・

友の足音を聴きとりながら
真っ暗な道を私は独り歩いていく。

鬼さま「妙法の万葉集」ありがとうございました。
「学会の話しをすると舌がまわらへんようになる」
一言ひとこと発語する友岡さんのお姿が目に浮かびます。
「表には出せない庶民列伝の風景」を見事に掬い上げて下さいました。

涙の流れる朝もあるのです
「あなたに出逢えて感謝」#友の足音


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ごあいさつまでに All ReLoad
960 名前:ふうふう 2017年01月06日 (金) 22時25分
ふと立ち寄らせて頂きました。

今もこちらの掲示板に伺わせて頂けること――うれしく存じます。

おじゃましました。
m(_"_)m

――と、これもクラシックなフェイスマークになってしまいましたが。

961 名前:ふうふう 投稿日:2017年01月06日 (金) 22時27分
連続投稿はあまり美しくありませんが――

おにゆりさまと此方の掲示板がご健在であられること、嬉しく存じてお降ります。

962 名前:おにゆり 投稿日:2017年01月18日 (水) 11時03分
ふうふうさま、コロンと転がした路傍の石のような板にようこそ。
ネット界隈も様変わりして、通過することもない風景となっています。
板も閉じようか、閉じようかと迷うままに放置してる悪癖(いつもやん)
ふうふうさまがお元気そうで、とても嬉しゅうございました(⌒‐⌒)

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業務連絡です All ReLoad
6 名前:おにゆり 2008年07月12日 (土) 14時01分
愚壮さま 掲示板の設定を変えてみました。

さて掲示板の管理についてですが
愚壮さまに権限の一切をお渡ししたいと存じます。
つきましては右下にある「管理人への連絡」から
ご連絡頂戴したく存じます。
おによ頼むと申されるのであらば その時までお待ち致します。

管理画面も初心者にも使いやすく有料版に移行すれば
広告も消えログの長期保存も可能になります。(先でお考えあれ)

今回のログ収集につきましては「創価王道」の小野様の
お心の深さに 改めて感謝した次第です。
愚壮さまと 初めてお会いしたのも彼の板でした。
webの波間に身を置きつつ 改めて人と人の出会いに感謝致します。

皆さま
作品の崩れ脱字等ございましたら こちらのスレにて連絡下さいませ。<(_ _)>


912 名前:おにゆり 投稿日:2015年03月19日 (木) 12時07分
ひっそりとwebに転がしている板です。
マグマグ研究ノートとでも命名してスレ作ってご自由にお使い下さいませ。
投稿時にご自分で決めたパスワード入れておくと記事の編集ができます。
(掲示板の一番下に投稿NOと、パス入れる窓があります)
ちなみに私ルールで不快な投稿は削除しちゃいますのであしからず。うふふ

913 名前:あべひ 投稿日:2015年03月20日 (金) 12時46分
マグマグ殿 よくおぼえておられましたね。

ひっそりとお願いします(笑い)

916 名前:マグマグ 投稿日:2015年04月17日 (金) 15時45分

おにゆり姉様、あべひ様

お言葉、お励まし、本当に有難うございます。

「ひっそりと」ですね。了解!謝謝! マグマグ拝


920 名前:あべひ 投稿日:2015年04月22日 (水) 10時37分
もうすこしすると朗報があるかもしれません(笑い)

957 名前:愚壮 投稿日:2016年01月09日 (土) 13時32分
おにゆり様。
連絡します。 先日申した『御書』の要言集(自作)ですが。
残り百項目ほどとなりました。(現在 約1万1千項目)

体調の悪化で、思うやうに進みませんが、今少し、お待ちください。

御住所は、変わっていませんね。 
(私は変わりましたよ)

愚壮 拝



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